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第14話:二要因理論――不満の消去と、本当のブースト

第14話:二要因理論――不満の消去と、本当のブースト


 深夜3時30分。

 超高精度フルダイブVR世界――『帰属の迷宮ギルド・ラビリンス』第三階層、吹き抜けの地下空洞。

 僕がそこに立つと、足元の影から這い出てきた無数の泥状の触手が、じわじわと僕のブーツを侵食し始めた。

 エネミーの正体は『忖度そんたくスライム・マイルストーン』。


 このエリアの特殊ギミックは「底なしの疲弊」だ。どれだけ安全な結界を張ろうとも、配下のレイスたちの足元に「泥」が絡みつき、攻撃スピード(生産性)が徐々にゼロへと減衰していく。


「おかしいですね。恐怖のデバフを解除し、環境のバグを修正したはずです。なぜ兵士たちの前進が止まるのでしょうか」


 僕はレイピーストラップを指に絡め、眉をひそめる。

 不満の要素は排除したはずなのに、彼らの瞳にはまだ「覇気」が宿っていない。


「鈴木さん。あなた、まだ『マイナスをゼロにする』ことだけで満足しているの?」


 背後の闇から、銀縁の眼鏡を光らせて現れたのは、魔導書記官のタラだ。

 彼は相変わらずポーションの瓶を弄びながら、こちらの浅薄な管理体制を鼻で笑う。


「マイナスをゼロにする、ですか?」


「ええ。衛生要因(不満)を消したからといって、自動的に動機付け(やる気)が生まれるわけじゃないんですよ。現代ビジネスにおける不朽のモチベーション論――【ハーズバーグの二要因理論】。これを理解していないから、君のパーティーは『不満はないけど、やる気もない』という最悪のパッシブ状態(無気力)で硬直しているんです」


「不満の解消と、満足の創出は、完全に独立した別の変数アルゴリズム……ということですか」


「そういうことです。環境の悪さを消すのは『当たり前』の処理。彼らを真にブースト(駆動)させたいなら、その先にある『達成感』や『承認』という動機付け要因を直接脳へインストールしなさい。……まぁ、僕ならそんな面倒なことする前に、各自勝手にメルマガでも書かせますけどね?」


 タラの言葉が、僕の脳の構成線を鮮やかに書き換えていく。


【Skill:ハーズバーグの二要因理論(動機付け・衛生理論)を習得しました】

【効果:環境改善による『不満消去』と、成長実態による『満足創出』を切り離して最大バフをかける】


「……なるほど。仕様(環境)を直すだけでは足りない。彼ら自身の『成長レベルアップ』を実感させることこそが、真のコア駆動。理解しました」


 僕はレイピアを引き抜き、光の術式をパーティー全体へと放射した。


「術式発動――【動機付けの真なる火焔インセンティブ・ブースター】!」


 キィィィィィィン!!!


 配下の兵士たちの足元に絡みついていた泥が、内側から弾ける黄金のオーラによって一瞬で蒸発した。

 彼らの頭上に、これまでこなしたタスク(討伐数)が「実績」として可視化され、攻撃力が200%に爆跳する。

 

「オオオオオオッ! オレたちの力が、形になって見える……っ!!」


 レイスたちが凄まじい速度で前進を開始し、迷宮の最深部を塞いでいた絶望の門を物理的に消滅させた。


【二要因理論による完全駆動:成功】

【経験値5,500を獲得。パーティーの『自律稼動レベル』が上昇しました】


「へぇ、理屈だけは通すのね。……はい、現実の起爆剤」


 タラが投げ渡してきた『動機の魔石モチベーター・コア』をポケットにねじ込み、僕は現実世界へのプラグアウトを執行した。


 ──脳のキャッシュクリアから、わずか4時間後。


 午前10時00分。

 現実世界、クズ社のミーティングスペース。


「おい、お前ら……。一応、物流の改修予算は社長から通した。残業も今週から一律で削減する。……不満はねえな? だったら、さっさと今月の遅れを取り戻すために数字を上げろ!」


 春日営業部長が、よれよれの書類を机に叩きつけながら吠える。

 昨日僕にサーバント・リーダーシップで論破されたため、渋々「環境の改善」だけは約束した格好だ。

 しかし、フロアの社員たちの目は、相変わらず死んだままだった。


「……はぁ。残業が減ったのはいいけど、結局やることは変わらないしな」


「どうせ頑張っても手柄は上に吸い取られるしね……」


【Status:フロア全体が『無気力(不満ゼロ・満足ゼロ)』の状態に陥っています】

【春日部長の命令は、社員たちの防壁を1ミリも動かせません】


(当然の結果ですね。春日部長。あなたがやったのは『不満を消した(衛生要因の処理)』だけであり、彼らが自発的に動くための『動機(動機付け要因)』を1ギル分も提供していない。これでは組織はただの慣性でしか動かない)


 僕は静かに立ち上がり、全員の視線が集まるホワイトボードの前に立った。

 寝不足で灰色の視界に、ゲームUIの黄金のグリッドが重畳していく。


「春日部長。その指示は、極めて片手落ちと言わざるを得ません。術式発動――【動機付けの真なる火焔インセンティブ・ブースター】」


 バキィィィィィン!!!


 僕がホワイトボードにマーカーを叩きつけた瞬間、春日部長の「残業を減らしてやった」という傲慢なバフが、粉々に粉砕されるエフェクトが走った。


「な、何だ鈴木……! 文句があるのか!?」


「文句ではなく、真のブースト(駆動)です。皆さん、こちらをご覧ください」


 僕は、昨日高橋さんと田中さんと共同で作成した『個人案件の実績管理ダッシュボード』を画面に投影した。


「本日より、営業二課のすべての成約および物流の効率化数値を、個人の『経験値(実績)』として完全に可視化します。この数字は上層部の評価を介さず、葉山室長が握る『真のガバナンスデータ』として直接蓄積されます。つまり、あなたが今から流す汗の一滴、タイピングの一打は、すべて『あなた自身の転職市場での価値レベル』へと直結します。会社のためではなく、あなた自身の成長のために、このクソゲーを攻略してください」


 その瞬間、死んでいたフロアの社員たちの目に、カッと本物の「火」が灯った。

 自分が頑張れば頑張るほど、自分の「実績」としてシステムに刻まれる。それは、クズ社という狭い檻を超えた、世界標準の承認の仕組みだ。


「……これ、私がやった事務処理が、全部『コスト削減実績』として私の名前で残るってこと……!?」


 佐藤さんが、潤んだ瞳でダッシュボードを見つめ、驚愕の声を上げる。


「ええ、佐藤さん。あなたの有能さは、もう誰にも隠せません」


「鈴木さん……っ!!」


 佐藤さんの笑顔から、まるでゲームの最高画質エフェクトのような、眩い桃色の光の粒子が溢れ出した。


【メインヒロイン:佐藤小春の動機付けが限界を突破しました】

【現実の解像度がさらに2.5%向上:佐藤さんが僕を見つめる視線の彩度が、カンストしています】


 さらに、窓際の高橋さんがニヤリと笑い、タイピングの速度を3倍に引き上げた。


「ククク……自分のレベル上げになるってんなら、話は別だ。おい雑賀課長、さっさとその保留案件のデータをこっちに回せ。俺の『実績』にしてやるからよ」


「あ、あう……」


 雑賀課長が完全に空気に呑まれ、小さくなる。

 不満を消し、満足を創り出す。

 二つの車輪が完全に噛み合った我がパーティーは、今や魔王(社長)の恐怖政治を必要としない、最強の「自律型ギルド」へと覚醒を遂げていた。


【本日残りMP:1100/2400(最大値上昇)】

【現実の解像度:27.5%(世界の輪郭が、いよいよ真実の色を帯びてきました)】

【鈴木の獲得称号:『魂の駆動者モチベーター』】

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