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19話 実家に帰ろう


 ****



 

 そして、週末の土曜日。


 電車に乗って、更に路面電車を乗り継ぎ二時間と少し。マーシアは生まれの地、ティムズワース市へ戻ってきた。

 

 路面電車の運行が多いこの街は、車道のあちこちに線路が敷いてある。

 異国情緒漂う彩り豊かな建物のベランダには、ハンギングプランツや柵を越えて垂れ下がる植物がたくさん置かれており、緑が多く目に映る街並みだ。


 路傍で行われている金管楽器のアンサンブルが、陽気なジャズミュージックを奏でている。

 久しぶりに味わう大好きな街の空気。

 マーシアは心も体もウキウキと弾ませ、実家の家路を辿っていく。


 市街地の賑やかな大通りを越え、辺りの景色に木々が増え始めた頃、ようやく家に着いた。

 

 門の前には、強面の守衛の男性が勇壮に胸を張って立っている。だが、門に近づくマーシアに気が付くと、その顔にはたちまち笑みが溢れた。


「マーシアお嬢様! 何とお久しぶりでしょう」

「アボット様、こちらこそお久しぶりです」


 マーシアも、守衛ナイジェル・アボットの笑みに釣られ、目を細める。


「旦那様から聞いております。今日はこちらに泊まっていかれるそうですな」

「はい。父と母は中に?」

「ええ、いらっしゃいますとも。マーシアお嬢様が帰られるのを、今か今かと待ち望んでおられましたよ」

「まあ、うふふ」


 ナイジェルに門扉を開けてもらうと、マーシアは彼とともに庭を通る。

 庭にある噴水の前には、手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの花が美しく咲き誇っている。

 

(?)


 マーシアはその光景に一瞬違和感を覚えたが、あまり気にせず、そのまま中へ入っていった。



「マーシア、帰ったのね」



 マーシアの母、エルザは扉の音で娘が帰ってきたことに気が付いたらしい。

 三ヶ月ぶりの愛娘の姿が相当嬉しいのだろう。口角が上がりに上がっている。


「お母様、ただいま戻りました」

「おかえりなさい。まあまあ、ほんの三ヶ月会わなかっただけなのに、何だか少し大人の女性に近付いたみたいね」

「うふふっ、本当ですか?」

 

 決しておべんちゃらではなく、マーシアはどこか自立した雰囲気が増したようにも思えた。 

 それも社会に出て働くようになったからなのだろうかとエルザはふっと笑い、自分の言葉を受けてころころと喜ぶ娘を愛しげに見つめる。

 

「お父様は、お部屋ですか?」

「ええ、お仕事をなさっているわ」

「そうですか。では、後でご挨拶に行ってきます」


 父の居所は分かったが、それはそうとして。 

 マーシアはキョロキョロと辺りを見回す。


「ところで、お母様。いつものようにベルちゃんが飛んできませんね?」


 実家にいた頃、扉の開く音がした途端にベルはとんでもない勢いで玄関まで駆けてきて、マーシアにブンブンと尻尾を振っていた。


 今日は、その賑やかなお出迎えがない。

 マーシアは不思議に思い、首を傾げた。


「ベルは向こうで眠っているわ」


 エルザに連れられ、マーシアはベルが寝ているというリビングへ向かう。

 リビングの壁際に置かれたクッション製の犬用ベッドには、すぴすぴと寝息を立てるベルの姿があった。


「近付いても、ちっとも起きませんね」

「そうなの。先日お医者様に診ていただいたら、加齢によって耳が聞こえづらくなっているのだろうということだったわ。ベルはもう、十歳ですものね。花壇を掘って遊ぶことも随分と減ったわ」

「そうでしたか……。三ヶ月前までは、どんな音にもすぐさま反応していたのに……」


 ベルの見た目は、最後に見た時と何ら変わりはない。だが、人より遥かに短い一生を生きる犬にとって、三ヶ月という期間は老いてしまうのには十分だったのだろう。

 大好きな愛犬の変化に、マーシアはギュッと胸が締め付けられた。


「でもね、マーシア。お医者様は『この子は元気もあって、現状どこも悪くない』とおっしゃっていたわ。ほんの少し、おじいさんになっただけ。だから、安心してちょうだいね」

「本当ですか? ああ、よかった……」


 母の言葉に、マーシアの心は少しだけ軽くなる。


「……ふぁあ」


 ちょうどベルが、欠伸とともに目を覚ました。ベルはとろんとした目で自分の眼前にいる者の匂いを嗅ぎ、誰であるかを確かめる。


「……!!」


 ベルはマーシアを認知すると、尻尾を振り、グリグリと頭をマーシアの手に押し付けた。


「ベルちゃん、ただいま」

「ふーん、ふーん」


 久しぶりの大好きな人物との再会に、ベルは甘えた声を出す。


 以前より動きに俊敏さがなくなったが、確かにエルザの言う通り、ベルの元気は変わりなくありそうだ。

 実際の彼の様子を見たことで、マーシアの心は先程よりもだいぶ軽くなり、安堵の息を漏らした。


「あら。ベルったらここ最近で一番嬉しそうな顔をしているわ。やっぱり、あなたに会えて嬉しいのね」


 エルザもホッとしたような顔で、マーシアとお腹を出して寝転がるベルを見つめる。


「そうだわ、マーシア。冷蔵庫でフルーツゼリーを冷やしていたのよ。ベルと遊んだら、ダイニングへいらっしゃいね」

「まあ! では、もう少ししたら向かいます」


 エルザがリビングを出た後も、マーシアはベルのお腹をワシワシと撫で続けた。


「うふふ、気持ちがいいの?」

 

 ベルはハッハッと嬉しそうに応える。

 

「ベルちゃん。私のお知り合いに、あなたに似ている方がいるのよ。その方も、あなたと同じでいつもいたずらな笑顔をしていてね。元気があって、素直で、けれど、少しうっかり屋さんで……つまりね、とても楽しい方なの」


 ベルが、徐にのそりと立ち上がる。

 彼は何歩か前進すると、しゃがんでいるマーシアの足元に入り、その場にドシンと座り込んだ。


「うふふ。それにその方、髪の感触までベルちゃんにそっくりなのよ。いつか、あなたと会ってもらいたいわ。きっと()()()ったら…………」


(……ッ!!)


 突如自分の口からまろび出た、久しぶりの呼称。

 マーシアは思わず自分の口を塞ぐ。


(も、もう……。自分でジニ様と呼ぶのは恥ずかしいからと言っておいて……)


 カァッと顔を火照らせるが、幸いなことにベル以外にこの部屋には誰もいない。



「……マーシア……」


「っ……?! ひゃああっ!!」



 はずだった。



 マーシアが声のした方を振り返ると、いつの間にいたのか、父イライアスが青ざめた顔で娘を見つめ、立ち尽くしていた。


「お、お父様!! いつからいらしていたのですか?!」

「つい先程だ。お前がベルに知り合いの方の話をしていた辺りから、だ」

「あわわわ……」

 

 つまり、ほとんど聞かれている。

 マーシアは口を震わした。

 

「ところで誰なんだ、ジニさんというのは? も、もしかして、意中の相手ではないだろうね?」


 イライアスは冷静を装った声色で、マーシアを問い詰める。


「え……っ!? そっ、そんなまさか! ジニ様……ああ、ではなく……エ、エラ様は、仲良くしていただいている会社の同期の方です!」

「そうか。ちなみに、ジニさんとやらは男性か?」

「はい……」

「ふむ。もう一つちなみにだが、その方は名前(ファーストネーム)がジニで、名字がエラ、なのかな?」

「そうです……」

「……ふ、ふうぅ〜ん……。仲の良い同期の男性を、名前で呼んでるんだぁ……」



 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。



「マーシア……」

「は、はい」



 イライアスは、真顔でマーシアを見つめる。



「ジニさんと付き合ってるんじゃないよね?」

 

「違いますってば!!」



 マーシアは珍しく声を荒げた。



「そ、そうだよな。いやぁ、すまない……。お前に恋人が出来てしまったのかと思って、父さん焦ってしまったよ」

「もう、お父様ったら……。エラ様は誰にでも気さくな方ですから、私とも仲良くお話しをしてくださるんですよ。そんな勘違いをしてしまっては失礼です」

「うむ……」


 そしてマーシアがジニと呼ぶに至った過日の経緯も伝えると、イライアスは渋々納得したような表情を見せた。


「だからといって、そんな幼稚な嘘をつく男性と仲良くするというのも、どうかと思うがなぁ……」


 聞こえないよう、ブツブツと何か言ってはいたが。


「マーシア……あら、あなたもいらしたのですか」


 いくら待てどもやってこないマーシアを呼びに、エルザが再びリビングへやってきた。


「何しているの? 早くゼリーをいただきましょう。あなたもよかったら、仕事の息抜きに召し上がっていってくださいな」

「ああ、ではいただくとしようかな」


 マーシアは、気が付けば自分の足元でぐーすか寝ていたベルを力いっぱい抱え、犬用ベッドへ戻す。

 そしてベルの頭を一撫ですると、先に向かった両親の待つダイニングへと足を急いだ。 

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