44 辺境の魔法師
グランセに着くと、カバンを抱えた私に代わり、アルが扉を開けてくれた。
猫のルオンが私に続く。
食堂も兼ねた宿の一階のフロアは、今は食事時をはずれているせいで客の姿は見えない。閑散とした中に聞こえた扉の開く音に、奥のカウンターで退屈そうに頬杖をついていた赤い髪の女性が顔を上げた。
「ベレニス、久しぶり!」
「えっ……ロッテ?」
私の声に、その女性――グランセの主人であるベレニスは、一瞬にしてカウンターを飛び越え、こちらにやって来た。
「ロッテ、久しぶり! 元気だった?」
ベレニスは私を勢いよく抱きしめた。
「ベレニス、苦しい……」
「あっ、すまない……」
ランセットのギルドで、鉄槌の猛女として名を馳せたベレニスは、その名が示す通り、中級クラスの魔物なら武器を使わず素手で殴り倒してしまう。そんなベレニスの鍛えられた腕で力いっぱい抱きしめられれば、私なんてひとたまりもない。
「ふう……息が止まるかと思った」
「ごめんっ! ロッテの顔を見て、つい、嬉しくってね……ははは……」
頭を掻きながら、ベレニスは苦笑いする。そして私の隣にいる彼に向かって、親し気に声をかけた。
「アルがロッテを連れてきてくれたのかい? お前さんたち、どこで知り合いに?」
「ご令嬢はベレニスと親しい仲だったんだな。ロッテ嬢とはさっき、表通りで出会って、宿はグランセだって聞いたから、ここまで護衛をさせてもらったというわけだよ」
アルの言葉に、私も頷く。
「ここに来る途中で、カバンをひったくられそうになったの。でも、彼のおかげで、取り戻すことができたのよ」
「そう……表通りでひったくりか……。この街も、以前と比べるとだいぶ物騒になったからね。まあ、何事もなくてよかったよ。ところで、ロッテ、どうしたんだい? ふらりと旅行、ってことでもなさそうだけど……」
「あ……ええと……」
口ごもった私に、ベレニスが彼にちらりと目をやる。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ」
アルを見送ると、私はベレニスに、しばらくここに置いてほしいと頼んだ。
「それはかまわないけど……何があったんだい? 少し前にランセットから、ロッテはもう、前みたいに依頼を受けることはないさ、って聞いたんだけど。そのことと関係があるのかい?」
「うん……。そんなところ」
ギルドの仲間たちも、私の正体にうすうす気づいているだろうけど、あえてそこを探るような真似はしないのが暗黙のルール。掘り返されたくない過去持ちの人間も多いし、互いの身元を知ることで、場合によっては一緒に仕事がやりにくくなることだってある。
ギルドのまとめ役として、当然ランセットは私の身元を正確に把握しているが、ベレニスがどこまで知っているかは、私も定かではない。
だが、ほどなくベレニスの耳にも、モントロー領での一件が入ることだろう。いや、すでに聞いているかもしれない。
ランセットに言わせると、モントロー城は他領の城や領主の屋敷とは比較にならないくらい人の出入りに厳しく、使用人たちの身元も徹底的に調べ上げられるので、情報員の潜入が難しいと言う。
特に騎士たちの結束と口は堅く、それゆえノルマンがどんな人物か、なぜ魔物討伐に精霊師を呼ばないのか、本当のところがわからなかったのだ。
でも、さすがにあの城の中での魔物騒動は、騎士たちだけでなく、使用人たちも大勢が目にしていた。だから、彼らの口を通じて、話は巷にも漏れ出てくるはず。それを聞き漏らすベレニスではない。
「ま、言いたくないことは、言わなくていいさ、好きなだけここにいな。実は今、魔物が出るようになったせいで、うちの常連だった商人たちの足がすっかり遠のいちまっててさ。おかげで部屋のほとんどが空いてるんだ」
「そう……ありがとう。助かるわ」
「でも、その代わり、あたしの仕事を手伝ってもらうこともあるかもだけどさ……どうだい?」
同意を得ようとルオンを見ると、小さく首を縦に振った。
「ええ。私にできることは喜んで」
「そう言ってくれると助かるよ。最近、依頼は増えているのに、出せる奴がいなくて困ってたところさ……」
聞けば、アルも傭兵としてベレニスを手伝っているのだと言う。ベレニスが依頼を受けて魔物討伐に出ていたところ、偶然通りかかったアルが加勢してくれたのが縁らしい。
「大した魔物じゃなかったし、あいつの助けはいらなかったんだけど」
そう歯を見せて笑いながらベレニスは言う。
「あたしに比べりゃ大したことないけど、アルは十分戦力になりそうだったからね。使える奴は何人いてもいいからさ、宿代を取らない代わりに時々、手伝ってもらっているってわけ」
要は、人手が欲しかったのでスカウトした、ってことだ。
最近スイユでも魔物の出現が急に増え、魔物の討伐依頼が激増した。この街にも精霊師はいるけれど、従えている精霊は中位クラス。なので、ルオンほど効率よくどんな魔物でも消せるわけではない。
それに――自由傭兵のアルは剣の腕もたつが、魔法師でもあるのだとベレニスは言う。
「魔法の腕もなかなかなんだよ。だから、何かと重宝してね」
「魔法師ね……」
「ああ、ランブイユの生まれらしい」
生まれながらに魔力を持つ者は、隣国ランブイユに多い。
それはランブイユ王国の土地の大半が、古代から堆積した良質の魔石成分を多く含んだものだから、その上で生を享けた人間に自然と魔力が移ると言う話もあるが、その真偽は定かではない。
唯一確かなのは、そのいにしえの魔石成分は、すでに人を害するほどの瘴気は発していないにしても、農作物の成長を阻害する。ゆえにランブイユでは思うように作物が育たず、ほとんどを他国から買い入れているため、周辺諸国より食糧の価格が高い。
だが、その不足と引き換えのように魔力を持つ者が多く生まれ、その何割かは優秀な魔法師や魔道具師となる。そして彼らによる魔法や魔道具の開発が、人々の暮らしを便利にし、国を富ませていた。
私がギルドからの魔物討伐依頼で、カンタンと共にたびたび一緒に派遣されていた魔法師のエミールもランブイユの生まれだ。
「じゃあ、私も宿代の代わりに依頼を受ければいい?」
「そうしてくれると助かるよ。精霊師は貴重だからね……特にロッテほどの精霊師は」
ベレニスはルオンに向かって、にっと笑ってみせた。
「じゃあ、交渉成立、ってことで。部屋に案内するよ。早く休みたいだろ?」
ベレニスはそれ以上は何も尋ねることなく、二階の部屋に案内してくれた。
「食事はあとで、部屋に届けるよ」
「ありがとう……」
部屋に入るなり、ルオンはベッドにぴょんと飛び乗った。
「じゃあ、僕は疲れたから寝るよ」
毛玉もポケットから飛び出すと、ルオンの隣に陣取る。
まもなく二人は、毛布の柔らかさに身を沈ませて、静かな寝息を立て始めた。
「ルオン、お疲れだよね……ゆっくり休んでね」
ルオンは昨日から力を使いっぱなしだ。十分な休息をとって、回復に努めてもらおう。
その間に私は、荷物を解いて、手紙を書かないと。
カバンを開けて、持ってきた服をクローゼットに掛けようと取り出した。その時、きらりと光るものが床に転げ落ちる。
「これ、あの時の……」
拾い上げたのは、幾粒もの小さなダイヤモンドがついた髪飾り。ノルマンから初めて贈られたものだ。
だから置いてこようかとも思ったのだけれど、迷った挙句にカバンに入れた。
つん、と胸の奥が痛んで、無意識にその髪飾りを握り締める。
「まずは手紙を書かないとね……」
髪飾りを机の隅にそっと置くと、机に向かった。




