すべてが嘘
(ちょっと……あれ、サルグミン嬢なの?)
その隣にいる黒髪の男性は、装いと体躯からひと目で上級騎士だと知れる。彼の整った顔立ちと佇まいは、王都で麗しいと噂の令息たちに並ぶほど魅力的だ。
「綺麗なお嬢様、お花はどうですか?」
いつの間にかそばにいた、貧しい身なりの少年に声をかけられた。手に提げた蔓籠いっぱいに、素朴な野花の花束が詰められている。
その少年に、レイラは尋ねた。
「あの黒髪の騎士様は、誰? 知っているなら教えなさい」
「知ってるよ!」
少年は得意げにその名を告げる。
「あれは、ご領主のモントロー公爵様だよ! ……それでね、隣にいるのは、王都から来たっていう婚約者の伯爵令嬢様。とってもお似合いでしょ? きっと良いご領主夫妻になるって、街のみんなが喜んでるんだ」
嘘……?
あれが冷血公爵……?
お似合い……?
モントロー公爵は、姿も気性も恐ろしい冷血公爵だという噂は、まったくの嘘だったのか。
言い知れぬ苛立ちが胸に湧いてくる。
「ねえねえ、お嬢様、お花はどう?」
さっきの少年がレイラのスカートを摘まんで、軽く引いた。
「ちょっと! 汚い手で触らないで!」
苛立ったレイラが乱暴にその手を払うと、少年は地面に尻餅をついた。
「痛っ……なんだよ、けちっ!」
悪態をつく少年を振り返ることなく歩き出したレイラは、さっき少年に触られたスカートをハンカチで力任せに払った。終わると、そのハンカチを道に叩きつけるように投げ捨てる。
(どうして、あの女ばっかり……取柄は伯爵令嬢だっていうことだけのくせに!)
てっきり恐ろしい風貌の男のもとで、毎日怯えて暮らしているだろうと思っていたのに。
ロベルとの婚約破棄を、いまだにいじいじ後悔していると思っていたのに。
あんな女が、身分も高くて、見目もいい男を手に入れるなんて!
これじゃあ、思っていたのと違うじゃない……。
(……ああ、そうよ!)
レイラは、口の端を醜く歪めた。
この不愉快な気分を晴らす名案がある。また奪ってしまえばいい。
(あんな地味で平凡な女より、誰だって、可愛い私になびくはず)
家同士の固い約束で婚約していたロベルだって、あっさりとあの女を捨てて、レイラに乗り換えた。公爵様だって、近づくチャンスさえあれば、きっと簡単にレイラのほうがいいと言うはず。
レイラにとっても、伯爵家のロベルより、モントロー公爵のほうが遥かにいい。
人に呼ばれるなら、伯爵夫人より公爵夫人のほうが遥かに響きがよく、気分がいい。
(もう、ロベル様なんていらないわ)
にたっ、と口元に暗い笑みを浮かべた時、背中から声をかけられた。
「あの……」
振り返ると、貴族らしい身なりの青年が、さっき捨てたハンカチを手にしていた。
人の好さそうな笑顔で、ハンカチを差し出す。
「これ、ご令嬢のものですよね……?」
(もう、なんなのよ! どいつもこいつも、まったく余計なことばっかり!)
「あ、どうも……」と面倒くさそうに受け取って立ち去ろうとしたレイラだったが、ふと思い直して、媚びるように笑いかけた。
「ありがとうございます! ……実は私、王都から来たので、ここに知り合いもいなくて……心細かったんですぅ。よかったら、お茶でもご一緒しません?」
「えっ……」
レイラは彼の腕に自分の腕を強引に絡ませると、突然態度を変えたレイラに戸惑う彼に構うことなく歩き出した。
◆◆◆
カフェでレイラと向かい合って座った彼は、彼女の話にいちいち頷きながら、慰めるように言った。
「そう……婚約者に浮気されただなんて、レイラ嬢は大変だったね……それで王都のご令嬢が、メイドだけ連れて旅に出てきたなんて」
「ええ……ピエール様は優しい方ですね。だからつい、お話ししてしまいました……ピエール様に声をかけていただいて、私、嬉しかったんですよぉ」
レイラの作り話を信じたピエールは、しきりに気の毒がってくれた。見た目の通り、かなりのお人好しみたいだ。
婚約者の浮気を知って、傷心旅行に出てきた可哀そうな私――これがレイラが語った作り話。
真相を知る者が耳にしたら、それ、誰のことだよ? と突っ込みたくなるだろうだが、ここは王都から遠く離れた地。さすがに王都の社交界での噂話は届いていない。
レイラは落ち込んでいるふうを装い、手元のティーカップのお茶に視線を落とした。こういう演技はお手の物だ。
「私、とぉっても心が傷ついてしまって……王都にいると、どこに行っても彼との思い出がたくさんあるんで、辛くって……だから王都から、しばらく離れてみようかなあ、って……」
お得意の少し甘えた声で話しながら、ピエールをちらっと盗み見る。
飾り気はないが、品のある身なりをしている。でも、それだけ。醜いわけではまったくないが、とりたてて印象に残ることもない、平凡な容姿だ。
(なーんかこの人、反応が薄すぎて、つまんないわぁ……)
誰かとお茶でもすれば気が晴れるかと思ったが、ますます気が滅入るのは否めない。
これが王都の令息相手なら、可愛いレイラが落ち込んでいる姿を見せれば、すぐに席を立って隣に駆け寄り、うるさいぐらいに慰めの言葉を重ねてくれるはず。でもピエールは、思いやるような言葉はかけてくれるものの、レイラと向かい合う席から立とうともせず、手を取って慰めてくれる気配もない。
こうしていても、さっき目にした、冷血公爵という噂とは真逆の美麗な姿が脳裏に浮かんで離れない。
しかし、ピエールの次の言葉が、上の空になりかけていたレイラの意識を一瞬にして元に戻した。
「あの……レイラ嬢は王都から来たんだよね? だったら、ショワジー伯爵家のご令息とは面識がある? まさか、その浮気したとかいう婚約者とかじゃないよね?」
この男、無駄に勘がいいのか?
まさに言い当てられて、どきりとするが、言葉を濁した。
「……まあ、王都で社交の場にいれば、それは一応、顔を見たことくらいはあるわよ。それで、ええと……その人がどうしたのかしら?」
そうだよね、と簡単に納得したピエールが話し出した。
詳細は公爵家によって伏せられているが、ショワジー小伯爵はモントロー公爵家に対して大罪を犯し、王都に送還された。モントロー公爵はとにかく小伯爵に激怒しているから、おそらく重い罰が下ることになるだろう、と。
その話に、レイラは跳ねるように席を立った。
(王都に戻って、早く婚約破棄の手続きをしないと!)
罪人となったロベルとの婚約を維持したままなら、レイラは社交界でいい笑い者だ。一刻も早く、婚約破棄の手続きをして、ロベルとは無関係だと示さなければ。
やっぱりロベルは、自分の相手にふさわしくなかったのだ。
だから、ノルマンと結ばれるように運命が導いてくれているに違いない。
見た目もよく地位も高いノルマンには、サルグミン嬢より自分のほうがふさわしいに決まっている!
(だったら王都に戻るより、公爵様に近づいたほうが話が早いじゃない!)
今ちょうど、公爵様のいるモントロー領にいるわけだし。こうなったのもすべて、神様も後押ししてくれているからに違いない。
レイラは、にまっと醜い笑みを浮かべた。




