18
何もかも白い部屋。
窓は一つ。家具といえば大きさが変わる茶色いソファーだけ。後は白、どこまでも白。
部屋の中には誰もいない。
座る者がないソファーは、四人がけぐらいだろうか。
まるで簡素な箱庭だ。上から見下ろすとますますそう思う。
さて、私はどうしてこんなふうにあの部屋を見下ろしているのだろう?
首をかしげると、ふと肩に置かれた手に気がついた。
横を見るとシグがいる。同じように白い部屋を見下ろして、眉間に皺を寄せていた。けれど私に気がつくと、にこりと笑ってキスをした。
「もったいないからなあ。あれはお前達にやろう」
水をさすように、誰かの声がした。やけに上から目線で偉そうだ。
シグの眉間にまた皺がよって、声が聞こえるほうを向く。
私もそちらを見たけれど、そこには白くてぼんやりした光があるだけだ。
「そう嫌そうな顔をするな。祝いだとでも思えばいい。安心せい、干渉できぬようにしてやったわ」
光がもう一つ増えて、また違う声が言った。
シグが私の肩を強く抱いて、私も彼の体に強くしがみついた。
「何の用だ」
「やれ、やはり稀な魂よ。どこに放り出してもとんと動じぬし、我らを見てもかけらたりとも畏れぬ。女もなあ。なかなか似合いだと思うぞ」
「我らはそなた達が気に入ったからな。加護と祝福だけにしようと思ったが、あれもやることにしたのさ。好きに使え」
不機嫌なシグの声にたいして、二つの見知らぬ声は楽しそうだ。それを現すように、光もふわふわと上下に動く。
誰かはわからないけれど、何かはわかった。
これが諸悪の根源か。
いや、シグと会わせてくれた点においては感謝してもいいけど。すればその分調子に乗りそうな雰囲気だから、絶対言葉にはだしてやらない。
「もう我らからお前達には関わらぬが、呼べば答えてやろう。楽しませてくれれば褒美もやるぞ」
「誰が呼ぶか」
「呼びません」
二人分の拒絶は、気まぐれな声二つにはたいしてダメージにもなりえなかったらしい。
心底楽しそうな笑い声をその場に残して、光は消えた。
そうして眼下の白い部屋も見えなくなり、私の視界も暗くなった。
おかしな事に隣のシグの温もりだけがいつまでもそこにあって――。
――目が覚めた。
温もりはかわらず傍らにある。
身じろぐと、夢と同じようにキスが降ってきた。
隣で眠っていたシグも起きたらしい。
私達の覚醒はほぼ同時で、まず互いの姿を確認してから、示し合わせたようにそろってため息をついた。
寝起きの何ともいえぬ心地よさなど吹っ飛んでしまった。
私がこちらの世界に来て、一日が明けた。
昨日は昼過ぎ頃に一度、昼食を食べに外に出かけた。
私か着ている服は目立つからと、靴と服をシグがどこからか調達してくれたようで、いつの間にか用意してあった。
……靴は用意してないって言ってたような気がしたのだけど。まあいいや。おかげで外に出かけられたし。
食堂みたいな店で、私のお昼ご飯はパンと野菜と鶏肉を煮込んだスープ、サラダに新鮮な果物。真っ青な皮と果肉はおいしそうに見えなかったけど、食べてみたらさっぱりとした甘さの柑橘類だった。
シグのご飯はコーヒーみたいなエファという飲み物。それにパンとサラダだけ。
私の方が大食漢に見えると言ったら笑われた。元々お昼はあんまり食べないそうだ。だから、そんなに細いのか。羨ましい。
それから少し街を見てまわって、帰ってからはずっとシグの部屋にいた。
……何をしていたかは突っ込まないで欲しい。
まああれだ。いちゃいちゃしてたんだ、そう、いちゃいちゃ。うん、休日の昼とか夜って概念はあってないようなものだから、いいのだ。いいことにする。
そうしてまあ、今にいたるというわけで。
あまりにもあまりな夢の内容だった。最後に爆弾を落とされた気分だ。
部屋の中を見回せば閉じたカーテンの外は薄暗く、まだ夜があけきっていない事がわかる。
「……また水を差された」
夢の中と同じように、シグの眉間に深い皺ができる。
「……でも、もうちょっかいは出してこないって言ってたよ」
「どうだか。気まぐれは神の代名詞だ」
「結局、シグの予想って当たってたんだね」
私達の出会いは神の気まぐれ。まさにそのまんまだった。
加護と祝福やらをくれたのも、多分あの神様達だろう。何で気に入られたのかはやっぱりわからないままだけど。
「シグにも、加護と祝福くれたって言ってたね」
明確な言葉はなかったけれど、多分それは間違いないだろう。
「そうらしい。でもどうでもいい」
シグはばっさりと切り捨てた。
やっぱり、自分の事はあまり気にしないらしい。それ以上にあの神様達にたいして、鬱陶しいという感情があるのかもしれないけれど。
まあ、私も実はどうでもいい。あると便利だけど、なければそれでいい気がする。
それにあの神様達の加護と祝福って、必ずしも便利だけじゃないような感じがするのだ。
厄介事までついてきそうな、そんな予感が何となくする。
「……あの部屋、もらってもどうしよう」
「くれるというならもらっておこう。どうせいらないと言っても押し付けるつもりだ」
「確かに」
「それにあの空間があれば、セツが向うの世界に一旦戻っても、容易に話ができる」
そう言われると、なるほど確かにもらっておいて損はないような気がする。
それならちょびっとだけ、感謝しておこう。本当にちょびっとだけ。
しかし散々な目覚めだった。ただでさえ怠い体が、二割り増しになった気分。
さて、起きるにはさすがにまだ早いような気がするけど、どうしよう。
「起きる?」
シグに聞く。
「いや、もう少し寝よう」
「うん」
抱き寄せられて感じる温もりがあまりにも幸せで、私は猫みたいにシグにすり寄る。彼は穏やかに笑って私の背中を撫でた。
その心地よさに身をまかせて、ゆるゆると目を閉じる。
そうすると、一度吹っ飛んでしまった微睡みがまたそろりと戻ってきて、私の意識を程なく捉えた。
「おやすみ」
完全に眠りに落ちる前に、シグの声がした。額に暖かな温もりも。
同じようにおやすみと、返したいのに言葉はもう出てこなくて。「ん」と小さな声しか返せなかった。
ごめんね。そのかわり、次に起きたら私から「おはよう」と言うから。
だからそれまで、隣でまっていてね。