鴉との約束.1
では、五章のスタートです。
本格的な復讐が始まるまでもう少し時間がかかりますが、
のんびりとお付き合い頂けると幸いです!
日が沈み、半刻が経っただろうかという頃、ようやく孤月の入江にある砦――孤月砦の広間にて防衛戦のための話し合いが設けられた。
まだ話が始まらないのかと苛々していた私を、何度もレイブンが心配そうに声をかけてきたが、まともな応対はできなかった。
戦いへの焦り、砦にいた人間たちの私への眼差しのせいだ。いや、それだけじゃない。それ以上に、私は心のどこかでエルトランドと戦うことへの折り合いをつけられていなかったのだと思う。
意識してその事実から目を背けていた私は、ワダツミを含めたメンバーが全員揃い、話し合いが進む中で、「おい、エルトランド人。お前に同胞が討てるのか」と尋ねられたとき、とうとうその現実と対面することとなった。
「討てるわ」
私は即答した。反射的なものに近い。そう思い込みたかったのだろう。
「ふん、どうだか。後ろから我々を討つつもりではあるまいな」
オリエントから孤月砦を任されているらしい中年の男が嘲笑混じりで私に言った。
「何ですって?」
「そう思われても仕方あるまい。我々がこれから何と戦うのか、知らんわけではないだろう」
斜に構えた態度で彼がそう続けるものだから、私は頭にきて反論しかけた。しかし、それよりも早くまた彼が嫌味を綴る。
「全く、ニライカナイの連中も何を考えていることやら…」
「イトガワ」その言葉に、ワダツミが一歩前に出てくる。「そやつを起用したのは儂の判断じゃが…まさか、お主、今の言葉を儂に向けるつもりではあるまいな」
イトガワ、と呼ばれた男性はそれだけでさあっ、と青い顔をして平身低頭、謝罪する。
ワダツミは鼻で一蹴すると、後ろの机にもたれかかり、天井を見上げながら言った。
「安心せい、そやつは裏切らんし、なかなか使える。野蛮なエルトランド人の不意を討てるという意味でも、優秀じゃ」
「ありがたいお言葉、痛み入るわ…」
物扱いされるような言葉だったが、ワダツミが私のフォローに入ってくれたのは間違いあるまい。だが、ここで素直にお礼を言えるような人間ではない私は、つい皮肉交じりに返してしまった。
そうすると、すぐにイトガワが激昂した。
「おい!姫様になんて口の利き方をするんだ、エルトランドの銀狐め!」
「ぎ、銀狐って…私のこと?」
私は思わず頓狂な声で返してしまう。おそらく、私の髪色を見てそんな表現をしたのだろうが…意外と悪い気はしなかった。
銀色の狐。結構ではないか。美しく洗練された印象を受ける。
「貴方たちオリエント人は、変わった表現を好むわね、本当。あ、嫌味ではないわ。風情があると思ったのよ」
「褒めたわけではない!」
イトガワがさらに怒りを加速させる。
まぁ、それもそうか…と考えた後、私はふと、彼が放った言葉が気になって繰り返した。
「待って、姫様?」
そうだ、とイトガワが強く言い切る。もう私と話したくはなさそうだった。
私が目を丸くしてワダツミを見やると、彼女は小さくため息を吐いて、イトカワを睨んだ。
「お主は面白味がないのぅ…堅物すぎるわ」
「え、はっ…面目ございません」
「よいよい。その融通の利かなさが忠誠心となっているからこそ、国防の要である孤月砦を任せられているのじゃ」
ワダツミの言葉を受けて、イトガワは感情を隠さず破顔する。
砦を任せる、姫様、忠誠心…。
パチパチとピースを繋ぎ合わせれば、自ずと彼女の正体に察しがついた。
「ワダツミ、貴方…ただの自警団長じゃないわね」
「言葉遣いと言っておるだろう!」激昂するイトガワ。今度はイラっとした。「黙りなさいっ!私は今、ワダツミに尋ねているわ!」
自分でも驚くほどの声量に、一同が肩を跳ね上げる。驚いていないのはワダツミと、すぐそばで佇むレイブンくらいだった。
しぃん、と静まり返る空気のなか、ころころと鈴を鳴らすような声でワダツミが笑い始める。どういう神経をしているんだ、と不思議に思ったが、初めに会ったときから、こいつは読めないやつだったと思い直す。
「なんじゃ、お主ら。似た者同士の激情家よのう」
「皮肉はもう結構。ワダツミ、貴方は一体何者なの」
誤魔化しも嘘も許さない。そういう意志を視線に込めて彼女を睨んでいると、ワダツミはぽん、と背後の机に乗り上げつつ笑った。
「…儂は、ワダツミじゃ。それ以上でも、それ以下でもない」
「まだ誤魔化すつもり」
「誤魔化してなどおらん。儂はそのつもりじゃ。――ただ、迷惑極まりないことに、そこに勝手な呼び名がつく。例えば、ニライカナイ団長だとか、東国オリエント第一王女だとかじゃな」
東国オリエント、第一王女…!
まさか、王族だったか。
彼女の年齢に対して不釣り合いな権力や肝の座り方は、明らかに一般的な生まれのものではない。それは予測できたが、そこまで位が高いとは思ってもみなかった。
「騙していたのね、私とレイブンを」
「人聞きが悪いのぉ、騙してはおらんよ。王族ですかと聞かれてはおらんからのう」
「詭弁ね」
本音を言うと別に構わなかった。ただ、嘘を吐く人間というのをあまり信頼したくなかったので、せめてその理由を知りたいと思った。しかし、それを尋ねるより先に、ワダツミが鋭い刃で切り返してきた。
「しかし…儂が嘘吐きなら、お主は大嘘吐きじゃの」
ドクン、と心臓が跳ねる。
まさか、と彼女の瞳を無言で見つめ返す。思えば、その反応は分かりやすすぎたかもしれない。
「リリー・ブラック…気の利いた名前をつけたものよ」
「…何のことかしら」
ワダツミは私の問いには答えず、椅子から下りるとゆっくりこちらに歩み寄ってきた。足取りはもう、王侯貴族のものだった。優雅で洗練されていて、品がある。
ぴたり、とワダツミが私の前で止まる。それを見たレイブンが私とワダツミの間に入ろうとしたが、ワダツミに穏やかに制され、隣に並び直す。
「処刑されたはずのお主が、なぜここにおる。アカーシャ・オルトリンデ」
突如、周囲にざわめきが起こる。どうやら、オリエントにもきちんとかつての私の名前は届いていたらしい。
アカーシャ・オルトリンデ…。
まだ失ってから一ヵ月程度なのに、随分と懐かしい名前に感じてしまった。
ワダツミがわざわざここで明言した以上、おそらく、確証は押さえてあるのだろう。そもそも、この銀髪と赤目はエルトランド人にしても珍しい。騙し通すこと自体、無理があったのかもしれない。
もう、認めるほかないと分かっていたが、一つだけ、たった一つだけ絶対に認めたくないことはあった。
「…アカーシャ・オルトリンデは、もう死んだわ。ここにはいない」
天才的な魔導師でもあり、次期王妃でもあったアカーシャ・オルトリンデは、あの日、この世から消えた。血の滲むような鍛錬の果てに得た強大な魔力と、数々の功績と、仲間たちとの思い出を胸に、十字架の下へと消え去ったのだ。
「ほう、じゃあ儂の目の前におるお主は一体、何じゃ」
私はいつの間にか下がっていた顔を上げて、真っすぐワダツミを、そして、一同を睥睨し、不遜な態度で告げる。
「復讐にとり憑かれた…ただの亡霊よ」
私は包み隠さず、オリエント人らに全てを語った。
普通は信じてもらえないような話だったかもしれないが、王女たるワダツミ自身がアカーシャの名を口にしていたことで、その信憑性は確実なものに変わっており、みんな真剣な顔で私の話を聞いていた。
ただ、檻の中でストレリチアとした話のことだけは語っていない。彼女と私を象徴するようなつながりだけは、この胸に留めたいと考えたからだ。まあ、レイブンにはすでに話してしまったが…彼女は私の付き人だし、私に巻き込まれた人間だ、知っておくべきだろう。
話を一通り聞き終えた一同は、最初は静かなものだったが、時間が経つにつれてあちらこちらでざわめき立つ形になった。
信じていいのか。
利用できるのではないか。
我々を利用しているのではないか。
オルトリンデといえば魔導に卓越しているが、こいつは魔導を使わない。嘘を吐いているのではないか。
色々な声があった。しかし、私はそんなことも忘れて一つの思い出に耽っていた。
ストレリチアが、私の指に指輪をはめたときのことだ。
死なないで、と彼女は言った。言っていることとやっていることは真逆なのに、彼女が指輪に落とした口づけは、どうしてだろう、本当に祈りの意味が含まれているような気がした。
「黒百合」とワダツミが声を発した。途端に辺りに凪が広がった。
「何かしら」
「お主は、ここオリエントで何をする」
私は一拍置いてから答える。
「爪を、牙を研ぐわ」
「ほう、何のために」
「復讐するためよ、あの青い目をした悪魔、ストレリチアに」
「復讐?復讐じゃと?」口元を歪めたワダツミは、とても意地悪く続ける。「どうやってじゃ。どうやって復讐する?」
「簡単よ。この手で殺す、それだけ」
間髪入れずに答えれば、ワダツミは嬉しそうに微笑んだ。
「どうやって殺すのじゃ。お主は死んだはずの人間。エルトランドに戻ればたちまち掴まって死刑囚に逆戻りじゃろう。まさか、わざわざオリエントまで来るはずもあるまいし…」
「いいえ、明日、必ず来るわ」
即座に行われた否定に、ワダツミが少し驚いた顔を浮かべる。
「なぜ、そう言い切れる」
なぜ?
私はこんなにも馬鹿馬鹿しい問いはないと思った。
目を閉じ、たっぷり数十秒、間を作る。
脳裏にはやはり、菫青石みたいな瞳が浮かんだ。
「私がここにいるからよ」
星が滑るような夜が訪れていた。
黒壇の夜空には雲一つなく、煌々たる満月が黄金の円環を抱いて光り輝いている。
少しだけ、感傷的な気分になっていた。自分らしくもないと思ったが、どうにもこうにも、賊の頭だった男の必死な姿が残像となって網膜に焼き付いていて離れそうにもなかったのだ。
明日の夕刻には、エルトランドの船の一部が孤月の入江に上陸すると見られている。他の船は未だにオリエント軍と海戦を続けているらしく、防衛網の抜け穴を突くような動きをした数隻だけが向かってきているという報告だった。
(防衛網の抜け穴ね…)
きっとストレリチアの指示だと私は思った。あの女が高みの見物を決め込むはずもないから、その数隻の内のどれかに、彼女はいる。
ぎし、と音を立てて出入り口の扉が開く。使っていない倉庫の一角を与えてもらったが、野宿同然だ。しかし、他の人の目を気にしないで済むというのは悪くない。
「お嬢様、お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう。…この匂い、紅茶?」
「はい」
レイブンは机のそばに移動し、ティーポットからカップへと大きな滝を作って紅茶を注いだ。手慣れた動きだ。これも夫人の教育の賜物だろうか。
「妙な話よね。敵国の飲み物どころか、それを注ぐための道具まで一式揃っているのだから…」
「はい」
そこで会話は途切れてしまう。レイブンはかなり口数が少ない――いや、話していいと言えば話すのだが、それがないと話さない、そのためだ。
たくさんの言葉が、彼女の中に眠っている。加えて、それらはどれも鮮やかな感じがしたが、レイブンが自身で封じ込めてしまっている。
それはなぜか。
考えるまでもない、彼女が自分を奴隷と認識し、許可がなければ動いてはならないと言い聞かせているからだ。
…自分のことなのに、自分では決められない。決めてはいけない。おかしな話だ。しかしながらそれが、奴隷制というものが生み出した存在であり、エルトランド王国が始めたことでもある。そう思うと、私は自分が背負おうとしていた国の未来とは、何だったのかと憂鬱になった。
「エルトランド…こんなに早く戦うことになるとは、思ってもいなかったわ」
「そう、ですか…」
国力の違いから、確実に不利な戦いになる。海戦が続けられなくなった今なら、なおのことだ。
…私は、生きていられるだろうか。ストレリチアの前に立つ、その瞬間まで…。
難しいかもしれない。魔導が使えたあの頃なら自信はあっただろうが、今はそうではない。多少、剣術が人並みに優れているだけの女だ。
死ぬ。
死ぬか。
死ぬかもしれない…。
ふと、私は思った。
私が死んだとき、この子はどうなるだろうか…と。
鳥は、鳥かごの中に入れている限り、羽ばたくことはできない。
離してやるべきなのだろう。
彼女は一緒に戦ってくれると言ったが、本来、こんなことに付き合わされるべき存在ではないのだ。
「レイブン」私は一つ、紅茶を喉に流し込むと言った。「良い機会だから言っておくわ。貴方はもう、自由になるべきよ」
「…自由、ですか?」
「ええ」
「具体的に、それはどういうことでしょう」
少しだけ、レイブンの瞳が不安に揺れた。彼女にしては珍しい様子だ。
私は間を置いて、窓の外へと視線を投げた。
夜啼き鳥が月の前を横切る。美しい光をまとい飛ぶ孤独な鳥を、私は羨ましいと思った。
「貴方を、私の付き人…いえ、奴隷の任から解くわ」
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!
ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、
応援よろしくお願いします!




