日曜日~フェスタホール
「す、すごい人……」
フェスタホールは中ぐらいの大きさのホールだけど、入口付近はもう行列ができていた。あ、G-Trainのパネルが飾ってある。
「カッコいいわよね~」
『私』になったさーちゃんがうっとりと言った。さーちゃんは、私の白のパンツに水色のドット柄のキャミソール、うっすらと下が透ける生地のシャツを上から羽織っていた。
(普段は痛いからって、つけないコンタクトまでつけちゃって……)
私もパネルを見た。バンドのメンバーが写ってる。お兄さんが一番大きく写っていた。
「うん、カッコいいね」
お兄さんは、とてもかっこ良かった。だけど……
(……日向くんと目が合った時みたいに、どきどきしなかったよね……いい人だとは思うけど……)
「ほら、行くわよっ!」
さーちゃんが、私の袖を引っ張る。私は、今日もさーちゃんのデニムのワンピを着ていた。七分袖で、前身に白いフリルが付いてる。
「さ、さーちゃん、はりきり過ぎ……」
さーちゃんに引きずられるように、私は入口の行列の最後尾へと向かった。
***
「え……本当に、ここの席?」
「そうよっ、間違いないわっ!!」
……さ、最前列の真ん中って……
もらったチケットの番号の席は……本当にステージのすぐ近く。立って手を延ばせば、届きそうなぐらいだった。
恐る恐る席に座ってみる。えんじ色のクッションがふかふか……。
「これ、きっと、VIP席よね」
さーちゃんも感心したみたいに、辺りを見回していた。
「知り合い用って言ってたよ?」
あとで、もう一度お兄さんにお礼言わないと。
「すごい~こんな席で見れるなんて、夢みたい……」
すでにさーちゃんの目は、ハート形になっていた。私は、ちょっとどきどきする胸を抑えながら、開演を待つ事にした。
***
ステージに立ったお兄さんは、更にキラキラ度が増していた。かっこよすぎっ……!
「みんなー今日は来てくれてありがとう!」
きゃああーっ! お兄さんの声に、会場のあちこちから悲鳴に似た歓声が上がる。当然、隣のさーちゃんからも。
「最後まで、楽しんでいってね……それじゃ、1曲目は『Rain or Shine 』。よろしく」
きゃあああああああああああっ!
シュンーっ!!
……会場が甲高い声に揺れる。
「1、2、3、4」
合図とともに、バンドの演奏が始まる。ぐわんって音の波が、黒いスピーカーから会場に広がった。
「うわ……すごい迫力……」
思わず耳を塞いでしまった。ライブって、初めて来たけど……もう熱気にあてられて、酔いそう……
「きゃーっ! シュン、素敵~!!」
さーちゃんが叫んでる。会場中で同じような声が上がってる。
……ねえ、どうして、黙ってるの?
――甘く優しい声が、ふんわりと耳に届く。
うわ……声も日向くんに似てる……っ!
さーちゃんも目を閉じて、うっとりした顔をしてる。会場の悲鳴も消え、お兄さんの声が身体に沁み込んでくるような、気がした。
……Rain or Shine
どんな時も、いつだって、
キミの傍にいる……
サビが終わり間奏に入ると、また悲鳴が上がり始めた。
「シュン、こっち向いて―っ!」
「もう、このまま死んでもいいわっ!!」
――皆の声に、お兄さんが左目でウインクを飛ばした。
「きゃあああああああっ!!」
悲鳴の波が会場中に一気に広がった。は、ハートがお兄さん目掛けて飛んでいくのが見えたっ……!
(す、すごい……)
熱い熱い会場の中、私は大きな波に攫われて、ふらふらになっていった……。
***
「もう、サイコー!!」
頬を染めて興奮しているさーちゃんは、大声の出し過ぎで、ちょっと声が枯れていた。
「う、うん、すごかったね……」
私は、まだ熱い頬に右手を当てた。ひ、人酔いしたかも……。
――五回のアンコールの後、終了。熱気がまだ残ってる会場を、次々と人が出て行く。皆興奮したように、きゃあきゃあと騒いでいた。
「シュン、カッコ良かった~!」
さーちゃんの言葉に、私も頷いた。
「そうだね……」
本当、キラキラ輝いてた。かっこ良かったなあ、お兄さん……。
「……真田」
低い声が後ろから聞こえた。
「え!?」
ぱっと振り返ると……そこには。
「日向くんっ!?」
……黒っぽい長袖のTシャツを着た日向くんがすぐ傍に立っていた。表情はいつもと同じ……。
(ど、どうして!?)
だって、お兄さん……日向くんは来ないって。私が呆然としていると、日向くんが、ちらとさーちゃんの方を見た。
(ま、ま、まずい……っ!!)
こんな状況で、鉢合わせするなんてっ……な、何て言ったらいいのっ!?
「あら……さーちゃんの、お友達?」
と、 ”さーちゃん”が話しかけてきた。私は慌てて、こくんと頷いた。
「あ、あの、同じ生徒会の日向……くん」
うわ……変な感じ……。背中がむずむずする……。
「……日向です。よろしく」
冷静な声がして、日向くんがぺこりとお辞儀をした。
「……三笠高校のお姉さん、ですね」
さーちゃんがにっこりと笑って、会釈した。
「……詩織です。いつも妹がお世話になってます」
な、なんか、むずがゆいって言うか、いたたまれないって言うか……。しれっと話してる、二人を見てるのがつらいっ……!!
そんな私を、日向くんがちら、と見て言った。
「お姉さん、兄貴のファンなんだろ。だったら、楽屋に案内しようと思って来たんだが」
「え……」
わざわざ、そのために? 私は目を丸くした。
「えっ!? 本当!? いいんですか!?」
さーちゃん……瞳がキラキラしてるっ!?
「ああ……時間は短いけど。それで良かったら」
「ねえ、さーちゃん、連れて行ってもらいましょうよ~」
甘えたように私の腕に腕をからませてくるさーちゃん。そ、そんな仕草、私、普段してないけど!?
(ぼ、ぼろが出る前に、立ち去りたいのに……っ)
で、でも……ここで断ったら不自然だよね……わざわざ来てくれたんだし……。私は観念して、日向くんを見た。
「う、うん……ありがとう、日向くん……」
日向くんはすっと目を細めたけれど……「じゃあ、こっちに」と言って、さーちゃんと私を案内してくれた。
***
楽屋にはまだ熱気が籠っているようだった。
「兄貴、お疲れ様」
スポーツドリンクを飲みながら、タオルで汗を拭いていたお兄さんが、「よう、来たのか」と言った。
「おう、翔。楽屋来るの、久々だな」
「お前も一緒にやらねえのか?」
「そうそう、兄貴より人気でるかも、だぜ?」
バンドのメンバーが次々に日向くんに声をかける。皆仲いいんだなあ……。
ふっとお兄さんが、私とさーちゃんの方を向いた。
「ああ、来てくれたんだね、沙織ちゃん」
私は慌てて、お兄さんにお辞儀をした。
「あ、はい、チケットありがとうございました……」
うわ。さーちゃんの目がハート形になってる……っ!!
「あ、あの! 今日はありがとうございました! すっごく素敵でしたっ!」
頬を上気させて言うさーちゃんに、お兄さんが優しく笑いかけた。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ。……沙織ちゃんのお姉ちゃんだよね?」
「はい、詩織です!」
ううう、なんか恥ずかしい……。身の置き所がないって、こういう事なのね……。
「あ、あのっ、サインお願いします!!」
さーちゃんが愛用のメモ帳を取り出した。うん、いいよ、とお兄さんがペンと一緒に受け取った。
「あ、沙織の分もお願いします」
……さーちゃん、話の持っていき方がうまいわ……私は密かに感心した。
さらさらさら、っとお兄さんがサインを書いて、はい、とさーちゃんにメモ帳とペンを返してくれた。
「有り難うございます! 一生大事にします!」
お兄さんはまたにっこり笑って、さーちゃんと握手してくれた。
「これからも応援よろしくね」
「はいっ」
お兄さんが私を見て、にこっと笑った。
「沙織ちゃんも、翔の事よろしくね。こいつ、とっつきにくいけど、いい奴だから」
「は、はい……」
私がもじもじと答えると、日向くんが私の隣に立ってびしっと言い返した。
「兄貴、余計な事言わなくていい」
ははっとお兄さんが笑う。バンドのメンバーも私達の周りに集まってきた。
「へえ~、この子たち、翔のガールフレンド?」
「……同じ生徒会のメンバーとその姉」
日向くん、またむすっとした声になってる……。
「双子だろ? 可愛いよね~」
「そうだろ? どう沙織ちゃん? 俺とデュエットっていうのは」
「えっ!?」
いきなりお兄さんに振られてビックリしていると、さーちゃんがきゃああっと叫んだ。
「えええええっ! ショウと一緒に歌えるのっ!?」
ドラム叩いてた、つんつん髪の男の人も言った。
「君たちが俺らのバンドで歌ったら、きっと受けるよ」
「本当ですかっ!?」
さ、さーちゃん、OKしちゃわないでーっ!! あなた、今、”しーちゃん”なのよっ!!
「……こいつらに、そういう事言うな。真に受けるだろ」
冷たい日向くんの声に、ふうと首を振りながら、ギターを弾いていた男の人が言った。
「ほんっとに、固いな、翔は。この瞬の弟だってのが、信じられないねえ」
「おいこら、俺が軽いみたいな言い方じゃないか」
「翔に比べりゃ、軽過ぎだろ、お前」
笑い声と共に軽口を叩いてるお兄さん達に、日向くんが言った。
「じゃあ、俺達もう帰るから。明日も講習会あるしな」
「そうか……気をつけて帰れよ? 沙織ちゃんも詩織ちゃんも今日はありがとう。良かったらまた来てね」
「はい! ありがとうございました!」
「ありがとうございました、失礼します」
お兄さん達にお礼を言って、私達はホールの出口へと歩いて行った。
***
駅前の大通りは、まだ人で溢れていた。G-Trainグッズ持ってる人も大勢いて……ライブの熱気が、そのまま外に流れ出たかのようだった。
「本当に素敵だった~!」
もう、さーちゃんのテンションが下がらない。さっきから、キラキラしまくってるんですけど!?
そんなさーちゃんを見た日向くんが、私に尋ねてきた。
「……真田はどうだった?」
「え……うん、カッコ良かったね、お兄さん」
「……」
うく。沈黙がコワイ……。
(な、なんて言ったらいいの!?)
これ以上、何も言えないし……。
……というより、この三人でいる状態を何とかしてほしい……日向くんは鋭いし、何か変な事言ってバレたらどうするのよ~!!
(……さーちゃんに、すぐ帰るように言おう)
そう思った私が、口を開きかけた瞬間……
ぴろろん……さーちゃんのスマホが鳴った。
さーちゃんがポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
……あれ? 画面を見るさーちゃんの顔つきが、少し変わった……?
さらさらっと人差し指を動かし、返信した?後、スマホをポケットにしまいながら、さーちゃんが言った。
「ねえ、さーちゃん」
「な、なあに?」
うっ……さーちゃんに、”さーちゃん”って言われるの、どうしても慣れない……。
「友達がこの近くに来てるんだって。久しぶりだから、少し会ってくるね」
「え!?」
会ってくる……って……もう、十時近いよ!?
(そりゃ、ここからなら歩いて帰れる距離だけど……)
体調大丈夫って聞けない……だって、体調悪いのは”さーちゃん”で”しーちゃん”じゃないんだもの。
「だから、先に帰って……」
と、言いかけたさーちゃんが、日向くんを見た。
「あの、もし良かったら……途中まででいいので、沙織と一緒に帰ってもらえませんか? 一人だと不安なので」
「え!?」
ちょ、ちょっと、さーちゃん!! 突然、何言い出すのよっ!!
焦る私に、日向くんが視線を投げた。
「……ちゃんと家まで送る。心配しなくていい」
ひゅ、日向くん……そりゃ、責任感強そうだから、そう言うだろうけど……。
(で、でも、私、どーしたら……)
何も言えない私を見て、日向くんがぽつりと言った。
「……嫌、なのか?」
嫌? 私はぶんぶんと頭を振った。
「ち、違っ……!」
い、嫌なんじゃ……なくて。どうしたらいいのか、判らないだけだって!!
あたおたしている私の肩に、がしっと両手が後ろから乗った。
「し、しーちゃんっ!?」
さーちゃんが両手を私の首に回して、ぎゅっと抱き付いてきた。
「ごめんね、日向くん。さーちゃんたら照れちゃって」
ふっふっふ、とさーちゃんが艶っぽく笑う。
「恥ずかしがってるだけだから、気にしないでね~」
「ちょ、ちょっと……!」
私の耳元で、さーちゃんが囁いた。
(ちゃんと日向くんと仲良くしてね? ”さーちゃん”?)
(ちょっとっ!!)
さーちゃんは両手を放し、じゃあねー、と明るく手を振って、雑踏の中に消えていった。
……な、仲良くって!! 一体、私にどうしろと!?
呆然とさーちゃんの消えた方向を見ていた私の耳に、低い声が聞こえてきた。
「……帰るぞ」
「う、うん……」
くるりと踵を返して歩き始めた日向くんに、追いつくよう小走りで後を追った。
***
黙ったまま、日向くんが歩く。ざわめきの中に、私と日向くんの沈黙が混ざっていく。
……一体さーちゃん、誰に会いに行ったんだろう。久しぶりって言ってたけど……。
角を曲がって、住宅街に入りかけた時……まださーちゃんの事を考えていた私に、日向くんが言った。
「……お姉さん、いつもあんな感じか?」
うっ……わ、私がああだと思われてるのよね……。
「き、今日は大好きなバンドだからって、舞い上がっていた……かも……」
じ、自分の事を説明するのって、何だか恥ずかしい……っ。
くすり、と日向くんが笑った。どくん、と心臓が動く。電灯の明かりが、日向くんの眼鏡に反射して……きらり、と光った。
「ずいぶん、性格が違うようだな」
「そ、そうなの……」
こ、この話題なら何とかなるかも……本当の事だし。
「まあ、俺と兄貴もそうだから、何となくは判るが」
うーん、確かに。日向くんとお兄さんって性格違うな―って思ったけど……。
日向くんが私を見下ろした。本当、背が高いよね……。
「……お前、兄貴が俺に似てるって言ったよな」
突然聞かれた私は、戸惑いながらも答えた。
「え? う、うん。本当に似てるよ?」
……どちらも背が高くて、綺麗な顔だし。兄弟だって、すぐに判るよね。
「……兄貴の事、『いいお兄さん』とも言ったな」
「……うん。いいお兄さんだよね」
「……」
……また黙っちゃった。というか、この会話の先が見えないんだけど……?
日向くんは……私の方を見てるのに、見てないような目をしてる……?
「え……と、日向くん?」
一瞬ぴくり、と日向くんの肩が動いた気がした。
「……すまん、ちょっと考え事してた」
「ううん、いいんだけど……」
日向くんがぴたりと立ち止まり、私を見た。
「日向くん?」
……じっと私の目を見ながら、日向くんが口を開いた。
「……真田」
「な、なに?」
……きゅ、急に、威圧感が……っ!!
少し間を置いて……日向くんがぽつり、と言った。
「お前、俺の事……怖いのか?」
「え……?」
思わず日向くんの目を見返した。でも、眼鏡に阻まれて……よく見えない。
「……お前、いつも緊張してるよな、俺の前だと」
うぐ。そ、それは否定できない……かも。
「ひろみや真悟、涼介とは普通に話してるだろ」
「う……」
「兄貴とも普通だったし」
「……」
「そんなに怖がらせるような事をしたのか?」
ど、どうしよう……何て言ったらいいの!?
「あ、あのね、日向くん」
「……」
「そ、その、怖い……とかじゃ、なくて……」
「……」
「え、えと、何て言ったらいいのか……その……」
「……」
さーちゃんが日向くんの事……好きかもしれないから、
だから、嫌われるような事はしたくないって思って、
でも、それは、『私』の気持ちでもあって、
優しくしてもらっても、日向くんが優しくしてるのは『さーちゃん』で『私』じゃなくて……。
でも、『私』にとっては、『私』にしてもらったことで……。
そういう気持ちがごちゃごちゃになって、だから緊張しちゃうんだって
(……言えない……)
ぎゅっと目を瞑った私は、思わず俯いた。
どう言えばいいの? どう……
はあ、と深い溜息と共に、ぽん、と私の頭に大きな手が置かれた。
「……もういい。困らせてすまなかったな」
目を開けて、ゆっくりと顔を上げる。
「日向……くん」
私の顔を見た日向くんは、一瞬顔を強張らせた……けれど。その表情はすぐに消えた。
日向くんがすっと右手を下ろした。また右を向いて、歩き始める。
私は……暫く動けなかった。
数メートル歩いた所で、日向くんが立ち止まり振り返った。
「ほら、帰るぞ」
私は、ゆっくりと歩き始めた。日向くんは私が傍に来るまで、待っててくれた。
――黙ったまま、二人で歩く。街灯の光でできた、日向くんの長い影が、道路に伸びてる。私は……どう言えばいいのか、全然判らなかった。
「あの……お、送ってくれてありがとう」
家の前でそう言った私を、日向くんは少しの間、じっと見ていた。
「……じゃあ、明日また」
そう言って、日向くんは……来た道を戻っていく。その後ろ姿から、私は目を離せなくなった。
……だめ
……だめ、このままじゃ
「日向くん!」
思わず叫んだ私の声に、日向くんが立ち止まった。振り返った日向くんの表情は……暗くてよく判らなかった。
「あ、あのね」
「……」
何とか、怖がってない事だけでも判ってもらわないと。私はどもりながら言葉を探した。
「……わっ、私……日向くんに……感謝してるの」
「……」
「い、いつも……ちゃんと考えてくれて、ありがとう」
日向くんは……少しの間黙っていたけれど……やがて苦笑混じりに言った。
「……感謝、か。……まあ、ましになった……のか」
「え……?」
ましになった……?
「いや、何でもない。じゃあな」
日向くんが右手を振って、再び歩き始めた。暫くの間……私はその後ろ姿を見送っていた。
ああ、言ったけど……本当は……
本当は……感謝、だけじゃない……
でも……
これで、よかったの……?
……答えは出なかった。