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佐崎(さざき)黄李(きり)は、街路樹の並びの下にのびた公園の遊歩道で、遺体となって動かない血を流して雨に打たれるがままの浅田智弘の横に膝をついて目を覆った。

 あの人がこんなことをするなんて思わなかった。

 黄李の肩も顔も雨にぐしょぬれになっていく。

「黄李ちゃん」

 背後からあの人の声がした。こんな所業をしても尚、いや尚更のこと、その情愛の深さに足を取られ溺れるように、黄李はあの人を愛さずにはいられない。

 あの人にこんなことをさせたのは私なんだ――などという殊勝なことは思わない。

 むしろ彼の捨て鉢さに、愛されているという自負を強めて、自信を高めて、悦びの渦へ黄李を落としこめていく。

 その残酷な黄李の女の性質を彼も分かった上で今回の所業に及んだ。

 彼――瀬戸内創(はじめ)の残忍さに食らいつくように、黄李は振り返って、その首に腕を回して、キスをせがむサインを出した。

 創は黄李の求めに応じて、彼女の唇を食むようなキスをたっぷりとした。

 彼が黄李の望みに答えないなんてことは無かった。

 雨風が吹いて、黄李の足元に開いたまま放られてあった傘が道の向こうへ流れた。

 創は、唇を離して、

「傘が」

 と、自分と黄李の傘を拾いに道の向こうへ走っていった。黄李は、その後ろ姿を一挙に冷めた気分で見送りながら、花柄のワンピースのスカートの裾が風に流れながら太股に張り付くのを感じていた。

――創を一生離さない。刑務所に彼が入ることになっても、私は毎日面会に行く。

 一人暮らしの現在の自分の身はそれが許される。

 浅田が黄李のことを彼女の両親との暮らしから抜け出させてくれたから。


 黄李は私立神無高校に通う高校二年生だった。

 智弘は、黄李の同級生で、サッカー部のエースだった。前髪を常に少し長めに切って、友人たちや教師を直視するのを避けているようなきらいがあった。

 黄李は部活動には通わずに、授業が終わったら家に直行して、家族が営んでいるレストランテ佐崎でウエイトレスとして働いていた。

 神無高校は県内屈指の受験校だが、両親はそこに入ることを当初は反対していた。

 黄李の両親は「女に学はいらない」「卒業したら店を手伝いながら、親戚筋からお見合いを募ればいい」という考え方だったので、黄李のその高校への受験に対して渋い顔をした。

 しかし黄李の成績でも、本人の希望としても神無高校に入るのは自然なことだったので、両親は反対しきれなかった。

 大学に行くことも了解してくれた。ただし、地元の大学に店を手伝いながら通うという条件付きだった。

 黄李に職業の選択の自由はない。たとえ彼女がどれだけ優秀だったとしても。

 客の一人がわざと黄李の足元にシルバーのナイフとフォークを落とした。

「替えて」

 黄李は

「かしこまりました」

 としゃがみ込んだ。客の男性は顔を逸らしながら、黄李の白い華奢な手を黒い革靴で踏みつけた。

「いたっ。どけて下さい。拾えないので」

「自己責任でしょ。そういうのは。お店の。客に注文出すなんて何考えてるんだ。店長呼びな」

「はい」

 黄李は俯いてしずしずと諦めたように、父親の(まさる)を呼びにいった。

 忙しくコックが立ち働く厨房で食器にトマトのパスタをねじるようにして盛っている父は、がちゃんと音を立てて何かをぶつけ、そうして鬱陶しそうにこっちを見た。

「なんだ?」

「5番テーブルのお客さんが店長を呼べって」

「なんでだ?」

「分かりません」

「分かった。行ってくる」

 優がキッチンの外に出ていった。

 黄李は、父の作った、黄李も食べたことがある美味だと知っているそのトマトパスタを流しに捨てたい衝動に駆られた。

 どうせ、私のすべては親の責任だ。じゃなきゃおかしい。

 十数分して父親が戻ってきた。

「黄李」

 父親が黄李の顔をいやらしいような目つきで覗き込んだ。

「手を踏まれたら、踏ませておけ。相手が満足するまで口答えするな。お前がいい子にしていたらそれで済む話だった」

 優は、黄李の後頭部を嘲るようにぱしんと殴った。

「あああ。神無高校とやらは、プライドが高くっていかん。だから反対だったんだ。どうせお見合いして始末つけるのに」

 黄李は前髪を梳くようにしながら、右手で顔を隠して目に涙を滲ませた。

 私の人生は玩具だ。風呂に浮かべたアヒルの玩具と変わりない。

「これ運べ」

 父が指示して、皿に盛ったパスタを差し出してきた。

 黄李は俯いて受け取った。

「顔下げるな。前髪が皿に垂れる。まったくこれだから。うじうじするな」

「はい」

 黄李は従順に返事をした。

 その日の深夜。黄李は智弘のメールを開いた。

――店、忙しかった?

 黄李は返信した。

――いつも通り。そっちは。

――田中が何かと嫌がらせしてきてキモかった。

――明日、学校休みだね。

――うん、会える?

――無理。ランチもディナーも手伝わされる。

――明後日は?

――お父さんに頼んでみる。

――待ってる。

――待ってて。

 黄李は部屋から出て、ダイニングのテーブルで、ワインで晩酌をしている父親の傍らに来た。

「お父さん」

「いいところに来た。酌しろ」

 優はワインの瓶を黄李の胸に押し付けた。黄李は、ワインの底をもって父親に教えられたやり方で父の持つグラスに赤ワインを注いだ。

「お父さん。明後日、友達と遊びに行っていい?」

「明日はいかん」

「だから明後日」

「構わんぞ。なるべく早く帰ってこい。店の掃除の時刻には間に合うようにしろ。お前のわがままなんだからな」

「はい。ありがとうございます」

 翌日、店は忙しく黄李はくたくたになって働き、戸締りの後に学校の教科の勉強を夜の三時までに行った。

 補修を受けるくらい成績が悪かったら、退学させて商業高校に行かせると黄李は両親から言われている。

 母親は黄李の学校が夕方遅くまで授業を受けさせていることに対して、

()が高い。頭が高い。偉そうに。偉そうに」

 と繰り返し黄李に文句を聞かせた。突然黄李の部屋に入ってきて

「自分が人と違う選ばれた人間なんて思うんじゃないよっ」

 そう言って、黄李が勉強をしている椅子に膝で蹴りを入れたこともある。母親はとにかく、黄李が「できる」ということに対して、敏感だった。ピアノも習字も上手くなってきたころに辞めさせられた。小学校の卒業式でピアノの係に選ばれたら、

「あっそ。あんたは、選ばれたんですね」

 と嫌味を言われ、その日はずっと一日中手伝いを申し付けられたり、いわれのない非難を受けたり嫌がらせを浴びる羽目になった。



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