3、婿入り
「気になってたんだけど、なんで大富豪の娘婿に俺みたいな庶民が選ばれたわけ?」
大事な娘の婿なんだから、それなりにいいところの男を持ってくるのが普通だろう。常識や気品があって、幼いころから英才教育を受けたような人間じゃないと釣り合わないはずだ。娘婿ということは、今の事業をある程度は手伝わせるつもりだろうし、いくら経済学を専攻している俺でもそんな大それたことが務まるとは思えない。
「うーん。なんか、娘さんは金持ちが嫌いみたいだ。どいつもこいつもえらそばってて、わがままだからって・・・」
なるほど。それは言えてるのかもしれない。だがだからと言ってなんで俺?正直、俺に3億もの価値があるとは思えない。自分で言ってて悲しくなるけど。
「・・・いったいどんな風に売り込んだんだよ」
俺はため息交じりに窓の外に視線をやった。俺たちはタクシーを捕まえて新藤家へと向かっている。坂を登るに従い、周りの家はだんだんと大きく、豪勢になっていく。駅から遠くて不便だろうに、と思ったが、金持ちは車があるから苦労しないんだと思いつく。この辺りは来たことがなかったから知らなかったが、さびれた下町と違って建物はどれも新しい。金持ちは都心に住むもんだと思っていたが、都市から少し離れ、これくらい静かな所が逆に人気なのかもしれない。
「売り込んだって・・・父さんは、うちの岬は気がきくいい子って言っただけだが?あぁ、たぶん尽くすタイプだとも言った」
「尽くすタイプねぇ・・・」
まぁ、確かにそこに愛があれば尽くすかもしれないが、ないからな。それはあり得ないと思う。
「それを聞いて新藤さんは、そんな子を探していたんだ!って言って・・・」
あぁ、俺尽くすこと決定なんだ。はぁ・・・。でも3億だ。その分だけの働きをしなければならない。俺、どうなるんだろ。て言うか、いまどき借金の形に子供を売るって、この人いったい何考えてんの。ものじゃないんだからさ。ここ日本だよね?人身売買とかいいわけ?大富豪は何でも許されるんですか?
すさむ心をなんとか和ませようと、窓の外を通り過ぎる木々を眺める。それらはどれも整備されていて美しい。しかし、生き届いた管理のせいでものすごく不自然に感じるのは俺だけだろうか?こんな人工的な自然を見て金持ちは楽しいのだろうか。だめだ。こんなこと考える時点で病み始めてる。
隣ではオヤジがあれやこれやと話しているがもうどうでもいい。それらはほとんど耳に入らなかった。
「聞いてるか?岬?」
「・・・・・あぁ」
急に名前を呼ばれて反応が遅れてしまった。聞いてなかったのがばればれだ。オヤジは不服そうに顔をしかめたが特に怒るわけでもなく、「これはちゃんと聞けよ」と前置きして再び話しだした。
「言うの忘れてたが、相手の子のことだ。名前は新藤奏さん。お前と同じ19歳だ。趣味は音楽全般で、幼いころからピアノとヴァイオリンを習っていたためかなりの腕前らしい。いくつか賞をとったこともあるそうだ」
「へぇ・・・」
ピアノとヴァイオリンか。いかにもお嬢様って感じだな。そんなんに俺が本当についていけるのだろうか。しかし俺の内心をよそにオヤジは目を期待に輝かせながら彼女の人物像を想像しだした。
「奏なんて、素敵な名前だと思わないか?いかにも音楽が得意そうな・・・。ピアノとヴァイオリンが趣味なんて、きっと清楚で可憐な美少女なんだろうなぁ」
胸の前で両手を組んで、夢見るように言うおっさん。キモイからやめれ。
「どうだかな。金持ちが嫌いで婚約者が見つからないって言ってるけど、実はかなりの不細工で誰も寄り付かないだけなんじゃないの?」
俺は皮肉な笑みを浮かべて言った。気分はもう完全に後ろ向きだ。
「何を言うか!いいか岬。名は体を表すというじゃないか。きっと素敵な人だ!お前だって、ミサキっていう可愛い響きの名前だから、こんなに可愛くなって・・・」
そう言いつつ俺の顔に触れようとする。すばやくその手をかわすが、窓ガラスに頭をぶつけてガツンと大きな音がたった。タクシーの運転手に睨まれる。大丈夫。割れてないから。
「触んな。それに女顔で悪かったな!でもこれは名前のせいじゃなくて、単に母さんに似ただけだ。っていうか、可愛い響きって自覚があるんなら、息子につけるなよそんな名前」
この顔のせいで昔はよく女に間違えられたのだ。おまけに名前まで女っぽいから、口で自己紹介をすれば大抵“美咲ちゃん”と呼ばれてしまったものだ。いまだに不本意ながら私服の時は女性に間違われたりする。中身は口の悪いガサツな男なのに。
あきれ返って親父を見やると、ふと違和感を感じた。あれ、そう言えば。
「なんでオヤジは私服なんだよ?」
結婚相手に挨拶するなら当然スーツを着るもんじゃないか?しかし当の本人はなんで?といった顔。
「だって父さんこのまま帰るし」
「は?挨拶は?」
「後は若いもんだけで☆」
逃げる気か!・・・まぁいい。この人が来ても何の役にも立たないどころか邪魔なだけだ。万が一相手方に失礼なんかがあったらこの話もなくなってしまうかもしれない。今の俺には3億を返す方法はほかにないのだ。失敗はできない。
そんなこんなでタクシーは、俺の憂鬱な感情と暗い決意を乗せて、新藤邸に到着したのだった。