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思い悩みの悪夢

 大晦日。

 連日テレビを騒がせていた、近隣の通り魔事件は、警察の警戒が強くなったせいか発生の頻度は少し下がっていた。視聴者も同じニュースに飽きてしまったのか、ほかの芸能ニュースなどの方が大きく取り扱われることが多い。事件はまだ解決していないし、自分の身近で起きていることのはずなのに、ニュースの扱いが小さくなるだけで、何となく物事が収束に向かっているような錯覚に陥ってしまう。確か、もう一週間くらい新しい事件の報道はされていなかったように思う。一時期は毎日のように被害者が増えていたということを考えれば、犯人の方も行動を落ち着けてきている。

 しかし、何も起こらないことが安心とは思えなかった。誰かが「解決しました」と判をしてくれない限り、心を鎖で縛られたような拘束感はなくならない。ベランダの視線も、その後進展はなかった。変わったことと言えば、202号室のベランダのガーデニングをまねて、フックで柵に掛けることのできる、半円形の植木鉢がひとつ増えただけだ。

 サクヤはだんだん気にしなくなってきたのか、年末の買い物に言った日以来、コミュニケーションがかなり増えたのだが、あまりその話題を口に出すことはなくなった。

 それに変わるように、俺は不安な気持ちを抱くことが多くなった気がする。

 今朝も夢を見た。

 真っ暗な空間に一枚だけ窓ガラスがある。その窓ガラスは、歩いても走っても、ピッタリと同じ距離感で目の前に存在し続ける。暗い窓の表面は鏡のようになっているが、そこに写るのは俺自身のふたつの目だけだった。自分が目だけの生き物になったように見える。瞬きのタイミングも、視線の動きも同じ。それは確かに自分の目だった。窓ガラスは、じわじわと俺の方に近づいて来ていた。一見では分からないほどゆっくりと、自分の両目が近づいてくる。俺は窓ガラスに背中を向けて走り出した。しかし、俺の視線の方向を先回りするように、必ずそれは目の前にあって、逃げることができない。何が起きるのかわからない。冷静に考えれば、窓ガラスが近づいて来たからと言って、恐ろしいことが起きるとは思えなかった。しかし、自分の両目が写ったその窓は、まるで自分の目だけを奪い取ってガラスの向こうの世界へ取り込んでしまったかに見える。ギチギチと歯ぎしりをしながら、徐々に近づいてくる窓を見据える。今度は自分の全てがその向こう側へ飲み込まれてしまうという恐怖が瞼を瞑らせようとした。しかしどうやっても俺は視界を遮ることはできなかった。既にその目が自分のものではないように、無理矢理瞼をこじ開けられて、その真っ暗な窓が近づいてくる映像を見せつけられる。誰かに向けて「やめろ」と叫んだ。誰にもその声は届かないと言わんばかりに、空間はいっさい音を響かせなかった。いつままにか、窓に写る目は、俺の意志とは関係なく、ぐちゃぐちゃとかき混ぜるように動き出した。血管の浮き出した、本来俺のものだったはずの眼球が、俺自身を飲み込もうとするように眼前まで迫り、ガラスの面が鼻先に触れた。俺はそこで精神に限界をきたし、発狂した。

 夢はそこで醒めた。

 これは、ベランダの視線に対する恐怖心を象徴しているのだろうか。やはり自分ではまだ、その視線を感じたことがなかった。しかしそれが逆に、俺の中で不安な気持ちを大きくもしているのだと思った。

 ずっと昔に、知り合いの少年が言っていた言葉を思い出す。

『自分より不幸な思いをしているやつが目の前にいることが赦せない。きっと少なからず同じ思いをみんなも持ってる』

 と。

 それは自分に対するフラストレーションだ。申し訳なさと不甲斐なさが折り重なって別の感情を生む。

 怒りや不安が、どうしようもなく生産されてしまう。

 まだ何も起きていない。ひどい事件は何も。

 だからこそ、犯人がどんなことをするやつなのか、どんなことをできてしまうやつなのか、俺たちにはわからなかった。

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