【日記】2026/07/15(水) 政治:宗教と宗派に対する価値観の変化。+余談①〜⑥反自由民主党、四毒抜き経過など。(約9500字)
ご覧いただきありがとうございます。オトオリと申します。
私はあらゆる方面に知識のない無学者ゆえいろいろと調べながら小説・散文・日記などを執筆している一筆者です。
※作品の文体とは一部異なります。
※多くは私見に基づく個人的意見です。
※〖〗内は主に検索ワードやAIプロンプトとして使えます。
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この頁のきっかけは、先週に掛けて書いて今週日曜日に投稿した(自衛隊へのパランティアAI導入についての)私見と通ずるものがあるので、同じく先週2026/07/10(金)に配信された、とある限定動画を視聴しての私見も少し書いておこうと考えた。それというのは、以前から何度か書いてきた「偽ムスリム」という表現を微修正したい。
動画出典を〖〗で示したくもあるが、一種の登録制動画であるため「限定公開・課金の部類」として省くことにする。反グローバリズムを掲げているひとにはご存じの方も多いだろう人物の配信するものなので、ひょっとすると後述の私見からも察せられるかも知れない。
前置きはここまでとする。
ここでの本題は、主観的な宗教観の当て嵌めについてである。
昨今、特に移民政策が推し進められたEU諸国において、また世界じゅうで、宗教観の押しつけを続けて現地のひとびとの生活を脅かしたり、価値観の刷り込みや物理的な行動を通じて、文化破壊まは文化侵略の急先鋒となっているとして、一部のイスラム教徒が問題になっている。
この問題を知った私は、どの宗教にも帰依していない無宗教という立場で、イスラム教における唯一神アラーが慈悲深き神であるとの資料を根拠に、前述の無慈悲に振る舞う一部イスラム教徒 (ムスリム)を「偽ムスリム」と表現してきた。が、とある動画の宗教に対する考察に触れたことで、その表現が正しいものではなかった可能性を再考した。
余談①:いつものように余談として、浅い話を差し挟む。当日記のかなり前の(数年前⦅?⦆に書いた)頁に某社長の行動を批判的に書いたと思うが、今は、それがある種の誤りだったと考え直した。「結束すべきひとびとを分断してはならない」との基本的な反グローバリズムの考えに立ったからである。今回の日記の主旨も遡ればそれに近いものがある。ざっくりと言えば、国内で争い合っている場合ではなく、団結する必要があり、ほかも理由はあるが──、それらのためには、自己を強く持つ必要があり、そして、日本には、それを育てるための、ほかの多くの国にない特筆すべき文化がある。
話を戻そう。
世界に存在する宗教というものには、いくつもの種類があり、その一種一種の中には、考え方の違いからいくつもの宗派が存在する。宗派には主流といわれるものとそうではないものが、公然と、または、漠然と知られている。一方で、それは無宗教の、あえて言えば「宗教は他人事」である私のようなひとびとに取っては、どうでもいいことでもある。なんとなく「主流があるのね」とか、「それ以外の宗派もあるのね」くらいの認識だ。「これが主流でこちらが別のもので──」と、細分化できている勉強熱心なひとびともいるだろう。
さて、早早にひっくり返すが、それら認識や知識はじつはあまり意味を成さないということを私見として書いておく。きっかけは冒頭で触れた、とある動画である。
その動画に関する感想を下掲する。その動画へのコメントとして書き、ひとの目に触れる【非日記】として書いたので語調は異なるが。
〔 歴史を存じないのでこの問題への理解が乏しく、しかし動画の内容をそのまま引用するのは躊躇われますので──これは私なりの解釈ですが、『植物』ですね。違いが『品種』、根が同じ『枝』、これで説明できそうです。
ただし、決して多くはない『枝』が複雑に絡み合っていて本質的には別物のように錯覚させられている。彼らの生存戦略がそこに潜んでいるように感じました。〕
これを動画コメントに書き遺そうとしたが、あえてこちらに書いたのは、既にこの問題に気づいたひとびとが多い閉じた空間(動画配信頁)ではなく、全く知らないひとびとの目に触れる外の空間に書き遺すことに意義を見出した。動画では特定の宗教に焦点を当てていたが、その動画で示された構図がもっと広い意味で正しい価値観を与えていると感じたからこそ、特定の宗教に焦点を当てる必要もないと考えてのことでもある。喩えを増やすとややこしくなりそうだが、「木を見て森を見ず」とも言えるかも知れない。一部のみを観て全体像を捉えた気になってしまう視野の狭さは、書き遺そうとしたコメントの主旨と同じだ。
余談②:恐らくは前の頁になるか、そちらで書いたパランティアAI導入の中でも触れた「中身の変遷」もこの問題には通ずるものがある。ただし、今回の話題では、中身が変わっているのは、グローバリズム側ではなく反グローバリズム側、と、いうことになる。それは近年、人口動態(その国における人種ごとの人数など)の変化で顕著かも知れない。ヨーロッパはもとより、日本も例外ではなくなりつつある。何せ、一般人が知らず知らずのうちに受け入れている超過死亡の原因について政府はまともに検証しておらず、あまつさえ論点ずらしに躍起になっている節がある。さらに、入国審査を厳しくしない(完璧は無理としても、意図的としか考えようがない穴を必ず残した制度になっている)ことや国外追放・強制送還にさほど本腰になっていないことから、移民推進の方針を変えていないことが明白だ。特に大家族文化のムスリムの入国及び国内出産により、日本国内の人口が表面的増えたとしても、中身が「日本人 > ムスリム」から「日本人 < ムスリム」に変化してゆく可能性は予想の範囲といえる。何せ、日本人に対しては、高い税が課せられ、少額の補助金に高いハードルが設けられている。一方で、外国人には低いハードルで高い給付がある。これにより何が起きているかと言えば、日本人が、子を産むことに消極的になっている。間接的要素として、結婚率低下もある。外側の補足要素としては、(実際には「出会うこと」に目的が掏り替えられて設計されているとの指摘がある)各マッチング・婚活・出会い系アプリやサイト、AIコンパニオンなどへの依存もある。当然、出生率は右肩下りになる。こども家庭庁が「解体せよ」と批判される主な理由は、最初に挙げた「子を産むことへの消極性の原因」に対処していないことによるだろう。無論、消費税という最悪の強制徴収システムも国民意識の消極性に関与している。言うまでもないが、国民のための財政出動に消極的な財務省はもとより、消費税を導入したひとびとの責任は、こども家庭庁のそれよりもずっと、ずっと重い。
東京では、法整備に穴が空いた外国人起業者向けの支援金があり、都民の税金をわざわざ盗ませるような構図が露見している。これらについては〖 石田和靖氏 〗や〖 さとうさおり氏 〗が詳しく解説していたことがあるので気になる方はそちらをご覧いただきたい。共通の話題を取り上げて、さとうさおり氏が原口一博氏(当時衆議院議員)とリモート対談している動画もあるので、ゆうこく連合支持者である私としてはそちらをピックアップする。
検索ワード
〖 さとうさおり公認会計士 原口一博さんと 〗2025/08/18配信(上述した話題は23:27〜)
※「YouTube」をくっつければ通常の検索エンジンでもヒットしやすいかも知れない。
要するに、制度が不公平になっている──。
上掲動画の外国人企業支援金とは少し話がずれるが、もともと謙虚な日本人はそもそも受けられる給付についても前のめりではないことが多い。生活保護については、制度設計自体が自立を前提としているので、やむにやまれぬ状況になって初めて申請しに向かう、と、いうケースも稀ではないだろう。ようやく申請しに出向いても門前払いされて泣き寝入りするケースがあることは全国区で報道されている。また、それとセットで、同じ生活保護の制度を外国人は簡単に利用できる、と、報道されたことがある。これは、日本において、なぜか「外国人優位による格差」が発生していることを示している。生活保護の原資は日本人から徴収している税金だが、なぜか日本人保護には前向きではない。「日本人ファースト」を訴える政党が躍進した背景にはそのような背景もある。日本において、なぜか外国人保護が優先され、日本人が相対的に地位を下げられている。これは是正すべきだろう。対外純資産の高さが物語るように、日本は世界で五本の指に入る国際支援国家だが、断じてATMではない。
地続きで余談③:日本の政党は「外国人ファースト」を名乗らない。それは当然のことのようだが、とある政党が「生活者ファースト」などと表現していることに留意したい。連立与党や野党連携はよくあることなのだから、既に存在する日本人ファーストという標語を同じくしているなら「同じですね」と協力すればいい話だが、それはしないようだ。つまり「中身が違う」ということを示唆している。「生活者」は「日本人」ではない。日本語はぼかすのが上手な言語だが、国政政党が堂堂と日本人を騙すような標語を掲げている──「生活者ファースト」のポスタを掲げたあばら屋を見るたび、私は何か、この国の言い知れない恐ろしさを感じてやまない。
宗教に話を戻そう。
いくつかある「枝」によって、「根(本質)」にぼかしが入っている。それが現代の宗教に(あるいはほかの物事にも)観られる共通の問題点(または悪しき風習になっている場合もある)かも知れない。「ぼかし」とは表現したが、これは何も意図的なものばかりではなく、単に「解釈が違う」ということである。そこに多少の恣意があったとしても、解釈の違いの域を出ないものであり、広めた宗教者や伝承しているひとびとに悪意があるとは限らない。むしろ善意であることのほうが多いのではないか。
枝は絡み合っていて、ときにどれも太く、本質となっている根に、より近い枝がどの枝なのかが判然としない。しかし、根に繫がっているなら、必ずそれは「その宗教」ということになる。なので、「主流とそれ以外」と区別することに特に意味はなく、各宗教者に対して「あなたは主流です・あなたは主流ではない」と私のような無宗教の人間が断ずることはまずできない。また、それを議論できるのは同じ流れを汲む宗教者のみということになる。平和的な宗教者はそもそも対立しないので、議論することは少ないかも知れないが。
その点で、とある宗教者は異なる、と、きっかけの動画で示唆されていた。細かく言えば、別の宗派を意図的に「主流」と見せかけることで、自分達を「非主流」に置き換えて生存を容易にし、世界への干渉力を広げ、深めるための力(人脈・資産、偽装を含めた宗教的思想の普及など)を増強した。しかも、主流とされた側は(少なくとも最初は)それ(囮になること)を受け入れた。私が上掲した「植物=宗教という枠組、品種=各宗教、枝=宗派」に関するコメントはつまりそういう意味合である。やはり「根」が同じであり、「この枝とこの枝は別」と区別することに、さして意味はない。
その宗教の力は絶大であり、私を除く勤勉な日本人でも一人では立ち向かえるわけもないほどに強大であることは間違いない。であるから、国内で対立している場合ではなく、団結が必要だ。
余談④:ここ一年で私も何度も書いていることであり、数年前から日本国内で指摘するひとが爆増したであろうことから、これは明記するが、特に自由民主党は日本・日本人のための国政政党ではない。国政と称した重課税により日本人を苦しめ、日本の成長をことごとく潰し、「失われた三〇年」を実現してしまっている事実から、成長を邪魔したことは紛れもない事実であることを誰もが認めるところではないだろうか。
〖 日本の国政政党・自由民主党とCIAの関係。アメリカ機密解除文書 〗
上記のようなプロンプトをAIにぶん投げてみるとJFK文書等の公開記録から情報を集めてきてくれるだろう。CIA(辞書引用:1947年に設立したアメリカ中央情報局。大統領直属の政府機関。外交・国防上の政策決定に必要な情報の収集、特に反米的団体や他国の政府の監視とその情報の収集が主要任務)から数百万ドル規模の資金提供を受けた自由民主党及び議員は、当時から「アメリカの外交・国防上の政策」や「反米的団体(日本と日本人)等の監視」のために動いていたと考えるべきものである。また、日本が再び(アメリカがいうところの民族主義・社会主義的に)立ち上がることを妨げるため、抑え込むための蓋として、「政府を内側から監視する役目」を担っていると考えたほうが無難である。自由民主党はCIAの支援を否定しているというが──日本人のためにならない減反政策や悪法・改悪法の数数を押し通したり強行採決したりした過去によっても、支援金が実働を促したことが証明されているのではないだろうか。そして、日本のための政策や日本人への制度や財政出動は異常なほど慎重に検討し、国外・外国人に対しての厳正さを緩和することについては積極的な姿勢からも。記憶力に乏しい私では具体例を挙げられないが、皆さんならば、思い当たることがいくつもあるのではないか。そういった「思い当たる『おかしな点を』横の繫がりで『線にされる』こと」を嫌うので、グローバリストは分断を好む。対策が団結であるのは必然だ。
私自身は現実世界での横の繫がりが広いとは決して言えない人間なので、こうして文章にして、それを目にしたひとびとの気づきとなり、間接的に横の繫がりを増やすことに寄与できればと思っている。消極的な姿勢かも知れないが、小心者かつ臆病者の私にしては、これでもかなり積極的な行動だ。
余談⑤:以前頻繁に更新していたイギリス政治に関する話題についてだが、随分と前になるが、私が密かに応援していたAdvance UK党首ベン・ハビブがRestore Britainを支持し、Advance UKがRestore Britainと合流することで、国政政党としての飛躍を目指すとの旨を表明した。Restore Britain党首ルパート・ロウは以前からそうであったようにAdvance UKとベン・ハビブ氏を歓迎し、引続き、国内を混乱に陥れている移民主体の暴漢集団の調査及び報告を継続・徹底しており、国政政党Restore Britainとしての政策発表も続けている。日本の国政政党が妙に横の繫がりを持たないことと反して、イギリスでは国民・国の安全・安定を優先する勢力(いわゆる保守)が肩を並べて深刻な事態に向き合っていると言えるだろう。
日本に目を戻せば、投票結果に不審さが滲み出ている例の政党と躍進政党にある種の親和性と歩み寄りがあるようだが……これは国民(特に支持者)による監視が必須かも知れない。
近頃よく目にするのは、現在存在する国政政党のほぼ全てと自由民主党が、言わずもがなの宗教団体を介して繫がっているという仮説である。勿論、根拠の乏しさが目立つ仮説ではあるが、その仮説内で明示された宗教団体プラスαなら個人的にしっくりくる仮説でもある。私は以前に書いたように、ゆうこく連合と原口一博代表を支持する立場であるから、それ以外の政党については宗教同様断定的なことは言わないようにしたいところだが、AI戦争時代に核武装論を持ち出している政党については遍く同類であり全く親近感を覚えないことだけは主張として書き添えたい。ゆうこく連合の方針が無知な私と全て合っているとまでは豪語しないが、少なくとも核廃絶の方針だけは合致しているはずである。勿論、それ以外のところで他党と歩み寄れるところがあるなら、将来的には、法案提出時などに協力すべきときはあると思うが、核保有論者はゆうこく連合に必要ない、との内容は、最近は原口代表の口からよく聞くようになった。
書いたら忘れるという記憶力の乏しさでどこまで正確に書けているかは怪しいが──間違いがあればそれは私の認識違いにほかならない。
いつものように余談ばかりになってしまったが、私の日記であるから自由にしよう。
と、書いて早早、全くの余談⑥:材料に砂糖を入れるより、「できあがった」ものの上に振りかけたほうが(適量より少なくしても)甘く感ずる。辛みや酸みもそうだが、まばらにした味のほうが「その味をより強く感じておいしい」と思うことからヒントを得て、私は糖分にもそれを実践した。これは、ひとによってはどうでもいい話かも知れないが──糖を控えたいのに完全には絶てていないひとに向けた、「糖摂取量を下げたい場合」の実践的アドバイスである。無論、最終的には「摂らない(絶糖)」がベストだろう。糖分が癌の餌であることを私は覚えた。恐らくはそれによって癌家系であるからなおのこと。私はこれを続けて、未成年頃から約三〇年(つい一年前まで)続けてきた砂糖過剰摂取を半分以下に抑え込めている(年換算:主に三温糖6kg以上⦅信じがたいひともいるかも知れないがこれを一人で食していた⦆→黒糖1.5kg⦅目下さらに減少傾向⦆)。主にコーヒに入れて毎日三回以上は確実に口にしていたはずだが、週一に一口でも気にならなくなってきており、精製糖を使用した既製品が激甘に感ずるほどに味覚が正常化してきている。小学生時代からの饅頭漬けが祟ったに違いない……以前はまさしく糖依存症だった。やればできる。やらねばやれない。簡単なことだ。
無論、四毒抜き(小麦粉・植物油・乳製品・甘いものを抜くこと)の観点ではまだまだ「依存症」の部類かも知れないが、甘いものを抜くことに関しては着実に進んでいる。
植物油:一時期は油の代替としていたゴマも油の毒性が高まる加熱料理からは完全に取り除くことかでき、植物油は一年以上買っていない&買ったものは棄てた(もったいないと感じたが購入から丸一年経って明らかに酸化していることが判った⦅以前なら恐らくは感じなかった腐敗臭のような異様なにおいが立ち昇っていた⦆ので食べようもなく、家族に食べさせたくもなかった。加えて、その油の種類は──恐らくは多くのひとが私と同じようにマーガリンが最も危険な植物油だと考えているであろうが、それ以上に危険である可能性を〖 吉野敏明氏 〗が指摘している米油だった)。
小麦粉:逆戻りで、以前に比べたら少ないもののパンを食べてしまっているので、セットの植物油が体に悪さをしていることをひしひしと感じ取れたことが、新たな課題と教訓を生んでいる。
乳製品:この一年でスライスチーズを三パック買ったか(一部は家族と分けたが合計30枚程度。以前は120枚程度+プロセスチーズ384個以上+ナチュラルチーズ数袋程度か)。牛乳は年間総摂取量が1/2以下(1ℓ×192本以上だったのが現在は96〜72本のペース)。
総評:振り返って数字を書き起こして「減った」と自己判断できたが、まだまだだろう。現状でも、以前に感じていた不調の多くが改善している。特に、突然の肌の痒みや腹痛、花粉症またはそれに類する症状、腰痛、関節痛、歯痛、頭痛などなど、ほかにもあるかも知れないがざっとこのくらいか……随分と楽になった。「勘違い」と言われるかも知れないが、私の中では事実だ。なお、際立った不調はないが、幸か不幸か、食欲は増したかも知れない。感覚が正常になってきたのだと前向きに捉えておこう。子どもの頃はそういうときに我慢していたものだった。いつしか(遠出が多かったので仕方ない面はあったとはいえ)コンビニエンスストアの商品を始めとする既製品でお腹を満たすようになっていた。異常だった。(お米は常に買っていたが、相対的に)減反政策の一端を担い、米農家を苦しめてきたのだと思うと心苦しくてならない。料理下手のくせに自炊できるせいで「我慢」が大変だが、これはこれで慣れれば愉しめるものかも知れない。
四毒抜きを知ってからの一番の変化は、ここ数箇月の話ではあるが、個人的に苦手だった糠漬けを自分で作り始め、それを食べるまでになったことだ。前は全く食べられなかった。ちなみに、既製品は今も、なぜか口に合わない。いや、これは糠漬けに限らず多くの商品に当て嵌まるようになってきている。理由はなんとなく判ってきたが、感覚頼みなので食べられるものもあり、その辺りも含めて「まだまだ」というところなのだろう。
AIプロンプト
〖 絶糖 実践 フローチャート作成 〗
※飽くまで参考。四毒抜き等、個人差は要調整。信頼できる医師の指導も、場合によっては必要だろう。体の作りに個人差があるのだから、画一的な対策はない。
ワクチンや薬も同じだ。「誰にでも効く」という文言は何においても信じてはならない。ましてや「95%効く」とか、「安心安全」とか、「懸念はない」とか……。世の中のお偉い方方はデータを掏り替えて平気で噓をつく、と、いうのが、コロナ事変における、主に軍産医複合体に抗う人類の教訓である。
冒頭のムスリムの話に戻せば、私が「正統」と捉えていたムスリムは単に「私の価値観に近い穏当なムスリム」であり、偽ムスリムと称したひとびとは「私の価値観とは遠い狂信的なムスリムかも知れない」ということである。要するに、(一応「私はそう称する」として一般的価値観とは異なる可能性は補足してきたつもりではあるが、)私の価値観に合うか・合わないかという主観的基準による定義づけであって、真偽は宗教者である本人達にしか判らない。私が「偽」と称したひとびとがどこまで一般的呼称に当て嵌まるひとびとなのかが判然としないことも変わらないため、「偽ムスリム」という表現の代替案は今のところ存在しない。実態が「偽装」か「擬似」あるいは「枝」なのかさえ、判然としない。ほかならぬムスリムの指摘を根拠に確信を持って先の表現を用いたため、個人的には偽装であって「枝」ではないと思いたいのだが、信じた教義を曲解して狂信的な判断(多くの資産を売却して教団に寄付)をした例が身近にあったので完全否定することが難しい。「偽ムスリム」が本当に「偽」であるなら各国のひとびとはもとより「真」のひとびとに迷惑千万であるから問題だとは今もって考えているが、主観的な当て嵌めにはさほど意味がないことは改めて書き添えたい。
勿論、自国を長期に亘って支配してきた政党については主観的にも批判することが許されるだろう。許容されないなら言論の自由はなく、ふとした疑問を声に出すことさえできないだろう。現代日本は刻刻とそちらに向かっている、とは、七つ目の余談になってしまいそうなので、私が覚えていれば、また、機会があれば、改めて書きたく思う。
最後に──多くは、内側を高めることで、外界との付合い方を上手にするものではないか。免疫もそうであるし、外交もそうである。中身を変えてゆくことは悪のようにも書いたが、誤りや悪いと感ずるものを正すために必要なことでもある。循環だ。これに善悪の違いはない。ただ単純に、自然な流れだ。反省とそれに基づく行動・実践でもあるだろう。そして、多宗教を同居させる日本の多神教文化は、個個人が内側に神を宿し、それを強く保つ究極の宗教観ではないかと(これもまた私の主観的な考え方かも知れないが、改めて)思う。
ご閲覧に感謝を。他愛のない日記が読者の生活を潤すための気づきになれば、恐縮にして至福である。
皆さんが幸せであることを、いつも祈っています。
──2026/07/15(水)06:30〜21:54執筆
2026/07/15(水)23:10掲載──




