13話
「許してください、牧原さん。悪気はないんです」
人の背にナイフを刺してきたというのに、鬼気迫るでもなく朴訥と述べながら彼女は俺の腰に刺さったナイフを引っこ抜いた。
そして間髪入れず再び俺目掛けて飛び込んでくる。
俺とて避ければ良いものを、あまりに唐突な事態にただ漠然と彼女のその挙動を眺めてしまう。
その刃先が間もなく今度は俺の左腰に突き刺さった。
「ぁあぁあああああああああああああああああああああああああ」
俺は異物が皮膚を突き破って内臓へギュニュリと入ってくる人生で味わったたこともない絶望的な激痛に絶叫し、その痛みのあまり倒れ、膝をつく。
「きゃああああああああああああああ」
「うわああああああああああああああああ」
という俺以外のギャラリーによるけたたましい悲鳴が聞こえる。
それとともに俺の中でも『逃げろ逃げろ』と巨大なサイレンのようなキーーーンという耳鳴りも聞こえ始める。
尋常ではない痛みに意識が飛びそうになりながらも、俺は懸命に力を振り絞って、床を這う。
なるべく。なるべく遠く、遠く、少しでも遠くへ逃げようとする。
勿論、無駄な抵抗だった。
筑波さんは止まらなかった。
「ッグゥ、うわあああああああああああああアアアアアアアっ!」
急に背中に鉄球を落とされたような重みがやってきた。俺は床にうつ伏せに強く圧迫される。
恐らく筑波さんが背中に飛び乗って来たのだろう。
先程刺された傷口に情け容赦なくのしかかられる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁああぁ!!!?!?!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
そんな筑波さんの謝罪の言葉なのにどこにも悲壮感を感じない平坦な声が聞こえたかと思うと、それに歩調を合わせるように再び、鋭利な刃物による内臓を抉ってくる攻撃が断続的に降りかかって来た。
「アアアア!!!!!???? イイイイイイイイイイイイイイタイ! イタイ! イタイ!」
「ごめんなさい」
「ッッッッああああああああああああああ!?!?!?!??」
「ごめんなさい」
「アアアアアアアアアぁぁぁあああああああ……う、あああ」
まるで野生動物のような咆哮を喉が千切れてしまうほど断続的に上げ続けていたが、とうとう何十と刺されるうちに俺は痛みの感覚が無くなってきてしまった。
何度も何度も背中をメッタ刺しにされることに慣れが来たから、という筈もなく、単純に人間としての機能や痛覚を喪失し、即ち死が訪れ始めてきたということだった。
筑波さんは絵具をぶちまけたように俺の返り血を浴びているに違いなかった。
それを使用人や奥様、夕木様はそんなおぞましい光景をまざまざと見せつけられているに違いなかった。
そして俺はグニャグニャだった虚ろな視界の残り香さえ、無理に求めるのも億劫になってきた。
自然、トロンと瞼がまどろんできてしまう。
もう、何もかもがどうでも良くなってきた。
そしてやがて最期に。
走馬灯のように地元に残した家内と娘のことを思い浮かべる……、なんてことはなく、なぜか。
『なんだ、結局誰も助けてくれないじゃないか』と、ふと思った。