21.忘却された「禁忌」
村ではライ麦の作付けが目に見えて増やされ、大人たちは新たな酒造りに本格的な活気を注ぎ始めていた。
季節は巡り、俺は六歳になっていた。
アサータクとの契約から数ヶ月。彼にはまだ直接的な利益は出ていない。
それでも彼は村にやって来るたび、潰れた商家から買い叩いたものや、売るあてのない古びた書物をいくつも置いていった。
もちろん読み終われば回収される。善意などではない。将来の取り分を見据えた、狡猾な「恩売り」なのだろう。
だが、彼が持ち込む本は、この閉鎖的な世界に生きる俺にとって酸素と同じくらい重要なものだった。
歴史。
地理。
自然科学。
工学。
ジャンルを問わず、手に入る限りの書物を貪るように読み耽った。
乱読の甲斐あって、俺の頭の中にはこの世界の輪郭が急速に構築されていった。
――だが。
(……ない。不自然なほど、どこにも載っていない)
どんな本を読んでも、ある一つの事象だけが、最初から存在しなかったかのように綺麗さっぱり抜け落ちていた。
魔法。
不思議な力。
魔力。
それらに関する記述が、ただの一文字も存在しないのだ。
ある日、商品の搬入を終えて一息ついていたアサータクに、俺は何気なさを装って尋ねてみた。
「なぁ、おじさん。色々な本を読んだけど、『魔法』について書かれた本が一冊もないんだ。不思議な力とか、魔力とか……そういうのはないの?」
「マホウ? なんだそれは?」
アサータクは、本気で意味が分からないという風に首を傾げた。
俺が言葉を変え、その概念を噛み砕いて説明した、次の瞬間だった。
彼の表情が、凍りついた。
みるみるうちに顔から血の気が引き、鋭い視線で周囲を何度も見回す。
そして次の瞬間、大人の強い力で俺の口を乱暴に塞ぐと、引きずるようにして荷馬車の薄暗い奥へと押し込んだ。
「……っ! 馬鹿野郎!!」
木箱の陰。いつもの軽薄さは消え失せ、彼の声は剥き出しの恐怖に震えていた。
「死にたいのか! いいか、二度とその言葉を口にするな。……忘れろ」
「……え?」
ただならぬ男の威圧感に、俺は息を呑む。
「どこでそんな言葉を覚えたかなんてどうでもいい。とにかく忘れろ」
アサータクは声を極限まで落とし、耳元で早口にまくし立てた。
「多分、その言葉自体が禁忌だ。普通の人間は、聞いても意味すら分からねぇ。」
アサータクは、馬車の中にいるにも関わらず、外に顔を出して人けがないのを確認した。
「完全に消された概念だ。一般人は、その存在すら知らねぇよ」
「……存在すら?」
「ああ。俺は商人だから、国を跨いで様々な噂を耳にする立場にいるだけだ。それでも詳しくは知らねぇ」
見開かれたアサータクの瞳には、はっきりとした怯えの色があった。
迷信や怪談を恐れる類のものではない。
実在する絶対的な権力と、そこから下される暴力を恐れる、大人の現実的な目だ。
「それは多分『悪しき力』だ。そう定義され、徹底的に抹消された」
「……誰に?」
アサータクは額に脂汗を浮かべ、一瞬の躊躇のあと、絞り出すように呟いた。
「ポルム教だ。奴らはその力をこの世から滅ぼすためにある、とまで言われている。耳に入れば異端審問だ。最悪の場合、村ごと焼き払われることだってある」
男は俺の小さな肩を掴み、真剣に睨みつけてくる。
「頼むから誰にも言うな。俺の前でもだ。……お前にとって、知らなくていいことなんだよ」
俺は無言で、深く頷いた。
アサータクは短く「わかればいい」とだけ言い、吐き出した荒い息を整えながら、逃げるように外の作業へと戻っていった。
薄暗い荷台に取り残された俺は、右目の奥に熱を灯す。
【魔力:F】
俺にも。ケニにも。アサータクにすら存在する明確な数値。
あの五歳の儀式の夜に見た紫の光も、間違いなくこのエネルギーの奔流だった。
――システムとしては、この世界に確かに存在している。
だが、人間社会からは完全に抹殺されている。
ポルム教という巨大な意志の手によって、歴史から、記録から、そして人々の記憶から。
(残されたのは、世界に不自然に空いた空白と、一部の情報通が抱く違和感だけ……か)
ずっと胸につかえていた不気味な空白の理由が、わずかに形になった。
同時に理解した。
魔力を調べること自体が禁忌、
発覚すれば死。




