22.修練と畑とケニと
「魔法」という世界の禁忌に触れてしまってから数ヶ月。
アーノルは焦燥感を、知識と物理的な力で埋めるように準備を進めていた。
村は平和な時を刻み、彼の日常は以前とは比べ物にならないほど濃密になっている。
早朝。
まだ太陽が顔を出す前の薄暗い森の入り口。
吐く息が白く染まる寒さの中、ロバーソンは一本の丸太の上に片足で立っていた。
「ロバーソン、今日は『反応』の速度を上げるぞ」
アーノルの手には、不規則な形をした数種類の木の実。
「筋肉を大きくするのは後だ」
「今は、脳が指令を出してから体が動くまでの時間を極限まで短くする」
「……神経を繋げるイメージだ」
不規則な軌道で木の実が放られる。
ヒュッ、と風を切る音。
ロバーソンは避けるのではなく、弾く。
叩き落とす。
「右、上、足元!」
指示よりも早く体が動く。
考える間はない。
脊髄反射に近い速度で、四肢が正確に迎撃する。
「……ん、見えた」
汗を拭う瞳は、以前より深く澄んでいた。
六歳の動きではない。
神経系そのものが獣の領域へ近づきつつある。
◇
昼下がり。
家の手伝いを終えたアーノルたちは、バテンの畑へ向かっていた。
最近になって、その列に新しい顔が加わっている。
「ちょっとケニちゃん、その草は抜いちゃダメ!」
「それはお野菜よ!」
「えー? これもおやさいなのー?」
隣家のドンナと妹のルンナ。
世話焼きのドンナは、ケニたちの面倒を見つつ畑仕事を手伝う――という名目で遊びに来ていた。
静かだった畑は、今や笑い声に満ちた託児所だ。
「……ったく、ここは遊び場じゃねえぞ」
バテンは文句を言いながらも、
畝の幅を広げたり、踏み荒らされないよう気を配ったりしている。
その横で――
アーノルとバテンは真剣だった。
「バテンさん、この配合の追肥はどう?」
「……悪くない。根が喜んで吸い上げてる」
二人が進めているのは、農業の根本からの改革。
原始的な化学肥料。
簡易除草剤。
養分を循環させる高度な輪作。
本来なら何年もかかる試行錯誤が、ここでは一瞬で終わる。
理由はひとつ。
バテンの【農王】だ。
土に触れれば、栄養も水分も状態もすべて分かる。
「あっちの土は濃すぎだ」
「豆はやめろ。もっと大食らいを植えろ」
「了解。吸わせて中和しよう」
感覚と理論が噛み合い、開発速度は異常だった。
畑の隅には濾過装置用の小屋も建ち、
来年の「上澄み酒」も準備が進んでいる。
◇
夕方。
空が茜色に染まるころ。
アーノルとケニは二人で家路についていた。
「今日はいっぱい働いたな、ケニ」
「うん! ケニえらい?」
「ああ、えらいよ」
ケニは嬉しそうに笑ったあと、ふと立ち止まる。
服の裾をきゅっと掴んだ。
「……にぃに」
「どうした? 足いたいか?」
「ちがう」
少し頬を膨らませて、上目遣い。
「みんなとあそぶのたのしいけど……」
「けど?」
「たまには、にぃにとふたりだけがいいの」
小さな独占欲。
精一杯の甘え。
胸がきゅっと締め付けられる。
「……そっか。ごめんな」
しゃがみ込み、泥だらけの手を包む。
「明日、遠回りして川へ行こう」
「きれいな石、探そうか」
「ふたりで」
「ほんと!?」
「ああ」
「わーい! にぃにだいすき!」
ケニが抱きつく。
服が汚れても気にならなかった。
この平和が――
ずっと続けばいいと、心から願った。




