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最終話 いちばんこの学園に似合う人

「おはようございま~す……!」

「え~、時刻は朝5時ちょうどでありますです……昨日は夜遅くまでみんなはしゃぎまわっていましたですからご覧の通りみなさん眠ってるですまして……」

「なのでわたし名古屋とカワイイ後輩七里ちゃんのふたりで、寝起きどっきりをしかけたいと思いま~す」

「やや、先輩見てくだせぇ。あそこにあるのはひょっとして綾織先輩が飲みかけのジュースでは……?」

「あらあら、ほんとですね~。支配人さんが気をきかせて人数分のアイスコーヒーを差し入れてくれたときに、ひとりだけ『コーヒーは苦くて飲めない』って言ってこのジュースに変えてもらったんですね~」

「ひょほほ! さすが綾織さん、かわいらしいですのな~!」

「まあ赤ちゃんだからしょうがないのねぇ。んーなんかちょっと喉が渇いているからちょっと失礼して……あぁおいし~」

「おろろろ! 先輩それはちょっとずるすぎるでしかし! ではわたくしも失礼いたしますでして……んー濃厚なジュースですなあ!」

「あらら? 見てください七里氏、あそこになんだか素敵なものがない?」

「おおお……! よく気付いた名古屋氏……! あれは俗にいう、お、おブラ……!」

「っていうことはよく考えてごらん、七里氏」

「なんでしょう?」

「今、綾織さんはノーブラってことよ? どうする?」

「ひえええ~! こ、これは重大事件……! ということは……なんでもできちゃうわけですね……!」

「あのさあ二人とも、さっきっから全部聞こえてるんだよね!?」


 周りの子たちの寝息の中に響くがさごそと不穏な音と更に不穏すぎる話し声には、ベッドの中にいながらとっくに気付いていた。それでもどうにか気にしないようにしていたが、いよいよ無視できないほど怪しすぎる気配に身体を起こすと、陳腐な企画さながらにスマホで動画を撮影しながら歩き回る二人がいた。目が合った二人はあろうことかすぐさま自分のベッドへ走って飛び込み、寝たふりをはじめたのだ。見回りの先生から身を潜める修学旅行生のように。


「そんなんでごまかせるわけあるか……!」


 海の近くの街は朝がやってくるときも一定の静けさが壊れることはない。姫百合学園に入るまでは朝が来るたび無音に耳をやられて死にたくなっていた。友人から冷たい当たりをされ泣きながら帰宅しても母の前では強がってしまうわたしは、朝焼けに初めて慰められると同時に、ああもうここで終わりにしちゃおっかな、といつも考えていた。あの頃の気持ちを思い出しながら、ベランダで潮風を浴びる。


「ふあ……おはようなっちゃん、早いんだな」

「おはよう。ちかげちゃんもね」

「僕はいつも朝ランニングしてるからこんくらいに起きるの。お腹すかない? せんちゃんに朝食用意してもらおう」


 しかし今日は寂しさだけが味方じゃない。ベッドで眠りこけていた面々も少しずつ目を覚まし、仙台さんがやっぱり厚意で差し入れてくれたルームサービスの朝食を食べ、洗面所を争って奪いながら身支度を整える。


「よし、そろそろ行こっか」

「……いいんですか、なつさん」

「ん? なにが?」

「そうだよう。折角なっちゃんの地元にいるのに、お母さんにご挨拶とかしないまま出発しちゃっていいの?」

「あぁ……」

「もし一度家に顔を出すんなら、僕、せんちゃんに車出してくれるように頼むよ?」

「いいのいいの大丈夫。行こう」


 ロビーで仙台さんや他の従業員さんに挨拶をした。最後まで腕組みをしたまま高圧的な態度をとっていた小倉先輩も「食事は美味しかったわ、ありがとう。お世話になりました」とつぶやいた。名古屋先輩にからかわれていた。皆で売店のお土産を買った。ホテルを出ると何がどうしてそうなったのか分からないが七里さんとちかげちゃんが「どちらの方が足が速いか」という話でもめて突然の50mレースをはじめた。こはるちゃんが審判をつとめた。結果は互角で審判であるこはるちゃんによれば「ちかげちゃんの方が0.1秒速い」とのことだったけれど七里さんが異議を申し立てて何度もやり直しが要求された。そうしているあいだにしのちゃんが「もう電車が来ますよ!?」と皆を急かし、急いで駅へ駈け込んで電車に乗った。ぎりぎりのところで間に合ってボックス席に座って一息ついた。窓の外には海。わたしの冒険は終わる、わたしは帰る、山の奥森の中へ帰っていく。


-------------


 学園へ到着したのは午後だった。しかしまだ授業が行われている時間のようでどこかの教室から聞こえてくるさいんこさいんの呪文のほかに談笑の声などはない。皆でぞろぞろと向かった寮の入り口では、氷見さんと千駄ヶ谷先生が待ち構えていた。


「お前ら……!」


 顔を見た瞬間、氷見さんは目を見開いてつかつかと真っすぐ歩み寄ってきたので、思わずブン殴られるのではと構えたのだが予想に反し殴られることも掴まれることもなく、たくましい両腕できつく抱きしめられていた。


「ったくどこ行ってたんだバカモノ! 心配かけさせやがって!」

「ご、ごめんなさい……」

「まったく……! 無事で良かった……!」


 厚い胸元が苦しくうまく返事することができなかった。ようやく力が緩んで解放されたとき、隣にいた千駄ヶ谷先生は本当におかしそうに笑っていた。


「ひーちゃんねぇ、綾織さんがいなくなったことに気付いたら顔色変わっちゃって、意気消沈していつもの説教も怒鳴り声もなーんにも出なくて今日ずーっと静かだったんだよ~いっつもそうならちょっとはかわいいのにね~」

「ゆるふわ! 余計なこと言ってんじゃねぇ!」

「そうだったんだ……心配かけちゃってごめんね氷見さん」

「違うっつってんだろバカモノ……!」

「氷見さんはわたしのいいお母さん」

「な……わたしはまだ20代だ!」


 背後でちかげちゃんの「そうだったの!? うそでしょ!?」という言葉が聞こえ、すかさず尻をはたく音と小さな「いだっ!」が追いかける。きっと小倉先輩に叩かれたのだろう。


「じゃあ、氷見さんはいい女」

「ふん……今頃気づいてんじゃないよ」


 氷見さんは耳まで赤くしたままわたしたちに背を向けて立ち去ってしまった。七里さんは「では、わたくしめは中等部に戻るですー!」と離れて行き、先輩がた二人も自分の部屋へ戻っていく。ちかげちゃんもこはるちゃんもしのちゃんも同じように。わたしは、一番会いに行かなければならない人に会いにいく。


「ご迷惑おかけしました。こんなことは二度としませんので、この学園にいさせてください」


 久しく入っていなかった学園長室はやっぱりよく分からない部屋だった。前に入ったときより荷物が増えていて、その荷物も半分壊れたようなボロボロの洗濯機だったりスロット台だったりテディベアだったり、およそ必要とは思えないようなものばかりで、そんな部屋であっても主を前にすると言いようのない緊張に襲われ語尾は少し震えてしまう。


「どうしてここにいたいの?」

「……この学園が好きだからです」

「ふぅん。まーそれならそれでいいんじゃない?」

「ありがとうございます……」

「ただ周りを心配させないようにね」

「はい。ひとつ、いいですか」

「んー?」

「学園内のことは、監視カメラとか盗聴器とか……よくわかんないけどそういうもので見守ってるのかな、ってぼんやり思ってたんですけど、どうやって学園の外にいる生徒の状況まで把握してるの?」

「ふふ、大人になったら教えてあげるね」

「……ばかにしてるの」

「ばかにはしてないけど、学園の王子がまだお子様ってのは有名な話だからね。おっぱいつんつんしただけで真っ赤になっちゃう~ってさ」

「はあ!? なにそれ誰が言ってるの!? だいたい想像つくけど!」


 チャイムが鳴り響いた。最終授業終了を告げるチャイムだ。学園長室を出ると廊下に人だかりができていた。どうやら皆、わたしの逃亡騒動を知っていて、さらにそれだけではなく授業中に帰ってきたことや学園長室に挨拶をしに行ったことも筒抜けになっていたようだ。かと言って学園長室から出てきたわたしに、今までと同様に軽く声をかけてくる人はいなかった。寮へ戻っていくわたしを皆遠巻きにわたしを見てひそひそと耳打ちしていて、時折「やっぱり王子……」「ポイントとか……」「退学……」と重要そうな単語がぽそぽそ聞こえてくる。


「綾織さん……」


 そんな中、立ち去ろうとするわたしを追いかけ意を決したように声をかけてきたのは、眼鏡の女子生徒二人組だった。忘れもしない、中庭でわたしの体調を気遣い薬を差し出してくれ、薬を踏みつけるという失礼極まりない行為を返してしまったあの二人組は、泣きそうな表情で声をかけてきた。


「先日は、ご無礼を失礼いたしました……!」

「ど、どうかお許しください……!」


 謝るべきはどう考えたってこちらなのに、整列して深々と頭を下げる。わたしはあわてて姿勢を正して向き合う。


「こちらこそ、気分屋でごめんなさい。本当に、失礼なことをしてしまいました。お詫びになるか分からないけどこれ地元の有名なお茶菓子なんだけど、良かったら」

「ももももらって、い、いいんですか……!?」

「お口に合うかわからないんだけど」

「ありがとうございます!」


 ホテルの売店で購入した茶菓子を渡すと、二人は思ってもみなかったようで「まじありえねーんですけどオイイイどんだけ優しいんすかまじでえええ」とテンション高めに泣き始めてしまった。後ろでその様子を見守っていた他の生徒たちも、彼女たちの様子にぴりりと気難しい空気を破り捨てた。「王子、ご無事でよかった!」「王子、おかえりなさい!」――学園長室の前に並んでいた生徒たちは、泣きながら笑いながら声をかけてくれる。きっとわたしよく思わない人だっているだろう、しかし少なくとも義理で涙を流すことは、「お子様」なわたしたちにはまだ難しい。わたしは彼女たちへも深く頭を下げ、改めて寮へ向かっていく。


「天気いーなぁ……」


 渡り廊下に穏やかな陽が差し込んでいた。草木の新鮮な匂いはいつの間にかわたしの身体に心地よく染みついていたようだ。寮のロビーのひんやりした空気を吸い込みながら、三階まで階段を上っていく。静かな廊下を渡りドアを開ける。


「はー……疲れたつかれた……」

「……お疲れ様」

「今日すっごい暑い。びっくりしたわ」

「知ってる。わたしも今日は外へ出たもの」

「え? そうなのめずらしい。いつもみたいにずっと本を読んでたんじゃないの?」

「今日は、中庭の清掃活動と草むしりをしたの」

「えー、めずらしい!」

「わたしもはじめてやったもの。……それより」

「うん?」

「おかえりなさい」

「……ただいま」


 デスクで読書をしていた汐留さんは、はじめて見るあどけない笑顔でわたしを迎え入れ立ち上がる。その笑顔の前で、海やホテルや母やその他すべての記憶が一気に膨張し汐留さんの胸へ飛び込んだ。互いの空虚を埋めるような抱擁に、汐留さんがもう一度呟いた「おかえり」はめずらしく震えていた。こんなに感動的な再会なのに、噛みしめる暇もなく廊下から氷見さんの「オラァそこのお前! スカート短すぎるだろうがいますぐ直せ! できないなら脱げ!」という声が聞こえてきて吹き出してしまった。それでもこの学園が、王子の唯一の城なのです。






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