大罪の予感
華やかな王宮には似つかわしくない、暗い色の騎士服に身を包んだ彼が王太子宮に入ると、使用人たちが一斉に頭を下げた。中には、怯えた様子で頭を下げながら、体を震わせている者もいる。
(面倒な噂が広まったな……)
彼がフレデリク王太子の執務室の前に着くと、扉の前で待ち構えていた侍従が告げる。
「モントロー公爵閣下、王太子殿下がお待ちです」
開かれた扉から執務室に入ると、机の上の書類に目を通していた王太子のフレデリクが顔を上げた。フレデリクは、室内にいた近衛の騎士や侍従たちに、下がるようにと目配せする。
「ノルマン、待っていたよ。まあ、座ってくれ」
ノルマン・モントロー公爵は、王太子であるフレデリクとは幼馴染で親しい仲だ。
前公爵夫妻の急死により、若くして公爵位を継いだノルマンは、王国に三人しか存在しないソードマスターの一人であり、魔物と隣国の脅威からメロビング王国を守護する盾と称されている。
しかし、それゆえ有り難くない二つ名で噂される人物でもあった。
「こちらでの調査には目途がつきそうだ。そちらはどう?」
「はい、殿下。こちらも先日のご報告に加え、進展がありました。まもなく証拠は揃うかと」
このところ、王都に中級クラスの魔物が現れる事件が頻発している。
魔物は王国のどこに現れてもおかしくはない。とはいえ、上級レベルの魔物ほどの深刻な脅威はないとはいえ、中級クラスの魔物が王都の中心部にまで現れることは、この100年余りの記録にない珍事だ。しかもこのひと月で、三度も目撃されている。
いずれもすぐに王室専属の精霊師によって浄化され、事なきを得ていたが、これは異常事態。
その原因を王太子としてフレデリクが探っていたところ、生きた魔物が違法な取引により、王都に持ち込まれていることまでは突き止めた。その取引の首謀者たちを一網打尽にするためフレデリクが協力を求めたのが、旧知のノルマンだ。
精霊を使わずに魔物を討伐しているノルマンほど、魔物の本当の恐ろしさを知る者はいない。
「魔物を飼育しようだなんて、まともな奴の考えることじゃない。俺に言わせれば、死にたいのかとしか思えない」
「そうだろうな。普段、魔物とは無縁な生活を謳歌している王都の者たちだからこそ、本当の怖さを知らずに、安易に考えているんだ」
王都に持ち込まれた魔物は、違法な地下オークションにかけられ、王都の貴族や金持ちの商人の手に渡る。彼らはその魔物を、猛獣でも飼い慣らすくらいの気分で、秘密裏にコレクションとして飼育するのだ。その魔物が逃亡したら、自分や家族を襲うことを考えもしないで。それゆえに、魔物の取引や所持は王国法により禁じられていた。
ただし、魔法師や精霊師が自らの権能で服従させた魔物を使役する場合は、例外として認められている。
だが、ノルマンがこの闇取引を探っていくうちに、さらなる大罪の痕跡が見つかったのだ。
それを確認したノルマンからの報告書は、先日フレデリク宛に届けられている。
「君の報告書は読んだ。どうも、事は単純ではなかったようだな」
「まだ詳細はつかめていない。罪人たちを牢につないで、口を割らせるしかなさそうだ」
王都のはずれにあった廃屋で目にしたのは、大量の魔物の死骸と、その血で描かれた魔法陣。そこで魔物の血肉を使い、何らかの儀式が行われていたのは明らかだった。
そして、そこに不自然にたった一つ残されていた魔石にも特殊な術式が刻まれていた。
「君から託された例の魔石は、王宮の魔法師に調べさせたよ。すると、特殊な術がかけられていたそうだ。何でも魔石が本来発している微量な瘴気の毒性を、極限まで高めるものだとか。あの魔石の近くに獣を置けぱ、数時間で魔物化してしまうし、人も数日身に着けていたら同じく魔物化してしまうということだ。なので、瘴気を遮断できる魔道具の箱に入れて、王宮魔法師たちが厳重に管理しているよ。本当に物騒な代物だよ」
「道理でやたらと禍々しい感じがする石だと思ったら、そこまでやばかったか」
「証拠が集まったら、一斉に捕縛するとしよう。……ところで、仕事の話は一旦ここまでとして」
フレデリクは言葉を切ると、苦笑いを浮かべる。
「もう一つ、君に話があってだな。実は叔母さまから、君に伝えてほしいと言われたことがあるんだ」
「ああ……」
その話に見当がついて、ノルマンは深いため息をついた。
「叔母さま――モンタナ侯爵夫人がね、君のことをいたく心配していてね」
モンタナ侯爵夫人は、フレデリクの母である王妃の妹だ。甥のフレデリクを可愛がるのと同じように、幼い頃からノルマンのことも何かと気にかけてくれていた。
特に、両親を急に亡くして、若くして大家門の爵位を継ぐことになったノルマンが戸惑わないよう、陰ながら助力してくれていたことには恩義を感じている。
「夫人には、いつも感謝している……」
「叔母さまは君に、素敵な婚約者を見つけてあげたい、って言うんだ。口うるさい、モントロー領の古参の家臣たちを黙らせるためにも必要だってね」
モンタナ夫人の言い分が最もであることはわかる。
ノルマンの置かれている状況を考えると、単なるお節介で結婚相手を見つけてあげる、という程度の話ではない。
前モントロー公爵夫妻の死は、突然のことだった。共に騎士であった二人は、魔物討伐の最中に命を落としたのだ。
なので、何の準備も心構えもない中、まだ18歳という辛うじて成人していたノルマンが爵位を継ぐことになった。
これが普通の貴族の家門なら、直系の年若い遺児が継ぐことに何の波紋もない。
しかし、モントロー公爵家は、王国内の貴族の最高位にある大家門だ。それゆえ、これほどの大家門を率いるのがまだ若く実績もない青年であることを不満に思う傍系の血筋の者たちも存在し、いまだノルマンの地位は当主として盤石ではなかった。
だから、モンタナ夫人としては、有力な家門と婚姻関係を結ぶことで、ノルマン自身の地位とモントロー領の安定を図ったらどうかという政治的に至極真っ当な提案だ。
その意図がわかりすぎるゆえに、異議を挟むことなく黙ってフレデリクの話を聞いていたノルマンだったが。
「……言いたいことはわかる。でも、俺についての噂は知っているだろう?」
「あ……あれのこと?」
この王都の社交界で、ノルマンにつけられた二つ名を知らない者はいない。
大貴族にもかかわらず、王都から遠い辺境の地に留まり、滅多なことでは王都での社交の場に姿を見せることのないモントロー公爵。若きソードマスターにして、自らの剣で恐ろしい魔物を嬉々として切り刻む狂気の騎士――その謎めいた人物像が独り歩きして、尾ひれを幾重にもつけた噂話ばかりが広まっている。
「えーっと確か……血だらけ公爵、だっけ?」
「違う」
「うーん……、あっ! 吸血公爵!」
「あのなぁ……」
「あれ、違った? そうだ、冷血公爵だったね……」
「はぁ……。貴族のくせに自ら剣を振るい、魔物の返り血を浴びても顔色一つ変えないから、だったか? さらには、魔物の血を飲んだり血で湯浴みする公爵とも言われてるらしいな。俺はむしろ、そんな話を次々と考えつく彼らの妄想力の才能に感心するよ。そんな噂のある奴のところに嫁ぎたい令嬢なんて、いると思うか?」
魔物は王国内のどこにでも現れる。瘴気のたまりやすい魔石鉱山を領内に複数有するモントロー領は、特に魔物の出現が多い。
貴族たちは通常、自領に魔物が現れたら、精霊師を雇ってそれを退治する。精霊は魔物の生命力である瘴気を浄化するのだ。精霊に浄化された魔物はたちまち生気を失って息絶えるか、塵が蒸発するように一瞬にして跡形もなく消え去る。よって、そこで魔物の血を浴びることはない。
しかし、ノルマンは、精霊を使うことを嫌っている。だから精霊なしでも魔物を討伐できるよう、自らも厳しい訓練を経てソードマスターにまで剣技を極めた。ソードマスターは剣気を自在に操れる。その剣気をまとわせた剣でなら、精霊の浄化と同様の効果が望めるのだ。
さらには麾下のモントロー騎士団にも、精霊の浄化力に頼ることなく魔物をすべて討伐できるよう、特化した訓練を施している。
精霊を使えば血を見ずとも済むところ、わざわざ自ら剣を手に魔物を討ちに行く――血を見るのを好む残虐趣味者だと信じられているわけだ。
そこからはフレデリクの話を適当に相槌を打ちながら聞き流すことにしたノルマンは、しばしのちに解放され、王宮を後にした。
モンタナ夫人がどう尽力しようと、夫人が良しとする中に自分との婚約を承諾する令嬢はいないだろう。
しかも、広大ではあるが、魔物の襲撃と、隣国からの侵略に絶えずさらされているモントロー領になんて。
よほどの物好きか訳ありでなければ、うんと言うはずがない。そのうち夫人もあきらめて、この話は立ち消えるはずだ。
そんなことを考えながら、副官のステファンと久しぶりの王都を歩いていると。
「……ステファン、今、悲鳴が聞こえなかったか?」
「そうですね。あちらのほうからみたいです」
「行くぞ!」
そこへノルマンが駆け付けると、なぜか一瞬、周囲に靄が立ち込め、視界が奪われた。
「主君!」
一歩遅れてステファンが追いついてきた時には、そんな靄などきれいさっぱり消えていた。ノルマンは、幻を見たのかと目をこする。
そこで目にしたのは、呆けたように地面に座り込んでいる少年と、瘴気を食われて息絶えた、やつれた狼の死骸。
「おいっ、怪我はないか?」
ノルマンに触れられて我に返った少年は、改めて恐怖を思い出したのか、目に涙をためた。
「この魔物が僕を襲ってきて……そしたら、大きな銀色の虎みたいなのが見えた気がして……」
「大きな虎……?」
魔物だったものがこうして完全に瘴気を抜かれて倒れているということは、その大きな虎というのは、精霊に違いない。
(虎の精霊? やつがここに現れたというのか!)
あの一瞬立ち込めた靄の中から、一台の馬車が走り出したのを思い出した。
(あの馬車には、精霊師が乗っていたのか?)
「ステファン、今、あちらの方向に走っていった馬車がどこのものか、誰が乗っていたのか、調べてくれ」
ノルマンはすでに見えなくなってしまった馬車が向かったほうへと目をやり、悔しさに歯を食いしばった。




