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――――串刺し公、と言われたところで「ドラキュラのモデルになった人か」という程度の知識しか持ち合わせていなかったおれは、夢に見たりおじ様から話を聞いたりなどして、串刺し公がどのような功績や逸話を残した人物かを知った。
だが、おじ様と比べ物にならない位現代において世界的にも有名な人物。その名前を聞いた瞬間、おれの知る限り全ての知識が一瞬で脳内を駆け巡った。
――――ジャック・ザ・リッパー。
十九世紀ロンドンにおいて発生した売春婦が次々と殺される事件。
一世紀以上経った現代でも謎は多く、数々の憶測が飛ぶ中で正体不明の殺人鬼を畏怖を持って当時の人々はこう呼んだ。
『切り裂きジャック』、と。
謎の多い事件と犯人から、数々の創作者が多彩な想像力を働かせ、現代も映画や小説にあらゆる姿で登場している、殺人鬼の中でもメジャーな人気者であるその人物。
正体は肉屋であるとか女装した男性であるとか言われていた彼の正体を、まさか亡霊という形で知ることになるとは。
世の中何が起こるか、本当に分からないことだらけだ。
銀髪さんが切り裂きジャック本人であると聞かされたおれの胸中に訪れたのは、知り合いが楽しみにしていたドラマの原作を先に読んで知ってしまったかのような、ネタばらしを見てしまったかのような罪悪感だった。
正体不明の殺人鬼に神秘性を感じている人達に対し、申し訳ない気持ちになる。
おじ様の時は、そもそもが串刺し公についてそんなに知識を持っていなかったため感じなかったが、それなりに名のなる人物であると驚愕やら畏敬で恐々としてしまう。
亡霊の恐ろしさを、知名度的な面から実感するおれだった。
『文明の発達ってスゲェなぁ…………ネジ捻るだけでお湯が出るなんてな』
泡のついた長髪を洗い流されながら、目の前のシャワーノズルをじぃっと眺める、精神病者やら医者などと推測されていた殺人鬼。
犬轡を外したその顔は端麗、という言葉が似合いそうな大学生位の青年の貌だった。
顔から逞しさが滲み出ているおじ様と比較すると、若干悍ましさが含まれているその顔立ちから、『普通』に生きてきたのではないという彼の生涯が垣間見れる。
その証拠にと、切れ長の双眸は現在シャワーへの好奇心と心地良さに和らいでいるが、眼光自体は射抜くように鋭い。
青色混じりの銀髪もあり、街中で歩いていれば職務質問されそうな、ちょっと危ない雰囲気のある青年だ。
だが締まる所は締まった体格といい全体的に整った顔立ちといい、役者という肩書きがあるなら女性に相当モテる事は確実だろう。
そんな彼が、たとえば夜中弱っている状態で売春婦に声をかけたならば。
――――それなりのイケメンであるし、もし声をかけられたのが知り合いならば即座に家に上げるだろうな、と。
そんな事を考えながら、おれは輝く銀髪から滴る湯を軽く絞った。
――――まあ、無防備に背中を晒しているあたり、今のところ実害はなさそうであるし。
吸血鬼から庇ってくれたこともあるので、有名な殺人鬼であれどそんなに警戒しなくていいかなと、髪を洗ったついでに銀髪さん、もとい、『リッパー』の背中を洗い流そうとしたおれは、ふと気付く。
――――亡霊は生者に触れられないが、亡霊持つ物に関しては触れるんじゃなかったか?
吸血鬼には槍もナイフもすり抜けていたので、倒錯者については別枠として考え。
トラックに乗っていた時のこと。
あの時おじ様はトラック内の座席に『座る』という方法でトラックに触れていたのだが、そのトラックは通常通りに動き、鋭撃班も普通に使用出来ていた。
ということは、生者には亡霊が触れた物には触れることが出来るのではないだろうか。
おじ様とおれ以外が触れると串刺しにされるという、十字架槍を除き――――たとえば本や、タオルや、ナイフなど。
――――…………ナイフ。
一気に不安が胸の中に募った。
殺人鬼の背中を流しながら、おれは考える。
――――彼を、普通に歩かせていて大丈夫なのだろうか。
連続猟奇殺人犯であるならば、少し目を離した隙に二、三人くらい新たな犠牲者を出していそうであるが――――そんなおれの心配を雰囲気で汲み取ったのか。
背中を流されている切り裂きジャックは軽薄な微笑を湛える。
『言っとくけどオレは理由ありきの殺人鬼だからな? 理由もなく人殺したりなんかしねぇよ。化け物は解体すけどな!』
「……はあ」
『疑ってるよな、それ…………』
半信半疑だ。
というのも、おれを『末っ子』と呼び、おれの『兄』という立ち位置を何故か主張していることから、おれに害を及ぼすつもりはないということは分かるのだが――――他の、たとえば扇子の子や水着さんには何かしそうだと。
女性ばかり狙って殺した前科があるため、不安で仕方が無いのだが。
理由なく人を殺したりしないと宣誓しているリッパーは、『あのなぁ』と顔を背後のおれに向け、弁解するように口を開く。
『ホワイトチャペルの時もオレは理由があって殺しただけであって、後世にオレの模造犯だとかで人殺しをした快楽殺人犯とは違うんだぜ? そりゃあ解体すのは好きだし殺し合うのは嫌いじゃねぇけどよ、クソ親父よりかは常識持ち合わせてるぜ?』
「…………確かに」
道中拷問部屋はあるかなとか、二言目にはバラすという言葉が出てくるような人物ではあるが、振り返れば彼はおじ様よりは大人しかったと記憶している。
口は悪いが礼儀知らず、というわけでもないし、話せばわりとしっかりした印象のある人物だった。
…………拘束衣に犬轡という服装はいかがなものかと思うが。
そういう面から考えれば、前科はあれどリッパーはまともだろうか。
短気なところもあるけども、と正面の鏡越しにリッパーの表情を伺えば、おれの視線に気付いた彼はにかりと笑って言った。
『まあ、これから何でも知っていけばいい。そりゃあ突然殺人鬼に信頼しろと言われても、疑わしいだけだしな』
「ぬぅ…………」
『だけどオレはお前の味方だぜ、末っ子。お前が今後何があろうと、オレはお前の兄貴だからな』
宥めるようにも、誓っているようにも聞こえるその言葉は鏡越しにも分かるくらい真っ直ぐで、殺人鬼とは思えないほどの誠実さに溢れていた。
返事をする事も、頷くこともせず、ただ投げかけられた言葉を受け止めたおれは、おれの兄と名乗る殺人鬼におじ様と同じ様なものを感じて、呆然と不思議に思う。
何故、彼はおれをさも身内のように扱うのだろう。
何故彼は、おれの味方だというのだろう。
父と名乗るおじ様も、そうであるが。
おれに味方することで得られるものは、何もなく。
おれに味方するほどの価値など、おれには無いのに。
『よぉし、末っ子! 頭洗ってやるよ…………って、そんなに身構えなくても何もしねぇよ』
「う、うぬ…………」
体を流し終えてこちらに振り向くリッパー。
散々殺人鬼の話を聞かされ構えてしまったおれを見て失笑した彼は、おれが使っていた座椅子をトントンと叩き『まあ座れよ』と誘う。
兄という肩書きに拘っているようだし、吸血鬼から庇ってくれたこともあるので急に攻撃したりはしないだろうと判断したおれは、おずおずと彼が促す座椅子に腰を下ろす。
頭を洗う、と言っていたので作業しやすいように背中を向けた方が良いだろうと考え、殺人鬼の彼に背中を向ければ、シャワーから出るお湯の量を調節したリッパーはおれの頭に手を添えた。
大きくて少し固い、温度の低い手だった。
その手はおれを寝かしつける時の、おじ様の手に似て――――優しかった。
『そぉら流すぞー』
リッパーに比べればかなり短い、うなじまであるおれの短髪。
シャワーを当てがいながら髪の間に指を入れ、地肌をマッサージするようにして頭皮を揉んでいく彼の手つきは、労るようで。
硝子細工に触れるような繊細さで髪を梳いていくその手際は熟れており、心地好く。
ひたすらに優しくて、何故だろうか。
胸が苦しくなるほど、安心出来た。
――――確かにこの人は殺人鬼なのだろうけども。
『泡つけるぞー』と一言断りを入れてから、髪にシャンプーを馴染ませていく彼の声から、その手から、纏う空気から。
多分、そう、おじ様のように。きっと。
――――根っ子からの悪い人、ってわけじゃないんだろうな。
と、思った。
『――――というわけで、一緒に体とか洗い流しあってた』
『貴様なんだそれ我もやりたかった』
本気で羨ましがっているおじ様に、班長さんが残念なものを見る目でおじ様を見ていた。
続いて「どうしてテメーが絡むとああなるんだ」と言わんばかりに不可解だと物語る目をおれに向けてきたが、おれは静かに首を横に振る。
そんなことは、おれが一番知りたい。
『では次は我が我が子の背を流す。それで良いな?』
『いいぜ、順番な。ローテーションしていこうぜ。次は親父、その次はオレな』
知らぬ間に本人を抜いて話しを進めている亡霊二名に、何故そうおれと風呂に入りたがるのか分からず怪訝に小首を傾げていると、おれが入浴している間にテーブルに広げていた書類を手早く纏めた班長さんは、おれに一枚のカードを差し出した。
何も考えず受け取る。カードはプラスチック製で、家の鍵ぐらいの重さがあった。
「この部屋のルームキーだ。今日からテメーはそこの亡霊共とこの部屋を使うことになる」
カードの裏面に目を通していたおれは顔を上げる。
まだ湿っている前髪の隙間から見えた班長さんは小脇に書類を抱えて、使用していた椅子をテーブルの中へ仕舞っていた。
「ここの組織に所属するヤツには一人一部屋渡される。部屋は個人で好きに使っていいが、隣の部屋まで壁を貫通させるようなくだらねー事はするな」
――――いたのか。壁を貫通させた人が。
口振りから察するに、過去に実行した人がいたらしい壁貫通についてするなと、忠告した班長さんは玄関に視線をやる。
「ついてこい。医務部まで案内してやる」
そういえば、組織に保護された人は健康診断を受けないといけないんだったけ――――と。
いつの間にかおれが所属することを前提に発言している班長さんの行動に納得するおれは、一つ頷いて先を行く班長さんについていく。
おれとお揃いで、脱衣場の棚に置いてあったジャージに身を包んだおじ様とリッパーも、食事の時の座り場所についてああだこうだと話し合いながらおれに続く。
彼らはいつまでおれを主題に話し合っているのだろうと気になったが、玄関で靴を履いたところで班長さんが口を開いたのでそちらに意識を向ける。
「斜向いは俺の部屋だ。俺に用が有る時は大概部屋か図書室にいる。用がある時だけ来い」
『ほう。意外に近いのだな』
「…………技術部の馬鹿共に部屋を爆破されたからな」
おじ様の問いかけに対し、忌々しそうに応えた班長さんがしきりに技術部に用がある時以外は関わるなと言った理由の一つを悟ったおれだった。
「ついでに一通り見ていくぞ」
医務室まで送るついでだ、と言う班長さんの後に続き、組織に所属するSF所持者が住まう住区の一つ上の階に来たおれと亡霊二名は宣告通り、片っ端から班長さんによって施設内をガイドされていく。
天井に届く程の棚を全て覆い尽くさんばかりの書物が納められた図書室から、見た事のある前衛部隊の面々がのんびりと過ごしている広い談話室。
それから組織に所属する者なら無料で使えるという食堂を訪れたところで、左手首に着けた腕時計で時刻を確認した班長さんは唐突に。
「軽くメシ食っていくか」
と言った。
「…………メシ?」
なんというか、本当に唐突だったため彼の言葉に頭がついていけず、ぼうっとしながら聞き返すと、眼鏡の位置を整えながら班長さんは淡々と。
「もうじき夕食を食いに他の奴らが集まってくる。そうなる前に軽く食っときゃ後で席が空いた頃にゆっくり食えるだろ。どうせあのクソ医者は暇してんだ。待たせたところで問題はねー」
待たせて良いのか医者を。
ツッコミたいところのある発言をして「適当に選んで頼め」と端的に告げる班長さんは、紅茶とサンドイッチを頼んでいた。
彼も軽く食事をするらしい。
医者を待たせるなんておれからすれば常識外れな行為であるが、班長さんの態度から読み取るにここの医者は待たせても良いのだ、らしい。
いや、普通は待たせるなんて無礼なことしてはいけないのだろうけど。
おれ個人としては早く家に帰りたい気持ちがあるため、健康診断を終わらせたらさっさと元の世界に帰る方法を聞いて帰りたいのだが、班長さんはおれを早く帰らせる気は無いのか。
それともここは一言早く帰りたいと進言するべきか。
「…………ぬ」
少し迷うおれはだが、注文カウンターの奥。厨房の辺りから漂ってくる香ばしい香りに意識を取られる。
………………食欲のそそられる香りだ。
――――いや、それより四日も家を空けているのだからさっさとやる事を済ませて家に帰った方が良いか。
……………………だが、けれども。
なんだか…………非常に美味しそうな、匂いで…………。
「……………………うぬ」
……………………………………うん。
「…………親子丼と味噌汁お願いします」
「あいよぉ! おっ、兄ちゃん新顔だな? どこに配属される予定だ?」
「…………未定です」
結局おれは食事をすることにした。
班長さんに習い、注文カウンターに立つ壮年の鉢巻が似合うオジサンに食べたいものを注文する。
思えばこの数日、マトモな食事を取ったのは勇者さんからもらったおにぎり二つだけだった事を思い出した。
思い出したら、思い出した分だけ空腹感を心なしか感じる。
なんというか、空腹には勝てなかったということだ。
やっぱり人間、食事をしないとならない。
生きていくために。…………うぬ。
『紅茶は有るか』
『オレはフライドポテトな』
さり気なくおじ様とリッパーも注文していたが、最早彼らの自由さにツッコミなどしない。
キリがないので。
ここの食堂はカウンターにて注文をし、商品を受け取る仕組みになっているようだ。
水はセルフサービス。座席はカウンター席もあるが、基本は長机に横並びになって食べるようである。
「はいよ! 兄ちゃん親子丼と味噌汁一丁!」
「ありがとうございます」
お盆に乗せられた出来立てほやほやの親子丼と味噌汁を受け取り、班長さんの座る席の前に断りを入れて軽食を置く。
それからおじ様達が食堂のサービスについて理解しているか不安になったので、席を離れ注文カウンターまで様子を見に行けば。
『…………して、これはもしや自ら配膳する仕組みか? …………長男。我の盆を持て』
『オイコラクソ領主。テメェ自分の盆ぐらい自分で持ちやがれ』
『故に命じておるのだろう。盆を持てと』
『よし、解体す。今この場でテメェを解体す。動くなよクソ領主様よォ…………!』
『その言葉は我に反逆の意思があると取り即刻刑に処すが…………余程極刑に架けられたいと思える――――最後の晩餐は済ませたか、下民』
――――盆を運ぶか運ばないかで、今まさに殺し合いが始まろうとしていた。
会話の内容から、自分で配膳するという行為をしたことがないおじ様が当然の様に盆の運送をリッパーにやらせようとしていた様だが、リッパーは自分でやれと断ったそうだ。
確かに。リッパー自身が言っていたように、現代に適応しやすいという意味でまだ近代生まれの亡霊であるリッパーの方が常識があると言えるかもしれない。
風呂場での会話を思い出すおれは、だけどと、対峙し片や十字架槍、片や小型ナイフを取り出した亡霊に嘆息を吐きたくなる。
何故、そう、血の気が多いのか。彼らは。
「…………おじ様。リッパー」
シャワーで流れたはずの疲労感が蘇るのを感じながら、注文カウンターのオジサンの助けを求める困った視線を受けるおれは、一触即発の空気を纏う串刺し公と切り裂きジャックの間に割って入る。
手にはそれぞれ盆に乗った、おじ様の注文した紅茶のティーセットと、リッパーの注文したフライドポテトを持って。
互いを睨んでいたおじ様とリッパーの視線がこちらに向けられたところで、おれは粛々と双方に注意する。
「食事所で、争わないで欲しい。ここは食事をする所だ。やるなら表でやって欲しい。盆はおれが運ぶ」
『ぬぅ!? 我が子よ、その心遣いは良いがお前は何もせずとも良いのだぞ!?』
『そうだぞ末っ子! お前はゆっくりメシ食っとけば良いんだぜ!?』
…………何故か。
いや、本当に。
不思議な事に、おれが盆を運ぶと言うと、先程までの険悪な空気はどこに行ったのか。
そもそも先程の主張はどこへ消えたのか。
自分で急に盆を運ぶと言い出したおじ様とリッパー。
どういうことか必死である彼らを怪訝に思いながらも、そもそも問題になるくらいならばおれが盆を運べばいいと考えているおれは「問題ない」と言い。
「食事の用意をする事には慣れてる」
『………………………………』
『………………………………』
「…………おい。何で亡霊共は揃いも揃って目頭押さえてんだ」
「…………さあ?」
お盆を運び終えた後、おれの両隣で天を仰ぐかもしくは顔を伏せながら何かを堪えるように目頭を押さえているおじ様とリッパーは、しばらく席に座ったまま停止していた。
奇妙な物を見るような半眼を向けてくる班長さんに、首を傾げるしかないおれはひとまず、親子丼に手をつけることにする。
久々のまともな食事。
冷める前にいただきたいところである。




