46 side:makoto
誠は学校からの帰り道、冷たい風が吹く中を首をすくめて歩き続けていた。ゆっくりと進む時間の中で、無心で歩き続けなければ耐えられないような寒さだった。考えただけで、その寒さに走り出したくなる。けれどもそれに対して空は晴れ渡り、近くを雀たちはせわしく飛び回っている。
誠がやっとの思いで家にたどり着いたとき、玄関の前の門の横に立つ人影に気づいた。そしてその人物を見て、誠は目を見張った。
「麗先輩……」
麗は誠に気づくとすぐに、以前とまったく変わらない優しい笑顔で笑った。
「久しぶりだね、誠」
麗は物腰柔らかく、腕を組んで門の横の壁に寄りかかっている。
「……どうしてこんな所に居るんですか?もう、体はいいんですか?」
「うん。何日か病院で検査したんだけど、もう何の問題もないからって返されたんだ。ただ、やっぱり病院通いは避けられないみたいなんだけどね」
と、麗は面倒くさそうにそういって笑っている。そんな麗を見て、誠は少しほっとした。
「で、今日は誠に話したいことがあって来たんだ」
「話したいこと……?」
誠はその言葉に少し警戒して麗を見た。けれども麗の表情からは何も読み取れない。この寒さの中外で麗の話を聞く事は出来ないと判断した誠は、足早に玄関の中へと麗を招き入れた。麗はただそれに従い、大人しく誠の言われるがままにリビングのソファへと身を落ち着かせる。
「……それで、一体どうしたんですか?俺に話なんて――」
誠は熱いお茶を注いだ湯のみを差し出しながら麗に尋ねた。
「誠は、まだ柊の事が好きなの?」
麗のあまりの直球さに、誠は飲んでいた熱いお茶でむせかえってしまった。
「え……?」
「俺、留学することに決めたんだ」
話しが飛びすぎて、一体麗が何の話をしているのかもわからなかった。必死に頭を動かして、ようやく理解できたときには、麗が自分の熱いお茶を飲み干していた。
「りゅ、留学……?どこに――」
「イギリス」
麗の返答はとてもシンプルで、それが余計にその思いが本気なのだと思わせた。
「まだ退院して間もないのに――。だいたいなんでそんな話を俺なんかにするんです?」
誠は疑わしげに麗を見つめる。けれども麗は、相も変わらず澄ました顔で笑っていた。
「まだ誰にも話してないんだ。ただ、誠には一番に話しておこうと思って」
「どうして俺なんですか?麗先輩の周りには他にも沢山それを伝えなければならない人がいるでしょう?」
「……誠、それを俺が答える前に、俺の質問にも答えてほしい」
と、麗は急に真剣な顔をして誠を見返してきた。
「し、質問?」
麗のその真剣さに、誠は思わず尻込みしてしまう。
「誠は、まだ柊の事が好きなの?」
麗は一番初めの質問をもう一度繰り返してきた。
「……俺は――」
何も言い返すことが出来なかった。前に誠は麗に、自分はもう柊にかかわる気などないのだと、伝えていた。けれど、この間久しぶりに柊に会った時、誠は柄にもなく自分の気持ちを抑える事が出来なくなってしまっていた。あの時、実際は動揺する自分を必死に抑え込んでいた。
誠は柊のことを忘れることなんて出来なかったのだ。
「柊が俺に会いに来なくなった。俺が目を覚ました日から、なぜか会ってくれないんだ」
誠は何も言えず、ただ麗の話を聞いていた。
「それまでは一日も欠かさず会いに来てくれていたって聞いてる。でも、来なくなった。それに……お前が関係してるんじゃないかって、俺は思うんだ」
麗は手を組んで目の前にあるテーブルを睨みながら話し続ける。
「俺は心から柊を愛している。それは前にも言ったよな?一年前、お前はもう柊と一緒には居られない。そう言ったよな?でもそんな簡単に逃げる事が出来るような想いなら、その前に……あの日以前に諦める事ができたはずだ。そう考えると、お前はまだ柊の事が好きなはずだ」
麗は自分の拳を力いっぱい握りしめていた。これから自分が言う事を、誠がきちんと理解してくれるのか、不安だった。
「誠、俺は出来れば、柊と一緒にイギリスに行きたいと思ってる」
麗のその言葉に、誠はその場に凍りついた。
今まで、どんなに会えないと思っていても、自分の気持ちを押し殺して冷たい態度をとっても、柊が近くにいることを疑っていなかった。けれども、今度こそ、柊が手の届かない遠くに行く。そう考えただけで、体中の血の気が引くのを感じた。
柊とそんなにも離れてしまう覚悟は、自分にはまだなかった。けれど、何も言えない。それを伝えることができない。自分にはまだ、柊を引きとめることのできる力なんてない。
「俺は……」
「もう一度だけ聞く。お前はまだ、柊の事が好きなのか?」
その質問が、誠のその心をせき立てる。誠は思わずゆっくりと頷いていた。
「そうか……」
麗は少し寂しそうな顔で笑っていた。
「……俺はまだ、伊吹の事が好きです。忘れられなかった……。その事に、この頃気がついたんです。彼女をイギリスに連れて行ってほしくなんてない」
誠は必死に声を絞り出した。のどが締め付けられるように苦しかった。麗の前で柊の事を好きだと認めるのが、それだけ怖かった。
あれだけ否定しておいて、まだ好きだなんて、どの口がいうのかと、自分でも呆れた笑いが込み上げてくる。
「……そうか」
そして真のその答えに、麗はそれ以上何も言わずそのまま帰って行った。
誠には何が何だかわからなかった。結局麗は柊をイギリスに連れて行く気なのだろうか――。誠の中には拭いきれいない不安だけが残った。




