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『やはり性懲りもなく現れたか、怪物』
「ぉっふうぅぅっ…………」
小脇に抱えられること数分。
おじ様が屋根を移る度に腹部に負荷をかけられ内臓を圧迫されていたおれは、唐突に宿泊に使おうとしていた家を飛び出したおじ様の目的地で前屈みになって嘔気に耐えていた。
もしここが路上なら吐いていたかもしれないが、生憎とおじ様によって運ばれた場所は比較的街中でも新しいお宅の屋根上である。
他人のお宅の屋根に吐瀉物を撒き散らすテロ行為はしたくないので、唾液や空気を飲み込むことで場を凌いでいた。
ただでさえ夕方の化け物との遭遇で全身打ち身と擦り傷だらけ。
その上肩にのしかかる様な疲労感と見て見ぬ振りをしている空腹感で体力が削られているというのに、この仕打ち。
それでも一滴たりとも消化器の内容物を戻していない自分に、良く頑張ったと自画自賛する事で現状に対する理不尽を受け入れていた。
――――うぬ…………よく吐かなかった、おれ……。
長いようで短かった雑な運搬方法でおれをここまで連れて来たおじ様はというと、傍らで仁王立ちし、現在おれが酸っぱい風味のジャムパンを飲み込んでいる場所から見える位置にある公園を眺めていた。
吐気も落ち着いたところでずっと握り締めていた十字架槍を握ったまま、おじ様の視線の先を辿れば――――そこには。
巨大なトカゲの、化け物がいた。
「…………あれ、は?」
薄灰色の皮膚に覆われた、全長二メートル程の巨大なトカゲ。
鼻にあたる部分に人間の眼があり、額からは触覚のように人間の腕を二対生やしたそれは、開きっぱなしの赤い口から粘液と共に地面へ垂らした長い舌を、ずるずると引き摺っていた。
頬から尾にいたるまでの体の両側面を無数の凹凸が蔓延っており、血管の様な筋が一面に浮き出た背中には、土気色の液体の様なものが循環しているのが見える。
夕方に遭った寄生虫と同じ雰囲気を持つが、ベースとなっている生物は違う、悪夢のような生き物は、人気の無い公園内を這い蹲っていた。
それも、三体も。
『ふむ。程々の雑魚であるな。食後の運動程度には最適であろう』
誰の食後の運動か。
それを訊くにはおれは化け物の存在に衝撃を受けていたし、何よりおじ様がおれをこの場に連れ出した理由を薄々感じていたため敢えて口を閉ざしていると、おじ様はおれに手を差し出す。
『では蹴散らしがてら、お前の力を証明しようではないか』
「おぅふ…………」
やっぱりか、と予感が当たったおれは肩を落とした。
やはり、おじ様はおれを戦わせるためにこの場に来たのか。
どうして建物の中にいて何メートルも先の化け物の居場所が分かったのか、不明だが。
おれにおじ様のような力があるのか。
わざわざそれを証明するために、ここまでおれを連れてきたのか。
こんなおれのために、わざわざ。
「…………おれにそんな力とか、才能とか、そんなのあるわけがないじゃないですか」
おじ様がおれのことを考えてやった行動。その中に込められた期待に応えられる様な結果は残せないと信じているおれは、おじ様の行為に申し訳なさを感じ、差し伸べられる手から目を背ける。
「おれに、そんな凄い才能なんて…………」
あるわけが無い、と呟いて薄暗い公園の中を這い回るトカゲの化け物を見下ろす。
公園にあるたった一本の街灯。
それに群がるように周囲を徘徊する化け物達は、誘蛾灯に群がる虫のように思えて、同時におれに似ているようにも感じた。
届けば身を焼くと知りながら、それでも眩しく輝く光を求める、浅ましさが。
「…………貴方がおれを知っているというのなら、分かっているはずです。おれが最初から欠けて産まれたことも、人より劣っていることも。
おれに期待を抱いているみたいだけど、おれには期待に応えられるようなものは何一つ持っていないことも」
誰かに触れられぬように、悟られぬようにと、伸ばした前髪で隠した両眼に手を当てて、出来損ないの証拠が確かに存在していることを確認する。
持って産まれたこの目のせいで、と自分の体を憎むわけではないが、おれが自分を嫌いになる理由の一つにはなっているこの眼のことも、おじ様は知っているはずだ。
出逢った時に赤子の頃からおれを知っていると言っていたのだから、おれがいかに出来損ないなのかも、知っているはずだ。
――――なのに、何故。
「何故、貴方はこんなおれを信じるんですか。
出来損ないで、何の取り柄もなくて、何も出来ないこんなおれを」
何故、貴方はおれの全てを信じているのか。
胸の奥で突っかかっていた心からの疑問を吐露すると、静寂が訪れた。
聞こえるのは頬を撫でる微かな風の音と、這いずり回る化け物の足音。
しんっ、とした屋根の上で公園を見下ろすおれを、おじ様は黙って見つめていた。
自分で作った重い空気がいたたまれなくて、おじ様の方から体を背けるおれは、十字架槍を手にただ化け物に占拠された公園を眺める。
数秒程して、おじ様は言った。
『帰るか、我が子よ』
その、ひどく平淡な声音におれは―――ああ失望されたかな、なんて諦観し。
それでもおれを我が子、と呼ぶおじ様はやっぱり――――おれを信じたいんだろう、と。
揺るがない意思に少し嬉しくなりながら、おれを護ると言った人の期待を裏切った自分への嫌悪に、
――――溺れる。
(…………やっぱり、おれはどうしようもない出来損ないだ)
自分の卑小さにつくづく呆れ果てながら、依然としておれへ右手を差し伸べるおじ様の方へ足を向けた。
今、おじ様がどんな顔をしているのか。
それを知るのが怖いおれは伏せ目になりながら、視界に移る彼の冷たい右手に自分のちっぽけな手を重ねる。
ひんやりと冷たい彼の手は、おじ様が亡霊という肉体を持たない過去に亡くなった人である暗示していて、おれから手を伸ばさなければ触れる事すら叶わない曖昧なその存在は儚く感じた。
そんな彼が造り出した十字架槍を右手に携え、左手におじ様の手を握ったおれは――――あれ、と。
違和感を覚える。
(確か、おじ様の手に一番最初に触った時は…………)
突然、おれの傍に現れた亡霊。
一番初めはただの変わった人だと思っていた彼と、化け物を倒すため共同戦線を引いた時に交わした握手は。
その時、おじ様の手は――――日向のような温かさがあったのに。
何で、こんなにおじ様の手は冷たいんだ?
この屋根上に連れて行かれる時には気付かなかった些細な違い。
それに気付き思考のため動きを停止したおれに、水道水の様に冷たい手をしたおじ様はガッシリとおれの手を握って。
『雑魚を串刺しにしてから、帰ろうぞ』
次の瞬間、おれはおじ様にぶん投げられた。
「…………ぬ?」
わけがわからず間抜けな声を上げたおれの目に映るのは、逆さまのおじ様。
全身を包む浮遊感と、耳元を通り過ぎる風を切る音。
ふわっと放物線を描くおれの体。
全てが逆さまになった世界の中で、すぐ近くに鳥肌が立つほど醜悪な化け物の姿を捉えたおれは、視界から遠のいていくおじ様に「嘘だろ」と疑惑の目を向ける。
おじ様はいわゆるドヤ顔というもので、親指をグッと立てて一言。
『Good rack!!』
無駄に発音の良い激励の言葉に、「いやグッドラックじゃないから」と心の中で抗議した。
「ぬ゛ごブッ――――!?」
ズシャアッ――――と砂場に頭を突っ込む形で落下したおれは、口の中に入った砂を吐き出しながら体を起こす。
歯を噛み合せるとじゃりっ、という砂の音が脳内で響き、不快感から思わず顔を顰めた。
風呂上がりで半乾きだった髪にもべったりと砂が纏わりつき、気持ちが悪い。気分としては最悪だ。
化け物の中に放り出された現状も、最悪だが。
「「「――――――――!! ―――――――――!!!!」」」
「っ、う」
ぎょろんっ、と。
厭な視線が三つ。同時におれへと注がれ、一斉にに全身の産毛が逆立った。
夕方の化け物とは異なる、感情を感じない無機質な目。
悪意が無いだけマシかもしれないが、それが一層トカゲの化け物の不気味さを際立たせており、一瞬心臓が止まる。
だが直ぐに「逃げなければ」という思考に至り、おれは脱力していた両脚に渾身の力を込めて砂場から抜け出した。
手にはおじ様から預かったままの、十字架槍を握り締めて。
「「「――――!! ――――――――!!!!!」」」
逃げるおれの後を追いかけてくる化け物達。
舌を引き摺っていはずなのに、おれを追跡する化け物の移動速度はおれが屋根上から観察していた時より速く、すぐ背後に接近されていく感覚に恐怖心が煽られた。
もつれそうになる足を動かして、おれは走る。
とにかく、逃げなければ。
この化け物達から逃げて。
逃げて、逃げて、そして――――
『――――何故、生き延びたいと思う』
「ッ、おじ、さ」
すぐ隣でおれを屋根上から放り投げた張本人の声が聞こえて、いつの間に近くにいたのかと驚きながら、疾走するおれは左隣を見る。
どうしてこんな事をしたのか――――そう問い質そうと開いたおれの口は、涼しい顔で並走するおじ様の様子に言葉を失う。
並走というか、スケートみたいにおじ様は地面を滑っていた。
よくホラー映画で見たことあるような感じで、スイーっと、おじ様はおれの隣を滑っていた。
亡霊の力をフルに活用した移動方法に「そんなのありか」とおれは叫びたくなる。
俺が必死こいて走ってるのに、そんなのありか。
『力もなく才能もなく、己を出来損ないと蔑み卑下しながら、しかし何故お前はこうして逃げるのか』
おじ様は問う。懸命に走るおれに向けて。
正直質問に答えるどころではないおれはおじ様の問いかけを聞きながら、化け物を撒こうと滑り台を駆け上がる。
『己に価値を見い出せぬと諦めながら、何故お前は今、生きようと足掻くのか』
階段を上がりきると、鉄で出来た滑り台の斜面からトカゲ型の化け物は這い上がって来た。
荒い、化け物の息遣いが目視できる。
びちゃびちゃと化け物が零す唾液は異様におぞましくて、吐き気が胸中で渦巻いた。
『放り出し逃げれば良いものを、何故お前は手放さすその手に掴み続けるのか』
滑り台から飛び降りる。
着地と同時に足裏に電撃の様な衝撃が走り、ぎしりと関節が軋んだが、構わずおれは走り出す。
手の中にある十字架槍はその長さ故に逃走時に嵩張り邪魔になる。
しかし、おれはこの手を離せられない。
自分でも理由は分からないが、どうしてもこの槍を手放すことは出来ないのだ。
何が、あっても。
『何度自分を責め、憎み、疎み、嫌悪してもなお――――なぜ、死を拒むのか』
ジャングルジムに足を掛けて、登っていく。
冷たいジャングルジムの棒に手のひらから体温が奪われる。
息は切れて、夕方に無茶した全身の骨肉が悲鳴を上げていた。
うわぁん、と金属の円盤が回転している様子を髣髴させる耳鳴りが脳内に木霊する。
軽く眩暈を覚えながら、迫る化け物から逃れようとおれはジャングルジムの頂上を目指す。
『なぜ、苦悩の中でそれでも進み続けるのか』
頂上に着いたおれに囁くおじ様を一瞥して、ジャングルジムの下層を見下ろした。
三体の化け物は団体行動をやめ、三方向からジャングルジムをよじ登って来ている。
そこでおれはジャングルジムから降りようにも行き場を全て化け物に塞がれ、自分に逃げ場が無いことに気付いた。
後悔をする。どうしてジャングルに登ったのか。
これなら早く、公園から脱出した方が良かった。
『なぜ、幾度苦境に追い詰めたとしても立ち上がるのか』
ずるぅっ、と体を引っ掛けながら登る化け物は、徐々に頂上へと迫ってくる。
自分の命の危機を目で、耳で、肌で、本能で感じ取るおれは震える指先を抑え込むように十字架槍の長い柄を握る。
ドッドッドッ、という心拍音が、和太鼓のように体内に響く。
冷や汗が浮かんで、自分の息遣いを耳元で感じた。
そんなおれに語りかけるだけのおじ様は、つらつらと言葉を並べるだけで、何か手出ししてくる様子はない。
おじ様の目的は何なのか――――それは彼の唱えるさり気なく挑発的な質問に全て隠されているのを、おれは既に感じ取っていた。
おじ様が今、おれに何を求めているのかも。
同時におれは悩んでいた。
このままおれは、おれが今一番やるべき事をしてもいいのか。
本当にそれでいいのか、を――――
固く握り締めた十字架槍からじんわりと、温かさを獲るおれはぶらんっと揺れる人の腕をした触覚を人形のようだと思い、恐怖を増幅させれ。
『なぜ、生きようと思うのか』
現実から逃れるように眼を閉じ、恐怖心の奥底で燻っている“それ”と対峙して。
生きる理由を想い、化け物に向けるものより圧倒的な自分のへの恐怖をねじ伏せ。
『何故、お前は生きる?』
「――――それは」
おれは――――認めた。




