リーズロッテ視点: ~あなたの隣にいたいから~
シャルとウィズワルド様の誕生日が明日へと迫っているのだけれど、私の気持ちは晴れていません。梅雨のように、私の心に悲しさと悔しさの雨が止むことはありませんでした。
私がダンスをお誘いした時のウィズワルド様のお困りになった顔。ウィズワルド様のお困りになったような顔を思い出すだけで、冬薔薇の棘が心に突き刺さるよう。
それに、シャルがウィズワルド様のために一生懸命、誕生日会の準備をしている。そして、隠し事が苦手なシャルだから、ウィズワルド様は何かを感じ取ったのでしょう。そして、ウィズワルド様はシャルの兄として、心配をして私に話をされに来たのでしょう。
それなのに私は……。
ウィズワルド様の妹を心配されている気持ち。シャルのウィズワルド様に元気になって欲しいという気持ち。その両方を私は利用しようとした。やっと到来した春を喜び咲き誇る野花を、無慈悲に踏み潰していく車輪の如く、私はお二人の気持ちを踏みにじってしまった。
ウィズワルド様の隣に立ちたいという淡い恋心はいつのまにか、高利貸し屋のような強欲な心へと変わってしまっていたのかも知れない。恥知らずとは、私の為に作られた言葉であるようにさえ思える。
シャル、アルス様、ヴィオラとの楽しいはずの昼食であるにも関わらず、食欲もなく、憂鬱な時間となる。
「いよいよ明日ですね。それにしても、随分とシャルロット様は料理が上達されたと思います。きっと明日は、ウィズワルド様も大喜びです」とヴィオラが楽しそうに話をしている。
あぁ、ヴィオラが羨ましいと思うのも私の心で燃え盛る強欲なのでしょうか。ロマネスク公爵家にお生まれになったとウィズワルド様と、ハイネルラル公爵家に生まれた私。「家」というものが私の前に立ちはだかるならいっそそれさえも捨ててしまいたい。自由なヴィオラが羨ましい。いえ、羨ましいというような生易しい感情ではありません。いけないとは思いつつも、妬んでしまいます。
「そ、そうかしら。お兄様は美味しいと言ってくださるかしら……。私が料理をすることに、公爵令嬢として恥ずかしいと仰るようなお兄様です。作った料理にも、手も付けてもらえないんじゃないかしら……」とシャルは涙目で言います。さすがのアルス王子も、困った顔をしています。
「シュルロット様。それは何度も説明したように、シャルロット様の誤解です。大丈夫です。それに、最後の隠し味。最高のスパイスを用意しています!」とヴィオラは自信満々に言った。
「それはなんだい?」とアルス王子が興味津々で訪ねます。そういう私も、心の底から知りたいです。実は、三人には内緒にしていますが、私も手作りのクッキーを焼く練習を始めています。食後にでも一口、ウィズワルド様に食べていただけたらどれほど嬉しいか。主食をウィズワルド様のためにご用意するは、頑張っているシャルに悪い気がした。だから、食後に紅茶と一緒に食べるクッキーくらいなら……。
『私も実は、ウィズワルド様のためにクッキーを焼きたいわ』と、何でも無いように装って、三人に言えればどれほど気持ちが楽か……。
「それは、空腹です! 空腹は最高のスパイスなんです! お腹空いていたら、何を食べても美味しいと感じるんですよ」
ヴィオラの明るい声が木漏れ日を揺らした。
「それは、私が作った料理が……」とシャルは心配そうにヴィオラを見つめます。
「そういうことでは無くてですね、美味しい料理がもっと美味しくなるんです! 魔法をたくさん使った日、魔力切れの後の食事って、いつもより美味しいと感じませんか? それが空腹というスパイスなんです!」
「言われてみれば、無我夢中で食べているような気がするかな」とアルス王子は答えました。そして、私もシャルもその言葉に頷きます。
「つまり、ウィズワルド様に、誕生日の前に魔力をたくさん使ってもらえば良いということね?」
武闘会では、私はウィズワルド様と戦ってはいない。来年の武闘会を待っても良いのですが、これは滅多にない機会ということでしょう。私は、ウィズワルド様の隣にいたい。すっと私の心の靄が消えて行きます。
そうです。くよくよしていても、それは栓無きこと。私たちは貴族。民を守るための存在。力が全てとは申しませんが、民を守るためには力が必要なのもまた事実。
ウィズワルド様と戦って、勝つ。ウィズワルド様のお優しい心を利用してダンスを申し込むなど、そんな卑劣な手段ではなく、正々堂々、戦えば良いのです。
「その役目、僕が引き受けた!」
「いえ、私が。アルス王子。王城で開かれる誕生日会ということですので、アルス様は、王城でゆるりと来賓の方々をお迎え入れていただくという大切なお仕事があるように思われますが」と私は言います。
アルスが王子であるといえど、これはお譲りいたしませんわ。
「あの……私じゃだめですか?」と、ヴィオラが恐る恐る手を挙げました。
「ヴィオラはこの前、武闘会で戦ったよね。独り占めは良くないと思うけどね」とアルス王子はにっこりとヴィオラに向かって微笑まれていますが、眼が笑っていない。アルス王子も、どうやらウィズワルド様と戦いたいというお気持ちは本物なようです。
「そうよ、ヴィオラ。私たちはAクラスで、Bクラスのウィズワルド様と授業が別だから、なかなかお相手していただける機会がないの。ヴィオラは武闘会で戦ったのだから、ここは譲っていただけたら嬉しいわ」と私もヴィオラに追い打ちを掛けます。
「そ、そうですよね……」とヴィオラは挙げた右手をゆっくりと下げていきます。ヴィオラは残念そうにしていますが、私としても譲りたくはありません。
「私もお兄様と久しぶりに鍛錬をしたい」とシャルも言い出します。
もう、シャル。親友の私を応援してよ、という気持ちがないこともないのですが、シャルはそういう性格なのは昔からです。
「シャルは、料理に専念しておくべきじゃないかな? きっと、シャルの料理を食べたら元気になって、また家で訓練を一緒にやってくれるのじゃないかな」
「それに、料理は作りたてが美味しいのよ?」と私もシャルを説得します。
「そうね……。欲張ったら駄目ね。じゃあ、スパイスの件はお願い。美味しい料理を作ることに専念するわ」
「シャル。任されたわ」と私が答えている時に「任された」と、アルス王子も言います。
「アルス王子。ウィズワルド様の件は、私が任されたのですが?」
「いやいや、リーズ。シャルは僕に頼んだのだよ」
アルス王子。その目が笑っていない笑みは、ヴィオラには通じたかも知れませんが、私も貴族の端くれ。時と場合によっては、王族と対等に渡り合わなければならないハイネルラル公爵家の娘。そんな威圧は私には通じませんわ。私も、舞踏会において氷の微笑と讃えられる、粗相を働いた殿方を蛇に睨まれた蛙の如く固まらせることのできる笑みを、アルス王子に負けじと返す。
お互いに譲らないという気持ちが強すぎて、魔力がお互いの瞳から放出され、そしてそれがぶつかり火花となっていますが、仕方のないことでございます。
「アルス王子。どちらがウィズワルド様と戦うか、決める必要がありますわね」
「あぁ。僕もそう思うよ」
「あの、戦うというより、目的はウィズワルド様に魔力を使っていただいて空腹になってもらうということですよね。何となく先ほどから殺気が混じっているように思えるのですが」とヴィオラが恐る恐る呟く。
「アルス、リーズ。二人で協力して、お兄様をしっかりと空腹にして欲しいかな。私、お兄様の舌を満足できるような料理を作れるか自信が無くて……」と、シャルは私達の鍔迫り合いを気にしている様子はなく、ただシンミリとしてしまいました。
そんな状況では、私もアルス王子を差し置いて、というようなことはできない。結局、アルス王子がウィズワルド様を呼び出すということになった。
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予定通りの時刻。私は森の中で、ウィズワルド様とアルス王子を待ちます。見つかってはいけませんので隠密魔法を使って私の気配を完全に森の中の溶け込ませます。ヴィオラも隠蔽魔法を使ってこっそり付けているのは知っていますが、ここは気付かない振りです。ヴィオラは隠蔽魔法に関して言えば、魔力のムラがありますね。時折、ヴィオラの強大な魔力が幽かに漏れてしまっています。
「そうですか。では、話を変えましょう。私は、2つの頼まれ事をされているのです。それを果たさなければ、私の愛しい人から叱られてしまいます」
「その内容を伺っても?」
「1つ目は、ただの伝言です。『今晩、夜7時に必ず王宮の鏡の間に来てください』。確かに伝えましたよ?」
「それは誰からの伝言でしょうか?」
「それはお答えできませんね」
「それでは、もう一つの頼まれ事というのは、何でしょうか?」
ウィズワルド様とアルス王子と会話が進んで行きます。どうやら、ウィズワルド様も警戒を始めたようです。流石はウィズワルド様。隙がありません。アルス王子も、どう攻めてよいのか戸惑っているご様子。
仕方ありません。ウィズワルド様の予想外の事を起こす。そうすれば、必ず人というのは隙が生まれるというもの。
「その事は、私がお伝え致しますわ」と、私は隠密魔法を解除してウィズワルド様に声を掛ける。
「これはリーゼロッテ嬢。どうしてこんな場所に?」
流石に私もこの森の中にいるということに驚いているようです。
「私も、ある人から頼まれ事を致しましてね。それを果たしに参りましたの」と私は最大級の愛情を込めてウィズワルド様に微笑む。
「アルス王子も、リーゼロッテ嬢も、頼まれ事が多いのですね」
それにしても、アルス王子は仕掛けませんね。折角私の登場でウィズワルド様に隙を作ったのですが、その好機を逃がすとは、アルス王子もウィズワルド様と対峙するということで緊張をしていたのでしょう。
こんな時は……。女は度胸とは良く言ったものです。
「誠に恐縮ですが、ウィズワルド様には、魔力を枯渇して戴きます!!」と私は、暴殺風舞を発動させます。アルス王子、先手は私が頂きましたわ。
鋼などを簡単に切り裂いてしまう、八陣の真空の刃がウィズワルド様に向かって飛んでいきます。ウィズワルド様にはそよ風でしかないようでしょうが、目的は私に注意を惹きつけること。
ですが、私の魔法は、ウィズワルド様の魔力放出によって打ち消されました。流石に、何の強化を付与していない魔法では、ウィズワルド様の足止めにもなりません。スパッと切れて、なぎ倒されていく木々のように上手くはいきません。
「思考加速」
「知力向上」
「魔耐性向上」
「筋力増大」
「魔力ブースト」
「……」
「……」
ウィズワルド様とアルス王子、そして私は、自らの全てを限界まで引き上げます。ここからが魔法を使うものの真価が問われます。
が、アルス王子は途中で詠唱を止め、攻撃に転じます。あの構え。地平線斬でしょうか。
しかし、あの位置からウィズワルド様に向かってそれを放ったら、私にも当たってしまいます。まぁ、簡単に防ぐことができます。
ウィズワルド様は飛び上がり上空に避けます。どうもウィズワルド様は、武闘会の時のヴィオラとの戦いでもそうでしたが、危険があると魔法で防ぐよりも上空に逃げる癖があるようです。来年の武闘会ではそれを参考に戦術を練らせていただきます。
「五指爆炎弾!!!!」
驚きました。大きな湖を一瞬で蒸発させてしまいそうな火球が五つ、私に向かって飛んできます。それに、アルス王子の方にも同じだけ飛んでいっています。
私は右手と左手で、相殺魔法を発動しますが、どうやら片手で一つの火球を相殺させるのが精一杯です。三つは直撃しますが、仕方ありません。
私の身体を火球の炎が包みます。耐熱魔法を全身に掛けていますが、それでも熱いです。地面の土は、焼け焦げていき、まるでレンガのように固くなっていきます。私に五つ、アルス王子に五つとなると、もの凄い魔力です。流石はウィズワルド様。
「こ、この魔法は初めて見ましたね」と、アルス王子もダメージを負いながらも持ち堪えているようです。
「髪の毛が焦げてしまいました」と私は恨み言を申します。髪は女性の命なのです。もちろん、ウィズワルド様になら差し出してもよいと思っているこの命ではありますが、回復魔法で直ぐに再生できるとは言え、ウィズワルド様には責任を取ってもらいたく思います。
私とアルス王子が火傷を負ったことを見つめながら、ウィズワルド様は言い放ちます。
「私は、指一つで一つの魔法が打てます。お二人は、多くても腕一つずつで、二個です。つまり、あなた達が二人組で掛かってきたとしても、魔法は合計で四つしか放つことはできません。しかし、私は一度に十個個の魔法を放つことができます。手数において、私が優勢で、貴方達に勝算はありません。諦めてください」
あぁ、ウィズワルド様。どうしてあなたは、私を置いて更なる高みへと登られていくのでしょう。私は、あなたの背中を見ているだけでは嫌なのです。隣に立ち、あなたの横顔を見て、そしてあなたに微笑みかけたいのです。
腕一つで一つの魔法。両腕で二つの魔法しか放つことはできないというのが常識でありました。そんな魔法の常識を根本から覆すような大技。だれが、指一本で一つの魔法を放つという発想に辿り着けるでしょう。ハイネルラル公爵家始まって以来の、優れた才能を持っていると言われていた私ですが、ウィズワルド様に比べるとまるで乳飲み子のように無力な私。
「確かに強い。勝てないかもしれない。しかし、せめて、ウィズワルド殿の魔力を少しでも減らす!! 私の愛する人からの滅多にないお願いなのだ! 私がやれることは全てやるのだ!!!」とアルス王子が片膝をつきながらもウィズワルド様に向かって魔法を放ちます。
アルス王子も口惜しいのでしょう。
「私の大切な友人の頼みです。私も全力で果たさせていただきますわよ」と、私もウィズワルド様に向かって魔法を放ちます。
親友のシャルの頼み。ですが、それ以上に、私はあなたの隣に立ちたいのです。
「もう一発だ。魔力が足りないなら、俺の命を削って持って行け!!! 食らえ!!!! 五指爆炎弾!!!!」
ウィズワルド様は凄いです。私の全力の魔法を飲み込みながら三発の火球が私に迫ります……。完全に私の負けです。私は、三発の火球の直撃を受け、そして意識が遠ざかっていきます。
遠ざかっていく意識の中で、ウィズワルド様をしっかりとこの目に焼き付けます。なんて凜々しい方。今の私では、「ウィズワルド様と私は釣り合っていない」のかも知れません。ですが、いつか必ず、あなたの隣に立ってみせます。お慕い申し上げております、ウィズワルド様……。