じゃあ何で俺はここにいるのかな?
マンスローターが護送中に脱走したというニュースは、その日の内に知れ渡った。
世界有数の凶悪犯が野に放たれたことで、メガトーキョーには戒厳令が発令された。不要不急の外出は原則禁止となり、道路では至るところに自動小銃を携えたセンチネル隊員が検問を敷いていて、街は一気に物々しい雰囲気に包まれた。
一般市民とは対照的に、センチネルは多忙を極めていた。非番の隊員も一人残らず招集され、中には停職中の隊員も呼び出された。
「あらお帰りなさいアイリ。意外と早く釈放されたのね?」
「面白くないわよ華怜」
武器保管室に入って早々、冗談を飛ばしてくる同僚の風吹華怜を、アイリは軽く受け流した。
今夜はヒカリと姉妹水入らずでゆっくり話し合いたいと思っていた矢先に招集命令を受けたせいで、少々不機嫌になっていた。
「運が良かったわね。本当なら逮捕されてもおかしくなかったのに、こんな事件が起きたおかげですぐに復職出来たじゃない」
「コラ、容疑者を移送していた隊員が死んだってのに運が良いとは何だ!」
傍で聞いていたプリヤが窘める。
「それより覚悟しとけよ。相手はTier1のサイボーグだ。そうなると必然的に私達の出番が回ってくることになる。久し振りの大仕事になるぞ」
「わかっているわよ」
アイリはパスワードを入力して自分の保管庫から銃を取り出すと、異常がないか隈なく点検した。
同様に華怜も愛銃の大口径ライフルを一旦分解して、入念に手入れしている。
「ということは久々に暴れられるんですのね。楽しみですわぁ……ようやくこの子に新鮮な血を飲ませることが出来ますわ」
フォックストロット部隊の一人、木花菊理は恍惚とした表情を浮かべながら愛おしそうに愛用の武器である双刃剣を撫で回す。
長い黒髪を姫カットにして、大和撫子然とした雰囲気を漂わせている。
「やけに嬉しそうだな」
「当然ですわ。このような時の為にセンチネルに入ったと言っても過言ではありませんもの」
「そう言えば菊理は何で志願したんだっけ?」
「あら、ご存知ありませんの? この職業なら合法的に人を切り刻めるからですわ」
「……あっそ、良かったな」
プリヤは半ば投げやりな口調で言った。
「ところでハイタワーはどこにいるの?」
「さあ、何か用事があるからって言って、どこかに行ったらしいぜ」
「この非常時に?」
それを聞いて、アイリは小首を傾げた。
この二日間のハイタワーの行動は不審な点が多過ぎる。ヒカリの誘拐事件での妨害行為、サイモン・クルーガーを指名手配する際、頑なに抵抗したこと。
アイリの予想が当たっていれば、この一連の不可解な行動にも説明がつく。だがそうなるとこれはセンチネルの信用にも関わる大事件だ。仮にもハイタワーはセンチネルのメガトーキョー支部長。憶測だけで下手な調査は出来ない。
と、そこへ情報分析課のマリー・オブライエンから、チーム全員に無線が入って、アイリの思考は中断された。
『すみません、ちょっとよろしいでしょうか?』
一同はそれぞれの作業を中断し、彼女の声に聞き入った。
『たった今、マンスローターらしき人物を見たとの通報がありました。近くの防犯カメラの映像を確認したところ、確かに良く似た人相の男が映っていました。至急、現場に向かってくれますか?』
「面倒なことをしてくれたな貴様は」
クルーガーのオフィスの一室にて、三人だけの秘密会合が始まってから数分。マンスローターに対するクルーガーの怒りは、静まるどころか益々大きくなりつつあった。
室内にはクルーガー、ハイタワー、そしてマンスローターの姿がある。
「戦闘データが欲しけりゃ私に言えば良いだろう。何故わざわざ目立つようなことをする!?」
「誰の手も借りねえ。俺は俺のやり方でやるだけだ。気に入らねえなら他を当たることだな」
「おい貴様、依頼人に対して何だその態度は?」
ハイタワーが食ってかかるが、マンスローターが一度睨みつけると怖気づいて押し黙ってしまった。
クルーガーは苦々しい思いを抑えられなかった。こいつの無謀な行動のせいで都市の警備が強化され、自分の逃亡がより困難になった。理解しているのか?
無論この男なら、これだけの包囲網でも簡単に逃げられるだろうが、自分はそうはいかない。まったくとんだとばっちりだ。
しかしこれ以上、文句を言ったところで反省する気はなさそうだ。
「まあ良い。それより誰にも尾行されてないだろうな」
「ああ、そんなヘマはしねえよ」
――へえ、じゃあ何で俺はここにいるのかな?
隣のビルの屋上から、海斗はクルーガー達の会話に耳を傾けながら心の中で呟いた。
体内に内蔵されたレーザーマイクを使用して、先ほどから彼らの一連の会話を盗み聞きしていたのだ。
レーザー光が音声による振動を感知し、何を話しているのかわかる仕組みになっている。
これはプリスのアイデアだった。
マンスローターを倒した後、校舎を出ようとした海斗にプリスがチャットアプリで話しかけてきた。
『お待ちください海斗様。立ち去る前にこの男の位置情報を把握出来るように追跡アプリをリモートインストールさせることをお勧めします』
戦闘中は全く音沙汰がなかったから寝ているのかと思った。いや彼女の場合はスリープモードとでも言うのか?
「どうして?」
『この男が脱走する危険があるからです』
確かにこの男の戦闘力をもってすれば、センチネルの拘束を破って脱走することも不可能ではないように思える。
万が一に備えて予め居場所がわかるようにすれば、次に狙われた時に役に立つという訳だ。
そしてプリスがマンスローターのニューラル・インターフェースに侵入し、ヒカリの時にも使用したGPS追跡アプリをリモートインストールさせた。その際ハッキングに気づかれないよう、様々な偽装工作を施したらしいが、海斗には良くわからない。
結果的にはプリスの見解が正しかった訳だ。しかし正直、外れて欲しかったというのが本音だった。
マンスローターが脱走したと知った時、海斗は追跡アプリを利用してここまで来た。しかしまさかクルーガーまでいるとは思わなかった。一石二鳥とはこのことだ。
もう一人、松葉杖をついた男は見覚えがないが、恐らくクルーガーの部下か何かだろう。
後はセンチネルにこの場所を通報して、彼らが一斉に捕まるのを見届けてから立ち去るだけ。自分が乗り込んで行って捕まえるより、プロに任せた方が確実だろう。
後で調べてみると、相手はマンスローターとかいう世界的に有名な殺し屋だった。某ネット百科事典の英語版にも記事があるくらいだ。
それならもう自分の出る幕ではない。ここから先はセンチネルの仕事だ。
またあんな奴と戦うなど、考えただけでげんなりする。
「とにかくもう行け。そして一刻も早く依頼を遂行しろ。くれぐれも軽率な行動は取るんじゃないぞ」
と、ようやく話が終わったようだ。クルーガーがマンスローターに背を向けて出ていくよう促す。
「ちょっと待ってくれ」
ところがどういう訳か、マンスローターはゆっくりとクルーガーへとにじり寄った。
「何だ、まだ何かあるのか?」
「実はもう一人、殺しの依頼を請け負っているんだ」
「何だと?」
その時、にわかに室内の空気が一変したのを、海斗は感じ取った。しかしそれが何を意味するのかまではわからなかった。
「どういうことだ?」
「そいつは昔、ある男に相当酷い目に遭わされたみたいでな、死ぬまでに絶対にそいつを殺してやると固く心に誓ったらしい」
「何故そんな話を私にする?」
そこで返事が一拍遅れて、押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「クックック……まったくテメーの鈍感さ加減はオリンピック級だな。俺ははっきり覚えてるぜ。テメーに脳ミソ散々弄り回されたことも、全身を不細工な身体に造り替えられたこともな」
「ま、まさか……」
クルーガーが目を見開いた。その表情が怒りから戸惑いへと、戸惑いからはっきりとした恐怖へと急変し、全身が小刻みに震えていた。
ハッキリと確信がある訳ではなかったが、海斗はこれが危険な状況であることを察知した。
「ようやく思い出したか。テメーから依頼があった時はとんでもねえ幸運に感謝したぜ。おかげであの時の復讐がようやく果たせるんだからなあ!」
――まずい!
海斗はこの後起きる出来事を予想して、直感的に飛び出した。
だが――
「ま、待て……私が悪かった! お前が望むことなら何でもする、だから――」
その言葉が最後まで言い終わることは永遠になかった。マンスローターが手首から露出した刃物が、クルーガーの首筋を深く抉ったからだ。
「――あっ!?」
その時、海斗はまだ隣のビルから飛び移る途中だった。間に合わなかったか。
「……バカが、テメーが死ぬこと以外に望みなんざねえよ」
マンスローターが刃物を引き抜くと、糸を失った人形のように、クルーガーの身体がぐったりと床に頽れた。
「ひいいいいいいいいぃぃぃ!」
松葉杖をついた男が絶望のあまり、腰を抜かしてその場にへたり込む。
「物のついでだ。テメーも一緒に殺してやるよ」
マンスローターがハイタワーの方に狙いを定める。その時――
オフィスの窓ガラスを蹴破ってグリッドランナーに変身した海斗が飛び込んできた。
「テメーはっ!?」
海斗は目を剥き出しにして仰向けに倒れているクルーガーを見た。もはや生きてはいないことは一目でわかった。まさかこんな結末になるなんて。
『何でだ? どうしてそいつを殺したんだ?』
海斗はマンスローターを睨みつけた。
「テメーが知る必要はねえ。わざわざ探す手間を省いてくれてありがとよ。とりあえず死んどけっ!」
マンスローターは刃物を構えて問答無用で斬りつけてきた。海斗もすかさず応戦する。
その隙に松葉杖の男が四つん這いのまま部屋を転がり出た。
間違いない。マンスローターはクルーガーの実験の被害者だ。何とも奇妙な巡り合わせだった。どうりで海斗と似たような能力を持っているはずだ。
マンスローターは昼間よりもさらに動きが洗練されていた。こちらの攻撃が通用しなくなっている。しかもまるで動きを先読みしているかのように正確な攻撃を仕掛けてくる。
複数のRX300を相手にした時と相似していた。
何とか紙一重で回避は出来ているが、何度も続けていればいずれ確実に一回は当たる。
「どうした、得意の軽口を言ってみろよ? 残念だったな、テメーの戦闘データはすでに分析済みなんだよ」
『やっぱりそうか……』
「安心しな、昼間の借りを百倍にして返すまでは殺さねえからよ!」
『くっ……』
情勢はこちらがかなり不利だった。攻撃はさらに激しさを増していく。クルーガーの死を目の当たりにして、いつものように軽口を叩いて相手の冷静さを失わせる余裕もなかった。
『あの男ははお前の依頼主じゃなかったのか?』
「知るかよ。俺はコイツみてえに安全圏で高みの見物を決め込んでる奴が一番嫌いなんだ。コイツだけじゃねえ。俺をこんな目に遭わせた奴は片っ端から皆殺しにしてやる!」
海斗は突進してきたマンスローター目掛けて足元の高級ソファを蹴り飛ばした。ソファが真っ二つに引き裂かれた瞬間を狙って顔面に拳を叩き込もうとする。が、難なく躱される。その隙を突いてマンスローターが高周波ブレードを薙ぎ払った。
「避けてみな!」
『――ッ!?』
高周波ブレードが海斗の首を捉えたと思われた瞬間、ふいに彼の姿が消えた。と、思ったらマンスローターの背後に現れて後頭部を蹴り上げる。
マンスローターはすぐさま受け身をとって態勢を整える。
「そうか、テメーには加速装置があったんだよな……」
冷静に分析するようにマンスローターが呟く。
「だがそれももう覚えた。テメーの攻撃はもう知り尽くしたって言っただろ」
『へえそう……だったらこれも知ってるかな?』
そう言うや海斗は、高周波ブレードの刺突より素早く動き、真正面から硬く握り締めた鉄槌をマンスローターの顔面目掛けて叩きつけた。マンスローターは勢い良く後方に吹き飛び、窓ガラスを突き破って外に放り出された。
『戦闘データを採っていたのは、こっちも一緒だってことをさ……』
海斗とマンスローターはほぼ同じ能力を持っている。ならばマンスローターに出来て、海斗に出来ないという理由はない。
マンスローターと再戦する可能性をプリスに指摘された時、海斗はそれに備えて予め戦闘データを取得しておいた方が良いんじゃないかと考えた。RX300との戦闘で、その効果は身をもって体験しているからだ。
データの分析にはプリスも協力してくれた。彼女が何故そこまで自分をサポートしてくれるのかは謎だが、この際それは後回しにしよう。
最初はマンスローターの動きの変化に苦労していたが、だいぶ順応してきた。もう不覚をとることはない。
海斗はマンスローターを追って外に出る。ビルの外壁に張りつき、マンスローターの姿を探す。彼は真下の電飾看板に掴まっていた。
『また俺に負けて恥ずかしい思いする前に降参したら?』
「へっ、そいつはどうかな……?」
戦いの舞台は屋外に移った。
アイリ達、フォックストロット部隊が搭乗するVTOLは猛スピードで現場に急行していた。もうあと三分ほどで到着する。
「マリーどんな状況か教えて?」
アイリは先にドローンで現地を偵察しているマリーに状況説明を求めた。
ところが何故かマリーの返事は妙に歯切れが悪く、戸惑っているように聞こえた。
『えっと、それがその……マンスローターとグリッドランナーが交戦しているようです……』
「え、どういうことなの?」
『わかりません。でも確かマンスローターはグリッドランナーの命を狙っていたんですよね? だったらマンスローターが殺しに戻ったんじゃないでしょうか』
「わざわざターゲットを殺す為だけに脱走したって言うの?」
華怜が素朴な疑問を口にする。
「マジかよ、逮捕の邪魔にならなきゃ良いけどな」
「どうでもいいですわ。もしそうなった時は両方斬り捨てれば済む話ですから」
「いやいや駄目だろ……」
プリヤが暴走気味の菊理に突っ込みを入れる。
大きな不確定要素が現れたことで、アイリは任務の成否にどのような影響が出るか不安を抱き始めた。
アイリ達は上空からマンスローターとグリッドランナーが道路のど真ん中で戦闘を繰り広げている様を眺めていた。
見たところグリッドランナーの方が優勢だった。マンスローターの攻撃はほとんど当たっていない。
「……驚いた。まさかあの殺し屋を相手に押してるなんて」
アイリは目の前の光景に息を吞んだ。
一ヶ月前、どこからともなく現れた得体の知れない人物が、世界一の殺し屋を相手に優勢に立っている。
まるで漫画かアニメの世界だ。
「つーかかこのままだと倒しちまうんじゃねえの」
「もしかして私達、出番ない感じ?」
プリヤと華怜が口々にぼやいた。
「そんなぁ。この子に吸わせる血はどうなっちゃいますの?」
「……オメーは黙ってろ」
プリヤが菊理を一喝した直後、ふいに無線通信が入った。
『オイお前達、何をやっている!』
ハイタワーのヒステリックな怒号が鼓膜を叩いた。
「ハイタワー? 今までどこにいたの?」
『そんなことはどうでもいい、さっさと自分達の仕事をしろ!』
「言われなくてもわかっているわよ。今から二人一組でマンスローターを包囲して――」
『違う、奴は後回しだ。まずグリッドランナーを捕まえろ!』
思わず耳を疑った。
「……待って、何を言っているの?」
『状況が変わった、最優先ターゲットはグリッドランナーだ! 場合によっては殺しても構わん!』
とても正気の沙汰とは思えない。
危険度で言えば、マンスローターが圧倒的に上回っているはず。万が一ここで奴を取り逃がすことになれば大変なことになる。今が千載一遇のチャンスだというのに。
状況が変わったと言っていたが、ハイタワーは近くにいるのか。
「どういうことなのか説明して欲しいわね」
『訳は後で話す、これは命令だ! 今すぐグリッドランナーを捕まえろ、いや殺すんだ!』
そうは言ったものの、ハイタワーは説明する気など毛頭なかった。言える訳がない。
グリッドランナーに顔を見られてしまい、このことが明るみになれば身の破滅。それを防ぐには口封じするしかない、などと。
ハイタワーはただ自分の保身の為に、殺害を命じただけだった。
「理由も聞かずにそんなこと出来る訳ないでしょ」
ところがそんなアイリの言葉を無視して、菊理がVTOLのドアに手をかけて開放した。
「理由なんて必要ありませんわ。誰かをこの手で八つ裂きにする、それが私の仕事ですもの」
「ちょ、待ちなさい!」
菊理は飛び降りた。




