第七話・後半
(七)
その日の夕暮れ時・・・と言っても、空は昼と変わらず雨雲に覆われているので、時刻など有って無きが如しであるが。松本は、長野県内の、山梨寄りの町のファミリー・レストランで、茶を啜っていた。
近くの席のアヴェックの会話が聞こえてきた。他にすることがないので、それとなく耳を傾けると、彼らは都市伝説についてあれこれ語り合っていた。中には、松本も聞いたことがあるものもあれば、初耳のものもあった。
「これは俺の好きな都市伝説なんだけどさ。『ペンスピナー』って知ってる?」
「何それ?」
「ペン回しってあるだろ?授業中にやって、先生に怒られるやつ。」
「ああ、あれね。」
「ペンを回して、その勢いで弾き飛ばすんだ。で、幽霊やら殺人鬼なんかをやっつける。そんなヒーローがいるんだって。」
「何それ。かっこ悪い!」
「そんなことないって。赤いスカーフをはためかせて、颯爽と現れて、人々を魔の手から守ってるんだって。実は、俺の友達にも、ペンスピナーに助けられたって人の友達がいるんだ。」
そのとき、ドアベルが鳴った。松本はドアの方を見た。松本の顔は、外の天気に相反するように、一気に晴れ渡った。
「啓博君!」
「やあ。」
そして二人は久闊を叙し合い、コーヒーを注文した。
やがて店員が、コーヒーを持って来ると、恋人は早速それに口を付けた。松本も、それに倣うように、コーヒーに口を付けた。
二人は同時にカップを置いた。
「あの・・・」
「あの・・・」
二人は、同時に声を出した。
「君から先に。」
「いや、啓博君から。」
「大したことじゃないんだ。君から。」
「私も、大したことじゃないの。先に。」
「そうかい。じゃあ・・・。」
そう言うと、恋人は急に姿勢を正した。
「ごめん。」
恋人は、そう言いながらテーブルに額を近付けた。
やがて頭を上げ、松本の目を見据えて言った。
「僕たち、もう別れないか。」
松本は、引き攣った表情のまま言葉を失ってしまった。だが、何とか言葉を吐き出した。
「何でなの?」
恋人は、また頭を下げ、さも言い辛そうに言った。
「本当にごめん。許してもらえるなんて思ってないんだけど・・・。実は、君と疎遠だったこの一ヶ月の間に、他に好きな人ができてしまったんだ。」
松本は、急に、この世界の住人が自分一人になったような気がした。目の前にいる、視線を落とした恋人の顔も、近くのアヴェックの談笑も、恋人の背後を店員が横切って行く姿も、そして、この場にはいないが、実家にいる家族も、皆、ハリボテのように感ぜられた。
やがて恋人は、勘定を済ませて先に帰り、松本は一人取り残された。彼女は、溜息を一つ吐いくと、何事もなかったかのようにコーヒーをもう一杯注文した。彼女は、内心、自分に対して平静を装おうと必死だった。
やがて出てきたコーヒーを啜り、携帯電話を見た。気付かぬうちに、メールが入っていた。
彼女は携帯電話を開いた。そしてぎくりとした。
まただ。
差出人の欄に、自分のアドレスが入っている、差出人不明のメール。彼女は、嫌だなあ、怖いなあ、と思いながらも、おっかなびっくりにメールを開いた。
〈茉莉ちゃん、こんばんは!提出した楽譜が、今日でちょうど10作になったよ。作・編曲と、アルバイトで、もうヘトヘトだよ。でも、信じて走り続ければ、きっと報われるわ。私も頑張るから、茉莉ちゃんも頑張ってね。それじゃ!〉
松本は、またもぞおっとした。死んだ友人の、生前のメールそのものなのだ。
もしや、彼女は、自分が死んだことを受け入れられず、何度も同じ時間を反復しているのではないか?
もし、因果の矢を逆に向けることができるなら、あの頃の彼女に忠告し、歴史の流れを更新できるかもしれない・・・。彼女はそう思った。松本は、このメールの後に、彼女の身にどんな不幸が降りかかるかを、知っているのだ。
松本は、死者からメールが届いたことに慄然としつつも、友人に返信のメールを打った。友人が今後受けることになる災難について、警告したのだ。そして、送信ボタンを押した。
ポチッ。
やがて画面が切り替わり、「送信成功」の文字が表示された。と同時に、「メール受信」の文字が表示された。先程送ったメールが、届かずに返ってきてしまっていたのだった。
つまり、死者からのメールは一方通行であり、生者から死者へは送れないのだ。松本はそう考えた。
(八)
さて一方、静岡県東端・金時山の麓の洞窟の中から、二つの懐中電灯の明かりが漏れ出ていた。麻咲と老師であった。外から聞こえる雨音の他に、洞窟内を、濁流の音が微かに響いていた。
「たった半日で長野から岡山まで行って、引き返して静岡に来られるとは思いませんでした。」
「はっはっは。実際に見た者でなければ、およそ信じられんじゃろうな。」
二人は、地下洞窟に降りて、そこを流れる大河を潜水艦で移動し、西日本と東日本を往復して来たのだ。
「そろそろ話してください。あれは一体、何なんですか?」
「一九七六年に発見された地下水脈じゃ。裏ではちょいと有名じゃよ。もっとも、知らないのは学界ばかりだというのは皮肉な話じゃがな。」
老師は高笑いした。
「それと我々と、どういう関係があるんです?」
老師は勿体を付けて、重々しく口を開いた。
「逆に訊くが、武道ペン回しとは如何なる流派じゃ?」
「正式名称・『吉備流忍術』。忍術と仏教の融合で、ルーツは確か、密教の異端派です。」
「そうじゃ。じゃがそれは、仏教側のルーツじゃろう。そこに、遠く離れた静岡の風魔忍軍が如何にして合流したのかは、長年の謎じゃった。」
老師は麻咲の目を意味深長に見据えた。
麻咲は全てを合点し、目を見開いた。
「まさか!」
老師は深くうなずいた。
「そのまさかじゃ。幕府に駆逐された風魔流の残党が、この地下洞窟を偶然発見して、岡山県に辿り着き、黎明期の竜血寺と出会ったのじゃ。その証拠となる遺跡が発見されたと聞いて、儂が調査に出向いたのじゃ。」
老師は、岩に腰掛けたまま、視線を外に見遣った。
「風魔残党のうちで、自害しなかった者たちは不名誉と謗られた。じゃが、彼らは生き抜き、伝統を守ったのじゃ。守ったところで、報われる可能性は無に等しかったのに。」
老師は、麻咲の真剣な顔を見据えた。
「じゃが、それが今日の武道ペン回しの源流となったのじゃ。分かるか。今為すべきことを為す意味は、後になってから、歴史が与えてくれるものじゃ。結果など案じず、私を滅して戦え。」
麻咲は、その言葉を体したとき、己の使命の重さを改めて感じた。
(九)
その日の深夜、松本は、山梨県の自分のアパートを指して、人気のない田舎道を、傘を差して歩いていた。冷たい霧雨が、時折彼女の腕に掛かった。
携帯電話の着信音が鳴った。彼女はびくっとした。恐る恐る携帯電話を開いた。
〈夜遅くにごめんね。あの音楽関係者、詐欺師だったよ。連絡が取れなくなったから、レコード会社に電話してみたら、そんな人は初めからいないって言われたわ。夢を叶えるために必要だからって言われて、バイト代の殆どを渡して、それでも足りないって言われて、あちこちで借金までしたわ。それが目的だったみたい。騙されたよ・・・〉
松本の背筋を恐怖が走った。それと共に、彼女を待ち構える運命を知っていながら、見過ごしてしまったような罪悪感にも駆られた。
「もういいよ・・・。二回も苦しむことなんてない。もう、安らかに・・・」
そのとき、ふと気付いた。雨音に混じって、背後から足音が近付いてきているのだ。
松本は振り向いた。
誰もいなかった。
そしてまた歩き出すと、背後から再び足音が聞こえてきた。
また携帯電話が鳴り、メールの着信を告げた。
〈あの人を信頼してたから、楽譜は一枚しか書いてなかったの。だから、命懸けで書いたあの10曲は、永遠に帰ってこない。もしかしたら、渡す度に、破り捨てられてたのかもしれないわ。〉
背後から、足音が近付く。松本が足を急がせると、足音もまた、それに合わせて速くなる。
すぐにまた、新しい電子メールが受信された。
〈ごめんね、こんな話。こうやって、ケータイ握り締めて、メル友のあなたにメールするしか、気を紛らわす方法がなくって。私がバカだったのよ。600万も騙し取られて、返す当てもない。夢もダメになって、これからの生活の見通しも立たない。もう、生きていても仕方ないよ・・・。〉
「もうやめて!」
彼女は目を閉じ、耳を塞いで、後ろをバッと振り向いた。
聞こえるのは雨音のみで、先ほどの足音は消えていた。彼女は薄目を開け、誰もいないのを確認してから、目を開けた。やはり誰もいなかった。
思わず溜息が漏れた。彼女は、俄かに安心して、元の向きに直った。
振り向くと、目の前に大きな人影がぬーっと立っていた。
「ぎやあああ!」
彼女は腰を抜かし、雨に濡れたアスファルトの上に尻餅をついた。
「人の顔を見て驚くとは、失礼な奴だ。」
その声は、死霊の類の声ではなかった。
彼は、前の開いた漆黒のスーツに、純白のワイシャツ、赤のスカーフを巻き、白い傘を差している。そう。麻咲イチロウである。
松本は、麻咲に助け起こされた。
「死んだ友達から、メールが来るんです。何通も、何通も・・・。」
麻咲は、落ちていた彼女の携帯電話を拾った。
「中を見るぞ。」
麻咲はそう言って、携帯電話をいじり始めた。
見ず知らずの男に、なぜ我が身の回りに起こった怪異を打ち明け、見られて困るメールなどないとは言え、携帯電話を任せるのか。彼女はそう自問し、自答した。
それは、麻咲が、どことなく「透明」だったからであった。麻咲からは、私欲というものがまったく感じられなかった。まるで、風のように、吹くべくして吹き、来るべくして来る存在のように思えたのだ。
「松本。」
「あ、はい。」
呼ばれて、松本は我に返った。気付けば、雨は止んでいた。
「お前にメールを送っていた、死んだ友達とやらの、名前を言ってみろ。」
「えっと、まつも・・・」
言いかけたとき、松本は全てを悟った。
松本のメール友達。それは、松本自身であったのだ。
当時の松本は、孤独を紛らわすために、自分自身を友人に見立てて、メールを送っていたのだ。即座に送信したのでは、すぐに返ってきてしまうので、日時を未来に設定して、送信予約していた。それが、今になって送信されて、自分の携帯電話に返ってきていたのだ。
何通も送っているうちに、いつしか、その相手が自分であるということを、意識しないようになっていたのである。
「そうよ。メル友なんて、最初からいなかったのよ。」
言葉に出したとき、冷たい孤独感に襲われた。
「いや、違う。」
麻咲の声は彼女の孤独感を打ち破った。
「お前のメール友達は、確かにいた。それは、未来のお前自身だったんだ。」
「何であなたは、私のことが何でも解るんですか?」
「それは俺が、絶望の破壊者、ペンスピナーだからだ。」
「ああ、あなたが・・・。」
松本の目は、大きく見開かれた。
そのとき、辺りが俄かに明るくなった。夜が明け始めたのだ。
麻咲は、赤い大きなペンを右手に取ると、右足を軽く引き、攻撃のような構えをとった。
少し驚いた松本に、麻咲はあくまで優しい声で言った。
「大丈夫だ。心配するな。」
麻咲の中指は立ち、薬指は寝て、ちょうど、小指と人差し指でペンを挟む形になった。そのままペンを回して向きを変え、中指と薬指が受け取り、また小指と人差し指で挟む。その動きを繰り返し、ペンは緩やかに回った。回りながら、柔らかな光を放った。
「武道ペン回し・フラッシュソニック。」
麻咲は技の名を言いながら、それを松本の左胸に近づけた。光は、松本の胸に吸い込まれていった。
「今のは?」
「特に意味はない。武道ペン回しに伝わる、儀式みたいなもんだ。お守り代わりだと思ってくれ。」
「あの、また会えますか?」
「いや、恐らくもうお前の前に現れることはないだろう。」
麻咲は、そう言い残して去って行った。
薄く朱色に染まった空の下で、松本は、梅雨が明けたことを知った。
(一〇)
携帯電話の着信音が、アパートの床で眠っていた松本を目覚めさせた。
明朝、彼女は自室に帰り着くなり、昨日一日の疲れと、実家と恋人の両方から同時に見捨てられた孤独感から、着替える気力もなく、行き倒れのように眠ってしまっていたのだ。
外は、もう大分に明るくなっていた。
彼女は、眠い目をこすりながら、顔を洗い、着替えた。そして、面倒臭そうにメールの確認をした。
松本はぎくりとした。だが、真相が明かされた今となっては、恐怖は感じなかった。
そうである。嘗て彼女が、未来の自分に送ったメールが、まだ残っていたのである。
彼女はメールを読み始めた。そして、またも驚いた。それは、昨日の午前に送ったメールだったのだ。事件の発端となった、あのメールである。
〈三年振りにメールします。長いこと放っておいて、ごめんね。あなたが夢を裏切られた無念は、私にはよく分かるわ。絶望、信じることの愚かさ。それを痛感してるあなたに、成仏しろと言う方が無茶よね。でも、もう亡くなっているあなたに言うのも変だけど、どうか、前を向いて歩いてください。世の中には、報われないことばかりじゃなくて、報われることも、きっとあるのだから。それが例え、取るに足らない小さな可能性だったとしても、それを捨てないでほしい。信じることが愚かだとしても、それでも、信じて、旅立ってほしいのよ。このメールがあなたに届かないことは分かってるわ。私の思いを、あなたに伝える術はもうない。でも、最後に言わずにはいられない。私は、あなたの友達でよかった、って。〉
読み終えたとき、松本は、涙に咽びながら言った。
「届いたよ、あなたのメール。」
第七話・完
2016/08/07起筆
2023/04/10文章手直し(セリフ以外)
―――次話PR―――
おばけ会議が、遂に動き出す!
恐怖大魔王の正体とは? 太陰怪獣は復活してしまうのか?
そして、閨川と園の、宿命の対決の行方は?
急展開の、次回「最終決戦 前編」請うご期待!




