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優しいあなたに、さようなら ~二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした  作者: ゆきのひ
1章 王都編

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銀毛の精霊

 散々だったパーティーから数日後。

 ロベルから街へ出かけないかというお誘いがあった。

 ロベルと出かけるのは、だいぶ久しぶりだ。

 迎えに来てくれたロベルと、ショワジー家の馬車に乗り込む。


「この間は、本当に申し訳なかったね……。僕が軽率だった。両親からだけでなく、カメリアからも叱られたよ……。だから、今日はお詫びに、何かディアに贈り物をさせてくれないかな? 欲しいものはない?」

「うーん……欲しいものは思いつきませんが、それなら、お茶をごちそうしていただけませんか?」

「そんなのでいいの?」

「はい。このところ、街に出る機会もありませんでしたし、ロベル様とゆっくりお話しする時間もありませんでしたから。私はそれで十分です」


 貴族階級御用達の店が立ち並ぶ通りで、私たちは馬車を降りた。そこからロベルが案内してくれたのは、最近、令嬢たちに人気のカフェ。私も名前だけは耳にしたことがあった。

 人気というだけあって、お茶もケーキも美味しい。ロベルと他愛のない話をしながら、このまま久方ぶりの楽しい時間を過ごせるのかと思っていたら。

 

「ロベル、来てたのか?」


 いきなり声をかけてきたのは、ジアン小伯爵のエドモンだ。私がいるのに構うことなく、ロベルにだけ話しかける。


「これからパラディアに行くけど、お前もどうだ? ジョエルも、他の奴らも来るって言ってたけど。伯爵様から商団を任せられたんだろ? なら、こういう機会に他の家門と顔つなぎしといたほうが得だぜ」


 パラディアは、若い貴族男性と裕福な平民の商会主たちが集う遊技場だ。

 ロベルの年頃の青年貴族の間では、パラディアで酒を傾けながら賭博に興じ、時に政治的な議論を交わして親交を深めることが流行っていた。公式な場では決して交じることのない者とも交流が図れる、人脈を広げたい若い貴族たちにとっては格好の非公式の社交の場なのだ。

 ロベルがちらりと、窺うように私を見る。


「どうぞ、ロベル様が行きたいのでしたら、そうしてください」

「そう? 悪いね、ディア。じゃあ、そうさせてもらうね。ディアはゆっくりしていって」


 にこやかに微笑んで、ロベルはエドモンと連れ立って店を出ていく。


 簡単に許してしまう私が悪いのか……?

 店に入ってまだ、大した時間も経っていないのに。


 胸の奥に軋む思いを抱えて、一人うつむいた。


「なんか、疲れるな……」


 姿はないが、そばに気配だけは感じられるルオンが、呆れるようにため息をついたのがわかった。同じく、髪飾りのパーツに擬態している毛玉が慰めてくれる。


「ご主人、しゃま。だい、じょう、ぶ、でしゅ、か……」


 周りには聞こえないほどの、弱々しい声だったけれど、冷え切った心が温かくなる。


「もう、帰ってもいいよね。ここのクッキーとケーキを買って帰ろうか。あんたたちも食べたいでしょ?」


 私も独り言のように小声で言うと、髪飾りがうなずくように小さく揺れた。



 店で持ち帰り用に用意してもらったお菓子のボックスを手にすると、私は護衛騎士が調達してきた馬車に乗り込んだ。行きに乗ってきた馬車はショワジー家のものだったので、ロベルに乗っていってもらったからだ。

 護衛騎士は御者台に座るので、馬車の中には私一人。


「出てきたら?」


 猫の姿のルオンが現れ、私の膝の上で丸くなる。毛玉は私の隣に置いたお菓子のボックスの上に、ふわりと落ちた。


「まだよ。お菓子は、部屋に戻ってからね」

「だぞ!」


 ルオンにもひと睨みされて、毛玉が「あい……」と残念そうな返事をした。

 そのやりとりに、くすりとした時、馬車が止まる。

 御者台の騎士が、のぞき窓を開けた。


「お嬢様、この先で魔物が出たようです。危険ですから、これから少し引き返して別の道を行きます」


 私たちのすぐ横を、戻って来たらしい馬車が通り過ぎていく。不安げな表情で、後ろを振り返りながら走って来る人たちもいる。


 馬車がゆっくりと旋回して、今来た道を引き返そうとしていると、近くで子供の悲鳴が上がった。

 見ると、獰猛な狼のような姿の魔物が、少年に牙をむいて迫っている。街中にも時折出現する、大したことのない魔物だけれど、噛まれれば大怪我をすることになる。


「ルオン!」


 ルオンは一瞬で馬車の扉をすり抜け、銀毛の虎の姿となって魔物に飛びかかった。この程度の魔物なら、ルオンの敵ではない。

 瞬く間に魔物は瘴気をルオンに食われ、その場にばたりと倒れて動かなくなった。まとっていた瘴気がすべて払われたその姿は、やせ細り、息も絶え絶えな狼だ。精霊に正気を食われても、その姿形が残ったということは、もとから魔物に生まれたものではなく、強い瘴気の側で長く過ごしたことで、狼から魔物に変わってしまっただけなのだろう。


 ルオンも猫の姿に戻り、扉をすり抜け私の膝に戻ってくる。

 この間、ほんの数秒。精霊の力って、ほんとすごい。


「ありがと、ルオン」

「あんなの、僕にとっては大したことないから。一瞬で片付けたから、そんなに見られていないはずだよ」


 精霊がいたのを見られていると面倒だけれど、この馬車は借りものだ。家門の紋章もついていないから、誰が乗っているのかは簡単にはわからない。

 それに、どうも毛玉が一役買ってくれたらしく、この馬車とルオンの周囲に幻影を発動してくれたようだ。なぜならルオンが出ていった瞬間から戻ってくるまでの数秒、辺りに靄が立ち込めたのだから。


「毛玉も助けてくれたんだよね?」

「……あいっ!」


 嬉しそうに答えた毛玉を、私は指で撫でてあげた。


 ◆◆◆


 森の中に厳かに佇む霊廟の前で、騎士服に身を包んだ彼は跪いた。

 目を閉じ、祈るように手を合わせる彼は、自らに言い聞かせるように口にする。


「父上、母上。あなたがたと、そして無辜(むこ)の領民たちの仇は、私が必ず取ります」


 あの災厄の日――両親を失い、多くの領民たちも犠牲となった。

 亡き父に代わり、今は自分が治めることとなった領民たちのために、彼は誓いを立てる。


「俺は力を尽くします。この手を汚すことも厭いません。その日まで、私をしかと見守っていてください。この地が、精霊と精霊師が存在しなくてもいい世界となるように」


 精霊によって、この地が、大勢の人の命が、無慈悲に踏みにじられたあの日を忘れたことは一時もない。


(あの精霊は、必ず俺の手で葬ってやる――)


 あの日の悔しさを身に刻むかのように、彼は両の拳を強く握り込んだ。

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