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現代の怪談―The Contemporary Kaidan―  作者: 坂本小見山
07.''I've Received'' 「あの世からのメール」
21/42

解説 〔第七回〕

メイキング オブ 「現代の怪談」〔7〕

~人の心の美しさ~

※結末に触れております。本編未読の方はご注意下さいませ。



 この話を書いていたとき、「現代の怪談」は全十三話を予定していた。

したがってこの第七話は、丁度「折り返し地点」だったのである。

そこで今回は、原点回帰の意味も込めて、怪談の醍醐味を凝縮した、典型的かつ「究極の」怪談を目指した。



☆究極の怪談☆

 日本の怪談において、人間の「想念」が恐怖の対象となることが非常に多い。

そしてそれは、生者・死者を問わない。

だから、生霊(いきりょう)や呪いなども、怪談の主題としてよく登場するのだ。

ということは、幽霊が出てこなくても、怪談は成立するのである!

今回の話には、いかなる超自然現象も登場しない。

「人の強い思いが起こした事件」を扱っただけで、怪談として成り立つのだということを証明できたと思う。


 それだけではない。

次のような場面を想像してみてもらいたい。

「幽霊に追いかけられていて、振り向いてみると誰もいない。ようやく振り切ったと思い安心し、前を向くと幽霊が間近にいた」

・・・これは、昔からよくある手法だ。

これは、遠ざかったと思っていたものが、実は近くにいたという、この落差を用いて恐怖を与える技法である。

この手法を究極的に純化させたのが、今回の物語の結末である。

死後の世界という、遠い遠いところにいると思っていた霊の正体が、実は自分自身だったのだ。

近いを通り越して、ゼロ距離である。

これほどの落差はあるまい。


 私はこの話で、怪談のもっとも典型的なエッセンスの現代における昇華を提示できたと自負している。

これは、昨今のパニックともスプラッターともつかない怪談もどきへの挑戦状でもあるのだ。



☆麻咲の描写を深める☆

 同時に、この話は、ヒーロー・麻咲の描写を深める話でもある。

麻咲の師匠が登場したり(実は旧シリーズに既に登場している)、武道ペン回しの歴史がひもとかれたりする。


 その他にも、麻咲が都市伝説として語り継がれていることが示されるなど、空間的にも時間的にも、設定がより深化されたのではないだろうか。



☆ニヒリズム☆

 今回、松本と麻咲がそれぞれ受けた試練は、実は同じものなのだ。

松本は、一生懸命に書いた楽曲が、実は詐欺師に口実を与えるためのものだったと知らされた。

麻咲は、苦労して救った人間を殺されてしまった。

共に、全霊を込めた業績が、いとも容易く崩れ去ったことによる「虚無感」を味わったのだ。


 実際、長い人生の中で、「壮大な空振り」に遭遇することは少なくない。

生活の全てを賭けた一撃が、スコーンと外れてしまい、何もしなかったのと同じになってしまうのだ。

これを、我が国の武士は「無念」と名状したのかもしれない。


 話は逸れるが、最近、敬愛するレスリングの吉田沙保里選手が「無念」にも金メダルを逃された。

その直後、「銀メダルでもよかったじゃない!」とか、「今回の失敗をばねにして次に生かせばいい!」とかいう声を何度か聞いたのだが、これらは何の慰めにもなっていないのではないだろうか。

私ごとき燕雀に、鴻鵠の苦衷の一端をも慮れはしまいが、あの試合のために注がれた全霊の代わりには、「銀メダル」も「次の試合」もならない、と感じられたのではないだろうか。

例えるなら、子を救えなかった親の心境に近いのではないかと思う。

たとえ、その一人の子の犠牲によって、二人の子が助かったとしても、それはそれ、これはこれで、一人の子が死んでしまった悲しみは癒えないだろう。


 閑話休題。

「だとすれば、俺は何のために戦っているのでしょうか」

麻咲の吐き出したこの台詞こそ、努力の不毛に打ちひしがれた人の心を、最も端的に表した言葉ではないか。

この後麻咲は、師匠から「全霊を尽くす」ことの真の意味を教えられる。

なるほど、それは麻咲の質問に答えるものではあった。

しかし、それは重くのしかかる「宿命」でもあったのだ。

なぜなら、報われることを期待せずに、尚且つ全霊を尽くさねばならないからだ。

これは、人間がひとしなみに背負う宿命である。

しかし同時に、その宿命をを背負えることが、人間の尊さでもあると私は思うのだ。



☆バッド・エンドの中の救い☆

 松本は夢を絶たれ、恋人に捨てられ、更には莫大な借金まで抱え込んでしまった。

まさに救いのない結末である。


 しかし、バッド・エンドの中にも、一抹の救いがもたらされた。

それは、自分からのメールであった。

彼女を理解し、その全てを肯定するメールである。

考えてみれば、彼女自身なのだから当然のことだ。

孤独が強調されて、かえって虚しいだけかもしれない。

だが、これはバッド・エンドに「包括された」救いなのだ。

虚しさと嬉しさとが渾然一体となった、独特な救いなのである。


 麻咲の放った「フラッシュソニック」という技が、この奇跡をもたらしたのか?

いや、そうではない。

麻咲が言うように、この技には何の効力もない。

それに、麻咲自身だって、何か具体的な救いを狙ってこの技を用いた訳ではない。

「フラッシュソニック」と「奇跡」との間には、どこを探しても、いかなる因果関係も見当たらないのだ。

だが、因果関係を思わずにはいられない。

それが人間の情であろう。

そこに因果関係をこじつけたり、因果関係などないと言い切ってしまうのは、「無粋」なことなのだ。


 ここにも、怪談の本質が鋭く現れている。

宗教は、超自然現象にくだくだと説明をつける。

科学は、超自然現象をノンセンスと断じてしまう。

そうじゃないだろう。

人間の情は、そんなものではないだろう。宗教も科学も、どちらも野暮なのである。

その「情」こそが、怪談だからこそ表現できる「光」なのではないだろうか。

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