【1-1】国家転覆
それは突然落ちる落雷のようだった。
一昨日、我が国の第一王子にして、実兄だったコンラッドは死んだ。王都の大通りを、黒い葬儀の列がゆっくりと這うように進む。先頭を行くのは、兄の棺を載せた馬車だ。蹄の音だけが、凍てついた石畳に響いていた。
そんな馬車の後ろを、私たち王族は歩いていた。黒い影は、雪に覆われた白銀の世界において、ひどく不気味な染みのようだった。現実のこととは思えぬショックから、私の足はどんどんもつれていく。
「アンネリーゼ様、肩が濡れています。傘を差し上げても?」
背後から低く抑えられた少年の声がする。私はゆらゆらと揺れて小さくなる黒から目を逸らせなかった。ハァ、と吐いた小さなため息は白い空気となって雪と混ざって消えていく。
「アンネ様、失礼しますよ」
返事も待たず、声の主は私の肩に積もった雪を払い、静かに傘を寄せた。その手つきは繊細で、まるで壊れ物を扱うようだった。薄く黒いベールの向こうにある赤い瞳が、心配そうに私を覗き込んでいる。
(……あぁそんな顔しないでよ、ルカ)
貴方がそんな優しくするから、閉ざそうとした気持ちがまた溢れてきてしまう。
「平気よ、私は王女ですもの」
「……アンネの嘘つき」
ルカは私にしか聞こえない微かな声で毒づくと、手袋越しに私の左手を強く握りしめた。まだ少年の柔らかさを残したその体温が、今はひどく疎ましく、そして温かかった。
私は彼の手を握り返せなかった。
やがて、隊列は大聖堂の巨大な扉の前で止まった。重厚な鐘の音が鳴り響き、鉄の扉がゆっくりと開かれる。
その瞬間だった。
冬の冷たい空気には似つかわない、もっと湿度の高い、粘着質な「熱」が押し寄せてきたのは。
大聖堂の中では数百人の貴族が並んでいた。彼らは王族に道を空けたが、喪に服してなどいない。扇子の隙間から覗く視線、汚く細められた目線は「敗北者」の棺に向けられていた。周囲を覆い尽くす貴族と、やけに高い天井が、彼らの心の声を反響させている気がする。
——側室の子は死んだ!
——やはり重んじられるべきは血統だ。
——あの忌み子の魔女も、じきに消える。
私は嫌な圧を感じたが、視線は下げず、顎を引いて前を見据えた。ここで弱さを見せれば、ハイエナどもに食い殺される。
(どうせ考えているのはこんな所でしょう。次期国王になるはずだった立場の人間が死んだというのに)
私は、ちらりと横目で隣を見た。
貴族たちが「安泰だ」と崇める次期国王、次兄レトの姿を。彼は棺を見つめながら、顔面蒼白で、何かに怯えるように小刻みに震えていた。まるで、この場の空気に酔って、今にも吐き出しそうなほど消耗している。その背中を、母親であるヒルデガルド正妃の視線がナイフのように鋭く突き刺していた。
(……あんな状態で、王になれるわけがない)
私は、視線を戻して前を行く棺を見つめた。
箱の中に閉じ込められた兄様は、今、どんな顔でこの茶番を聞いているのだろうか。
***
化物の巣窟のような聖堂を後にし、王宮の自室へ戻れたのは夜も深まる頃だった。
雪に濡れた重い上着を脱ぎ捨て、ようやく私は信頼する従者——ルカと二人、ソファに身を沈めた。
「ルカ、兄上の死因は何と公表されたの」
「服毒自殺、だそうです。王位の重圧に耐えかねた、という偽りの遺言書と共に」
ルカは悔しげに顔を歪め、窓の外、暗闇に沈む大聖堂を睨みつけた。
「貴方なら分かっているはずよ。兄様がそんな理由で私を置いていくはずがないわ」
「ええ……! あの方は、誰よりもアンネを守ろうとしていた。なのに自殺なんて、するはずが!」
ルカは声を殺し、静かに泣いていた。兄の死は、あまりにも不自然で、あまりにも合理的だ。彼を排除し正妃の子を王に据える。その筋書きを書いた黒幕は、一人しかいない。
「……次に殺されるのは、私ね」
口にすると、死の気配が私のすぐ後ろに立っている気がした。
私は王位から遠い存在だった。だが、母から受け継いだ「強すぎる魔力」という呪いが、私を盤上の駒として残してしまった。
「ヒルデガルド夫人は大きな公爵家の一人娘。彼女は絶対に王家との繋がりを持たなければならなかったのよ」
「ようは第二王子を王位につかせて、自分達の好きなように政治を進めたいのだろう?」
ソファに背中を預けたルカは、少し腫らした目でこちらを射貫いた。
「アンネ、君はこの先、第二王子が王妃の傀儡となって、腐っていくこの国を見ていられるのか?」
ルカの問いに、私は何も答えられなかった。
見ていられるはずがない。けれど、今の私には盤面をひっくり返す「駒」も、戦うための「剣」も何一つ残されていないのだ。
「分かっているわよルカ……でも今は無理よ。耐えるしかないの」
私は重たい息を吐き、ソファから立ち上がった。
窓の外では、雪がまだ降り続いている。この雪が、私たちの足跡も、兄様の死の真相も、全て白く塗りつぶしてしまうような気がした。
「今日は休みましょう。きっと明日はもっと冷えるわ」
私達はそれぞれの寝床についた。しかし眠りにつくことなど到底叶わなかった。
***
翌朝、私の予感は的中した。
まだ朝食のスープも冷めやらぬうちに、部屋の扉がノックされたのだ。現れたのは、正妃直属の文官だ。その手には、父王の印章と王妃の署名が並ぶ、忌々しい勅命が握られていた。
「アンネリーゼ殿下、朝食中に失礼いたします。国王陛下より急ぎの勅命をお預かりしております」
私は立ち上がると、跪いて羊皮紙を差し出す彼と目をあわせた。
「あら、王妃様の犬が陛下の使いを? ご苦労なことですわね」
皮肉を投げたが、文官の表情は動かない。彼は立ち上がり、恭しく一礼すると木箱を机に置いた。
(父様、貴方はまたあの女の言いなりなのね)
私は唇を噛みながら、ナイフで封を切る文官を見つめた。彼は真顔で、淡々と連絡事項を述べた。
「『息子、コンラッドの崩御に伴い、国内の大結界の維持が困難である。高い魔力を持つアンネリーゼを、結界の『生体核』としての任に就任することを命ずる』」
たった今、私の人生は、この紙切れ一枚によって潰されようとしていた。
「……生体核、ですって?」
「はい、直ちに地下の魔石の間にご移動を願います。結界維持のため、原則として外出は禁じられることになります」
私は指先が冷えていくような、目の前が現実味を帯びなくなるような感覚に襲われた。
生体核。地下深くの魔石の間で、その身を魔力抽出の触媒として捧げる家畜。一度入れば、二度と日光を拝むことは叶わない、生きたままの葬送。
「結界の維持は、父様と兄様の二人で行っていたはずよ」
「左様でございます」
文官は表情一つ変えずに答えた。事前に組み上げられたセリフの一部であるかのように、澱みなく、血の通わない声を紡ぎ続ける。
「ですが、コンラッド殿下は亡くなり、陛下もまた、心労により床に伏せっておられます。」
「……だから、私にやれと?」
「はい。殿下は王族の中でも稀有な魔力量をお持ちですので、お一人で十分……との判断でございます」
ルカが横から手紙を覗き込み、息を呑んだ。
「正気ですか!? アンネリーゼ様はこの国の第一王女、王位を継ぐ権利を持つお立場ですよ!」
「国の危機でありますゆえ」
文官は嘘をついていた。王家には予備の魔石がある。それをあえて使わず、私を指名した。兄を殺し、私を地下に埋める。王妃ヒルデガルドは、慈悲のかけらもないチェックメイトを打ってきたのだ。
しかし、私とて易々と引き下がるわけにはいかない。
「直ちに、地下の魔石の間へご移動を。拒否はあなたの従者共々、反逆者とみなされます」
「勘違いなさらないで頂きたいの……私はね、お前如きがそのような態度をとっていい相手では無いのよ?」
私がふっと細く息を吐いた瞬間、床に無数の魔法陣が出現する。自室の床から鋭利な氷の棘が爆発的に突き上げ、文官の喉元わずか1ミリの位置でぴたりと静止した。
一瞬で部屋を極寒の檻へと変えた私の魔力圧に、騎士たちも、さっきまで平然としていた文官も、顔面を蒼白にしてガチガチと奥歯を鳴らす。
「私がこの気まぐれな指先を一つ動かせば、あなたたちの首など一瞬で落とせるわ。私が地下へ行くのは、勅命だから。お前たちの脅しに屈したからではないのよ」
文官の背後で、武装した騎士たちが音を揃えて構えた。その刃は、人を殺める道具は我々に向けられている。これ以上はルカに危険が及ぶ。
私は魔術を解除し、震えるルカの肩をそっと押し、一歩前へ出た。
「アンネ!」
「いいのよ、ルカ。地下なら、誰にも邪魔されずに魔術の研鑽に励めるもの」
「……賢明な判断、感謝いたします」
振り返って視界に映ったルカは泣きそうな顔をしていたが、私はルカに向かって、悪役のように微笑んだ。
「安心なさい。プリンセスというのは、いつだって攫われて閉じ込められるものよ……そして必ず、最後は自力で檻を壊して帰ってくるの」
***
湿った石畳にカツンカツンと、見張りの騎士達の足音が重く反響する。どこまでも下へと伸びる螺旋階段は、日の光も小鳥のさえずりも聞こえない。
巨大な鉄の扉が、耳障りな音を立てて開かれた。中央に鎮座するのは、鼓動し、青く光る巨大な魔石。そして、それを囲むように張り巡らされた無数の魔導回路の銀線。
「これが、魔石の間……」
私は騎士達に促され部屋に入る。ここは私の墓か玉座か、どちらになるのだろうか。
「大結界が貴女の魔力を求めております。アンネリーゼ様、どうか我が国の礎となって下さい」
言葉とは裏腹に、背後で扉が閉まる音は、檻の鍵を閉める音と同じだった。騎士たちの足音が遠のき、後には不気味な魔石の脈動音だけが残される。
魔導回路が白く発火した。私の腕に光の糸が勢いよく絡みつき、それは皮膚を焼き切るような熱を持って食い込む。
私の意思とは無関係に、血管の奥から魔力を引きずり出される感覚。大した魔力量を吸われていないはずなのに、どうしてこんなに辛いのか。
「っ……、ぁ……!」
立っていられず、私は湿った床に膝をついた。
だが、これは魔力が枯渇したための悲鳴ではない。むしろ逆だ。
私の内側に眠る莫大な魔力が、抽出システムの「細すぎる回路」へと強引に引きずり出されることで、凄まじい摩擦を発生させていた。周囲には焦げるような匂いが立ちこめている。
(くっ、私の魔力はほとんど細すぎる回路の摩擦で消えてしまっている。なんて効率が悪いのかしら)
身体の血管が沸騰しているような気がする。視界が白く明滅する。それでも、私は意識をギリギリのところで手放さない。
ここで眠れば、私はただの「部品」として焼き潰される。
——その時だった。
『拷問に耐えかねて意識喪失かと思っていたけど……その抽出圧に文句を言えるほどの余裕はあるのね』
少女の鈴のような声が狭い部屋に響く。カサカサと生き物が這う音がし、私は重たい瞼を細く開けた。
(何あれ、ネズミ?)
だが、近寄ってきたそれは、生き物ではなかった。針金や魔石を組み合わせてできた、精巧なガラクタと表現しようか。
『あぁ、触らないで壊れてしまうわ。ネズミ型偵察機試作216号ちゃんよ……はぁ、貴方の声がうるさくて宰相の密談が聞き取れなくなっちゃったじゃないの』
ネズミの形をした「それ」が、カチカチと顎を鳴らして喋った。呆然とその様を眺めていると、奥の暗闇から少女の姿が浮かび上がる。
透けるような白い肌、黒い髪。そして、すべてを見透かすような、キリリと意志の強い瞳。私より少し年下に見えるその少女は、幽霊のように足を浮かせ、重力を無視して私を見下ろしていた。
「……あなた、誰?」
石畳の上にポタポタと水滴が垂れる音が聞こえる。彼女は頭を横に振ると、呆れた顔を浮かべた。
『自分から名も名乗らずに尋ねるなんて、失礼ね……それにしても、我が国の結界もずいぶんと燃費の悪いガラクタを生体核に選ぶようになったものねぇ』
少女は冷たく笑うと、私の腕に食い込む光の糸を、汚いものを見るような目で見つめた。私は、焼けるような痛みに耐え、脂汗を流しながらも、彼女を真っ向から睨み返した。
「……ガラクタ、ですって? これでも、外ではこの国では最強格の魔女と……呼ばれていたのだけれど」
『最強? 冗談はやめて。18年も生きてきて、その程度の魔力制御しか組めないなんて。私の時代の赤子の方が、まだマシな魔力操作をしたわよ』
私は悔しさに歯を食いしばった。こんな私より小さな子に何が分かるというのか。
少女は、私の腕で弾ける魔力の火花を指差し、鼻で笑った。
『ねえ、どうしてその糸を切らないの?』
「切る? 馬鹿なことを。これは結界のシステムそのものよ。物理的な実体を持たない術式を切断する術なんて、どこにも」
『ハサミくらい、自分で作りなさいよ』
少女はさも当然のように言い放った。
「……は、ハサミ?」
『貴方のその白い髪色、得意なのは氷の魔術でしょ? 糸はハサミで切るものよ。氷でも作れるわ』
生意気な少女は手をピースの形にして、チョキチョキ、などと言いながら私の目の前で笑っていた。
そんな彼女の言葉は、私が18年間積み上げてきた魔術の常識を、根本から叩き潰すものだった。魔術は、理論と構築の積み重ねだ。そんな子供の夢想のように、自由自在に振るえるものではないはずなのに。
『ハァ、仕方ないわね』
動かない私を見かねてか、少女は、氷の刃で私に絡みつく糸をいとも簡単に切り裂いた。光の糸は力を失い、ゆらゆらと陽炎のように消滅していく。
「本当に……切れた」
『いや、魔術はこういうものでしょ? 考えたものを具現化する力よ』
全身を焼いていた摩擦熱が引き、代わりに氷のような少女の魔力が肌を撫でる。
「理論も、何も無しにこんなことを……今の魔術体系ではないわね。貴女、一体いつの時代の人間なのよ」
『さぁいつかしらね。三百年くらい前までは数えていたけれど、途中で飽きちゃったわ』
くるくると宙を回り、目すら合わせない態度は、私の困惑など取るに足りないと体現しているようだった。
『もー理論、理論って、本当に頭のお堅い人ね。貴女が「最強」なんて呼ばれていたのは、単にこの時代の魔術が退化して、出力の大きさだけで勝負する野蛮なものになったからよ……見てなさいな』
彼女は指を弾くと、部屋の隅に転がる鉄屑が歪な音を立てながら組み合わさっていく。
気がつくと鉄屑は不格好な騎士のような形になり、カシャカシャと金属がこすれる音を立てながらこちらに一礼した。
『この甲冑には命が宿っているわ。まあ魔力が尽きれば、またただの塵になるけどね』
私の思考はここで完全に停止した。理論を積み重ねた先にしか存在しないはずの術式が、彼女の手の中ではただの『遊び』のように命を宿している。見たことが無い魔術に、ただただ私は目の前の光景が信じられなかった。
少女は私に向かって手を伸ばすと、両手で私の頬を包み込み、強引に視線を合わせる。
『貴方も捨てられた王族なんでしょう?なら、もう王族ですらない。哀れなゴミ同士仲良くしましょうね』
少女はにこりと笑うが、そのあどけない笑みの奥に、遙か昔から蓄積されてきた暗闇と、底知れない狂気が凝縮されているのを見て、私は息を呑んだ。
「……誰が、ゴミよ」
火傷で痛む体を奮い立たせ、冷徹に睨み返す。どこまでも黒い目の奥に吸い込まれていくよう気がした。
すると、少女は我慢できないと言わんばかりにクスクスと笑い始めた。
「何がおかしいの」
『だって、可笑しいじゃない。最強だなんて持て囃された挙句、たったこれだけの糸に雁字搦めにされて、焼かれて、死にかけてる……あー滑稽。ねえ、貴女の十八年は、意味も無い魔術理論の構築だけなの?』
私の頬を包む少女の手は、氷よりも冷たい。けれど、不思議と心臓を鷲掴みにされるような威圧感があった。
汗を流しながら、彼女の手を無理やり振り払おうとした。だが、指先一つ動かせない。
「……名乗りなさいよ。亡霊に馬鹿にされて、のこのことくたばるつもりはないわ」
『あはっ、いいね。死に損ないのくせに、まだそんなに傲慢なんだ』
少女は楽しそうに身を翻し、高い天井の暗闇に混ざっていく。人形がカタカタと音を鳴らしながら彼女の降臨を祝福するように踊り始めた。
『あぁ、本当に久し振りに名乗るわね。噛まずに言えるかしら』
少女は、中央に置かれた青い魔石の上に、音もなく足を下ろした。
慣れた動作でドレスの裾を摘まみ、王族だけが許された完璧なカーテシーを披露する。
『私の名前は、シエル・シルヴレッタ。貴女たち王族が、歴史から消し去り、その上に胡坐をかいている初代生体核の名前よ……そうねぇ、貴方はまず、年上に対する態度から身につけましょうね』




