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【第1章】【第1節】アッシュバーデンの異臭と孤独な少年アルスの日常

第1章 ドブ川の神童と最強毛玉


第1節 アッシュバーデンの異臭と孤独な少年アルスの日常


階層都市国家ルミナリア。天を突く巨塔のように聳え立つこの国は、住む階層によって明確な格差が存在する。雲の上に広がる貴族たちの楽園「セレスティア」、中流市民が暮らす商業区「ミッドガル」。そして、すべての汚水と排気が重力に従って流れ着く最下層、それが「アッシュバーデン」だ。


常に灰色のスモッグに覆われ、陽の光など数年に一度拝めれば奇跡とされるこの街で、四歳の少年アルス・ロウェルは生きていた。彼の住処はアッシュバーデンの中でも特に環境の劣悪な、都市の排液が轟音を立てて流れ込む巨大排水溝――通称「ドブ川」のすぐ脇にある今にも崩れそうな木造小屋だった。


「うわっ、今日も臭いぞ!」

「鼻が曲がる! あっち行けよ、ドブネズミ!」


路地裏で石蹴りをしていた子供たちが、通りかかったアルスを見て一斉に鼻をつまむ。彼らの服も決して綺麗とは言えないが、アルスの服には染み付いた湿気とカビ、そして何よりドブ川特有の鼻を刺す腐臭がこびりついていた。


「……ごめん」


アルスは小さく呟き、逃げるように路地を駆け抜ける。投げつけられた小石が背中に当たり、鈍い痛みが走ったが、彼は決して振り返らなかった。言い返したところで、臭いが消えるわけではない。父はアルスが生まれてすぐに過労と灰肺病で死んだ。母もまた、彼を産み落とした代償のように命を落とした。唯一の肉親である祖母も、今は病の床に臥せっている。


この広い都市国家の底の底で、アルスは徹底的に一人だった。


逃げ込んだ先は、大人たちさえも「不吉だ」「呪われる」と言って近づかない場所――「霧の樹海」との境界線だ。巨大な都市の基部を支える柱の隙間から、汚水が滝のように樹海へと垂れ流されている。強烈な異臭が漂うこの場所だけが、誰にも邪魔されないアルスだけの安息の地だった。


彼は防水布の切れ端で作った即席のシートを汚れた地面に敷き、膝を抱えて座り込む。


「……臭いのは、わかってるよ」


ドブ川の水面を見つめながら、ポツリと漏らす。灰色に濁った水は、都市の欲望と排泄物を飲み込んで、ただただ重く流れていく。けれど不思議と、ここに来ると心が落ち着いた。流れる水の音だけが、彼を否定せずに包み込んでくれるような気がしたからだ。


アルスは、ボロボロのポケットから一冊の手帳を取り出した。祖母が若い頃に書き留めていたという、薬草や毒消しの知識が記されたメモ帳だ。字はほとんど読めないが、描かれた植物の絵と、祖母が語ってくれた言葉を照らし合わせながら、彼は独学で植物の知識を蓄えていた。


「シズク草は、解熱にいい。アカ根はすり潰して湿布に……」


誰も教えてくれない世界で、生きるために必要な知識。それを反芻することだけが、彼の寂しさを紛らわせる唯一の遊びだった。その時、ふとドブ川の岸辺に違和感を覚えた。灰色のヘドロにまみれた岸辺に、不自然なほど真っ黒な何かが引っかかっている。


「……なんだろう?」


アルスは手帳を懐にしまい、慎重に岸辺へと降りていった。

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