銀の少女は、春に笑う
ユリオスルートはじまりはじまりです。
グローリア王国の春は、魔法の匂いがする。
石畳の坂を上りきった先で、白亜の尖塔が朝の光を弾いていた。王立グローリア魔法学園。私が、どうしても来なければならなかった場所。
「......本当に、来ちゃったんだ」
「今さら何言ってんだ。首席で受かったやつが」
隣でカイゼルが、眠たげに息を吐く。風に揺れる黒髪。夜通し馬車に揺られてきたのに、彼は文句ひとつ言わなかった。昔からそうだ。静かで、目立たなくて、それなのに気づくといつも私の隣にいる。
私たちの故郷は、地図の端にある小さな町。この学園に、知り合いは彼しかいない。
入学式の講堂は、天井まで届くステンドグラスの光で満ちていた。新入生代表として壇上に上がった私は、震える膝を笑顔で隠す。「詠唱の速さと精度は、歴代でも屈指」なんて紹介されたせいで、余計に足元がおぼつかない。
そのとき、壇の脇で拍手をしている人と目が合った。
金色の髪。澄んだ湖のような碧い瞳。生徒会長にして、この国の第三王子――ユリオス・グローリア。
「新入生の皆さん、ようこそ。ここは魔法を学ぶ場所であると同時に、好きなだけ失敗できる場所でもある。どうか遠慮なく、盛大に転んでくれ」
やわらかな声に、講堂がどっと笑いに包まれた。誰にでも優しい王子様。皆がそう言うのも、わかる気がした。
けれど、壇上ですれ違いざまに微笑まれた瞬間、私はふと思ってしまったのだ。
ーーよくできた絵みたいな笑顔だ、と。
*
その夜。寮の自室で荷解きをしていた私の手を止めたのは、つま先の違和感だった。
(......あ)
靴下の中で、感覚が消えていく。冷たいのではない。「何もない」のだ。そこにあるはずの足が、すうっと遠ざかっていく。
覚悟は、していた。それでも心臓は跳ね上がる。私は手首の銀のバングルに指を伸ばし、はめ込まれた青い石を強く押した。
(お願い、早く来て)
その間にも、つま先から足首へ。白い陶器のような色が、肌をゆっくりと這い上がってくる。曲げようとした膝が、こつん、と硬い音を立てた。
私にかけられているのは、人形になる呪い。
いつ発動するのかは、わからない。朝かもしれないし、授業中かもしれない。始まりは必ずつま先から。肌は磁器に、関節は硬く、体温は消えていく。それなのに、意識だけは最後まで残る。
全身が人形になってしまったら、どうなるのか。それは知らない。試したことがないから。ただ、二度と戻れない気がして、それが何より怖かった。
――ガタン
窓が風に叩かれて開いた。
「リリー!」
風の魔法で二階の窓まで飛び上がってきたカイゼルは、髪も制服も乱れていた。息が荒い。膝上まで人形になった私を見て、黒い瞳が痛いほどに揺れる。
「......ごめん、遅くなった」
「ううん。すごく早かったよ」
声が、少しずつ軋んでいく。
カイゼルは震える指で私の前髪をそっとよけ、額に唇を落とした。
その瞬間。
硬く冷えていた肌に、じわりと血が通う。つま先から、ふくらはぎ、指先へ。人間に戻っていく感覚は、いつも泣きたくなるほど温かい。
「......戻った、か」
「うん。ありがとう、カイゼル」
彼は顔をそむけて「別に」とだけ言った。
この呪いを解く方法は、どの医者にも、どの魔法使いにもわからなかった。けれど、この学園の図書館の奥には、世に出ない古い記録が眠っているという。私はそれを探しに来た。カイゼルは、そんな私を放っておけなくて、ついてきてくれた。
「私、頑張って呪いを解く方法を見つけるから。そうしたらカイゼルも、もう夜中に飛び起きなくてすむよ」
カイゼルは、長いこと黙っていた。
「......そんなに思い詰めなくていい」
「え?」
「せっかくの学園だろ。どうせなら楽しみなよ。......恋でもしたら?」
冗談めかした声。けれどほんの少しだけ、掠れていた。
「恋!? ふふっ、カイゼルがそんな冗談いうなんて珍しい」
私は気づかなかった。目を伏せたカイゼルの横顔が、少しも笑っていなかったことに。
*
翌日、私は生徒会室へ呼ばれた。
学年首席は生徒会に入るのがこの学園のお決まりらしい。
「へえ、お前が首席か」
最初に聞こえたのは、赤茶色の髪の男子の、不機嫌な声だった。
「女かよ。足引っ張んなよ」
「なっ......初対面で失礼じゃないですか?」
「事実を言っただけだろ」
庶務のギャラント・セネガル。ぎろりと睨む赤茶の瞳に、私も負けじと睨み返した。
「まあまあ! 二人とも仲良くしよ? 僕はラウリ! よろしくっ」
水色の髪の男子が、太陽みたいな笑顔で割って入る。空気が一瞬でやわらかくなって、私は肩の力を抜いた。
「みんな、その辺で」
ユリオス会長が、穏やかに笑って手を叩く。それだけで、ギャラントは舌打ちしつつ黙った。
「ようこそ、リリー・カラティアさん。僕は君を歓迎するよ」
差し出された手を握る。ひやりと、心地いい冷たさ。水の魔法を使う人の手だ。
心の中で思ったことが、ぽつりと声に出てしまった。
「......冷たい」
「君の手は、あたたかいね。火の魔法使いだからかな。......ちょうどいい。一緒にいれば、平均して人肌になる」
真面目な顔でそんなことを言うから、私はつい吹き出しそうになってしまう。
そこへ、生徒会室の扉が開いた。
「遅れて申し訳ありません、会長。議事録の清書に、手間取りまして」
ゆるく巻いた栗色の髪を、きっちりと結い上げた女生徒が、優雅に入ってきた。背筋が、定規みたいにまっすぐだ。その後ろから、銀縁眼鏡の男子が、書類の束を抱えて続く。
「書記のセシリア・ローゼンバーグ、3年生よ。あなたが、新入生の首席ね」
「は、はい! リリー・カラティアです」
「そう。……襟が、曲がっているわ。ちょっとじっとして」
言うが早いか、彼女の手が、私の襟元を、きちんと直してしまった。
「生徒会の人間が、だらしない格好をしていては、示しがつきませんもの。……可愛い顔をしているのだから、なおさらよ」
「え?」
「なんでもないわ。困ったことがあったら、私に言いなさい。副会長は、融通が利かなくて、頼りにならないから」
「頼りにならない、とは何ですか。聞き捨てなりません」
眼鏡を押し上げた男子が、静かに、けれどはっきりと言い返した。
「副会長のエルンスト・ハイゼンだ。二年生。生徒会の規則は、生徒手帳の第三章に、すべて記載されている。読んでおくように」
「は、はい」
「エルンスト、新入生を怖がらせないで」
「怖がらせてなどいない。事実を述べただけだ」
「その言い方が、怖いのよ」
言い合っているのに、なぜだろう。二人の間に流れる空気は、少しも、とげとげしくなかった。
書類を受け取るとき、指先が触れて、二人は同時に、ぱっと手を引っ込めた。
「……失礼」
「い、いえ」
エルンスト先輩の耳が、ほんのり赤い。セシリア先輩は、つんと、そっぽを向いた。
(あれ……?)
首を傾げる私の後ろで、ユリオス会長が、にこにこと、何もかもわかっているような顔で笑っていた。
こうして私の学園生活は始まった。呪いのことも、この人の笑顔の奥にあるものも、まだ何ひとつ知らないまま。




