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ユリは結局鍋を焦がした。
鍋の中にはまだ食べられる昨日の残りが入っていたのに。
メインがその具沢山のスープだったから、主食のパンしかない。
夕飯のおかずになる具材もなかったから、ユリには何か食べ物を買ってくるように伝えて、渋るユリを家から追い出した。
自分で焦がしたんだから、責任を持って、自分でどうにかするべきだろう。
そして、部屋には私とシフトだけが残った。
別にいつものことだからと、特に気にせず、また机に戻って腕時計に目を落とす。
これは、私の仕事だ。
私は魔女としての仕事を得ていない。
だからこれは、魔女ではなく、ネジという私そのものが、私の力で獲得した仕事だ。
分解途中の時計には沢山の歯車と螺子がある。その一つ一つを取り出して、組み立てる。噛み合わせが悪ければ、どこが悪いのか調べ、摩耗なら部品を取り換え、滑りが悪ければ、油を足す。
細かく、繊細な作業は、没入感がある。
無心で機械をいじる。
カチャカチャという小さな音が、静まり返った部屋に響いている。
シフトは勝手にキッチンに行って暖かい飲み物を2つ入れてきた。
匂いからして、多分紅茶。
私の好きなやつ。
「ありがと」
コトンと目の前に置かれたマグカップはちゃんと私のものだ。
昔、誕生日にシフトに貰った。
まだ使えるから、ずっと使っている。
「今日は腕時計なんだね」
シフトは目の前の椅子に座りながら、紅茶を飲む。
昔は両手で持って可愛かったのに。
今じゃ片手だし、コップが小さく見える。
「うん。八百屋のじーさんちのやつ」
小さい街だ。当然人との距離も近い。
最初こそ魔女だと警戒されたが、今はもう、そこら辺にいる若者と大差なく接してくれている。
八百屋のじーさんの腕時計は、奥さんに貰った思い出の品だそうだ。
大事に大事に使ってきたのがわかる年季の入りようだった。
「ふぅん…。ねぇ、結婚しようか?」
「しない」
バカなのか?
なんで脈絡もなく、今言い出した?
「だって、戦争になっちゃうじゃん。そうなったら俺は戦争からは逃れられないし、その間誰がネジを守るの?」
「別に守ってもらわなくていい」
自分の身は自分で守る。
それは当然の事だ。誰かに守ってもらう子供の時代はとっくに過ぎ去った。
シフトを見ると、不満げに眉を寄せている。
全然納得していない顔だ。
それが懐かしくて、つい、ふ、と笑ってしまう。
「そんなに心配しなくても、戦争にはならない」
戦争を起こしたい訳じゃない。
無用で無益な争いは、誰の為にもならない。
「ユリには言わなかったけど、私はあれを大衆に売るつもりなんかない」
ユリには、考えてほしかった。
一方の理論だけを信じてきたユリには辛いかもしれないけれど、未来を作るのは、私や、シフト、そしてユリ達だ。
ユリは魔術師側の新進気鋭の若手だ。
そのユリがどう動くのかで、きっと未来は少しずつ変わっていく気がする。
「……師匠のとこ?」
「お。流石。騎士団団長なだけあるじゃん」
シフトは考え込んでいたけれど、それは少しの時間だった。
そのリスク管理能力は、騎士団生活の賜物だと思う。
「魔術管理部門に卸す。それがお前のとこに回る。そうすれば公権力だけが魔術師と対等になる」
じっとシフトを見つめる。
シフトはそれがどういう事か、ちゃんとわかっている。
「私は、母さんとお前を信用してる」
その信頼がなければ、成り立たない。
大衆が手にしてしまえば、それは復讐になる。復讐は新たな復讐を。そうして広がる争いは、やがて大きく止められなくなる。
そうならない為には、私利私欲で動かない公権力が力を持つしかない。
でもそれは公権力が腐っていない事が大前提だ。
本当なら、私には公権力が腐っているかどうかわからない。
でも、魔術管理部門のトップと、騎士団のトップが、母とシフトである。そのことだけが、私が公権力を信用できる理由になる。
「だから大丈夫。同情で結婚なんかしなくてもいいんだ」
「…………は?」
ピタリとシフトは固まってしまう。
その低い低い声は、あまり聞いた事がない。
声変わりが終わっていない少年のものじゃない、大人の男の声だ。
「なんだ?なに怒ってるんだ?」
親切で言ってやったのに。
シフトが結婚だの婚約だの言い出したのは白魔女狩りが始まったからだ。
それはつまり、白魔女である私を心配して、守ろうとしたからに過ぎない。
そこに親愛はあっても、色恋はない。
だから同情でそんな事しなくてもいいと、そう示してやったのに。
「俺が同情で結婚を迫ったとでも?」
「そうだろ?」
このタイミングで結婚を迫られてそう思わない方がおかしい。
「手紙であんなに好きだって伝えたのに…?」
「あのストーカーの手紙だな。あれ、ネタだろ?」
あんなに5年間、好きだ愛してるって手紙が届き続けて、しかも私は一度も返事を返していないのに、未だに届く。
あんなのネタにしか思えない。
嘘だとは言わないが、それは親愛を勘違いしただけの、誤った刷り込みのような恋心だと思う。
「ねっ……ネタ!?そんなわけないけど!?全部本気だけど!?」
「またまたー!冗談だろ?」
「一度も冗談で送ったことなんてないけど!?……えっ、待って待って待って。じゃ、俺がいつもネジを見守ってたのは!?」
「ああ…あの24時間監視してる魔術な…。お前、マジであれ、止めろって。魔力の無駄遣いだし、あんなん意味なくね?」
「意味がない…?」
あ、失言だったかも。
これじゃ、監視を抜け出して外に出てるって言ってるようなものだ。
案の定、シフトはすぐに気付いたらしい。
「……え?外、出てるの…?」
「そりゃ出るだろ。軟禁されてるわけじゃないんだし」
お前の知ってる外出だけだ、とちょっと言い訳じみた雰囲気を出しつつ答える。
でもシフトはそれで良しとはしない。
うん、知ってた。意外としつこいんだよな…コイツ。
「ねぇ、監視が意味ないってどういう意味?俺の知らない内に知らない所、行ってないよね…?」
発言がヤンデレ。
普通に怖い。
「ははは。まさか。そんな。行ってない行ってない」
「嘘だ」
シフトの声には確信がある。
私達は幼馴染だ。だから互いの癖も好き嫌いもよく知っている。当然、嘘も見抜ける。
「なんで?どうやって抜け出したの?」
監視は完璧だった筈なのに…。
ぶつぶつと呟く声に、ストーカー特有の支配欲が混ざっている。
「いやー…まぁちょっと…」
「ちょっとって何?」
「えー…企業秘密で」
「許さない。ちゃんと答えてくれないと、燃やす」
え、怖…。
燃やすって何を?家?庭?え…まさか、私?
物理的な命の危険を感じる。
「わかった。話す。話すから、落ち着け」
とりあえず、その殺気をしまって欲しい。
どうどうと、シフトに向かって両手を突き出す。
シフトは物凄く機嫌悪くそれを眺めている。
私、悪くないと思うんだけどなぁ…。
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