伯爵家の憂鬱
「お兄様! あの人、何とかしてください!」
カメリアから責め立てられて、ロベルは頭を抱えた。
レイラと婚約してから、毎日のように家族から責められる。
原因は、いつもレイラだ。妹のカメリアだけでなく、父や母からもたびたび苦言を呈されていた。
「今日は、何があったんだ……?」
「あの人、うちに勝手に出入りしているだけでなく、使用人たちまで、まるで自分が雇っている使用人かのように勝手に命令して、こき使っているんです。その命令が聞けないと言った私の侍女を、首にしようとまでしたんですよ! まだ婚約者にすぎないっていうのに、もう自分が伯爵夫人かのように振る舞っているんです! 我慢できませんっ!」
「お前にまで迷惑をかけて、すまない……」
レイラの横暴ぶりは、ショワジー家の屋敷の中だけに留まらなかった。
街に出れば、高価なドレスや装飾品を扱う店にばかり行きたがる。そう言った一流店は、高位貴族しか相手にしない。だから無名の男爵家の娘であるレイラだけでは、入店さえかなわないのだ。
あまりにしつこくねだるので仕方なく連れていけば、ロベルに断りを入れることもせず、次々とドレスや装飾品を買いあさる。その支払いは、当然のようにロベルだ。
「小伯爵から婚約者へ贈るなら、これくらい高価なもので当然でしょう? それに、未来の伯爵夫人なんだから、これくらいのものは持っておかないと恥ずかしいです……」
上目遣いで、ねっとりとした声に言われると、駄目だと言うのが怖くなってしまう。
拒んだ途端、その表情は一変し、目を吊り上げてロベルを激しく責め立ててくるだろうから。
ロベルは、他人と争うことが何より嫌いだ。そうされるくらいなら、自分の意に反するとしても少々のことには目をつぶり、適当にうなずいてその場をやりすごしたほうがいいと考えている。
そうやって、これまでも誰とも争うことなく、うまくやってきた。だから、自分は間違っていない。
他人と争えば、嫌われてしまう。人には嫌われないほうが絶対にいいのだ。たとえそれが、どんな人物であろうと。
レイラは、店の従業員たちへの態度も横柄だった。
本来、高位貴族になればなるほど、店員への扱いにも気を遣うもの。それが、高貴な血の流れる者の余裕であり、品格だと幼い頃から教えられてきた。しかし、これをレイラはまったく理解していない。
店に居合わせた者たちは皆、他の貴族の令嬢、令息も含め、皆、白い目をレイラに向ける。それは、レイラの隣にいるロベルにも同じく。
その視線がいたたまれなくて、ロベルには一刻も早く店を出ることしか考えられなくなる。
だから、ここでレイラに意見して揉めるより、とにかく彼女の望むままのものを手に入れさせて、店を出るほうが得策だ。
いつしか店から届く請求書の金額は、ロベルの自由になる額を超えていた。
だが、父に金を融通してほしいと頼めば、激しい叱責で返されるのは間違いない。いくら男爵家より遥かに格上の伯爵家とは言っても、限度がある。
だから、できるだけ街に出るのを止めたくて、レイラに屋敷への立ち入りを許すことにした。でも、それは、ロベルがいる時に限り、というつもりだった。
しかし、レイラはそんなことにはおかまいなしに、ロベルがいようといまいと勝手に入ってきては、一番格式の高い客間を長時間、専有する。
そして当たり前のように、ショワジー家の使用人たちに命令し、それを拒んだ使用人を勝手に罰しようとした。そのたびにカメリアが立ちはだかり、レイラに物言いしてくれていたようなのだが。
「使用人にだけじゃありません。今日は私に『あなたがいると、私とロベル様の新婚生活には、邪魔なんですよ。だから早く他家に嫁いでくださいな』なーんて、言ったんですからっ! 私はショワジー伯爵家のれっきとした娘です! 男爵令嬢にあんなこと言われる筋合いはありませんっ!」
これはロベルも、レイラ本人から聞かされていたことだ。
レイラはカメリアだけでなく、伯爵夫妻にも、自分たちが結婚したら早々に爵位を譲ってもらって、領地に引っ込むように頼んでほしい、とロベルに言っていたのだ。
だが、そんなことを伯爵夫妻が承諾するはずがない。なにせロベルはまだ、父から課せられた後継者の資質を示す課題をまったくクリアしていないのだから。
「ディア様だったら、絶対にこんなことで悩まされることなんてなかったのに!」
カメリアの言葉に、ロベルも同じ思いだ。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
なぜ、ディアとの婚約を破棄して、レイラとの婚約を承知してしまったんだろう。
レイラとの婚約は、彼女を好きになったからではない。
レイラのほうは、ロベルが自分を好きになったからだと思っているようだが、本当のところ、すべては成り行きだ。
今でもロベルは、レイラに好きとか愛とかいう感情を微塵も感じられないでいる。
そして、それ以前のこと――ディアという婚約者がいるにもかかわらず、いくつかのパーティーにレイラをエスコートして行ったことにも、そこに恋愛感情といったものはまったくなかったと断言できる。
ディアが勝手にレイラに嫉妬しただけだし、レイラも勝手に、ロベルが自分に惹かれたからだと思い込んだだけのこと。
「ロベル様と結婚したいんです! ロベル様の隣には、ディア様より美しい私のほうがふさわしいと思いませんか? ロベル様だってそう思っているんでしょう? ねえ? そうだと言ってくださいっ、ねえってばっ!」
そう執拗に繰り返すレイラに、最初は曖昧に笑って、何も答えることなくやり過ごしていた。
けれど、レイラは思っていた以上にしつこくて、ロベルがうんと言うまであきらめる気配がなかった。それで遂にうんざりした挙句、ロベルが折れ、婚約に応じたというだけの話でしかない。
(ディアだったら、こんなことにはならなかったのに……)
ディアがあんなふうにいきなり、結婚するか別れるかの二択だなんて言うから、あの場では結婚はまだしたくないと曖昧に濁したつもりだったのに。ディアが自分の言葉を真に受けて、婚約破棄なんてするからいけないんだ。
でも、ディアだって、年齢的にも今から新しい婚約者を見つけるのは大変だろう。
きっと、勢いで婚約破棄したことを後悔しているかもしれない。
そう思って僕のほうから何度もサルグミン家に訪ねていってやったというのに、どういうわけか門前払いをされてばかり。
おそらくはディアが婚約破棄を気に病んで、部屋に閉じこもってしまっているからだろうとは思うけど、ちらりとも顔を見せもしないのは、わざわざ出向いた僕に失礼がすぎる。だから、ここしばらくは訪ねるのを控えていたわけなんだけれど。
一言、ディアが謝ってくれれば、僕はやり直してやったっていい。
やっぱり、気落ちしているディアを慰めに行ってやったら、自分が悪かったって謝ってくれるんじゃないかな。そうすれば……。
「カメリア、ディアが今どうしているか、知ってる?」
「どうしてお兄様が、ディア様のことを心配するんです? 今さら? はあ?」
カメリアに思い切り睨まれる。カメリアは実の姉のようにディアを慕っていたから、婚約破棄の話に、誰よりも怒っているのだ。
「いや、……一人になって、寂しいんじゃないかと思って……」
「呆れた……何も知らないんですね。ディア様はもう、王都にはいませんよ。それにお一人でもありませんから、お兄様の心配は余計なお世話です」
「……どういうこと?」
「ディア様は……」
カメリアから聞いた話に、ロベルは言葉を失くした。




