第9話「婚約者だ!」
「おかわりないようで、なによりです」
「そうだな」
ノエルが見舞いにやってきた。
僕は病気で授業を休んだことになっている。
婚約者なのだ。
見舞いにぐらいは来るだろう。
時刻は昼前。
11時だ。
少し早いが、異常というほどではない。
話を聞いてすぐに駆けつければ今の時間ぐらいになる。
ということは、ノエルは授業を休んでまで見舞いにきているわけか。
それは悪いことをした。
仮病に振り回されるのは気の毒だ。
「この部屋にはもてなしの用意はない」
「そうですね」
「応接室へ行くぞ」
「はい。起きても大丈夫なのですか?」
「問題ない。どうせ仮病だ」
ノエルは顔をしかめた。
真面目な彼女らしい反応だ。
まあ、婚約者の気まぐれに振り回されているのだから当たり前だが。
僕はとくに声をかけずに部屋を出た。
ノエルは後ろからついてくる。
上級貴族の寮には応接室がある。
個室だ。
それなりに広い。
調度もしっかりしている。
分厚いソファー、大テーブル、広い窓、豪奢なカーテン、絵画、彫刻など。
5人以下ならどんな来客にも対応できる。
無駄な贅沢ではないか。
そう思う生徒もいるようだ。
俺たちの授業料を浪費に使わないでくれ。
そんなクレームもくるらしい。
バカな話だ。
庶民と貴族が対等だとでも思っているのだろうか。
とはいえ、そんな庶民のたわごとに耳を貸す運営はいない。
伯爵より上の貴族の場合は仕事を抱えて学校に来ることもある。
男爵でもありえる。
最低限の接客施設は必要だ。
そもそもこれらの施設は貴族からの寄付金で成り立っている。
授業料などというのは単なる足切り設定なのだ。
貧乏人が紛れていれば貴族が迷惑するため、仮に設けられているに過ぎない。
なくても学校は成り立つ。
優秀な生徒であれば払う必要さえない。
貧しくても才能ある生徒を取りこぼさないために、奨学金の制度は整っている。
僕は応接室に入り、ソファーに腰を下ろした。
ノエルは対面に座る。
テーブルには紅茶とクッキー、そしてカットした果物が並べられた。
どうやら見舞いの品らしい。
彼女は気配りのできる人間だ。
人として持つべき当たり前のマナーは心得ている。
ノエル・スークス。
14歳。
スークス男爵家次女。
武闘派ぞろいのスークス家のなかでも優秀な部類らしい。
座っているだけでも全身に気が満ちているのがわかる。
顔はきりりと引き締まっていて、甘えたところはあまりない。
髪はダークブラウン。
たっぷりした長髪を動きやすいように後ろでまとめている。
服装は長袖長ズボン。
白の手袋。
広いツバの帽子をひざ上に乗せている。
日焼けを避けるためにノエルは夏場でも肌をさらさない。
とはいえ、不健康でもない。
あの体の下には均整の取れた肉がある。
男の情欲をそそる最上級の肉だ。
ウォーレンは妄想の中で何度彼女を犯したかわからない。
美少女である。
飛びぬけた美少女である。
年若いので相応の揺らぎはあるが、意志の強そうな瞳をしている。
きつめの顔ではない。
アイドルの愛らしさから媚びの要素を取ればこんな感じになるだろう。
彼女はあまり笑わない。
非社交的でもない。
単にウォーレンが嫌われているだけだ。
「ちかごろ、どうだ?」
「どうとは?」
「息災かということだ」
「ええ。健康です。珍しいですね」
「なにが?」
「ウォーレン様が私のことを気にかけるのが」
「そうでもないさ。僕はいつでもお前を見ているよ」
「まあ、おたわむれを」
ノエルは口に手をあてて驚くポーズをした。
少々キザすぎたか。
ウォーレンならば言わないセリフのようだ。
彼はプライドが極めて高いため、ノエルに自ら問いかけることは少ない。
気にかけることもない。
向こうから一方的に話をさせるだけだ。
それでは嫌われるだろうに。
記憶を洗っていたときにも感じたが、ウォーレンは人付き合いが下手だ。
少々対人スキルに問題があるように思われる。
まあ、しかたがないのかもしれない。
ウォーレンは貴族だ。
デブだ。
金持ちだ。
まともなコミュニケーションを取れる相手自体が少ない。
練習相手がいなければ技術を磨くのは困難なのだろう。
人付き合いが下手な人間が周囲と付き合うにはどうすればいいか。
ウォーレンは命令に頼った。
命令に頼りすぎた。
命令は強い発言力のある手段だが、使えば使うほど影響力は落ちる。
普段は質問を使って相手を操作するほうがいい。
そのほうが楽だ。
このへんの技術については異世界だろうと変わらないと思うのだが。
「そういえば、僕は最近ダイエットをはじめてな」
「そうなのですか」
「ああ。ノエルには必要ないかもしれないが、僕はこの体だろう?」
「そうですね」
「おいおい、そこは否定してくれよ。見た目ほど太っていないだろう?」
「そうですね」
「そうですね、じゃねーよ。そこも否定しろ。そうですねマシーンか」
ノエルは草や昆虫でも食ったかのような形容しがたい顔をした。
「その、ウォーレン様、無理をしていませんか?」
「なにがだ」
「普段とあまりにも違いすぎるので」
「僕はお前の機嫌を取ろうとしているのだ。それぐらい察しろ」
「まあ、なんのために?」
「お前と楽しくセックスするためだ」
「……そこは、いつものウォーレン様ですね。少々、やりかたは異なりますが」
「僕もいろいろ考えて生きているのだ」
返答に困ったのか、ノエルはコホンと咳を一つして僕を諭しはじめた。
「淑女たるものは婚前交渉などしないものですよ?」
「婚約者相手でも?」
「それでもです。ウォーレン様は時期を待つ余裕を持たれませ」
「男をキープするときの定型句だな。それで自分は本命の男と楽しむのか?」
「なんてことを!」
激発したノエルは立ち上がって僕をにらみつけた。
なるほど、ここは怒るのか。
図星をさされたか。
もしくは、僕の他に好きな男がいるのかもしれない。
年頃の女からしてみれば普通だ。
別に姦通しているとまでは思わないが。
僕がノエルから好かれているというのも姦通と同じぐらいにはありえない。
「ウォーレン様。それは私への侮辱です」
「知っているさ。しかし、僕は安心が欲しいのだ。わからないか?」
「わかりませんね」
「僕は嫉妬深くてな」
「ものには限度がありましょう」
「まあいい。この話題はやめよう。どうやら不毛のようだ」
「そちらから振ったように思われますが?」
「僕はやめるといったのだ。すみやかに忘れろ」
「いつものウォーレン様ですね。最初は戸惑いましたが、おかわりないようで!」
ノエルは乱暴にソファーへと腰を下ろした。
はしたないことだ。
まあいいさ。
彼女はもともと武闘派だ。
普段は自分で剣を取って戦っていたりもする。
この世界の貴族観は前世とは少々異なる。
女でも戦場で戦う。
そして死んだりする。
ある意味男女平等というやつだ。
そこを平等にする必要を感じないのだが、そういうものなら仕方がない。
「この果物はどこで買ったのだ?」
「ああ、それは……」
世間話と近況報告などを交え、適当に社交会話をする。
社交会話は大切だ。
ウォーレンはそれさえもやらなかった。
時に沈黙を貫き、それが長ければノエルをつまらない女だと責める。
それでいて性的な嫌がらせだけはする。
おそろしい男だ。
人から嫌われるのを気にしていないらしい。
傍若無人。
傍らに人無きが若し。
ある意味、男子たるものはそうあるべきだと思わなくもないのだが。




