43 いつかの幻
穏やかに晴れ渡った空の下、彼は庭園の中の小径を歩いていた。
隣を並んで歩くのは、同じ年頃の銀髪の少年。
小径に沿った花壇は、常に咲く花が絶えることのないようにと、王宮の庭師によって綿密に計画して造られていた。今も見る者の目を喜ばせるよう、色とりどりの花々が彼らの足元に色を添えている。
「わぁー、ここにはこんなにいろいろな花が育つんだね! 僕の国では見たことがない花がたくさんあって、素晴らしいよ」
無邪気に声を上げた銀髪の少年に、彼は足を止めて答える。
「いや、王都が特別なんだ。同じ国の中でも、俺の家の領地ではこういう花は育ちにくいんだ……母上の好きな花なのに」
言いながら視線を落とした先には、大輪の花を咲かせた白いピオニー。その白い花びらに、彼はそっと指で触れた。
「そう……残念だね。瘴気なんて、なくなればいいのに」
「ああ……俺もそう思ってる」
その時、遠くから聞こえてきた子どもたちの喚声。
そう言えば王妃様が、今日は子どもたちを集めたお茶会が開かれていると言っていた。皇太子と同じ年頃の子どもたちを集めたから、あなたたちも一緒にどう? と。
その声のほうに、銀髪の少年が目を向けた。
「あの生垣の向こうに池があるって言ってたよね。行ってみない?」
そして彼が指を差した先には、満開のオルテンシアの生垣。
その誘いに「うん」と短く頷いた。
(そうだ、この後――)
記憶の底に沈んでいた、懐かしい光景。
自然と微笑むように口元が緩んだ。
(夢か……)
そう気づいても、瞼がやたらと重い。
夢の醸す心地よさに身をゆだね、彼はまた、まどろみの中に落ちた。
◆◆◆
「この街、懐かしいわ」
ルオンに連れてきてもらったこの街の名は、スイユ。メロビング王国の西の国境に位置していて、ランブイユ王国へと続く街道に沿って発展した街だ。
この街を選んだのには理由がある。ここには王都で世話になっていたランセットのギルドと深い関係のある宿があるからだ。
カバンを抱えて街を貫く街道を歩く私の後ろには、猫に姿を変えたルオン。毛玉は私の上着のポケットの中で息を潜めている。
その宿は以前、近くの領地から依頼されて魔物を浄化した後、一緒に来ていた傭兵のカンタンに誘われて寄ったところだから、ルオンも覚えているはずだ。
宿の主人は、カンタンの師匠と言える元傭兵で、ランセットの友人でもあった。当然、その宿は普通の宿ではない。ギルドが隣国ランブイユの情報を集めるための拠点として設けたものだ。
とにかくルオンの安全を最優先に、書き置き一つ残さないまま、ノルマンの城から逃げ出してきてしまった私。
だから宿に落ち着くことができたら、まずは手紙を書かないと。
王都の両親とエミリアンお兄様、そして誰よりも――。
(ノルマン様には、なんて書けばいいの……?)
秘密にしていたことを謝る?
謝れば、わかってくれる?
いや、そんなわけないと、一人でぶんぶんと頭を振る。
考えるだけで恐ろしさに身が竦み、胸の鼓動が激しくなった。
ルオンを傷つけられるだなんて、考えたくもない。ルオンだけじゃない、私だって……。
第一、ルオンは恨まれるようなことは何もしていない。無実だと言い切れる。
それなのに。
「もう、何が何だかわからない……」
ぶつぶつと呟きながら歩いていると、路地から不意に出てきた男とぶつかった。その拍子に、抱えていたカバンが地面に落ちて転がる。
「あっ……」
そのカバンに私が手を伸ばすより早く、さっきぶつかった男が、それをひょいと抱えて走り出した。
「返してっ!」
男を追い駆けるも、徐々に引き離されていく。
しかし、こんな人目のある街中でルオンに助けてもらっていいのものかと逡巡した時、その男が派手に転んだ。
ルオンの仕業?
だが、男が転んだのは、飛んできた石が脚に命中したからのよう。膝を抱えて悶絶する男の足元に、拳くらいの大きさの石が転がっている。
私はすかさず男の手元を離れたカバンを取り戻すと、胸にしっかりと抱え込んだ。
「何すんだよっ!」
転んだ男は、どこからか現れた青年に腕を捻りあげられ、苦痛に顔をしかめた。
「それはこっちが言いたいことなんだけどね」
言いながら私を気遣うように見た青年の銀の髪が、陽光にさらりと煌めく。
誰かが治安兵を呼びに行ってくれたのだろう、ぱらぱらと駆けつけてきた兵たちが男を拘束した。
この状況だと、私も事情を聴くために治安隊の詰め所への同行を求められそうだ。
ここで身元を問われるのは、あまり有難くない。
今頃、公爵家から私に追手が向けられているかもしれないから、どこであろうと足取りを残しておくのは危険だ。
しかし、その場で一人の兵士にカバンを奪われたと簡単に話しただけで、すぐに解放してもらえた。
ほっと息をついたのを、さっきの銀髪の彼に気づかれたようだ。彼は男を治安隊に引き渡すと、私が兵士に話を聞かれている間、そばで見守ってくれていた。とにかく、礼を言わないと。
「あの……ありがとうございました。おかげで何も奪われずにすみました」
「お役に立ててよかったですよ。ここは治安のいい街で知られていたはずなんですが、最近は場所によると物騒なところに変わってしまいましてね。近頃はスリも多いですし、暴力に訴えた犯罪も増えてしまったんですよ」
そうだ。行き先にスイユを選んだのは、ギルドの関係者がいるということもあったが、以前来た時に、確かに平穏な街だと感じたからだ。冷静に頭を整理して、今後のことを考えるのに最適な環境だと思ったのだ。
「そうでしたか……残念なことですね。変わってしまったのには、何か理由でも?」
「ええ、この街にも頻繁に魔物が出るようになったんですよ。ここには瘴気の湧く鉱山も谷もないですらね。まったくと言っていいほど街の近くに魔物が現れるなんてことはなかったのですが……」
スイユに魔物が出るようになったと聞いた商人たちの多くが、この街を避けるようになり、取引に行き来するルートを別の街を経由するものに変えてしまった。よって、街を訪れる商人を相手に商売や仕事をしていた人々の中には職を失う者もいて、困窮する生活に耐え切れず、仕方なく犯罪に手を染める者がちらほらと出てきている、と彼は話してくれた。
「ところで……失礼ですが、お一人で旅を?」
「あ……ええ」
遠慮がちに尋ねられ、私は警戒しながらも正直に答えた。どうせ誤魔化しもきかないし、いざとなったらルオンも毛玉もいる。知られたところで大した問題ではないだろう。
「でしたら、いくらまだ明るい時間だからと言っても、この街を一人で歩いているのは危険です。また先ほどのような目に遭いかねません。宿はお決まりですか?」
「はい。グランセという宿です」
その名に、彼は驚いたように目を丸くすると、人好きのする笑顔で言った。
「グランセならよく知っています。というか、僕もそこに泊まっているんです、でしたら、一緒に行きましょう」
「いえ、でも……」
「ああ、名乗りもしないで、怪しいですよね……。僕のことはアルと呼んでください」
断ろうと思ったが、屈託のない笑顔を向けられて、気持ちが揺らいだ。さっき助けてもらったこともあり、無碍には断りづらい。しかも、グランセの宿泊客だったとは。
どうせグランセに行けば、知った顔がいる。この男が関わってまずい奴ならば、彼らがどうにかして追い払ってくれるはず。
「では……お言葉に甘えます」
私の言葉に、アルと名乗った彼はまた、明るい笑顔を見せた。




