鴉との約束.2
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「ど、どうしてそんなことを言うんですか、お嬢様」
言葉を詰まらせたレイブンに、あくまで冷静に私は続ける。
「これからやることに、貴方は関係がないからよ、レイブン」
「関係が、ない…?」
「ええ、そうよ」
「そんな、私はお嬢様の奴隷です。付き人です。お嬢様。お嬢様が行くところにお供して、お守りするのが私の役目です。お嬢様がそんなことをしてほしくないのは分かっていますが、それが私の役目なんです」
レイブンの黒い瞳が左右に揺れていた。明らかな動揺が見て取れたが、言葉にするべきときが来たのだともなんとなく思う。
「レイブン…それは、誰のために果たす役目なの」
「誰の…」
奴隷の役目。そんなもので彼女をここまで連れてきたのは、本当は間違っていたのかもしれない。
初めは、私のせいで家を出されたレイブンを放っておくべきではないと考えていた。だが、何の思い入れもない私を命がけで庇う彼女の姿を見て、そこに迷いが生じた。
村で賊と戦ったときも、賊の拠点で魔物と対峙したときも、レイブンは命令のために行動する。力があろうと、なかろうと。
そしてこれからも、レイブンは自分に出された最後の命令を全うするまで戦うだろう。誰あろう…。
「バックライト夫人のため」
「…はい」
「レイブン」
私は静かに彼女に近づき、その肩に触れた。
見上げてくる彼女は、とても少女然として見えた。彼女の年齢がいくつぐらいかは知らないが、それでも、今の彼女は少女だ。
「今ここにいない誰かのために生きるのはやめなさい」
ハッ、とレイブンが息を呑んだのが分かったが、私は続ける。
「貴方の生は、貴方のものよ。貴方の人生を狂わせた奴隷制、それをよしとする国の人間に言われても、どの口がと思うかもしれない。だけれど、今、この場所にそれはないの、レイブン。貴方さえ望めば、レイブンは自由の大空に羽ばたいていける。もうすでに、貴方を縛っていた鎖はないのよ」
「…ですが、奥様が、奥様が私に、貴方のことを、守れと…」
「バックライト夫人が、貴方を私と共に行かせたのは、守らせるためじゃない。もう、分かっているでしょう」
レイブンは沈黙していた。青い顔から、分かっているが口にしたくないのだろうことは十分に伝わってくる。
俯いていても天上の星を映すような瞳に、だったら代わりに言ってやろうと私は口を開く。
「魔力を封じられた私が、エルトランドからオリエントに渡るための船を使えるようにするためよ」
あの夜、私たちが乗った船には魔導石が搭載されていた。あれを使って海に流すにしても、結局、私じゃない誰かが必須となる。その役には、彼女のような『消耗品』が適任だったということだろう。
「レイブン…酷なようだけれど、貴方はただ捨てられただけなの。私を守れという命令は、貴方がどういう人間なのか理解している夫人が慰めのために言っただけのものなのよ」
「…違います」
「違わないわ、レイブン」
「違うっ!」
初めて、レイブンが私に感情をぶつけてきた。彼女の瞳には明確な不安と悲しみ、そして、怒りがあった。
哀れだと、私は思った。レイブンは今、自分の存在を揺るがすような言葉の刃を私から受けているのだ。
ここでやめて、『そうね、違うわ。ごめんなさい』と言ってあげたい想いが脳裏をよぎる。しかし、それは何の救いにもならないと、私は気合を入れるつもりで表情を険しくした。
「何が違うの、レイブン」
「奥様は、確かに私を捨てたかもしれない。でも、奥様が出してくれた命令は、私を慰めるためのものなんかじゃない。奥様は、そんな命令を私に出さない!」
「捨てたことは分かっていたけれど…慰めなんかじゃない、本気で私を貴方に託したって信じたいのね」
「そう、だから私は、お嬢様を守れっていう奥様の命令を守る」
「呆れた。前にも言ったでしょう。貴方に守られる筋合いはないの。だいたい、貴方はそれでいいの?自分を奴隷として消耗品のように扱った女の命令に従って、何の思い入れもない私を守る。本当に、それで?貴方の命は?おそらくは失われるであろう、貴方の未来や自由は?」
私は真っ直ぐレイブンを見つめた。初めて私は、彼女と真っ向から向き合えているような気がしてならなかった。
月の魔力が、今宵はやけに饒舌だった。静謐が見守るなか、一息に言葉を編んだ私は、ただ、レイブンの言葉を待つ。
レイブンは視線をさまよわせていたかと思うと、沈黙に耐えかねたみたいに唐突に、私の横をすり抜け、窓のそばまで移動した。
彼女はじっと、夜を見つめていた。やがて、夜啼き鳥が月の上を滑ったとき、ハッとした顔でそれを追うと、深くため息を吐いて振り返る。
「私の…命、未来…自由…」
その面持ちは、酷く寂しく、寂寥感に覆われていた。何か大事なものが彼女の中からこぼれ落ちている…そんな様子だ。
「ええ、そうよ。今ならもう、それが取り戻せる」
「取り戻せる?」
不思議そうに彼女が聞き返すから、私は深く頷いて、それをしてもいいのだと表した。
「本来、貴方のそばにあるべきものよ。レイブン」
きゅぅ、と美しい三日月がレイブンの口元に描かれる。
どうしてだろう…何かが壊れている、と私は思った。
「私から、名前を奪ったお嬢様が今さらそれを言うの…ですか」
月夜は、眩しく彼女を照らした。そうすることが、飛べないレイブンの救いになると知っているみたいに。
「それは…」
「今、分かりました。繰り返しですよ。お嬢様。奪われて、与えられて、奪われて、与えられての繰り返し…。どうしようもない、その円環に救いなんて見出せない。鎖を解き放って自由を与えたいというのは、とどのつまり、お嬢様、貴方の独善なんですよ。分かりませんか?」
私はその瞬間、ハッと息を呑んだ。私なんかより、彼女のほうがよほど現実を見ていると理解したのだ。
カラスも、レイブンも…元は彼女のものではない。それを奪ったのは私たちだし、与えて満足げにしたのも私たちだ。
「リリーお嬢様が、小綺麗な言葉を使ってでも本当に救いたいのは私じゃない。貴方自身だ。それこそ、もうお気づきでしょう」
「私は…」
独善…本当に慰めたかったのは…。
「私が奥様に奪われたもの、それが何かはもう思い出せない。だって、ずっと小さい頃から奥様のそばにいたから。ただ、与えられたものは思い出せる」
普段の彼女からするとまるで別人みたいな饒舌さに、私は言葉を失って、ただ眺めるだけしかできなくなる。
「カラスという名前と、言葉と、温もりと、甘い声と匂いと…仕事。それがあれば、私は満足だった。いつかは捨てられると分かっていても、それでよかった」
じろり、とレイブンが今、明確な怒りを隠すことなく私を睨みつける。
「それを奪ったのは、お嬢様、貴方だ。貴方が、奥様が与えてくれるものを、私の全てを、奪ったんだ」
「…そう、そうなるわね…」
妙に聞き分けがいいのがむしろ癪だったのか、レイブンは端正な顔を歪めて続ける。
「そして今、勝手にまた与えたつもりになって、死ぬ前に、自分だけを救おうとしている。違いますか?」
「…ごめんなさい」
「…っ、謝る、ぐらいなら…!」
ドスドス、とレイブンが怒りを滲ませた歩調で私の目の前に迫る。私を突き飛ばすのではという勢い――いや、実際に彼女は私を古びた簡易ベッドの上に突き飛ばした。
きゃっ、と短い悲鳴を上げて倒れ込めば、レイブンは怒れる瞳を爛々と輝かせたまま私の上に覆い被さった。
お腹の上に乗られている息苦しさをこらえて彼女を見上げる。レイブンは、涙を浮かべていた。
「私に、ちゃんと与えて下さい。奥様がくれたものを。名前だけはきちんと貰いました。これはもう、これでいい。レイブンでいい。でも、それ以外のものを返して下さい」
「それ、以外のものって…」
「言葉と、温もり、それから――命令です。リリー・ブラック。貴方様からも、それを与えて下さい…そうでなければ、私は…」
ぽつ、ぽつ、と涙の雫が私の頬に彗星みたいに光って落ちる。それからややあって、レイブンは、初めて船でしてみせたようにむせび泣きながら私の胸に顔を埋めた。
…そうか。
私は自分が死ぬ前に救ってあげたかったのだ。
レイブンを、エルトランドに虐げられたものの写し鏡を通して、気高きアカーシャ・オルトリンデを救い、慰めたかったのだ。
独善と罵られてもしょうがない。彼女の言葉は真実を穿っている。
レイブンを、本気で救いたいと願うのであれば…私がするべきことは一方的な解放ではない。
「ごめんなさいね、レイブン…」
私は呟きと共に、ぎゅっと彼女の体を抱きしめた。
「貴方の大事なものを奪ってしまって、ごめんなさい」
お嬢様、とかすれた声が胸のあたりでする。
「勝手に自分だけ楽になろうとして、ごめんなさい。レイブン。そんなのずるよね、ええ、今。ちゃんと分かったわ」
奪って、与えて、奪って、与えて…。
その繰り返し、か。
私はレイブンから夫人が与えていたものを奪った。そして今また、私は与えようとしている。
終わらない輪廻の中で、私はレイブンの上体を両腕で起こす。
自分でもどうしていいか分からない感情の渦のなかにいるのだろう。レイブンは少女然として私を見つめていた。
綺麗だと思った。
鳥かごの蓋を開けても、空を飛べない、翼を折られた鳥が。
「ちゃんと、与えてみせるから…」
コツン、と私は額をレイブンのものと重ねた。そして、緊張で鼓動を加速させながら、ゆっくりと、レイブンの唇にキスを落とす。
艶やかなリップ音を耳にしながら、顔を離す。
「お、嬢様…」
レイブンの体温は、唇は、温かかった。私のほうが何かを与えられているような気すらした。
深く、息を吐き、吸い込む。
覚悟はこれまでだって決めてきた。だけど、今日はまた違う覚悟だった。
「レイブン、命令よ」
レイブンは初め、驚きに顔を染めた。しかし、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせると、まるでカナリアが鳴くように愛らしい声で返事をした。
「…はい、お嬢様」
彼女の黒い瞳の奥に、私の血のように真っ赤な瞳が浮かぶ。
黒すら塗り潰す、紅蓮の赤。
罪悪だ、と私は思う。しかし、こうすることがレイブンの救いになるならと覚悟を決める。
「盾となって命がけで私を守り、そして、剣となって私の邪魔をするものを薙ぎ払いなさい。私のこの復讐が、いつか終わりを迎えるその日まで」
みなさん、お疲れさまです。
みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、
一ミリくらいはそうなれているでしょうか?
何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!




