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悪党の親玉の巣は、とある拳法の道場だった。
そこの師範が、さる貴族の護衛に武芸の手ほどきをしていて、その謝礼として貴族の方もいくらかの礼金を払っている。表向きは、そういう関係だ。
だがその裏で、貴族の依頼を受けて、色々と汚いことを秘密裏にやっている、ということらしい。
タイタスはそこへ、ご丁寧にも依頼主の貴族が訪ねてきているときを狙って踏み込むという。当然、道場の門弟である護衛もぞろぞろいることになる。
「一網打尽にするチャンスなのは認めるけどよ、片方ずつ潰して行った方が確実じゃねえか?」
まず師範を倒し、それから貴族の身柄を抑える。どう考えてもその方が合理的だ。
「まあ、そうなんだろうが、俺は俺のやり方しかできない」
「だからって」
「しっ。来やがった」
思わず息を潜める。悪事の元締めたる貴族が、伴を連れて道場に入って行った。
「連れは一人だけか?」
貴族が連れていたのは、一人だけだった。道場の中は、最低三人ということになる。貴族は若かったので、あるいは自身も多少の心得があるのかもしれない。
「意外と少ないが、それだけにかえって不気味だな」
「関係ない。相手が何人だろうと、踏み込むことはもう決めている」
またこれだ。どうもタイタスの行動には、目的を果たそうとか、成功させようという気が感じられない。
「なあ、あんた。本当に、連中を潰してやろうって気があるのか?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。どうもあんたからは、成功させようという気が感じられない。失敗しようとしている、という訳でもないが」
「考えたこともないな」
それこそ、一瞬も考えるそぶりを見せず、即答した。
「考えたこともない、か」
手段と目的が倒錯しているのかもしれない。彼にとっては、悪事を潰すために踏み込むという、通常ならば手段である部分それ自体が目的で、悪事を潰すという通常ならば目的になる部分は、どうでもいいのかもしれない。
つまり事の成否などどうでもよく、行動することそれ自体が目的ということだ。だから、成功する確率を高めるために、努力や工夫をしようという気がない。
タイタスが無言のまま進み始めた。踏み込む気らしい。ノースロップにどうしろとも言わない。
普通なら、こんなことに付き合うなどどうかしているが、ノースロップは後に続いた。彼を、一人で行かせたくはない。
タイタスが道場の戸を蹴破った。中の人間が、一斉にこちらを向く。全部で四人いた。
「何者だ!」
貴族が叫ぶ。その間に、貴族の伴をしていた男と、もう一人の門弟と思しき男が構えを取った。
「ゴミ掃除の業者だ。掃除の理由は、覚えがあるはずだ」
「『掃除屋』か」
師範と思しき白髪交じりの男が、ゆっくりと立ち上がった。
ノースロップは戸の陰に潜んでいて、いきなり飛び出して門弟の一人の腰に飛びついた。そのまま壁まで押し込む。相手は拳法を習っている。使われる前に、ルール無用の喧嘩に持ち込んでしまうことだ。
押さえ込まれた男が背中を殴って来る。股間を蹴り上げた。崩れ落ちる男の顔に、膝蹴りを入れた。
もう一人の門弟に後ろから掴みかかられた。勢いよく頭を下げて投げ飛ばし、蹴りまくった。
タイタスの方を見ると、師範と一対一でやりあっていた。馬鹿正直に正面からやり合うものだから、はやくもぼろぼろにされ、足元がふらついている。
「馬鹿かお前は!」
門弟に一発きつい蹴りを入れ、助けに向かおうとする。
「邪魔するな。俺のやりたいようにやれせてくれ」
言って、タイタスが正面から殴りかかった。タイタスの拳が空を切り、逆に師範の拳を喰らう。
ふらついたタイタスの腹に、蹴りが入れられた。タイタスの体が面白いように吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
タイタスを助け起こした。顔中に冷や汗が浮いている。確か、あばらを折っていたはずだ。そこへ今また強烈な蹴りを喰らったのは、かなり危険なのではないか。
「なんでだよ。お前のやり方ってのは、命まで引き換えにしなきゃならないことなのかよ」
ただ勝つだけなら、いくらでも方法はあったはずだ。これではまるで、死ぬことを望んでいる様ではないか。どうしてそこまで自分に無頓着になれるのか。
「分から、ないか?」
短く言葉を区切りながら話すタイタス。
「お前なら、分かると思ったんだが」
「どういうことだよ?」
タイタスが壁に背を預けながら立ち上がった。
「こんなやり方をしていたら、死ぬかもしれない。そんなこと、百も承知だ。それでも、そうせずにはいられない。あんただってそうだろう?」
タイタスがこちらを向いて、顔を歪めた。笑ったつもりらしい。
「あんたに言われた通りだな。俺はやっぱり、苦しむことを望んでいるらしい。体だけじゃなく、心までも」
タイタスがまた、師範に向かって行く。
「待たせたな。ラウンド2と行こうか」
やはり助太刀しようと一歩踏み出して、手で制された。あくまでもタイタスは、自分でやるつもりらしい。
「先生、後始末はどうとでもなります。遠慮はいりません」
師範の後ろで貴族が叫んだ。意味は、考えるまでもない。
またタイタスと師範のタイマンが始まった。タイマンと言っても、ほとんど一方敵にタイタスが殴られているだけだ。それでも、タイタスは倒れず、喰らいついている。急所だけは、辛うじて躱しているらしい。
起き上がりかけた門弟を踏み倒しながら、ノースロップは二人の戦いを見続けた。
どれだけやられても向かって行くタイタスからは、もはや痛々しさしか感じない。何度も割って入りそうになるが、一歩踏み出したところで足が止まった。
やはり彼は、無に向かって走り続けている。消えてなくなりたい。そう思っている。そう思った。
そこに、強く共感を覚えた。自分も、妻を亡くして以来、消えてなくなりたいと思い続けてきた。死ぬのではない。消えるのだ。
いや、消えなければならないという、強迫観念の様なものか。自分自身を許せない。死んで楽になることさえ卑怯だという、自責の念。
彼にも。『掃除屋』タイタスにも、その思いがある。その思いに突き動かされている。それを確信した。
タイタスが胸に一撃を喰らった。呼吸ができなくなったのか、舌を突き出して喘いでいる。
あれはきっと、自傷なのだ。自分はもっと苦しむべきだ、苦しまなければならないという自責の念がさせる、自傷なのだ。
だから、自ら苦しむことを求める。そして、苦しんでいる自分に満足を覚える。自傷は、自罰でもある。自分自身を断罪し、罰を与えずにはいられないのだ。
彼にそこまでさせる自責というものがなにか、それは彼にしか分からない。言葉にしてみれば、つまらないことかもしれない。
しかしそれが、彼にとっては無限に重いなにかなのだ。自責というものは、おそらく誰にとってもそういうものだろう。
だから、彼の自責と自傷には、なにもしてやることはできない。初めから彼の内側の問題である以上、どうしようもできないことなのだ。
それでも、見ていて耐え難いほど痛々しい。もういい、もう止めろと止めたくなる。
これではまるで、コレットと同じではないかと思い、自嘲した。
「そうか。俺も」
タイタスの自傷の痛々しさを、耐え難い思いで見ている自分がコレットと同じなら、自傷を続けている痛々しいタイタスは、自分と同じだ。
あえて極貧生活に身を置き続けるのは、ノースロップの自傷だったのだ。そしてそれをさせる自責は、言うまでもない。
妻に与えてしまった苦しみと同じ。いや、それ以上の苦しみを、自分の身に刻み込みたかったのだ。
師範がタイタスの手首を掴み、タイタスの動きを完全に押さえ込んだ。
タイタスが叫び声をあげながら、強引に体を捻って抜け出した。抜け出したものの、右手首が折れたのか外れたのか、ぶら下がったようになる。
タイタスの無茶な行動に、師範がたじろいだ。その一瞬の隙に、タイタスが師範の顎に頭突きを叩き込んだ。師範の足がふらつく。
タイタスを見ているのが、急に不愉快になってきた。
今まではタイタスがいくら自傷しようと、それは他人のことだった。しかし今は、他人事ではない。タイタスを見ることは、鏡で自分を見ている様なものだ。
妻と死別して以来二十年。自分がしてきたことは、あんなにも痛々しくて、見ていられないことだったのか。それを今、初めて見せつけられている気分だ。
コレットが心配するはずだ。あんたにも痛々しい姿、自分でも見ていられない。
帰ったら、彼女に謝らなければならないと思った。知らないうちに、ずいぶんと心配を掛けていたようだ。そして、お礼を言うべきなのだろう。心配してくれてありがとうと。
ただ、彼女が何でも屋に居つくことを認めるのは、また別の話だ、とも思った。
あの娘は、ちょっと気を許すと女房面をする。気が付けば半月も居ついて、店を掃除することを許したりしている。これはいけない。ここらで一度、はっきりと拒絶しておかなくてはならない。
これもまた自傷の一種だと分かっていても、女房の様な気遣いをされるのは、もうたくさんだ。その資格がない。
自分がどんな無理や無茶をしようと、亡き妻のように心配してほしくはない。
いや、それとも、あえて彼女をそばに置くことで、妻のことを思い出すべきだろうか。忘れたことなどないが、心の傷をいちいちえぐる役に立つかもしれない。
妻には、特別な思い出など、何一つ作ってやれなかった。死の間際に泣かせてしまった。それを忘れたことはないが、より鮮明に思い起こすのは、最高に自らを苛むことだろう。
タイタスが、初めて師範の胴に拳を叩き込んだ。左を囮にして、右の拳を叩き込んでいた。折れた腕では、自分の方が痛いはずだ。
しかし、師範にもこの一撃は効いたらしく、明らかに様子が変わりつつある。
打撃を受けたダメージ以上に、師範はたじろいでいる。なぜタイタスは止まらないのか。なぜ、こんな無茶ができるのかと。
止まる訳がない。自責から自傷を望む人間が、どれだけ傷ついたところで、止まるはずもないのだ。




