39 - 船上のティータイム
出航当日の十七時半。
そろそろ日も沈みきる、そんな頃合いに、僕はというと船の船頭方面にある調理場を借りていた。
調理はいつも通り『理想』の再生で。
大きな鍋にごま油をふんだんに入れ、魔法の火を使って徐々に熱し始めつつ、釣れたハゼをまな板にのせ、包丁でウロコを取ったら頭を切って腸を抜き、更に開きの状態にしたら中骨と膜を取って、という行程を準備したハゼの分だけ繰り返し。
下準備が一通り出来たところで油の温度も丁度いいようだ、小麦粉を水で溶くだけのシンプルな衣をハゼに纏わせたら、素早く丁寧に味を込めるようにハゼをフライ。
というわけでハゼの天ぷらが……えっと、沢山完成。
ちなみに取り外した中骨は素揚げしておつまみ用に。お父さんが好きなんだよね……。
ともあれカラっと揚がったものはお皿に盛り付けておく。
折角油を大量に使っているので、持ち込んだジャガイモをまずは適当な大きさにカット、フライドポテトを作成。
この世界のじゃがいも、少なくとも僕がこれまで見てきたアカシャやメーダーに出回っている物は男爵系が多いのでコロッケにしてしまうのもアリだとは思うけれど、ついでなので簡単にそして大量に作れるこちらで良いだろう。
カラっと揚げたらこちらも別のお皿に盛り付け。
次にハゼと比べればまだ常識的な数で済んでいるスズキ、もといセイゴもきちんと下処理をして、塩焼き用とフライ用、煮込み用に切り分け。
煮魚としてのセイゴは……まあちょっと食べられたら良いかなー程度なので少なめに、主に塩焼き、ぶつ切りになった小さい塊はフライにする感じでいこう。
フィッシュアンドチップスみたいな感じだ。
「美味しそうな匂い……と思ったら。ねえユージン。あの子、プロかしら?」
「いや……それは本人次第じゃないか、テイカ」
「あれ? どうかしましたか、お二人とも」
「いいや。…………。荷物の整理が終わったから、甲板で一息つくかって話になったんだよ。そしたらなにか美味そうな匂いがしたんで寄ったんだが……」
「アルテアくん。これ、全部あなたが作ったの? とても美味しそうね……」
「魚は釣ったんですよね。で、厨房を使う許可も貰ったので、がーっと作ってみました」
正直作るだけで割と満足なのは内緒。
もちろん、ちゃんと食べるけど。
「とはいえ、ちょっと釣れすぎたんですよね、魚。これを全部食べるのは大変なので、船員さんを呼んで食べて貰おうかなあと」
「え、じゃあその、私達もそれを食べたりしてもいいかな?」
「ダメとは言いませんが。バリスさんに伝えるのが先ですね……」
「じゃあ、私が伝えてくるわ。だからユージンの分も私に頂戴!」
「いやそれ……ってもう行っちゃったし……」
行動が早いなあ……テイカさん。
さすがは商人。
微妙なところに感心をしていると、呆れた様子でユージンさんは盛り付けられた大量の天ぷらに近付いた。
「これ、何匹くらい釣ったんだ」
「六十匹までは数えたんですけど、そこで数えるのをやめちゃったんですよね」
「……それを、釣った?」
「はい。釣り竿で一匹ずつ丁寧に」
「そ……そうか……」
そういう事もあるかな、いやあるんだろうな、とユージンさんは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
「けれどこの湖、凄いですね。釣り糸を垂らせばすぐに食い付くし。最初は『これじゃあ暇つぶしになんないなあ』って思ってたんですけど、最終的にはどこまで連続で釣れるかなチャレンジになってきて……」
「…………。俺も寡聞にして知らなかったよ」
やや投げやりにユージンさんが言うと、先ほど突っ走っていったテイカさんが帰ってきた。
そして、親指を立ててニッコリと笑顔を浮かべ、その後何やら疲れた様子でバリスさんが到着。
「…………。料理をするとは聞いていたが、まさかそんな高級な料理を仕立てているとは」
「調子に乗って全部料理しちゃったんで、正直、食べきるのが大変そうなんですよね。味は決して悪くは無いと思いますが、宜しければ船員さんにも分けようかなと。全員分には足りないかも知れませんが」
「いやぱっと見の数で十分足りそうだな……。うん、坊主がそう言ってくれるならば振る舞わせて貰おう」
「ありがとうございます」
「いや感謝をするのはこっちの方だ」
というわけで船員さんにハゼの天ぷらやフィッシュアンドチップス、塩焼きやフライをお裾分け。
それでもまだ半分ほどは残っている当たり、ちょっとやり過ぎたかなと流石に思う。
「テイカさん、ユージンさん、僕の分は……っと、これで取ったので、あとは全部食べちゃっても構いませんよ」
「それはそれで無茶振りね……」
「あの軍人さんと冒険者にも食べさせるとして……、まあ、なんとか……ってところか」
「まあ、ちょっと多いですからね」
「ちょっと……?」
「ちょっと」
……次からは気をつけます。
そう謝りつつ、オーザさんとウグイさんにも事情を説明し登場してもらい、処理を手伝って貰った所、
「……これほどの料理は中々食べられないわ……、アルテアくん、君、私と一緒に暮らさない?」
「おい。テイカ。一応お前は俺のよ――」
「私がお金は稼ぐからさあ。炊事洗濯とかの家事全般を任せたいなって思えるの……」
「――だからなテイカ」
「すいませんが、不倫はちょっと……。あと僕、まだそういうのは早いと思うので……」
「そう。残念。気が変わったらいつでも言ってね?」
未来永劫その気になることはないだろうなあ……。
大体、テイカさんが冗談九割だし。
一割本音が混ざってるけど見ない振り。
それに、料理が好評だったのは嬉しいな。
この船ではもう料理しないけど。
「というか。テイカさんとユージンさんは結婚されてたんですね」
「ええ。二年前にね」
「その前から腐れ縁だったけど、商人として道を歩むことを決めた時、正式に婚姻したんだ」
「なるほど」
だからこそさっきみたいな冗談も軽く流せるわけだ。
「このカリカリに揚がった骨がとにかく酒に合うな……。これは良い料理だ」
「ウグイさんってお酒、結構飲めるんですか?」
「まあまあな。もっとも……たぶんこの中で一番飲めるのはオーザだろう」
「否定はしないとも」
え、そうなの?
意外、という視線でつい見てしまったけれど、テイカさんやユージンさんも僕と似たような反応をしていた。
だからだろうか、オーザさんは苦笑混じりにその理由を口にした。
「私が生まれた土地では水と同じように酒が飲まれていた。酒が安く水が高い土地だったんだ。魔法で水を作るにも限度はあるからな……。それに、私が産まれた家は決して豊かではなかったというのもある。水を飲むより酒のほうが安かったんだよ。結果、大分幼い頃から酒を飲んでいたからな……自然と酒には強くなった」
「あー……」
説明をうけて、僕以外の三人はすっと納得したらしい。
そんなものなのか……。
「ところでアルテア。君は酒を飲まないのか」
「ノウ・ラースではお酒は大人の飲み物ですからね。僕と同年代くらいだと、お祝い事でちょっとだけこっそり飲んだりするくらいですか。僕に至っては飲んだこともないですね」
「ふむ。じゃあ試しに飲んでみるか?」
「いえ。やめておきます」
ろくな事にならないのは目に見えているし。
船という閉鎖空間で試すのはちょっと危険すぎる。
皆でもぐもぐと食べきって、いざごちそうさまとなったら後片付け――を、しようといしたところ、
「お礼にはなんないかもしれないが、このくらいは俺がやるよ」
「すいません。お願いします」
ユージンさんが申し出てくれたので丸投げすることに。
そしてちょっとした雑談タイム。
雑談を始めてしまえばユージンさんもテイカさんも気の良い人で、ノリも良い人だった。
お昼前の様子とは大分違うなあと思ったら、積み荷が間に合うかどうかの瀬戸際だったらしい。そりゃ忙しいよ。納得。
「お二人は何を交易品として売り買いしてるんですか?」
「まだまだ駆け出しだから、あんまり高額だと取り扱えないのよね。だから茶葉とか、そういうものをメインにしているわ。折角だし、少し分けてあげましょうか?」
「お、いいね。俺たちが仕入れた自慢のお茶だ、飲んで貰いたい。持ってきちゃえよ、テイカ」
「そうね」
そしてちょっとした質問が何やら試飲会へと繋がった。
テイカさんが十分ほど掛けて持ってきたのは小瓶に小分けされた茶葉で、なるほど、品質値が結構高い。なかなか良いお茶……、…………?
「嗅ぎ慣れない匂いだな。これは……」
「良いお茶でしょう。私達も狙ってたわけじゃなくて、偶然大量に仕入れることが出来たんだけど。独特の香りもこれはこれでウケると思ったのよね」
「確かに。普通のお茶とは違って青々しい」
果たして、そのお茶は緑茶だった。
しかもこの匂い、玉露に近いかもしれない。
この世界にもこういう日本茶系のお茶が生産されてるんだなあ。
そりゃ、紅茶を紅茶と呼んでいる以上、紅茶以外にもお茶があるのかな、とは思ってたけど……実物を見るのは初めてだな……。
「ただこのお茶、なかなかおいしい淹れ方がわからないのよね」
「まあ、だからこそ安く買いたたけたんだが……」
なるほど。
「沸騰したお湯を冷ましてから淹れると美味しいと思いますよ。苦みと甘みが出るやつだ」
「あら。知ってるの?」
「似たようなお茶を、ですけれどね。僕が淹れてもいいですか?」
「ええ。そういう事なら」
というわけで、小瓶ごと茶葉を受け取る。
量的には……多すぎだな。四分の一で十分だ。
急須などという便利なものはないので、ティーポットと清潔なガーゼを準備。
ガーゼはよく水に晒してさらに綺麗にしてから、五人分だからだいたい二十五グラムほどの茶葉を包んでティーポットへ、そして七十度を下回るくらいのお湯で一分ちょっと。
ティーカップというのも風情がないけど、他にないのでティーカップで我慢して、すっと注いでできあがり。
「どうぞ」
「へえ。綺麗な緑色……」
「それに甘いような苦いような、不思議な薫り……」
まずはウグイさんとオーザさんがカップを手に取ると、一口。
不思議な表情をしているのは、恐らく初めて飲んだからだろう。
「じゃあ、俺たちも」
「いただきます」
次いでユージンさんとテイカさんも口に運ぶ。
なかなか興味深い、そんな表情だろうか?
「……不思議な味ね」
「ああ。美味い……んだが……」
思っていたのと違う、そんな味らしい。
僕も自分で飲んで確かめると、ああ、慣れ親しんだ緑茶の味……。
玉露っぽい匂いだったけど、味は煎茶だな。
いや、ものは同じでグレードが違うだけなんだっけ?
「アルテア。君が知っているこのお茶は、何かを淹れて飲むのかい?」
「いえ、このままが普通かな。お砂糖を入れる物好きも居ることは居るんですが」
「そうか……」
「いやユージン。聞くべきはそこじゃなくて淹れ方の方よ。ねえアルテアくん、これ、どうやって淹れたのか説明は出来る?」
「簡単ですよ」
肝要は茶葉の量とお湯の温度だ。
低めの温度で甘みを出して、高い温度で苦みを出す。
あとはこの世界、わりと紅茶も濃いめに使うきらいがあるからな。
ちょっと薄めなくらいで丁度いいというのも伝えておく。
「濃いとだめなのかしら?」
「……ごくごく希に『渋い』のが好きな人は居ますけど、基本はやめたほうがいいかと」
「そう……」
残念そうに言われても……。
「前向きに考えて下さい。一杯分が少ない茶葉で済むんですから、その分多く売ることが出来ますよ」
「まあ、そうなんだけれど。茶葉って、重さの量り売りが基本なのよね」
…………。
それは、残念だな……。
一杯あたりに使う茶葉が少ない、イコール、同じ重さでもたくさん飲めるわけで。
「それにこのお茶。癖が強いな。紅茶のような香ばしさに欠ける。これはこれで悪くはないが……『いつも通り』で選ばれる品でもあるまい」
オーザさんの指摘にユージンさんとテイカさんが揃ってしゅんとした。
なんか叱られた子犬みたいな感じだな……。
「裏を返せばそこに商機と勝機がある。仕入れたものに付加価値を付けて売るのが交易の基本だ」
と。
そこに助け船を出したのは、お茶の香りに誘われてきた……と言うわけでも無さそうなバリスさんである。
どうやら差し入れは運び終えたらしい。
「坊主、料理は大好評だった。俺から改めて感謝する」
「それはよかった。けれど今度からはキャッチアンドリリースにします。魚料理ばかりも飽きますし……」
「そうしてくれるとこちらも助かる。まあもっとも、あの美味い魚料理ならば歓迎かもしれないが」
苦笑交じりにお互い頷き、まあ、次は無いなと肝に刻む。
と同時に、バリスさんは視線をユージンさんとテイカさんの二人へと向けた。
「たとえば、そのお茶と何かを組み合わせて売るか。もしくは、そのお茶それ自体に価値を付与するか……『どこぞの有名人や著名人が好んで飲む』とかな。もちろん嘘では駄目だ」
「けれど、そんな都合良くは……」
「……いえ。それこそ考えが逆なのね。つまり有力者にただでばらまいて、ある程度習慣付いたところで宣伝に利用する」
その通りだ、とバリスさんは満足そうに頷いている。
けれどなあ。僕は反対だ。
「利用というと面倒なことになりかねませんよ。お互いの善意でされるべきです」
「というと?」
「『これから定期的にこのお茶をあげます。だから宣伝に名前を使わせて下さい。』と、ド直球で。受けてくれる人は多くないと思いますけど、有力者ならば数人くらいは手を挙げると思います。最初は物珍しさからでも……ね」
面倒な事をさせてどうする、というバリスさんの視線を受けて――まあ、反対した以上は理由を述べた方が良いだろう。
「商売人にとって何より変えがたい物は信頼だと聞いた事がありますからね。信頼されていればお金は借りられる、けれど信頼がなければ、売ることも買うことも出来ない……って」
「……アカシャらしい考え方だな」
ぽつりと。
ウグイさんは、そう僕に漏らした。
アカシャらしい……のか。
だとしたら、サトサンガらしさがバリスさんなのか。
ま、国が違えば文化が違う。
今更、僕の我を通そうとも思わないけれど、できれば平和であってほしいものだ。
……じゃなきゃ、この名前が報われない。




