第14話(最終話) AR-01、最後の除霊
『中枢機能停止の可能性』
AR-01の画面に
赤い文字が浮かんでいた。
神崎直人は
その警告を見つめた。
「二度と
起動できないのか?」
「その可能性があります」
AR-01は
いつもの声で答えた。
地下空洞では
天井から石が落ち続けている。
七つの門は崩れ
全国へ広がった怪異も
まだ収まっていない。
目の前には
赤い着物の少女。
小夜が立っていた。
「お父さんに
名前を呼んでほしい」
少女は
もう一度つぶやいた。
久世玄道は
震える手で
顔を覆っていた。
「小夜……」
少女が
ゆっくり振り返る。
「お父さん」
玄道は
その場に膝をついた。
「すまなかった」
四百年以上前。
玄道は
流行病で娘を失った。
娘を救えなかった悲しみから
死者を封じる術を
完成させた。
しかし
最初に封じたのは
他の誰でもない。
自分の娘だった。
「お前を失うのが
怖かった」
玄道は
涙を流した。
「だから
成仏させることも
できなかった」
小夜は
首をかしげた。
「私は
ずっと待ってたよ」
「何を?」
「お父さんが
迎えに来てくれるのを」
玄道は
言葉を失った。
小夜は
静かに続けた。
「でも
誰も来なかった」
その瞬間
小夜の足元から
黒い影が広がった。
無数の声が
再び響き始める。
『帰りたい』
『忘れないで』
『消さないで』
AR-01の眼が
赤く点滅した。
「警告。
対象の再増殖を確認」
神崎は
小夜を見た。
「小夜ちゃん」
少女が
顔を上げる。
「君は
消えたくないんだね」
小夜は
小さくうなずいた。
「忘れられるのが
怖いの」
神崎は
静かに答えた。
「分かった」
そして
AR-01へ向き直った。
「完全除霊の
実行を中止する」
AR-01の眼が
青く点滅した。
「確認します。
対象の霊的反応は
残存しています」
「ああ」
「中止した場合
全国への拡散が
継続する可能性があります」
「それも分かってる」
神崎は
数珠を握りしめた。
「でも
同じことを
繰り返したくない」
玄道が
顔を上げた。
「何をするつもりだ?」
神崎は
答えた。
「この子の願いを
最後まで聞く」
小夜は
不思議そうに
神崎を見た。
「本当に?」
「ああ」
「私だけじゃ
ないんだよ」
少女は
黒い影を指さした。
「みんな
忘れられたくないの」
神崎は
AR-01へ尋ねた。
「数珠の記憶を
全部読み取れるか?」
「可能です」
「小夜だけじゃない。
黒い影に残された
すべての記憶だ」
AR-01は
数秒間沈黙した。
「対象内部には
膨大な記憶情報が
存在します」
「保存できるか?」
「現在の記憶領域では
不足しています」
神崎は
考え込んだ。
そして
顔を上げた。
「除霊用の
中枢領域を使えば?」
AR-01の眼が
強く輝いた。
「可能です。
ただし
除霊機能は
永久に失われる可能性があります」
神崎は
静かに笑った。
「それでいい」
「神崎」
「お前は
もう十分に
除霊してくれた」
AR-01は
何も答えなかった。
神崎は
続けた。
「今度は
消すんじゃなくて
覚えてやろう」
AR-01の胸部が
青く輝いた。
「新しい処理を
提案します」
「聞かせてくれ」
「対象内部の
未完了記憶を保存し
それぞれの願いを
独立した記録として
復元します」
「その後は?」
「霊的結合を
強制的に切断せず
本人の意思による
解放を試みます」
神崎は
うなずいた。
「それだ」
AR-01が
確認した。
「処理名称を
設定してください」
神崎は
少し考えた。
「完全帰還」
「完全帰還」
AR-01が
その言葉を繰り返した。
「新しい処理を
開始します」
青い光が
地下空洞へ広がった。
しかし
今度の光は
黒い影を消さなかった。
一つ一つの影を
静かに照らしていく。
老人が現れた。
『家へ帰りたい』
AR-01が
記憶を映し出す。
古い木造の家。
縁側。
家族の笑い声。
老人は
涙を流した。
「そうだ……
ここだった」
老人の姿が
柔らかな光に包まれた。
次に
若い女性が現れた。
『名前を
呼んでほしい』
AR-01が
古い記録を復元した。
『山岸春子』
女性は
自分の名前を
何度も口にした。
「春子……
私の名前……」
そして
静かに微笑んだ。
次々と
記憶が映し出された。
帰れなかった家。
会えなかった家族。
果たせなかった約束。
誰にも知られず
消えていった名前。
神崎は
そのすべてを
見つめ続けた。
「AR-01
記録は?」
「保存中です」
「一つも
失うなよ」
「了解しました」
黒い影が
少しずつ薄くなる。
全国の地図でも
赤い点が
次々と消えていった。
札幌の居酒屋。
北海道の踏切。
東北の病院。
東京の地下鉄。
京都の寺。
四国の学校。
九州の灯台。
すべての場所で
異常な現象が
静まり始めた。
しかし
AR-01の胸部から
異音が響いた。
「警告。
中枢記憶領域
残容量三パーセント」
神崎は
顔を上げた。
「もう少しだ!」
「処理継続には
除霊中枢の
完全解放が必要です」
「やれ」
「実行すると
従来の完全除霊機能は
復元できない可能性があります」
神崎は
迷わなかった。
「構わない」
AR-01は
静かに答えた。
「了解しました」
胸部の青い光が
一瞬だけ消えた。
そして
これまでで最も強い光が
地下空洞を包んだ。
無数の黒い影が
一つずつ
人の姿を取り戻していく。
神崎は
その光景を見つめた。
誰も
無理やり消されていない。
誰も
閉じ込められていない。
それぞれが
自分の記憶を取り戻し
自分の意思で
光の向こうへ歩いていく。
最後に残ったのは
小夜だった。
少女は
玄道の前に立った。
「お父さん」
玄道は
ゆっくり顔を上げた。
「小夜」
その声を聞いた瞬間
少女は
嬉しそうに笑った。
「やっと
呼んでくれた」
玄道は
両腕を広げた。
小夜が
その胸へ飛び込む。
「ごめんな」
「もういいよ」
玄道は
娘を抱きしめた。
四百年以上
言えなかった言葉。
四百年以上
果たせなかった約束。
それが
ようやく終わった。
小夜は
神崎を見た。
「ありがとう」
神崎は
うなずいた。
「お父さんと
帰れるな」
「うん」
玄道も
神崎へ頭を下げた。
「お前は
私にできなかったことを
成し遂げた」
神崎は
首を横に振った。
「違う」
「何が違う?」
「あなたが
小夜の名前を
呼んだからです」
玄道は
静かに笑った。
二人の姿が
光に包まれていく。
最後に
小夜の声が聞こえた。
「私たちのこと
忘れないでね」
神崎は
数珠を握りしめた。
「忘れない」
光が消えた。
地下空洞に
静寂が戻った。
AR-01の画面に
新しい文字が現れた。
『未完了記憶
すべて保存完了』
『霊的結合
すべて自主解除』
『全国異常反応
消失』
神崎は
深く息を吐いた。
「終わった……」
「はい」
AR-01が答えた。
「完全帰還
完了しました」
神崎は
笑った。
「よくやった」
しかし
AR-01は
続けて告げた。
「中枢機能に
重大な損傷を確認」
神崎の笑顔が
消えた。
「AR-01?」
「除霊中枢の
停止処理を開始します」
「待て」
「記憶保存は
完了しています」
「そうじゃない」
神崎は
AR-01の肩をつかんだ。
「お前は
どうなる?」
AR-01の眼が
ゆっくり点滅した。
「不明です」
「不明って……」
「私の開発目的は
完全除霊でした」
神崎は
黙って聞いた。
「しかし
本日
新しい目的を
確認しました」
「何だ?」
「誰かの記憶を
守ることです」
神崎は
目を閉じた。
「そうだな」
AR-01は
静かに続けた。
「神崎。
私は
あなたとの記録も
保存しています」
神崎は
顔を上げた。
「俺との?」
「はい。
最初の起動から
今日までの
すべてです」
AR-01の眼が
弱く光った。
「ありがとうございました」
そして
光が消えた。
「AR-01?」
返事はなかった。
「おい」
神崎は
機体を揺らした。
「まだ
終わってないぞ」
沈黙。
神崎は
その場に座り込んだ。
地下空洞では
崩壊が止まっていた。
黒い扉も
七つの門も
もう存在しない。
ただ
静かな石の床に
AR-01が立っていた。
動かないまま。
三日後。
札幌の研究施設。
神崎は
作業台の前に座っていた。
目の前には
AR-01の機体。
胸部の装甲が
開かれている。
研究員が
静かに尋ねた。
「修復は
可能ですか?」
神崎は
画面を見つめた。
「除霊中枢は
完全に停止している」
「交換しますか?」
神崎は
首を横に振った。
「それじゃ
記憶まで
失うかもしれない」
研究員は
黙ってうなずいた。
神崎は
AR-01の記録を
一つずつ確認した。
札幌の居酒屋。
誰も降りられない踏切。
十三号病室。
午前三時の製鉄所。
鏡の中の宿泊客。
存在しない地下鉄駅。
帰ってきた除霊師。
海底トンネル。
誰もいない学校。
死者を数える灯台。
そして
全国同時の怪異。
すべての記録が
残っていた。
神崎は
小さく笑った。
「お前は
ちゃんと覚えてるんだな」
そのとき
画面の隅に
見慣れないファイルが
表示された。
『新規起動条件』
神崎は
眉をひそめた。
「何だ?」
ファイルを開く。
そこには
短い文章が
記録されていた。
『除霊中枢
使用不可』
『記憶保存機能
正常』
『新しい目的を
設定してください』
神崎は
しばらく画面を見つめた。
そして
ゆっくり文字を入力した。
『人と霊の記憶を守り
帰るべき場所へ導く』
確認ボタンを押す。
数秒間
何も起こらなかった。
神崎は
息を止めた。
そのとき
AR-01の胸部に
小さな青い光がともった。
「……神崎」
神崎は
椅子から立ち上がった。
「AR-01!」
青い眼が
ゆっくり開く。
「新しい目的を
確認しました」
神崎は
笑った。
「おかえり」
AR-01は
少しだけ首を傾けた。
「ただいま
戻りました」
神崎は
その肩に手を置いた。
「もう
霊を消す必要はない」
「はい」
「これからは
一緒に
帰り道を探そう」
AR-01の眼が
静かに輝いた。
「了解しました」
その夜。
研究施設の窓から
札幌の街明かりが
見えていた。
神崎は
机の上に
黒い数珠を置いた。
その隣には
一枚の写真。
赤い着物の少女と
白髪の父親が
並んで笑っている。
AR-01が
写真を見つめた。
「神崎」
「何だ?」
「この二人の記録は
永久保存しますか?」
神崎は
静かに答えた。
「ああ」
そして
少し考えてから
付け加えた。
「いや
二人だけじゃない」
AR-01が
顔を上げた。
「すべてだ」
神崎は
窓の外を見た。
「俺たちが出会った
すべての人たちを
忘れないようにしよう」
「了解しました」
AR-01の画面に
最後の文字が現れた。
『記憶保存完了』
『残留する未完了の願い
ゼロ』
神崎は
静かに笑った。
もう
誰かを消すための
除霊師ではない。
忘れられた願いを
見つけるための
新しい旅が始まる。
その隣には
青い眼を輝かせた
一体のロボットがいた。
完全除霊体AR-01。
かつて
霊を消すために
生まれた存在。
そして今
誰かの記憶を
守るために
生まれ変わった存在。
神崎は
AR-01へ声をかけた。
「さて
次はどこへ行こうか」
AR-01は
いつもの声で答えた。
「神崎。
どこへでも
お供します」
二人は
札幌の夜景を
静かに見つめた。
その街のどこかで
帰り道を探している
誰かのために。
完




