発見
すごく温かい手がそこにはあった。そして当たり前のように毎日見ている風景が広がる中、温かいその手は昔のように自分の頭を優しく撫でてくれている。とても安心したし、撫でられていることがとても嬉しかった。
今だけは全てを忘れて、全てを無かった事にして、目の前に居る二人に微笑む。二人は昔と何も変わらない笑顔を返して来た。それを見てなんて表現したら良いか分からない感情に囚われたが、その時にとても大切な物が浮かび上がり、それと同時に悲しみまじりの憎しみが思い出したかのように心に入って来た。
気がつけば、二人は目の前から姿を消し、風景も消失し、無機質な場所に立っていた。
無機質な場所とは、対象に自分の心は騒つき始めて落ち着かない。
まるで、誰からか自分の中に存在する罪悪感を突きつけられているようなそんな気がする。
ちゃんと理解して分かっているのか?
きっと答えは自分の中にある。だが、それが正しい選択なのかは分からない。
だから、その事から全身で背けたいと思う気持ちと全身で縋り付きたい気持ちもあるのが今の自分の真実。
だから本当は、もっと・・・・
はっとして、狼は目を覚ました。
額に脂汗が滲んでいるのがわかる。狼は動揺しながら視線を泳がせていた。視線を泳がせるといびきを掻きながら、豪快に寝ている正義と、正義の肘で顔を押し潰された陽向、そして一人アイマスクをしながら眠っている棗の姿があった。
あれから結局ご飯を食べた後、正義と鳩子の提案で、女子と男子で別れて寝ることとなった。テントを張らず、みんなで雑魚寝という選択肢もあったが、それは希沙樹が断固拒否したため、なくなった。
そして男子四人、窮屈さを感じながら就寝したのだ。
こんな狭い所で圧迫されてたから、あんな夢を見たのかな。もし、そうなら最悪すぎる。
「はぁー・・・」
狼は思いっきりため息を吐き、片手で額を押さえた。
こんな目覚めが悪いのは久しぶりだ。あんな嫌な夢を見るのは何年ぶりだろうか。そんなことすら忘れてしまうくらい、見ていなかったのに。
どうして今さら、あんな夢を・・・・
胃がキリキリとして、狼はお腹に手を当てた。
別に思い出したいわけじゃないのに。
狼がぎゅっと目を瞑っていると
「くそっ、睡眠妨害を受けていると思ったら、正義の仕業だったか」
と陽向が機嫌の悪そうな表情で起き上った。
そして、そんな陽向と目が合ってしまう。
「あ、おはよう・・・」
「ふん」
ぎこちない口調で声を掛けると、陽向は鼻を鳴らしそっぽを向いてしまった。
陽向は相変わらずだな。
だがそんな普段通りの陽向の態様が、今の狼にはとても有り難かった。
「貴様・・・何故、そんな朝から時化た面をしている?」
「え、いや別に・・・」
狼がそう言葉を濁すと、陽向が何か言いたげにジロっと見てきたが、すぐに顔を逸らした。
「別に良いがな。貴様がしょげていようと、俺のしったことではないが、朝からそんな顔を見せられたら、目覚めが悪い。すぐいつもの間抜けな阿呆面に戻せ」
「え、あ、うん」
偉そうな陽向の言葉を聞きながら、狼は苦笑いを浮かべた。
意外に陽向は良い奴なのかもしれない。
さっきの言葉だって、分かりづらいが、陽向なりに気を遣った言葉だったのだろう。
狼が目を眇めながら、苦笑していると、次に正義が「うがっ」という声を上げ、目を覚ました。正義は腕を上に伸ばし欠伸を掻いている。
「うわぁぁあー、もう朝か」
腕を伸ばし終えた後、首を動かし骨を鳴らしている。
「黒樹も陽向も早いな」
「誰の所為で、快眠ができなかったと思っている・・・」
「ん?何か言ったか?」
ぶつぶつと恨み言を呟くような陽向の声を、聞き漏らしていた正義が耳を近づけて訊き直しているが、陽向はその正義を手で制している。
「なんでもない。俺に近づくなっ!」
「ひでぇな。おまえが何か言ってたから聞き返してやったのに」
「一度で聴いとけ」
「はいはい」
手をひらひらさせながら、正義が陽向を軽く流している。
そんな正義を見ながら、狼は思わず感心した。
さすがに手慣れてるな。陽向の扱い。まぁ、幼少の頃からの知り合いだから当然か。
それから、続けてアイマスクをしていた棗がむくりと起き上る。そしてテントの外から女子たちの声も聞こえてきた。
「じゃあ、今日も捜索開始だな」
「そうだね」
正義の言葉に狼が返事をし、それからテントをしまった。
「狼、おはよう」
テントをたたみ終えた狼の元に、名莉がやってきた。
「うん、おはよう。晴れてよかったね」
洞窟の出口から入ってくる日差しを見ながら狼が笑うと、名莉も微笑を浮かべて頷いて来た。
「こーら、何二人だけで会話してんの?」
そう言ってきたのは、ジト目でこっちを見ている鳩子だ。
「別に、そんな二人だけで会話なんてしてないだろ。僕とメイは朝のあいさつをしてただけで」
「ふーん、あっそう」
何故か不機嫌そうにしている鳩子を見ながら、狼は首を傾げる。
鳩子って朝、弱かったかな?
不機嫌そうな鳩子は、髪先を見ながら口元を尖らせている。でもどうして、鳩子がそんな行動を取っているのか、狼にはわからない。
名莉も狼と同じらしく、鳩子を見ながら疑問符を浮かべている。
そんな三人に根津から、声がかかった。
「狼、名莉、鳩子、ちょっと来て」
根津からの呼び出しに、三人が駆け寄る。
根津の近くには腕を組みながら、棗の情報端末機に目を向けている希沙樹と同じように、端末機の画面を見ている陽向と正義がいた。
「なにか手がかり見つけたの?」
「手がかりってわけじゃないけど、棗からの提案は出たわ」
「どんな?」
「ここの洞窟、けっこう広くて色んな出入口があるのよ。それで、昨日の雨であたしたちと同じように真紘たちも、雨を凌ぐために洞窟に入ってる可能性があるかもって。それにまだ朝になったばかりだし、真紘たちも下手に動かないでしょ」
「なるほど。確かにそうかも」
納得し狼が頷くと、根津が話を進める。
「それで、この洞窟の中を闇雲に探すっていうのも、手間も時間もかかるから、希沙樹の力を使って探すことになったわ」
「五月女さんの力って、氷だろ?それでどうやって?」
狼が疑問を口にすると、根津の横にいた希沙樹が説明を始めた。
「洞窟内っていう限られた範囲なら、私の冷気を充満させて、生き物の体温を察知することが可能よ。もしこの洞窟のどこかの入口に真紘がいるなら、それを察知できるはず。人の体温なら、他の動物とも見分けがつくだろうし」
「そんなことまで、できるなんてすごいな」
狼が思わず感嘆の声を上げると、希沙樹は気分を良くしたのか、誇らしげな笑みを口元に浮かべている。
それから、希沙樹は日の光が届いていない洞窟内の方を向き、静かに白い霧のような物を出し始めた。白い霧は吸い込まれていくように洞窟の暗がりの方へ伸びていく。
その霧がどのくらい、洞窟に行き届いたかを確認するために、棗が自分のBRVを使い、サポートを行っている。
「これで見つかるといいけど・・・」
期待を口にしながら、狼は暗い洞窟内を見続ける。そして沈黙したまま数分経ったとき、真横にいた棗が少しまだ眠気混じりの声で伝えてきた。
「冷気が、洞窟内全てに充満完了」
それと同時に希沙樹の少し興奮して、上付いた声も上がる。
「人らしき体温を察知!!・・・・あら?」
少し興奮気味の希沙樹の顔が曇る。
「どうかしたのか?察知できたんだろ?」
それを見ていた正義が、希沙樹に訊ねた。
「あ、ええ、確かに人の体温を察知できたわ。でも、人体体温の数が4、これってどういうことかしら?」
わけが分からない様子で、希沙樹が顔を顰めている。すると、正義が何かを思い出したように、手をポンと叩いた。
「もしかしたら、真紘たちが助けようとしてた人達じゃないのか?」
「ああ、きっとそうだよ!」
正義の言葉に狼が同調するが、希沙樹は首を横に振った。
「それにしては、おかしいわ。だって、四人とも同じ場所にいるってわけじゃなくて、二組に分かれて、違う場所にそれぞれいるのよ」
「なんじゃ、そりゃあ」
素っ頓狂な声を上げる正義。
その声を隣で聴いていた根津が煩そうに、耳を手で塞いでいる。
「困ったな~。希沙樹がいないとどの方向に人がいるのか分からないから、二手になることも不可能だし」
棗の言葉に狼や正義が唸り声を上げる。
すると、その様子を見ていた希沙樹が痺れを切らしたように声を上げた。
「悩んでいても仕方ないわね。私の感が正しければ、真紘はこっちにいるはずよ」
そう言って、希沙樹がずんずんと暗い洞窟の中を突き進んでいく。灯りにはリュックに入っていた懐中電灯を使用している。
懐中電灯を持っているのは、先を歩く希沙樹だ。
洞窟の中は進めば進むほど、気温が下がりひんやりしている。それに身震いをしながら狼たちは暗い洞窟内を進む。
「乙女心は強いね~、暗い洞窟に臆することなく突き進む姿・・・さすが希沙樹だよね」
と言いながら、鳩子が希沙樹を見ている。
「まぁ、確かに」
狼が頷くと、鳩子が一瞬目を見開いたが、すぐに悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「いや~、鈍感の狼が気づくくらいだから、希沙樹って相当分かりやすいみたいだね~」
「鈍感ってなんだよ。あんなに分かりやすい行動してたら、ふつー、誰だって気づくだろ」
「はぁーそれに気づかない鈍感王子もいるんだな」
「真紘のこと?」
「もちろん!真紘の鈍感さは、もうすでに鈍感レベルを超えてるね。まさに恋する乙女殺し」
「そこまで言う?」
狼が鳩子に少し呆れ返っていると
「へっ!」
という何とも微妙な声を上げた。
いったい、どうしたんだ?
「まぁ、真紘と同類の狼くんには分からないだろうね~」
という嫌味っぽいことを言われた。
「だからなんで、僕が真紘と同類になるんだよ?」
「いやいや、そこが良いとこでもあるんだけどね~」
鳩子の言葉がさらに意味がわからない方向にエスカレートしていく。
「狼がこんなんじゃ、焦る必要もないしね~」
「焦るって何を?」
「こっちの話だから気にする必要、ナッシング」
鳩子はこんな事を言いながら、親指を突き立てている。
はっきり言って、意味がわからない。自分が鈍感なんて思ったこともない。
そんなことを話していると、先を行っていた希沙樹が急停止した。
「どうしたの?」
名莉が希沙樹の顔を覗き込みながら、訊ねている。
「静かに、何か声が聞えるわ」
「声?」
希沙樹は黙ったまま真剣な表情で耳を澄ましている。ゲッシュ因子で聴覚を高めて居る今の状況では、少し離れた場所での会話を拾うのは容易いだろう。そして希沙樹につられるように、その場にいる全員が声を殺し耳に意識を集中させる。
すると、だんだん人の声が聴こえてきた。
「痛っ!もっと、ゆっくり・・・あっ」
その声は少し息の上がったセツナの声に間違いない。
「悪い、このくらいなら一気にいけると思ったんだが・・・」
少し危うい事を言っているのは、真紘の声だ。
まだ姿は見えていないが、会話のみの危うさに、その場にいた全員が生唾を呑みこむ。
「ま、まじ?」
「なんと・・・いうことだっ!」
小声ながら根津と陽向が動揺した声を出している。鳩子にいたっては・・・
「これは大のスクープの匂いが・・・まさか鈍感王子がまさかの遭難からの、青・・・」
「ちょっと下品!」
そう言いながら、鳩子の口を狼が押える。
みんながあわあわと狼狽えている中、真紘とセツナの会話は続いている。
「まだなの?んっつ、もう無理ぃ・・・」
と泣きそう声に近い声をセツナが出している。
「すまない。もう少しの辛抱だ。すぐに楽になる。悪いが、もう少し力を抜いてくれると助かる」
「ホント・・・?わかった。じゃあ、一気にお願いしま・・・す」
こんな二人の会話を聞いて、さすがの名莉も顔を赤らめている。
いや、名莉だけでなくこの場にいる者が顔を赤らめているだろう。一人を除いて。
「う、う、嘘よ!真紘がこんな・・・、あんな子に落ちるはずないわ」
と狼たちとは違った意味で、狼狽していう希沙樹。
もうその身体は、あまりの驚愕な事態に肩を震わせている。
「だめ、だめ、いけないわ。私が真紘を混沌の淵から救い出さないと!」
とよく分からないことを言いながら、真紘たちの方へ突撃行ってしまった。
「ちょっと、自分から傷口を開くような真似はやめなって!」
という鳩子の制止も聞かず、希沙樹は真紘たちの方へと駆けて行った。
「きゃああああああああああああああああああああああっ!はだっ、はぁ」
希沙樹からの大音量の悲鳴が聞こえてくる。
「だから言わんこっちゃない。自分で自殺しに行かなくてもよかったのにねぇ」
「完全に血迷ったね」
鳩子と棗がそんなことを呑気に言っている。
「そんなこと言ってないで、僕たちも行くよっ」
狼が立ち止まっている鳩子と棗の背中を押して希沙樹がいる方へと促す。
ごめん、真紘!
希沙樹を除いた、全員のメンバーがそう思っただろう。でも、あんな壮絶な希沙樹の悲鳴を聞いて動かないわけには行かない。
だが、そんな狼たちの心配は杞憂に終わった。
真紘とセツナがいると思われる場所まで行くと、そこには地面にペタンと座りこんで脱力した希沙樹と、涙目になりながら座っているセツナの姿がある。
真紘はというと、何故か半裸姿で驚き顔を浮かべながら、狼たちを見ている。
「黒樹たちか、もしや俺たちを捜索していてくれたのか?」
「あ、あ、うん」
戸惑いながら頷く狼の横から、陽向がぐっと前に出てきた。
「貴様、人が苦労して探してやれば、こんな朝から破廉恥なっ!」
「破廉恥?なんのことだ?」
「白を切るつもりか?もう、すぐ傍で貴様たちの声を聞いていたのだ。言い逃れは出来ないぞ!ここで何をしていた?・・・いや、やっぱり言わなくていい!」
「どっちなんだ?はっきりしてもらわないと、こちらも困るんだが・・・」
と明らかに真紘も動揺している。
「真紘、何も言わなくていいって。そんな男女の垣根の話を言ってもだな・・・俺はおまえの味方だからな」
そんなことを言いながら、正義が真紘の肩を叩いて頷いている。
だが、その行動の意味を理解していない真紘はさらに困惑の色を強めている。
「男女の垣根?どういうことだ?」
「いや良いって。言わなくても俺たちはさっきあった事は他の連中に言わないからさっ」
「ちょっと待ってくれ!話がまったく読めないんだが・・・」
「さっきから、みんな何を言ってるの?」
セツナも狼狽えているのか、顔を顰めて疑問符を浮かべている。
すると、座り込んでいた希沙樹が突然
「あはっ。あはははははっ、あはははは。やってくれやがりましたね、いいえ、やっちゃいましたね、あは、あは」
うわっ、五月女さんが完全崩壊してるっ!
狼はその希沙樹の光景に恐怖を覚えた。
それは全員同じなのか、完全崩壊している希沙樹を見て畏縮してしまっている。
いや、これは誰が見ても慄くだろう光景だ。
「希沙樹、落ち着け。何に対してそんなに狼狽えているのかは、分からないが、何か誤解をしていないか?」
「誤解?あはっ、真紘はやっぱり優しいのね・・・」
もはや、遠くを見る目をしながら希沙樹が呟くように話している。
「優しい?・・・まぁ、そのことは置いとくとして、どうして皆が全員、よくわからないことを述べているんだ?」
「いや、さっきの真紘とセツナの会話を聞いちゃってさ。別に盗み聞きしようとしてたわけじゃないんだけど」
と弁解を混じらせながら狼が答えると、真紘は再び首を傾げた。
「さっきの会話?それなら、俺がヘルツベルトの足裏に突き刺さった小石を抜いていたときの事か?」
「そうそ・・・・って小石!?」
「ああ、そうだ。朝起きたときに、ヘルツベルトの足に刺さってしまってな。それを取っていたんだ」
「えっ?じゃあ、なんで真紘半裸なの?」
「いや、それは色々あってな・・・説明するのが少し難儀なんだ」
困った顔を見せている真紘を見ながら、狼は少しほっとした。
こういうオチの方が、なんというか、真紘らしい。
「まったく、紛らわしい奴だ」
と隣にいる陽向がぶつぶつ文句を言っている。
「真紘・・・さっきの話は本当なの?」
正気を取り戻した希沙樹が、真紘に詰め寄っている。
真紘は、少し驚きながらこくりと頷いた。
「本当だ。どんな勘違いをしていたんだ?」
苦笑を浮かべらも、優しい声音で訊ねきた真紘を見て、希沙樹の顔が一気に紅潮している。
そんな希沙樹を不思議そうに見ながら、真紘が狼の方を向いた。
「そして黒樹、初めから一つ気になっていることがあるんだが・・・」
「気になる事?」
「ああ、どうして黒樹が持っているリュックは先刻から動いているんだ?」
狼が担いでいるリュックを見ながら、真紘が首を傾げている。
「ああ、それは・・・こいつが入ってるからだよ」
と言いながら、狼がリュックの中から、気持ちよさそうに寝ているカモノハシを取り出した。
リュックから取り出されたカモノハシを見て、真紘が目を瞬きして驚いている。
「何故、カモノハシがここにいるんだ?」
「やっぱり、真紘もそう思うだろ?しかもこのカモノハシ、カモノハシの癖に全然早起きじゃないし。寝てばっかだよ。これじゃあ、カモノハシじゃなくて、ナマケモノだよ」
狼がそう呟くと、寝ていたカモノハシがぱちっと目を覚まし、口ばしで狼の顔を叩いた。
「いたっ!本当のこと言われて怒るなよな」
「グワァ、グワァ」
「まったく」
水かきのような短い手をパタパタと動かしているカモノハシを見ながら狼は肩を竦めた。
「実に愛嬌のある生き物だな。うん、実にいい・・・」
どこか真摯な眼差しで真紘がカモノハシを凝視している。見られたカモノハシは胸を張りたいのか、狼に掴まれながら身体を少し反らしている。実に偉そうな態度だ。
だがそんなことは、まったく気にしていないように真紘の目が輝いている。どうやら真紘はこのカモノハシを気に入ったらしい。
すると、真紘の後ろから甲高い動物の鳴き声が響いた。
「ウゥ、ワンッ!」
後ろから鳴き声を上げていたのは、カモノハシを同じように、何故こんなところに?と首を傾げたくなるような、愛くるしい姿をした柴犬だった。
「なんで、こんな所に柴犬?」
狼がぽかんとしながら、疑問を口にすると、カモノハシに釘付けになっていた真紘が短い溜息を洩らした。
「ああ・・・理由はわからないが、俺に懐いてしまったらしい。はぁ、困ったものだ」
「そんな溜息なんて漏らさなくても、いいじゃないか。カモノハシなんかより全然、柴犬の方が可愛いし」
「いや・・・」
そう呟いて真紘が首を横に振った。そしてさらに溜息をもう一度吐いた。
いったい、真紘はどうしちゃったんだ?
狼が手に掴んでいるカモノハシも狼と同じように小首を傾げる。
すると
「「それは・・・」」
セツナと希沙樹の声が一斉に被った。
声の被った二人は、お互いの顔を見合っている。セツナは照れたように苦笑を浮かべているが、希沙樹の場合は、『何故、あなたがそこで出てくるの?』というような怪訝そうな表情をしている。そんな射るような目で見られたセツナは、少しタジタジになりながら一歩引いている。
狼はあちゃーと内心思ったが、口には出さなかった。出してしまえば、その鋭い眼差しが自分に飛んでくること間違いなしだ。さわらぬ神に崇りなしということにしておこう。
「真紘は犬が昔から苦手なの。だから・・・」
希沙樹が一度咳払いをして、話始めようとした瞬間、狼の隣にいた名莉が口を開いていた。数秒呆気に取られていた希沙樹は、わなわなと口を動かして名莉に抗議しようとしているが、当の名莉は、まったく気にする様子もない。
きっとセツナや自分と違って、名莉は希沙樹の扱い肩を熟知しているからだろう。
それにしても、真紘関連で希沙樹の横入りを果たす名莉はかなり強者だと狼は思った。でも、別に横入りしなくてもよかったんじゃないかとも思う。・・・思ったが少し考えて狼は合点がいった。
もしかしたら、名莉も希沙樹と同じ気持ちなのかもしれない。
いつも無表情な名莉の表情からは本当のことは読み取れないが、真紘が重体になったときの事を考えれば、ありえる話だ。
そんな胡乱を考えながら狼が名莉を見ていると、狼の視線に気づいた名莉と目が合った。
「狼、どうかしたの?」
「え、あ、別に。なんでもないっ」
なんとなく名莉と目が合わせられず、狼はすぐに目線を逸らした。
別に目を逸らすような事を考えていたわけじゃ・・・ないけど。だけど。どことなく触れてはいけないデリケートな部分のように思えて、狼は固く口を結ぶ。
隣では名莉が不思議そうに首を傾げていたが、訊ねるのを諦めたように前に向き直った。
「じゃあ、真紘たちも見つかったことだし、あと二人の救出をしましょ」
「あと二名・・・ということは、昨日俺とヘルツベルトで助けに向かった者たちか?」
「ええ、おそらく。・・・ちょっと待って」
頷きかけた希沙樹は頷くのを止め、代わりに眉を潜めた。
「どうかしたのか?」
真紘が少し慎重な声音で訊ねる。
すると希沙樹は狐疑しているような表情を浮かべながら、口を開いた。
「さっきまで感知していた二名の生態体温がどこにも見当たらないの」
そんな希沙樹の言葉を洞窟の壁に寄りかかるようにして、腕を組んでいた陽向が前に出てきた。
「いなくなったということか?」
「感知できないという事は、そうでしょうね・・・」
「まったく。遭難しているというのに、うろちょろと動き回りとは・・・間抜けな者共め」
ぶつぶつ文句を言っている陽向に、根津が横から口を挟んだ。
「文句言ってたって、仕方ないでしょうが。だったら、さっさと周辺を探しましょ。きっとそんなすぐに遠くへは移動しないでしょ?」
「貴様、勝手に俺の言ったことに口を挟むなっ!無礼者!」
「はぁ?何が無礼者よ。あんたなんかに無礼もクソもないでしょ」
「なにっ?」
「なによ?」
と言いながら根津と陽向は、元々の主旨を忘れて言い合いを始めてしまった。そのため、残ったメンバーで話し合い、時間を決めて洞窟周辺の捜索を開始することにした。
そしてカモノハシをリュックの中に戻した際に、狼は自分が忘れていた事に気づいた。
「あっ、真紘、セツナ、すっかり忘れてた。これ」
そう言って狼が取り出したのは真紘とセツナの情報端末機だ。
「黒樹たちが回収してくれていたのか。助かった」
「ホント。ありがとう!どうしようかと思ってたの」
狼から情報端末機を受け取った真紘とセツナはほっと一息ついた。
「けど、あと二人はどこ行っちゃったんだろう?」
狼がふと疑問を口にする。
「わからないが、動けるということはどちらも重傷は負っていないということだ。もし、俺の予想が正しければトゥレイターの者かもしれない」
そんな真紘の言葉を聞いて、狼ははっとした。
「ありえるかも。・・・実は昨日、左京さんと誠さんが誰かと戦って、重傷を負ってるんだ。僕たちとは別々に真紘を探してたときだから、僕たちも相手の顔は見てないけど・・・」
「そんなことがあったのか?」
驚いたように、真紘が目を見開く。
「うん。相当激しい戦闘だったみたい」
「そうか。・・・左京と誠が」
真紘は目線を落とし、苦い表情を浮かべている。真紘にとっても辛いのだろう。自分を探していた護衛の二人が重傷を負っているとなれば、真紘の性格からして責任を感じずにはいられないはずだ。
「よし、できるだけ急ごう。もしトゥレイターなら俺たちで捕虜とする」
意思の籠った声で、真紘がそう告げた。その言葉を聞き、狼は静かに頷いた。




