記憶の彼方に
ノルマンは領主と騎士団長を兼ねているせいで、大量の執務に追われて忙しい。今朝も早くから、鉱山の様子を見に向かったとモルガンが伝えに来てくれた。
「公爵様からお嬢様にご伝言がありました。また数日不在にするが申し訳ない、とのことです。その間、どうそご自由にお過ごしくださいとのことですが、ご要望など何かございますか?」
「そういうことでしたら、先日、見ることのできなかった公爵様の子どもの頃の肖像画を見たいのですが、案内していただけませんか?」
モルガンに案内された部屋は、かつて子ども部屋として使用されていたところだろうか。
この城のどの部屋の装飾も落ち着いた色でまとめられているが、この部屋は壁紙もカーテンも、明るく柔らかい色で設えられている。テーブルや椅子といった家具も、他の部屋の家具より一回り小さいものばかりが置かれていた。
入り口を入ってすぐ目につく壁には、何枚もの大きさの異なる絵画が掛けられている。どの絵画にも、可愛らしい黒髪の少年が描かれていた。
一番大きいサイズの絵画では、瞳の色が異なる、よく似た二人の少年がまっすぐこちらを見ている。一人の瞳は碧く、もう一人はハシバミ色。
「モルガン、これは公爵様と弟君のジュール様ですね?」
「はい。その通りです。お二人とも、お子様の頃から、よく似たとても可愛らしいお姿でした」
(可愛らしい……ねえ)
あまりにも今の姿に似つかわしくないその言葉に、ついおかしくなり、緊張が解けた。
一人は今や、冷血公爵と王都で恐れられ、もう一人は、昨夜のあの憎たらしい物言い。
「モルガンは、公爵様がお生まれの時にもこの城に?」
「はい。私は先代の時からこの城に務めさせていただいております。ご誕生の時からずっと、公爵様のご様子を拝見してまいりました。……お嬢様、公爵様は本当にお優しい方なんですよ。王都では魔物を狩る恐ろしい方だという噂もあるようですが……。自ら剣を手に魔物と戦ってくれる公爵様を領民たちは皆、頼もしく思い、慕っております」
「ええ。私もお優しい方だと思うわ。……そうね、公爵様と実際にお話ししてみて、噂とあまりに違うので驚いてしまったけれど」
「そう言っていただけて、ほっとしました。あの噂は……もともとは、公爵様が爵位を継いでまもなくに起こった一件が発端だったのです」
モルガンの話によると、当初、若くして爵位を継いだノルマンを侮り、古参の家臣と使用人が隣国と通じていたことが発覚した。国境の軍備などの機密情報を流していたのだ。それが明るみになった時、ノルマンは一切の慈悲をかけることなく謀反人たちを処刑した。その中にはノルマン兄弟の乳母も含まれていた。
幼い頃からそばにいた乳母を、ノルマンは自らの剣で処刑した。そんなノルマンについて、親しんだ者でも容赦なく手にかける残酷な若き公爵、という部分だけが切り取られて王都の貴族たちに伝わることとなる。
平和な日々に浸る人々は、刺激的な話に飢えている。おかげで魔物討伐の話と併せて、尾ひれがついて広まった。
「乳母だからと言って、あれは情けをかけていい罪ではありませんでした。あの者たちは自分の国を売り、領民たちに限らず、王国中の民の命を脅かす罪を犯したのですから。領民たちもそれをよくわかっていますので、ここではそのことで公爵様を非難する者はいません」
ノルマンは、必要なら冷酷な決断をも躊躇なく下す。それは大家門を束ねる主君に重要な資質だ。しかも、ここモントロー領は、常に魔物の脅威にさらされている地。そこで歓迎されるのは、脅威に直面した時に傍観するしかない穏やかな領主ではなく、臆せず自ら立ち向かうことを選ぶ苛烈な主君だ。
目の前の絵画の中、あどけない双眸でこちらを見据える少年。彼は後に、自分がそんな苦渋の決断をすることになるとは思いもしなかったであろう。
少年の絵姿をしみじみと見つめていた私はふと、不思議な思いに駆られた。
あれ? この黒髪の男の子……。
(昔、どこかで会ったことがある気がするんだけど)
うーん……。
どこでだっただろうと、しばらく絵画の中の少年をじっと見つめて思い出そうとしていた私は、部屋に入ってきた使用人の声に我に返った。
「お嬢様もおいででしたか。お話し中、失礼いたします。執事様、商会から荷が届きました。至急、ご確認いただきたいのですが……」
ちらりとこちらを見たモルガンに、私はにこやかに言った。
「どうぞ私にかまわず、モルガンはお仕事を優先してください。私はもう少しこちらで絵を見てから、戻ります」
「では、お言葉に甘えて、失礼させていただきます。代わりにお嬢様の侍女にこちらに来るよう、伝えておくことにいたしますね」
モルガンが去った後、書棚に並ぶ本から目についたものを取り出して、ぱらばらとめくってみた。子ども向けの物語の本の挿絵に描かれていたのは、黒髪の騎士。ノルマンを思わせるその騎士は、戦火に崩れた瓦礫の上に立ち、血の滴る剣を手にしていた。
「あんた、なんでこんなところにいるんだよ」
突然声を掛けられて、びくっとする。いつの間に来たのか、ジュールが私の目の前に立っていた。
「あ……気がつかず失礼しました」
「だから、あんたここで、何してんのさ?」
「こちらに公爵様のお小さい頃の絵姿があると教えてもらって、モルガンに案内してもらったんです」
「へえ……兄上に気に入られようとして、いろいろ頑張ってるってわけ?」
ジュールは口の端を歪めて、意地の悪い笑みを向ける。これで絡まれるのは二度目。どうしてこの弟は、ノルマンと同じ血が流れているというのに、こうも違って性格が悪いんだろう。
相手にしては腹が立つだけ損だ。どうせ不毛な会話にしかならないし。
「ジュール様がそうお思いでしたら、それで私は構いません。では……」
さっさと自分の部屋に帰ろうと席を立った時、侍女のカーラが姿を見せた。モルガンが呼んでくれたのだ。
「お嬢様、遅くなりました! お城の中が広すぎて、迷ってしまいました……。本当に大きなお城ですね……」
カーラは部屋の中のジュールにも気づいて、ぺこりと軽く頭を下げた。その頭を上げながら、誰なのかと問いたげに私を見る。
「カーラ、公爵様の弟君、ジュール様よ。ジュール様、私の侍女のカーラです。彼女に失礼がありましたら、お許しを」
慌ててカーラはもう一度、さっきより深く頭を下げた。
「では、私たちは失礼します」
わざと丁寧すぎるほど大げさなカーテシーをして、私は部屋を後にした。
「お嬢様、なんだか険悪な空気でしたが……」
声を潜めて尋ねたカーラに、私も小声で答える。
「彼、どういうわけか、会うたび私に喧嘩を売ってくるの。私が気に入らないんだとは思うけれど、どんな理由があるのか探ってきてくれない?」
「わかりました。使用人たちにそれとなく聞いてみますね。エルマの一件以来、ここの使用人たちはお嬢様の侍女だということで、私にも親切にしてくれるんですよ。きっと快く教えてくれると思います」
その後、カーラが使用人たちに聞いてジュールについてわかったことは、彼がなかなか厄介な性格の持ち主で、城の使用人や騎士たちから距離を置かれているということだった。




