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第三章01の続きです
「異世界ってどんな所なんですか?」
亜子に向かってリリィが興味ありげに訊ねてきた。
「こことあんまり変わらないかな。魔術があるか無いかくらいだと思うよ」
最初この世界に来たときは混乱こそしたものの、元居た世界とはさほど変わりはない。魔術の有無はあるが、人とはきちんとコミュニケーションをとれる。
それに元居た世界よりこの世界の方が良いとさえ思ってしまうのだ。
理由はあの少年だ。
「アコさん……でしたっけ?」
「え? なに?」
「そんなにシドさんが好きなんですか?」
「ファッ!?」
急に何を言い出すのだこの魔人は?
「先程からシドさんに熱い視線を送ってらしたので」
「送ってないよ!! 送ってなんか……ない、よ……?」
果たして、亜子はシドの事を何とも思っていないのだろうか?
シドは確かに弟の夕によく似ている。それに性格だって──話だって合う。もしかしたらシドこそが理想のタイプなのかもしれない。
意識した瞬間、まともにシドを見れなくなってしまった。
「可愛い人ですね」
──誰のせいだ誰の。
それにしてもさっきから平民嫌いであるリリィが気持ち悪いくらいに話しかけてくる。先程のシドの脅しが効いたのだろうか?
「あの、さっきから何で私に話しかけるの?」
「それは……、貴女が私と同じだったからですよ。元々貴族でもなかったのに『レア』の名を持つ事になってしまって──魔人貴族の世界なんて、私からすれば異世界と同じなんですよ」
リリィは望んで貴族になる訳じゃない。若くして──アコと同い歳──公爵の位についたフリード・レア・ウィリアムが勝手に婚約を交わしたらしいのだ。
知り合いのいない貴族の世界。そんな中に放り込まれるのは、確かに異世界に迷い込むのと同じかもしれない。
「リリィには好きな人はいないの?」
「そんな人いませんよ」
リリィは無駄にプライドが高い人が嫌いらしい。魔人のほとんどはプライドが高く、平民武人は眼中に無いため、お眼鏡に叶う人が現れないのだ。
「そのうちできると良いね、好きな人」
「ええ。まあ、その頃には手遅れですけどね。それとアコさん──」
「アコでいいよ」
さん付けで呼ばれるのは少し抵抗があった。他人行儀な気がするからだ。
まだ少ししか喋っていないが、リリィは本当はとても良い娘なんだと思う。今はまだ平民武人を蔑ろにしてるが、きっと理解を示してくれる──そんな気がするのだ。
リリィは最初はアコを呼び捨てにするのには抵抗があったようだが──さん付けは彼女の癖らしい──、どうにかアコだけは呼び捨てにできるようになった。
「アコ、貴女も頑張りなさい」
「はにゃ? 頑張るって……何を」
「シドさん、わりとおモテになるんですよ」
「……!」
やはりそんな気はしていた。女子のグループでたまにシドの話題が上がる事がある。誰が告白したとかフられたとか。
シドは一切告白に応じないのもあって、実は誰かと付き合っている、または心に決めている人がいるなど噂されている。 ふと、周りがまた薄暗いことに気づく。どうやら会話に夢中で、先頭で火を灯して明かりにしている圭吾から離れてしまったらしい。
カイトから「ぼさっとしてっと置いてくぞ」と声をかけられ、急いで合流する。
そのとき、とてつもない重圧が亜子を襲った。押し潰されそうな嫌な魔力の波動だ。
「烏丸、キミも気づいたんだね」
亜子の他にも圭吾もこの重圧を感じているようだった。
「どったの二人とも?」
シドは全く気づいていないらしい。シドだけではなくカイトとリリィも同様で、ただ困惑した表情を顔に張りつけるだけだった。
妙な話だ。魔術師もどきである亜子と圭吾が魔力の波動を感知して、本物の魔術師である三人が誰一人として感知できないなど。
「来るよ」
圭吾が言った直後、奥の暗闇から人影が姿を現したのだ。こっちに近づくにつれて輪郭がはっきりしていき、その顔が圭吾の火の明かりによって晒される。
端正な顔立ちをした若い男性だった。真っ黒な衣装に身を包み、ちょっと長めな黒い髪。前髪が少しかかったその目を見て、亜子は思わず息を呑んだ。
白目部分が漆黒に染まり、中央で輝くその瞳は美しい金色だった。
その目からなのか、亜子はこの男性が人ではない何かを感じた。人であって人に非ず。そんな感じだ。
「気配を追って来てみれば、ただの人間か」
重々しかった口が開き、言葉を発する。
「『転生者』の魔力と似たようなものを感じるな」
その男性は金色の瞳でギロリと、圭吾と亜子を交互に睨む。
「おい、お前がオッサンを殺したのか?」
シドの押し殺したような低い声が通路に響いた。いかにも怒りを抑えていそうな声だ。
「オッサン……? ああ、あの熊みたいな『転生者』の男の事か」
「ッ!!」
シドは男に向かって拳を突き出していた。
『転生者』というワードには引っ掛かりがあるが、『熊みたいな男』は知る限りゴウしかいない。
殺したという事に対して否定的な態度を見せない。つまりこの男性が──。
男性は難なくシドの攻撃を躱すと、身を捻り、踵でシドを横から叩きつけた。
「シドッ」
シドの側に駆け寄ろうとした。
『止めろ! 動くな!』という声は耳に入らない。
「……、試してみる価値はあるか」
すぐ側で、男性の声が粘っこく張りついていた。
男性の手が亜子に迫ってくる。
突如、男性が消えた。
リリィの魔力の波動がピリピリと伝わる。ここで初めてリリィが『空間支配』の魔術を使って、別の場所に飛んだと知る。
「大丈夫かアコ?」
心配してかカイトが声をかけてくる。幸い、リリィがすぐ空間移動してくれたので怪我はない。
「ありがとな、リリィ」
「いえ、別に大した事はないです」
プイ、とそっぽを向く。まだカイトとは馴れ合うつもりはないという意思表示かもしれない。
今は一時的にチームを組んでいるにしろ、これが終わったらこのギスギスした空気はまた一層強くなってしまうだろう。
──せっかく仲良くなれると思ったのに……。
「それよりこれからどうするんだ?」
圭吾の言う事はもっともだった。
敵討ちといっていざ乗り込んでみるものの、敵から返り討ちにされた。
シドの戦闘能力は学園でも一、二を争うらしい。下級魔術すら扱えない身でありながらだ。
そういえばシドはなぜ魔術を使えないのか疑問だ。武人の魔力でも中級魔術までは使用できると聞いたのだが。現に魔力を手に入れてから日が浅い亜子と圭吾ですら、中級魔術を何とか使える状態だ。
「最速のシドの動きを見破られた……、どーすっかなあ」
「貴方の目は節穴ですか? あの人、まだ『魔魂』使ってなかったですよ」
「マジ? どっちにしろアイツ速すぎるからわかんねえわ」
最速。カイトとリリィの会話を聞いていたらそんな単語が出てきた。
亜子が思い浮かべる『速い』属性は風なのだが……。
「シドの属性って風?」
「いえ、違いますよ」
「まあ『稀有属性』だからな。知らない奴の方が多いよ。今でも学園の中でシドの属性知らない奴いるくらいだからな」
そして聞かされるシドの属性。それは『稀有属性』と呼ばれ、会得者はポツポツいるそうだが未だに解明されてない未知の属性──『光属性』だった。
『転生者』に似た魔力を持った黒髪の少女から魔力を奪おうとしたが、寸前で逃げられてしまった。
闇の眷属の当面の目的は主の復活だった。そのためにはどうしても『転生者』が持つ特殊な魔力が必要なのだ。
今さっきの黒髪黒瞳の少年少女からはそれと似たようなものを感じたのだ。
逃がすつもりはない。主の復活のための礎になってもらう。
この地下は闇の眷属のテリトリーだ。どこへ逃げようと無駄だ。必ず追い詰める。
心地良い魔力がシドの体を包んだ。治癒魔術をかけられ、意識がゆっくりと覚醒していく。
「良かった、シド」
目の前で安堵したかのように微笑むアコ。
いつからだっただろうか、彼女を一番に守りたいと思うようになったのは。
アコはこの世界で生きるために一生懸命に魔術を勉強していた。とはいってもほとんどは治癒魔術であったが。 彼女を連れてきたのだって、この治癒魔術があるからだ。今の彼女なら下級の治癒魔術なら『魔術名破棄』しても発動できるようになっている。
『完全詠唱』、『詠唱破棄』、『魔術名破棄』の順に段階的に弱くなっていくが、治癒魔術の場合たとえ効力が弱くなっても高速で発動できれば、それだけ早く回復できる。シドはこの高速治癒を持つアコの力を買っている。そして彼女が努力家だという事も。
シドがアコに惹かれたのは、彼女の一生懸命に頑張る姿を見たからだろうか。
「ありがとな、アコ」
「どういたしまして」
だからこれから先も、彼女を守っていきたい。
「あっち~。アツいな二人とも。ケイゴもそう思うだろ?」
「あ、ああ、そうだね。お似合いだよ」
「二人とも、趣味悪いですよ……」
アコから火が出そうなほど顔が真っ赤になっていく。いったいどうしたんだろうか?
「アコ、熱でも出た?」
アコの熱を計ろうとして額に手を伸ばすが、ソッコーで距離を離された。何かちょっとだけキズついた。
「おいシド、お前ざまあねえな。光ってのはスピードだけかよ。しかも『魔魂』使ってなかったにしろ、スピード見極められて反撃くらうし……、ちょっとらしくねえんじゃねえの?」
「ああ、悪い」
光属性の一番の強みはやはりスピードなのだ。だが、同じくスピードを自慢に持つ風属性と比べれば、スピードは勝っても攻撃力と防御力は劣っているのだ。
『強化』の場合、各属性による身体能力の上昇幅が顕著に表れる。
火属性なら攻撃力が底上げされるため破壊力を増し、土属性なら防御力が増し耐久力が高まるといった風にだ。光属性ならスピードは増すが、攻撃力と防御力は少しか上がらない。だから爆発的に身体能力が上がる『魔魂』でカバーしていた。
とにかく次会ったら全力で先程の黒の男性と戦う。
「……! 追ってきた!」
ケイゴが指差したその先に黒い靄が現れた。靄は徐々に人の形を成していき、目の部分が金色に輝く。
「おいリリィ! 外には移動できねえか!?」
「……っ、無理です! なぜか外に出られません!」 カイトがリリィに空間移動するように急かすが、座標が外に設定できないようだ。
「無駄だ。俺が目覚めた以上、どんな事をしても俺を倒さない限り脱出は不可能だ」
だが狭い通路ではシドの力を上手く発揮できない。
──カイトとリリィで連携を組んで迎え撃つしか……。
「夕凪-yunagi-」
男性が手刀を叩き込むように降り下ろす。
黒い魔力が刃を形成し、飛来してきた。
しかしシドの横に逸れて壁に大きな斬り痕を残す。
シドの制服の腕の部分が少し切れていて、少しズキリと痛む。
皮膚が浅く切れたのだろう。血管が破れ、血が流れだし、腕を、指を伝い指先から赤い雫が垂れる。
──何だ、今の?
黒い魔力なんて初めて見た。『個有属性』かとも思ったがそうじゃない。光の魔力と似たようなものを感じる。
それでいて、圧倒的に禍々しい。
「闇属性は初めてか? 冥土の土産だ、その身に刻んで死んでゆけ。次は外さん」
黒く禍々しい魔力が噴き出してきた。
背筋が凍りそうで、その場から動けなかった。
「シド……」
アコの声が聞こえた。
冷静になれ。どうすれば勝てるか考えろ。
──勝機は、ある。
「リリィ、空間移動を頼む」
「でもシドさん、外には──」
「外じゃなくてもいい。どこか広い場所に出ればいいんだ」
こんな通路じゃシドの機動力は活かしきれない。きっとどこかに部屋があるはずだ。
リリィの魔術が発動し、男性の魔刃に触れる寸前でシド達は飛んだ。
しかし行き着いた所はまた通路だった。通路の奥からは黒い靄が出てくる。
「リリィ!」
「わかってます……!」
連続で何度も空間移動を使用し、もう何度目かわからなくなったところでようやく広い場所に出れた。
そこは僅かに光が漏れていた。どうやらここは球体となった鳥の巣みたいなものだった。木の枝を組み上げて球体を成し、隙間から月光が差し込んでいるようだった。
「キミ、大丈夫か?」
荒い呼吸を繰り返すリリィにケイゴが声をかけた。
「貴方達平民よりは、ずっとタフなんですよ」
平民武人の前で強がってはいるが、空間移動の五人分を連続使用したのだ。かなりの魔力を消耗はずだ。
「そうだ。他人の心配より、自分の心配をしたらどうだ」
靄が人の形を成すのと同時に、男がケイゴの顎を掌底で撃ち抜いていた。
ケイゴから赤い魔力が抜き取られ、男の手にまとわりつく。
ケイゴの魔力が無くなった。
「ふむ、やはり似ている」
「貴方、何をしたんですか……?」
「空間を司る魔術を使う女か。お前は厄介だ、消えろ。夕凪-yunagi-」
黒の魔刃がリリィに向けられた。
「絶対なる要塞-terra arx-」
リリィと魔刃の間にカイトが割り込み、カイトとリリィを包み込むように土のドームを作り出す。
魔刃がドームに衝突し、威力が徐々に死んでやがて消えた。
シドは『魔魂』を発動させ、一気に接近する。
先程みたいに見破れる事なく、男を蹴り飛ばした。
ドームの方を見ると、ヒビどころかキズ一つついていなかった。
「大丈夫かよ?」
「別に平気でした」
カイトはドームを解き、リリィの安否を確認するがまたいつものようにそっぽを向かれるだけだった。
「あのなぁ……──はあ」
カイトは嘆息し、リリィを睨んだ。
「お前バカか? こんなときになってまでも魔人の価値観掲げてんじゃねえぞ。そんなに平民に助けられるのが不服なのかよ? だからお前ら魔人はクズなんだ」
「クズ……? 確かに私も無駄にプライドの高い魔人は嫌いです! ですが、魔人であることに誇りを持ってます! これ以上魔人を侮辱するなら、絶対に許しませんよ!」
「だったら、俺達平民や武人を対等に見ろよ! クズじゃねえって言うんならできるよな?」
「…………」
「俺はできるぜ。じゃなかったら、今お前を守るなんて事はしなかった」
「……、わかりました」
「……いつまでイチャついてんの?」
「イチャついてねえよ!」
「イチャついてないです!」
シドが横槍を入れてみると、見事なほどに揃って返された。
「仲良しだな~」
「おいシド、さっきの仕返しか?」
そんな事より、とカイトは呟いて、シドは彼と同じ方向を見る。
男性がこちらを睨みつけている。今にも飛びかかってきそうな猛獣のようだ。
アコがようやく「二人とも怪我ない?」と言って側に寄ってきた。これで全員が一ヶ所に固まった。
「カイト、みんなを守れるのはお前しかいない」
「わかってる。シドの方こそ、勝算はあるんだろうな?」
「ああ」
皆を一ヶ所に集まった事で、カイトは皆を守りやすくなったはずだ。今まともに戦えるのはシドとカイトしかいない。その二人がどっちも前線に出て戦っては、三人に何かあったときに守る事ができなくなってしまう。
シドは自分の魔装である『無銘』に手を伸ばす。
「待て……っ、シド」
魔力が抜けたケイゴが苦しそうな声を上げる。
「その魔装はこの前出したとき暴走しただろ……っ。だから自分で封印したじゃないかっ」
「倒すためにこれが必要なんだ。大丈夫、今度は上手く扱うさ」
白い鎖が姿を現し、思いきり引き千切った。
「さ、決着つけようか」




