終わりの足音
十日後。
ロベルはまた私を訪ねてきた。しかも、土砂降りの大雨の中、突然ふらりと現れたのだ。
先触れもない訪問に、執事が慌てて部屋にいた私に知らせてきた。
「ディア、助けてくれ……。このままじゃ、僕は……」
部屋に入るなり、ロベルが私の肩を掴んだ。
常に体裁や見かけを気にするロベルが、柄にもなく取り乱している。
「何があったんですか? 助けてとは?」
「それが……借金したんだけど、返せそうになくて……」
「どういうことか、落ち着いて説明していただけませんか?」
ロベルは、先日私を訪ねてくる以前から、すでに借金を重ねていたらしい。しかも、裏社会に通じていると噂のある、素性のよくない高利貸しから。
借金は、最初は本当に些細な額だったという。だが、返済の条件が少し変わっている。毎日決まった額を、決まった時間までに返済しに行くことが条件だ。それを破ると、利息が倍に増えていく仕組みとなっている。
その時間は、早朝と決められていた。ロベルがそれまでのように暮らしている分には、朝食をとってからゆっくり出かけても十分間に合う時間だ。何も難しいことはないはずだった。しかし――。
「毎晩、仲間たちとパラディアで過ごしていたんだ。それで酔いつぶれて夜遅くに帰宅していたら、いつも目覚めるのが昼になっていた。それで、決められた時間に返済に行くことができず、利息がどんどん積み上がっていって……、気づいたらもう、僕には返せない額まで膨れ上がってしまったんだ……これが父に知られたらと思うと……」
「途中で抜け出して、帰宅することはできなかったのでしょうか?」
「……それはできないよ。僕だけ先に帰ると言ったら、せっかくみんなが楽しく盛り上がっている雰囲気に水を差してしまう。そんなことをしたら、みんなから嫌がられてしまうだろ? もう二度と誘ってもらえないかもしれない。仲間に入れてもらえなくなってしまうかも……僕は嫌われたくないんだよ……」
情けないほどうなだれて、頭を抱えているロベル。彼のこんな姿は初めて見る。
私の前で無防備な姿を見せるロベルについ、ほっとけないという気持ちが芽生えてしまった。子供の頃、池に落ちた私を、心から心配そうに見守ってくれていた彼の姿が重なってしまったせいもあるだろう。
「あの……どれくらいの額なのですか?」
「ああ……」
ロベルから返済額を聞いて、それぐらいなら私だけで何とかできる。魔物討伐の報酬の一部を、自分のために貯えていたものがあるからだ。それで足りる額だった。
私の隣で猫の姿で眠っていたルオンが、パタンッ、と長い尻尾で私を叩いた。
正気か? って言いたいんだろうな。
私だって、やめたほうがいいって思う。でもね……。
「では、どちらにお返しに上がればいいんですか? 私が代わりに行きますから」
翌朝、私はロベルから聞いた場所にお金を持って行った。もちろん、お父様たちには内緒で。ロベルとの約束があるとだけ告げて家を出てきたのだ。
さすがのロベルも、今朝は寝過ごすことなく、その場所にいた。
平民街にある、寂れた通りに面した酒場の裏口。夜なら猥雑な賑わいを見せるであろう店も、その周辺も、店が閉まっている朝は通りかかる者もほとんどいない。
昨日、私のところに来る前に、ロベルは高利貸しの手の者から「明日、時間通りに金を持ってこないと、直接ショワジー伯爵に話しに行く」と脅されたらしい。それで青くなって私のところに飛んできたものだから、昨晩は「大切なご友人」とやらからお呼び出しされる暇がなかったというわけだ。
そうして対峙した相手は、いかにも、という風体の裏社会の男。とはいえ、取り立てを担当する単なる下っ端だ。頭は誰なのか。それが気になるところではあるが。
奴らは王国法が定めた上限を超える違法な利子を稼いでいる。だから、取り決めた場所に決まった時間だけ現れて、金のやり取りをする。その場所も時間も、相手によって変えているから、摘発の手をすり抜けていられるのだろう。
「ディア、感謝するよ……。僕は、君みたいなしっかりした人と早く結婚しないといけないね」
膨らんだ利子も含めた全額を返済し、借用証書を取り返したロベル。
彼は証書をビリビリと破り捨てながら、機嫌よく笑って見せた。
だったら、今すぐにでも「結婚しよう」って言ってくれてもいいのに。
いや、待って。確かにそれは、こんな場所で言われても、あんまりだわ……。
帰りの馬車は、ロベルと一緒にショワジー家の馬車に乗った。
昨日までとは打って変わって機嫌よく、けれど感謝の言葉以外は口にしない彼に苛立ちを感じてしまう。
思えば、婚約してからもう四年だ。ロベルは22歳になり、私も20歳。お互い婚約から結婚へと進むことが自然な年頃になっている。
家族だけでなく周囲からも「結婚はいつ?」と聞かれることが多くなっていた。そのたびに笑ってごまかしていたが、それもそろそろ限界。
お父様もお母様も、口にはしないけれど心配しているのが伝わってくる。お兄様も同じだ。
(悲しませたくないんだけどな……)
だから、ロベルを助けることが、彼を結婚へと後押ししてくれる力になるかと思ったのだけれど――。
◆◆◆
ロベルからはあれきり、ぱたりと連絡がない。
もともと手紙をまめにくれる性質でもなく、私からの手紙にも、ショワジー家の執事が代筆した返事が来ることが多かった。なので、面倒がられるのはよくないと思い、私も必要のない時には送らないのが当たり前となっている。
ロベルにしてみれば、家同士が決めた婚約でしかないのだから、恋人じみたやり取りなど不要と考えているのだろう。
こういう関係は、この国の社交界を見渡せば、例外というわけではない。それに、婚約期間中にはそれほど親しく見えなかった二人が、結婚後、同じ屋敷で共に過ごすようになってから、その仲睦まじさを社交界で羨まれるようになった例も珍しくはなかった。
今は子どもの頃の記憶で、私が一方的にロベルを慕っているだけなのだから。
そして今年も、メロビング王国では、聖女の降誕祭が開かれる時期となった。
300年前に王国の辺境の地に聖女が現れ、魔物の襲撃に悩まされていた人々を救ったという伝説がある。その聖女は精霊師だったとされ、従えた精霊と共に一瞬にしてその場の魔物を浄化したと言われる。
その聖女の威光によって、王国には精霊を従える能力を持つ、精霊師が生まれるとされていた。
よって、我が子に精霊師の素質があるとわかった時、親の反応は二手に分かれる。
聖女と等しき力を持つ、尊い精霊師が誕生したと歓喜し、神を授かったかのように我が子を崇め奉って育てる者。
あるいは、その力ゆえに、有事の際には危険な魔物の前に否応なく立たされる存在となってしまうとして、我が子の能力を隠す者。
サルグミン家は後者だ。まだ歩くこともままならない私が、人語を操るルオンと遊んでいるのを見て、このことを家族以外の者には知られないよう徹底して口を閉ざした。
降誕祭には王宮で大規模な夜会が開かれる。その夜会には、日頃は滅多に王都を訪れることのない辺境の地の領主である貴族たちも姿を見せるのだ。その中には王国に三人しか認められていない、ソードマスターの称号を持つ大貴族もいる。
王国中の貴族が集まる降誕祭の夜会には例年、ロベルと参加していた。
今年もそのつもりでいた私のもとに届いた、ドレスの箱と、一通の手紙。――送り主は、ロベル。
『ディア、申し訳ないが、今年の降誕祭では君をエスコート出来なくなってしまった。
商団での取引で、そこの令嬢を僕がエスコートすることが条件に出されている。理解してくれると嬉しい』
(理解ねぇ……)
先日のこともあるのだ。とうてい納得できるわけがない。
でも、それを言ったところで、ロベルの気持ちが覆りはしないのもわかっている。
それに無理強いしてまでエスコートしてもらうのは、私の体面は保てても、気分が悪いだけだ。
そして、降誕祭の夜会当日。
私はお兄様と、馬車で王宮に向かった。
お兄様のエスコートで、会場である宮殿のホールに入った私は、既視感のある光景に眩暈がした。
ロベルがレイラの手を取って、並んで立っていたのだ。




