第20話:デリゲーション、権限委譲という名の最終解放
第20話:デリゲーション、権限委譲という名の最終解放
深夜3時45分。
超高精度フルダイブVR世界――『帰属の迷宮』第8階層、中央制御室。
第2段階(組織の理)の最終ダンジョンであるここは、ボスモンスターが存在しない特殊な空間だった。
無数のモニターとレバー、ダイヤルが壁一面にひしめき合い、絶え間なくエラー音を吐き出している。
「あぁ……なるほど。これがこのエリアの『ギミック』ですか」
僕が制御盤の一つに触れようとした瞬間、両手足に重い鎖のような『負荷デバフ』が絡みついた。
プレイヤー一人が全てのレバーを操作しなければならない「マルチタスクの檻」。一つでも操作が遅れれば、部屋全体が崩落する仕組みになっている。
「鈴木さん。まだ全部『自分一人』で背負い込もうとしているの?」
モニターの影からふわりと姿を現したのは、妖艶な笑みを浮かべる【情熱の煽動者】トミーと、巨大な重火器を担いだ【超効率の火竜】タカスケだ。
「一人で回さなきゃ、組織が止まってしまう。そう思っている時点で、あなたは三流のマネージャーよ」とトミーが呆れたようにため息をつく。
「全部自分でやるなんて、リソースの無駄遣いもいいとこだ。さっさと手放せよ。それが『マネジメント』の最終形態――【デリゲーション(権限委譲)】だ」
タカスケが持っていたランチャーの銃口で、壁のモニターの半分を指し示す。
「デリゲーション……。仕事を『投げる』のではなく、権限と責任をセットで『任せる』技術ですね」
「その通り。あなたはもう、パーティーメンバーに十分な『動機』と『ルール』を与え、最高のチームを作ったはずよ。なら、次は彼らを信じて、あなたの権限を切り分ける番。……さあ、指揮権を渡しなさい」
トミーの言葉に促され、僕は両手足に絡みついた『抱え込みの鎖』を強く握りしめた。
「術式展開――【王権の分譲】!」
僕の身体から黄金の鎖が弾け飛び、光の粒子となって僕の召喚獣たちに吸い込まれていく。
僕が操作すべきレバーは半分以下に減り、残りの制御はすべて、自律的に動くようになったレイス(部下)たちが完璧なタイミングで処理し始めた。
【Skill:デリゲーション(極)が発動】
【鈴木の業務負荷が70%削減されました】
【パーティーの自律性が最大化し、ダンジョンのエラーが完全消滅しました】
「よし。これで君も、ようやく『プレイヤー』から『観測者』に昇格だな」
タカスケのニヤリとした笑みを最後に、空間が光に包まれ、現実への扉が開く。
──脳のデフラグ完了から、わずか4時間半後。
午前9時30分。
現実世界、クズ社の営業フロア。
「鈴木! 明日の役員会議の資料、お前が全部作るんだろ!? まだ上がってこないぞ!」
「あ、鈴木さん! B社からのクレーム対応、どうしましょうか!?」
朝から僕のデスクには、上司からの理不尽な押し付けと、部下や同僚からの「指示待ち」の相談が殺到していた。
かつての僕なら、睡眠時間を削ってすべてを一人で処理し、血反吐を吐きながら『限界社畜』を体現していただろう。
【Status:鈴木に『キャパオーバー』のデバフが迫っています】
【このままでは夕方までにMPが枯渇します】
(あぁ、相変わらずこの会社は、僕という『歯車』に依存しすぎている。ですが、僕のパーティーはもう、そのフェーズを抜け出しています)
僕は静かに立ち上がり、フロアに響き渡る声で告げた。
「皆様。少々よろしいでしょうか」
フロアが水を打ったように静まり返る。
僕はタブレットを操作し、新しい業務フロー図をモニターに投影した。
「本日より、営業一課の業務権限を大幅に委譲します」
「けんげん、いじょう……?」
雑賀課長が怪訝そうな顔をする。
「はい。まず、伊藤くん。B社からのクレーム対応ですが、今後は『10万円以内の補填』であれば、私の承認なしに伊藤くんの判断で決裁して構いません。あなたなら、お客様にとって最良の選択ができます」
「えっ……! ぼ、僕が、決めていいんですか!?」
伊藤くんの顔が驚きと、そして『任された』ことへの強い責任感で引き締まる。
「次に、物流の渡辺さん。イレギュラーな配送のスケジュール調整権限を、完全に物流部に移管します。営業部は今後、渡辺さんが引いたラインに必ず従います」
「おう! それなら絶対にパンクさせねえよ! 任せとけ!」
「そして、佐藤さん」
僕は、一番驚いている事務の佐藤さんに優しく微笑みかけた。
「明日の役員会議の資料作成。全体のフォーマットとデータの抽出は、佐藤さんに『すべて』お任せします」
「ええっ!? わ、私に役員会議の資料なんて……そんな大役、無理です!」
「無理ではありません。佐藤さんが先週作ったリストの精度は、社内の誰よりも高かった。僕が夜通し作るよりも、あなたが作った方が絶対に質の高い資料になります。……僕が責任は持ちます。どうか、あなたの力を貸してください」
佐藤さんの瞳が、大きく見開かれる。
「ただの事務」として扱われていた彼女が、初めて「会社の命運を握る仕事」を託された瞬間。
「……はいっ! 私、絶対に鈴木さんの期待に応えますっ!」
ドゴォォォォォォン!!!
僕が抱え込んでいた『鎖』が粉砕され、それぞれのメンバーが持つ『ポテンシャル』が爆発的に解放される音が、フロア中に響き渡った。
「お、おい鈴木! お前、そんな勝手なことをして、もし失敗したらどうする気だ!」
雑賀課長が慌てて噛み付いてくるが、僕は冷徹なロジックで一蹴する。
「失敗の責任は、権限を委譲した『私』が取ります。それがマネジメントです。……課長のように、権限だけ握りしめて責任は部下に押し付けるバグ(悪習)は、もはや我が社には不要なのです」
【Skill:デリゲーションが現実世界で完全発動】
【鈴木の業務負荷が劇的に低下。組織の自律稼動がスタートしました】
午後17時00分。
驚くべきことに、僕のデスクの上には未処理の仕事が一つも残っていなかった。
伊藤くんは自力でクレームを収束させ、渡辺さんは完璧な配送パズルを組み上げ、佐藤さんは役員すら唸らせる見事な資料を完成させていた。
「鈴木さん……! 資料、できました! 確認、お願いします!」
誇らしげな笑顔で駆け寄ってくる佐藤さん。
「確認は不要です、佐藤さん。完璧な仕事でした。……さて、今日はもう帰りましょうか」
「えっ……か、帰る? まだ17時ですよ!?」
「ええ。僕の仕事は『皆さんが働きやすい環境を作ること』で完了しましたから」
僕はパソコンをシャットダウンし、カバンを手に取る。
この「クズ社」に入社して以来、初めての「完全なる定時退社」。
【第2段階:パーティー結成と組織の理 ――完全攻略】
【本日残りMP:2400/2400(MAX)】
【現実の解像度:50.0%(世界が、本来の美しさを取り戻し始めました)】
【次章、第3段階:『市場の観測と外堀埋め』へ移行します】
夕日に染まる帰り道。
僕の横には、なぜか一緒に定時で上がってきた佐藤さんが、嬉しそうに並んで歩いていた。
「あの……鈴木さん。私、今日、すごく楽しかったです。鈴木さんに『任せる』って言ってもらえて、私でも会社のために戦えるんだって……」
「ええ。佐藤さんは、最高のパーティーメンバーですよ」
「パーティー……ふふっ。なんだか、ゲームみたいですね」
佐藤さんが、無邪気な、そして僕の心を激しく揺さぶるような甘い笑顔を向けてくる。
【メインヒロイン:佐藤小春からの『絶対的な信頼と愛』を受信】
社内のバグは粗方潰した。
明日からは、いよいよ外の世界――市場という広大なフィールドでの戦いが始まる。
だが、今の僕には、どんな魔王でも倒せる最強の仲間がいる。
僕は、深く、甘い、真の安眠へと、静かに意識を沈めていった。




