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護り人の愛し子


「ありがとうね先生。先生の薬はよく効くって評判だよ」

「…お大事に」

 扉の隙間から薬を差し出し、代金を受け取る。遠ざかっていく足音を聞き、重い息を吐いた。人は苦手だ。

 この地に住んで何年経っただろう。養父は既に亡く、私は独り、養父の役目を継いでこの地を護っている。



 私は、魔力持ちだった。

 物心ついた頃から精霊が見えていた。誰に教わることもなく、簡単な魔法を使っていたように思う。魔力持ちにしか見えない精霊。平凡な両親に精霊が見えるわけがなく、いわゆる「普通」の二人に、精霊が見え、魔法を使う私はどう見えたのだろう。いつの間にか両親は姿を消し、私は孤児院に居た。

 「普通」ではない私に、周囲の人々は冷たかった。魔物憑きと罵られ、子供達は化け物と言って私に石を投げる。私の外見が珍しいのも原因のひとつだった。色素が薄く、肉の付きにくいひょろりとした身体は不気味で、畏怖を感じるほどに化け物じみていたのだろう。


 あれは、いつだったか。あの頃の私は他人と関わることを極度に恐れ、人の小声ひとつ聞こえるだけで震えるようになっていたのだ。その頃、孤児院にひとりの魔導士が訪れた。フードを目深に被り、全身を黒で覆っている魔導士。その魔導士が、私を見るなり言ったのだ。「精霊に気に入られているね」と。

「君みたいな子を探していた。私の養子にならないか?」

 魔力持ちの厄介払いができて嬉しかったのだろう。孤児院の手続きは異例の速さで行われ、その日の内に、私は魔導士の養子となったのだ。


 孤児院はナトゥールラントの城下町にあった。そこから遠く離れた東の地へ行くと魔導士は言う。何日の旅になるのだろうとぼんやり考える私に、魔導士は腰を屈めて視線を合わせた。黒いフードの奥に潜む碧眼はとても澄んだ優しい色だった。魔導士の周囲にふわふわと精霊が浮かんでいて、私はその光景に目を奪われた。「魔法を使ったことはあるかい? 師事を受けたことは?」魔導士の声音は優しく、穏やかだった。

「簡単な、魔法なら。教えてもらったことは、ありません」私は、魔物憑きの化け物だから。近づいてくる人は皆、私を傷付ける存在だった。魔導士は小さく頷き、私の痩せた手を取った。他人の温かさに触れたのはいつ振りだろう。魔導士を見ると、口元が弧を描いていた。「君の名を、教えてくれるかい?」

「…ヴィルヘルムです。今年で、7歳になりました。よろしく、お願いします」

「ヴィルヘルム。今日から私は君の養父で、魔法の師匠だ。こちらこそ、よろしく頼むよ」



 10日はかかると思われた旅は、養父の浮遊魔法で随分と短縮された。自分以外の魔法を初めて目にした私は、あの頃の興奮を今でも思いだせる。

 養父は、化け物ではなかった。魔物憑きでもなかった。穏やかで優しい、孤独な魔導士だったのだ。



 東の森の奥深くに、魔導士の家はあった。家の周囲にはいくつもの畑があり、作物や緑鮮やかな草が穏やかな風に揺れていた。魔導士は薬師でもあった。畏怖の対象とされる魔導士の素性を隠し、薬師として生活していた。森の麓の村人から依頼があると、薬を処方しているのだという。興味があるのなら、薬草学も教えよう。養父の声が弾んでいるようで、彼が喜ぶのならと、私は頷いた。そうして、養父は、私の魔導士と薬師の師匠となった。


 養父との生活は、穏やかだった。寝食を共にし、作物の世話。魔法や薬草学の勉強など、学ぶこともたくさんだった。閉ざされた私の世界を広げたのは間違いなく養父で、長らく忘れていた笑顔も、彼との生活の内に自然と浮かべられるようになっていた。


「ヴィルヘルム、お前は聡明だな。作物が水を得るように、私の知識をどんどんと吸収してゆく」

 養父、あなたの教え方が上手だからですよ。

「ヴィルヘルム、お前はとても精霊に好かれているね。私が教えることはもうないよ」

 何を言うんです。まだまだ、教えて頂くことは山ほどありますよ。

「ヴィルヘルム。お前はよく笑うようになったね。お前が息子になってくれて、私も笑顔が増えたよ。家族というものは尊いね。私は幸せだ」

 そうですね。私も、養父と過ごす毎日が、とても大切です。


「ヴィルヘルム、私はね…もう長くはないんだよ」

 何を弱気になっているんです。滋養に良い食事を用意しましょう。そしてあの丸薬を飲んで下さい。すぐに体調もよくなりますよ。大丈夫。あなたはまだ若いんですから。

「…我が一族には、代々受け継いできた大切なお役目があるんだ。けれど、私は早くに両親を亡くし、ずっと独り身だった。うちの一族は短命でね。40年生きた私は、長生きな方なのだよ。はは、きっと、ヴィルヘルムと出会えたからだ。お前と家族になって、私はお前の成長を見守りたいと願ったのだから」

 思ったよりも、長生きできたよと養父が笑う。

「お前を引き取ったのは、私の後継者が欲しかったからだ。お前に、我が一族が担ってきたお役目を、継いでもらいたい。…が、断ってもいいんだ。お役目を継いだら、お前はこの地に縛られる。自由になりたいと望むのなら、それでも構わないんだよ」

 いいえ、養父。私はあなたに大切なものをたくさん与えてもらえました。あなたが私を養子にしてくれたから、今の私が在るのです。あなたと出会っていなければ、私は笑顔も思いだせなかった。

 ベッドに横になっている養父の手をそっと握った。養父の身体は痩せ細り、かつての逞しさは感じられない。しかし澄んだ碧眼の美しさは変わらず、優しく私を映すのだ。

「ありがとう、ヴィルヘルム。私の、自慢の息子」


 途切れ途切れに、養父が言葉を紡ぐ。それは、養父が幾度となく話してくれた、物語だった。

 邪悪なる魔王が現れ、世界が混乱と恐怖に満ちるとき、聖なる者が現れ魔を討つ。そんな、勧善懲悪の物語。その物語を、何故今。私は黙って、養父の言葉を聞いていた。


「遥か昔のことだ…これは、物語ではなく、本当にあった話。我が一族に伝わる、伝承だ」


 ―魔が蔓延り、世界が闇に覆われるとき。天から愛し子が舞い降り、世を平穏へと導く―


「愛し子は、この森に舞い降りると伝わっていてね。我が一族は、愛し子が現れた遥か昔からずっと、この森を護っているのだ。ヴィルヘルム。私が天に召されたあとは、お前がこの森を護っていくんだ。いつか現れる愛し子の為に、この森を…頼んだよ」


 しばらくして、養父は帰らぬ人となった。養父は精霊にとても愛されていた。物言わぬ養父の身体はいつも精霊たちの淡い光に包まれていて、いつの間にか、いなくなっていた。きっと、精霊が連れて行ったのだろう。私に残されたのは、養父から引き継いだお役目と、様々な知識、そして、養父愛用の、真黒の外套だけだった。

 私は養父の外套を身に着け、薬師の仕事も引き継いだ。養父は村人と接する時、外套を纏いフードを目深に被って素顔を見せなかったので、薬師が代替わりしたことに気付く者はない。

 養父の死に嘆き、悲しみ、涙する者は、私だけだった。



 養父が亡くなって5年。私は今も、森を護り続けている。



*******



 その日は、とても良い天気だった。私は、いつものように薬草畑の雑草を抜いていた。突然のことだった。森の精霊達が騒ぎ出し、強風が草木を揺らす。強い力を感じ、空を見上げた。すると、空から、光が降りてきたのだ。ふわり、ふわり。震える手を差し出すと、光は私の腕の中にゆっくりと納まる。淡い光は精霊たちで、ひとつ、ひとつと名残惜しそうに離れてゆく。私は目を瞠った。私が抱えているのは、気を失った少女だったのだ。

 少女の周りを、精霊たちがふわりふわりと漂っている。この少女は。まさか。私の考えを肯定するように、精霊たちが嬉しそうにくるりと踊る。


「伝承の…愛し子」


 養父の一族が護り続けた伝承の人物。



 精霊の愛し子は、異世界の少女だった。初めこそ大人しかったが、目覚めて二日目には私の周囲をちょろちょろと駆け回り、これは何、あれは何と私を質問攻めにした。年下の少女と接したことのない私は、どう扱っていいものか困ったが、養父が私にしてくれたように、少女が理解するまで丁寧に教えるようにした。

 頭の良い少女だった。私が与えた、言語を翻訳する魔力を込めた魔石の効果もあるかもしれないが、何事もすんなりと吸収していった。こと魔法に関しては、流石『精霊の愛し子』というべきか、途轍もない素質の持ち主だった。魔法を使うには、呪文を唱える必要がある。しかし、少女はそれを必要としない。火が欲しいと願うと、火が生まれる。水が欲しいと願えば、水が。精霊達は少女に力を貸したくて仕方ないようで、常に少女の願いを心待ちにしているようだった。

 私は、少女に魔法を重点的に教えることにした。この少女は、伝承の愛し子。魔を退け、世界を平和に導く運命を背負った少女なのだ。力の使い方を、間違えてはならない。


 魔法を使う魔導士は、魔導士協会に登録する決まりがある。だが、私は少女の存在を隠すことにした。

 異世界から来た、伝承の愛し子。精霊に愛され、強大な魔力を内に秘めた少女。この稀有な存在を魔導士協会が知ったら、少女はどうなるだろう。その力を、いいように利用されるかもしれない。その存在を恐れて、命を狙われるかもしれない。

 まだ10歳の、幼い少女。私を恐れることなく、笑顔を向けてくれる娘。私は、少女が正しい知識を得た大人になるまで、護ることにした。


 少女の名は、タチバナ リッカと言うらしい。「橘 六花」と、少女の世界の字を書いてくれたが、複雑な造形で、覚えられそうになかった。タチバナと言う音はこの世界では珍しく目立ってしまうので、私は少女をリッカと呼んだ。リッカは嬉しそうに笑った。リッカにせがまれて、私の名を紙に書いた。翻訳魔石を床に置いて紙を見つめていたリッカは突然呻き声をあげた。何事かと面食らっていると、リッカは魔石を握りしめて叫んだ。読めない! 複雑な形だね!

 互いの名前で、同じことを思ったのか。思わず、私は笑った。リッカも笑った。



 リッカは、とても明るい少女だった。私の仕事をよく手伝い、よく喋り、よく笑う。時々、夜中に泣いていることもあったが、それはとても人間らしく、親しみを思えた。

 

 リッカと暮らすようになってひと月ほど経った頃だったか。村に行ってみたいと言い出したのだ。見分を広めるのは良いことだし、精霊の愛し子のことや魔法のことを口外しないと約束するならば、反対する理由はなかった。だが、森から村までは遠く、獣道に近い荒れた道を歩くことになる。精霊の愛し子のリッカが、道に迷うことはないだろうが、一人で行かせるには、とても心配だった。

 私が同道すれば問題ない。けれど、私は人前に出るのが怖かった。幼い頃を思い出し、心が竦んでしまうのだ。私が人嫌いだと察しているリッカは、精霊もいるし、一人で大丈夫と明るく言ったが、リッカがいない時間、私が心配で居ても立っても居られないと思った。だから、私は何度か、リッカと共に村まで降りたことがある。姿隠しの魔法を使って。姿を隠していても、精霊の愛し子のリッカには見えていたが。

 私が村まで同道するたび、一緒に来てくれてありがとうと、花開くような明るい笑顔で、リッカは私の手を握るのだ。


 月日が流れるたび、リッカはみるみるうちに成長していった。背も髪も伸び、顔立ちは幼さが消え、大人の女性へと変わってゆく。笑顔は美しく、零れる声は心地の良い調べだった。

 私はリッカを愛していた。それは、親愛や、家族愛というものだろう。養父に抱いていたそれとは少し違い、胸がざわつくことがあるが、その理由は私にはわからなかった。


 隠遁生活を続ける私は世情に疎い。世情を知るのは、リッカが村で聞いた噂話などでだった。最近、リッカから聞いた、隣国ゼーラントの話。魔王が現れ、国を乱しているというもの。

 嫌な予感がした。とうとう、この日が来てしまったのだと。リッカは伝承の愛し子だ。彼女の持つ膨大な魔力と、魔法の素質がそれを裏付けている。リッカを、手離す時がきてしまうのか。私の胸は痛んだ。


 そんな時、魔導士協会から指令が下った。

 魔王討伐のため、ゼーラントに集えと。


 私は考えた。私一人では魔王を屠るのは不可能かもしれないが、国の騎士や魔導士達が集えば、魔王を討てる可能性もあるかもしれないと。伝承の愛し子を頼らずとも、勝利を掴めるのではないかと。

 嫌だった。嫌だったのだ。リッカは私の家族。リッカは、私の唯一。彼女を。戦争に巻き込むのが。護りたい。彼女を護りたいのだ。リッカは私の家で、いつもと同じように明るく笑っていて欲しい。

 私は、リッカの存在を公にせず、戦地に向かうことを決めた。死ぬつもりはなかったが、私がいなくなっても、リッカには強く生きてほしいと願った。


 …のだが。

 私は知っていた。私と同じように、リッカも私を大切に思ってくれていることを。私が戦地に行くと決めたのを知り、大人しく待ってくれる女性ではないことを。

 リッカが動くのは早くとも翌朝、私が旅立つときだと思っていた。私についていくと騒ぐだろうと。それをどう言いくるめようかと私は頭を悩ませていたのだ。



 まさか、私が悩んでいたその間に、行動を起こしていたとは思わなかった。



 その日の深夜。ゼーラントの方角から、激しい爆発音や竜巻、津波や地震が局所に襲い掛かり、とうとう魔王が動き出したのかと世間を震わせた。



*******



 翌朝、魔導士協会から届いた指令書を読み、私は目の前でにこにこと微笑むリッカに視線を向けた。

「魔王討伐の招集命令は撤回されたよ。僕は、元のお役目に戻ることになった」

「よかった! じゃあ昨日の言葉も撤回してねヴィル?」

 嬉しそうな笑顔から一転、リッカは眉を吊り上げて私を睨みつけた。リッカの黒い瞳が潤んでいるのに気づき、私は息を呑む。

「私はね、ヴィル。あなたがいないと大丈夫じゃないの。寂しくってつらくって、毎日泣いて過ごすわ。私の水分は全部涙になって、そのうち干からびて死んでしまう。村の人々に好かれている自信はあるけれど、私はあの人たちよりもヴィルヘルム、あなたがいい。あなたといたい。勝手にどこかへ行こうとしないで。私から離れようとするなら、今回みたいに、先回りして色々しちゃうんだから」

 やはり、夜中の騒動はリッカの仕業だったのか。私は苦笑し、リッカの頬をそっと撫でた。ぽっと彼女の頬が色づき、吊り上がっていた眉が嬉しそうに下がる。

「色々と言いたいことも、叱らなければならないこともあるが…そうだね。リッカが毎日泣いているのを想像すると、僕の胸はひどく痛むよ。だから、また似た指令が下ったら、共に行こうか。僕も、リッカと離れるのはとても寂しいし、泣いてしまう」

 リッカの美しい瞳を見つめて微笑むと、彼女は、ぱあっと太陽のように輝く笑顔を浮かべた。



*******



「ところでリッカ、さっきから気になっていたんだが…その、紅いドラゴンはどうしたんだい? 随分と疲弊して…なんというか…禍々しい気を纏っているね?」

「心配いらないわヴィル! ちゃんと躾けたから悪さしないわ。ほら、大きさも子犬と変わらないし、ペットとして飼ってもいいかなって。近くにいる方がまた何かやらかしたときに躾しやすいし。ちょっと禍々しいかもしれないけど、ここは精霊もたくさんいて清浄だから、この子の力、8割減よ」

「…飼うんだね? 決めたんだね?」

「ええ! もうぜっっったい招集命令なんて来させないわ!」


 ふんすと鼻息荒く拳を握りしめるリッカと、首輪をつけられ目を回して転がっている、魔王と言う名のドラゴンを交互に見て、私は空を仰いだ。


 そこには、雲一つない、澄み切った青い空が広がっていた。



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