CASE 02:察してしまうベッド販売
ヴィンセントは目を開けた。朝だ。おもむろに腕時計を確認する。
――5時過ぎ。
寝袋から身を起こし、視線を巡らせる。窓際でジョージがタバコを吸っていた。
傍の灰皿には、すでに何本か吸い殻がある。どれも、フィルター近くまで吸われていた。
「痛ぇのか」
声は質問というより、事実確認に近い。ジョージは答えない。代わりに煙を大きく吐く。
「吸いすぎだ」
「知ってる」
「眠れてねぇな」
「いつものことだ」
「薬は」
「裏切られた」
「擬人化すな」
ヴィンセントは短く鼻で笑い、ジョージを一度だけ見た。
「その調子で床寝は無理だ」
「……今さらか」
「今さらだな」
ジョージの声は少し尖っていた。機嫌が悪い。右脇腹に手をやっている。ヴィンセントは気にする事なく笑った。
「よし。今日、ベッドを買いに行くぞ」
「命令か」
「忠告だ」
ヴィンセントは窓を少しだけ開け、冷えた空気を入れる。
「ベッドって言っても、ここだぞ」
床を視線だけで示す。広いが、立って歩ける場所は狭い。シングルベッドを二つ並べれば、さらに狭まる。
「並べる余裕はねぇな」
「だな」
ヴィンセントは部屋を一度見回し、天井を見上げた。
中央は高く、空間に余裕がある。
「縦に使う」
「……二段か」
「ああ」
ジョージは一拍置いた。
「俺は下」
「デカい俺が上だと? 理由は?」
「お前の安眠を守るためだ」
ジョージは短くなったタバコを灰皿に押し付けた。
「夜中にこの欠陥品の腹が騒ぐたびに、俺はトイレに駆り出される。お前はそのたびに飛び起きるだろ。それに、寝ぼけて落ちたら終わりだ。俺は腹が開く」
俺は腹が開く押し潰したタバコの先で、灰皿の灰を無造作に寄せた。
「……そんな再現訓練、戦場だけで十分だ」
ヴィンセントは少しだけ黙った。
「……十分だ」
「今の理由としてはな」
「いや、全部だ。下はお前だ」
確認でも提案でもない。事実を口にしただけの声だった。
「だな」
「と、すると問題は――」
「耐荷重」
「そう」
短い言葉だった。ヴィンセントは楽しそうに笑った。
彼の鎧のような身体は100キロを超えている。
「だから中古は却下だ」
「……高くなる」
「なるな」
それだけで話を切る。
ジョージは床に視線を落とし、しばらく考える素振りを見せた。
「今の貯金は、できるだけ手をつけたくない」
「分かってる」
「なら――」
「これは消耗品じゃねぇ」
ヴィンセントは被せるように言った。
「治療費でも、贅沢でもない。
寝床だ。壊れたら終わる類のやつだ」
ジョージは小さく息を吐いた。
「……新品で、ちゃんとしたやつ」
「俺は寝相が悪い。だから、寝返りをたくさん打っても耐えられるやつ」
「耐荷重重視」
「揺れない」
「軋まない」
「上が落ちない」
「下が潰れない」
「「どっちも死なない」」
「それ、重要だ」
箇条書きのように言葉が並ぶ。
最後に、ヴィンセントが付け足す。
「お前、今日は工具触るな」
「命令か」
「忠告だ」
さっきと同じ言葉だった。ジョージはそれを聞いて、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
「……分かった」
それ以上、何も言わない。
ヴィンセントは立ち上がり、ジャケットを掴んだ。
着込みながら、ジョージに促すように言う。
「先にシャワー浴びて来い。朝メシは俺が用意する」
「期待はしない」
「するな」
その言い方だけは、妙に優しかった。
◇
開店直後の家具屋は、まだ眠気の残った空気に包まれている。
自動ドアが開くと、木材と新しい布の匂いが混じった、独特のにおいがした。
展示用の家具が整然と並び、床はやけに広く感じられた。
客はほとんどいない。
年配の夫婦が一組、ソファを眺めているだけだ。
ヴィンセントは一歩入った瞬間、店内を見回した。
「静かだな」
「平日の朝だ」
「好きだ。考える時間がある」
若い店員が気だるそうに近づいてきた。名札が少し傾きかけている。
「いらっしゃいませぇーー。何をお探しですかぁー?」
「ベッドを探しに」
店員は2人を見て一瞬、目線を泳がせた。人種が違いすぎる。
明らかに、血は繋がっていない。
「シングル2つ?」
「いや」
「2段だ」
被せ気味に、ヴィンセントが続ける。
「重い俺がある程度動いても確実に耐えられるやつだ。連続でもな」
店員の視線が、反射的にヴィンセントへ向かう。
次にジョージ。
もう一度ヴィンセント。
「……“ある程度”? “連続”? まぁ……あ、ああ……なるほど……」
納得したような、していないような声だった。
タブレットを操作しながら、言葉を選ぶ。
「んでしたら……こちらになります」
店員は少し声を落とし、店内の隅に案内する。少し仄暗い。
二段ベッドのフレームには埃。
「政府からの払い下げ品で、新中古品です。――使用は、されていません」
「政府からの?」
「ええ、なので、型番はありません。……追えない、と言いますか。
ですが、耐久性は市販品よりはるかに高いです」
ヴィンセントは何も言わず、フレームを掴んだ。
軽く揺らす。揺れない。
「……硬ぇな」
「ええ。揺れませんし、音も出にくいです」
店員は早口になっていた。
「構造的に、簡単には動かせません。固定前提の設計ですので。値段も高くはありません」
ジョージは屈み、下段を覗き込んだ。
継ぎ目は少ない。特殊な工具で組まれているのが、一目で分かる。角という角が、不自然なほど丸い。
四隅には、床固定用のアンカー。
――継ぎ目でも、補強でもない穴がある。
配置は左右対称。肩、腰、足首。人体基準の位置だった。
使われていない穴だ。だが、“使われる前提”で、そこにある。
「……拘束用の設計だな」
ジョージの言葉は淡々としていた。ただの事実確認だった。それ以上の意味はない。
――刑務所か、あるいは矯正施設か――
そういう類の施設から出てきたベッドなのだ。
店員の肩が、ほんの僅かに跳ねる。
「そ、そういう表現も……できますね」
否定はしなかった。
「安全のため、です」
何の安全かは言わない。
「転倒防止、ですし。怪我をしにくい設計ですし。……逃げにくい、というか」
最後の一言は、自分でも言ってから気づいたようだった。店員は咳払いをして、慌てて言い直す。
「いえ、その……“想定外の動きが起きにくい”という意味で……
とにかく、丈夫なんです。ええ。たくさん動いても、これなら壊れる心配はありません」
ヴィンセントは満足そうに頷いた。フレームをもう一度叩き、笑った。
「最高だな! なぁ、俺たちにぴったりだな! ジョージ」
「そうだな」
即答だった。迷いも、含みもない。
店員の指が、タブレットの画面で止まった。
――ぴったり。
――俺たち。
視線が、2人の体格差をなぞる。
無骨なベッド。
丸められた角。
床固定用のアンカー。
拘束具を通す用の穴。
揺れない構造。
音が出にくい設計。
頭の中で、点と点が勝手につながっていく。
(……ああ、そういう……)
関係。そしてさらに、趣味。
店員は小さく息を呑み、即座に結論を出した。
――聞かない。
――深掘りしない。
――プロとして、最後まで売る。
「……こちら、即日お持ち帰り可能です」
声が、さっきより一段だけ丁寧だった。
「工具の貸し出しもございます。返却期限は、厳守でお願いします」
それが何を意味するのか、店員だけが別の文脈で理解していた。
ジョージはそれに気づかず、淡々と頷く。
「問題ない」
「ですよね……」
店員はもう、2人と目を合わせなかった。
――理解した客。
――理解してはいけない用途。
その二つを、同時に棚上げする。
それが一番、平和だった。




