第三十八話 安命院の初仕事
第三十八話
安命院の初仕事
◆安命院に火が入る
完成翌朝、大鍋に火が入り湯が沸く。
(大坂城の火が……郡山で命を守る火になった)
お凛が言う。「焼酎の蒸留も順調です」
その時、門が激しく叩かれた。
「やよい殿! 妻が血を止められず……!」
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◆安命院で迎える初めての命
女人は担架で運ばれ、産みの間へ。
「お凛、温めて! 妙音、湯を! 千代、消毒と百合根!」
脈は乱れ、血の道が荒れている。
大鍋の湯が次々と運ばれ、焼酎で器具が清められる。
(命を守るためなら、できることは全部やる)
やよいは手を握り呼吸を合わせる。
「大丈夫……ここは安命院です」
やがて赤子の泣き声が院に響いた。
夫は泣き崩れる。「本当に……ありがとうございます……!」
(安命院で初めて迎えた命……この院は動き始めた)
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◆安命院の評判、郡山に広がる
翌朝、千代が駆け込む。
「やよい殿、城下が大変です!」
城下では女人たちが噂していた。
「焼酎で器具を清めたらしい」「産後の料理まで作ってくれた」
「安命院なら安心して産める」
(安命院が……女人たちの希望になってる)
儒医たちの間でも話題に。
「玄伯様、あれは新しい医では……?」
玄伯は静かに言う。
「形式ではない。命を救う医こそ正しい」
その言葉は藩医たちの心に波紋を広げた。
午後、安命院の門前には数十人の女人。
「やよい殿、どうか診てくださいませ……」
(こんなにも苦しんでいたのに……声を上げられずにいたんや)
「順番に診ます。ここはあなたたちの院です」
女人たちの目に涙が浮かんだ。
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◆御台所の“匂い”
その翌日、急使が来る。
「御台所様がお加減を……」
部屋に入った瞬間、やよいは匂いで悟る。
(冷え……悲しみの匂い……心の痛みが脈に出てる)
御台所は弱く言う。「胸が苦しくて……息が浅いのです」
やよいは呼吸の匂いを確かめる。
(これは“思い出の匂い”……誰かを想って胸が締めつけられる時の匂い)
大坂城で悲しみを抱えた侍女たちが纏っていた匂いが蘇る。
「御台所様、これは身体の病やありません。“心の冷え”です」
御台所は涙をこぼす。「あの子を……思い出すのです……」
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◆匂いで診る“心の医”
やよいは大鍋の湯で手足を温め、百合根の煎じ薬を渡す。
「これは心を温める薬です」
御台所は息を吐く。「胸が……少し楽に……」
「悲しみは消すものやありません。温めて抱えていくものです」
御台所は涙を流しながら微笑んだ。
「やよい殿……あなたは不思議で……とても温かい医者ですね」
部屋を出ると千代が言う。
「匂いで診るなんて……本当に不思議な医です」
やよいは答える。
「匂いは心の声。大坂城の火と湯と薬草の中で育ったから……身体が覚えてるんです」
(わたしの医は……匂いの医、心の医……安命院はそのためにある)
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◆安命院の火は郡山に灯る
翌朝、町では囁かれていた。
「安命院へ行けば救われる」「やよい殿は心まで診てくれる」
「あの院は郡山の光や」
やよいは静かに微笑む。
(安命院は……女人たちのためにある。そのために、わたしはここに来た)
——こうして、
安命院は命を迎え、噂が広がり、
やよいの“匂いの医”が郡山の心に根づき始めたのである。




