夢の国だよ
『ちょおおおおおおおオオオオオオオォォォー!』
嵐のような轟音。
毎分二千発の発射速度で連射される銃弾の瀑布は、地面に穴を穿ち、セラミックタイルを捲り上げ、プールに巨大な水柱を作り出す。
金持ちの象徴とも言える豪邸が、一瞬にして戦場と化した。
海斗は全力で横に走りながら必死に逃げ回った。戦車砲を食らっても平気だと頭ではわかっていても、恐怖が身体を動かす。
どれほど強力な装備を渡されても、いざ銃弾の飛び交う戦場に立つと怖気づいてしまう新兵の心理に近い。
だがこうしている間にもヒカリは遠ざかっていく。弾切れを待っている余裕もない。
RX300はヒカリがいなくなった方向に立ちはだかっている。ヒカリを追うには無力化させるしかない。
海斗は恐怖を振り払って二階の屋根に飛び乗った。ガトリング砲の銃弾はしかし、屋根をも貫通する。
RX300は海斗を追って室内に侵入した。さすがにガトリング砲を二門抱えて屋根に飛び乗るのは無理らしい。だがこれで良い。
ガトリング砲が唸りを上げて天井に無数の穴を穿つ。やがて天井を支えていた梁が破壊され、自重に耐え切れなくなった屋根が敢えなく瓦解した。瓦礫がRX300の頭上に降り注ぐ。RX300は、やむなくガトリング砲を手放してバルコニーに退避した。
今だ。海斗はその隙を見逃さなかった。RX300がバルコニーに出たところを見計らって二階から飛び降り、背中目がけて強烈な蹴りを食らわせた。
『悪いね、ちょっと大人しくして貰うよ』
そう言いながら腕を掴もうとしたその時、突然相手の身体がグルッとこちらを向いて、物凄い力でしがみ着いてきた。
『わっ何だ!?』
『どうやら自爆するつもりのようです』
『えぇ!?』
確かにプリスの言う通り、RX300が爆発シークエンスに入ったかのように、首の付け根辺りのLEDランプが点滅を始めた。
『どどど、どうすれば?』
『EMPを使ってください』
『そ、そうか!』
通常、戦闘用バイオロイドは総じてEMP対策に特殊な人工皮膚を使用しいる。だがこのRX300は見ての通り、首がなくなって中身が剥き出し状態だ。
海斗は絡みつかれている左腕をなんとか取り出して、RX300の首元でEMPを発動した。
直ちにRX300の両腕が緩み、LEDランプの点滅が停止した。今度こそ完全に機能を停止したようだ。その場に倒れたままピクリとも動こうとしない。
『危なかったぁ……』
などと余韻に浸っている場合ではない。
すぐにヒカリを追いかけないと。海斗は弾かれたように走り出すと、欄干を越えてマンションから飛び降りた。
三十メートルほど落下して近くのビルの屋上に着地すると、パルクールによる移動を開始した。移動しながら視界内にGPS追跡アプリを表示してヒカリの位置情報を確認する。まだそう遠くへは行っていない。
本来の予定とは多少違ったが、結果的には作戦通りにいったと言えなくもない。このまま敵の本拠地に辿り着くことが出来れば、全てが上手くいく。
『急ごう!』
海斗はタワークレーンを伝いながら走る速度を上げた。
その時、上月からコールが入った。
『浅宮君、クルーガーの動向が慌ただしくなってきたが、何かあったのか?』
正直、今はあまり話したくない。自宅の惨状をどう説明しよう。
『あー実はついさっき家が襲撃されて、ヒカリさんが連れ去られちゃったんですよね。で、今追っかけてるとこ』
『大丈夫なのか?』
『まあ今のところは。それより大丈夫じゃないのは家の方かも。戦闘用バイオロイドが暴れまわって派手に壊しちゃったから』
『どのくらい破壊されたんだ?』
『……訊かない方が良いかもよ?』
『……わかった訊かない』
上月は半ば諦めムードで呟いた後、『じゃあ気をつけて』という励ましの言葉を送って通話を切った。
『よーし、こうなったら全部バイオロイドのせいにしよう!』
海斗はそう決意を固めると、加速装置を起動してけばけばしいネオンの輝く夜の街を高速パルクールで駆け抜けた。
数分かけて辿り着いたのは、都市部から少し離れた郊外の工業団地だった。
ご丁寧に建物の壁に堂々とロズウェル社のロゴが入っている。
『ここで間違いないみたいだね』
海斗は向かい側の建物の屋上にある基地局アンテナの先端に登って建物全体を見下ろした。
見たところ何の変哲もない普通の薬品工場だ。ガラス張りの外壁は鏡のように周囲のネオン光を反射する。
しかし良く見ると所々に全身黒装束の警備員が徘徊している。ヒカリを連れ去ろうとした男達と同じ服装。銃を持っているのは疑いようがない。正面から殴り込むのは危険だ。
『どうやって忍び込む? このまま行っても見つかるだろうし』
『ご安心ください。このような状況でも役に立つ便利な機能を今からご紹介します』
まるで通販番組の宣伝口上のような口調で、プリスは潜入に役立つ二つの機能を説明してくれた。
まずは光学迷彩。
衣服の立体映像技術を応用したもので、周囲の景色と身体を同調させて透明化する。ただしバッテリーは体内の細胞の電位差を利用した生体電池なので、三十分以上経過すると、再充填まで使用出来なくなる。
次にファンデルワールス力によって壁や天井に張り付く機能。
ファンデルワールス力とは分子間に働く静電相互作用のことで、分子と分子が互いに引かれ合う事象を指す。
実は海斗が履いている靴の裏と掌には、無数の分子サイズの“毛”が生えていて、これにより、対象物にある同じく分子サイズの隙間に毛が吸着して、壁や天井にも張り付くことが出来る。
自然界ではヤモリや蜘蛛――それから某親愛なる隣人――などが、同様の原理で張り付いている。
海斗はまず光学迷彩で姿を隠した後、建物の壁に沿って移動し、二階の窓から侵入した。
警備員が通り掛かると壁や天井に張り付いてやり過ごし、奥へ進む。
工場内には見たこともない色の液体が満たされたタンクや、円筒状の容器がそこかしこにある。
誰も海斗の存在に気づかなかった。潜入は驚くほど上手くいっている。まるでスパイにでもなった気分だ。
『こんな夜遅くまで仕事熱心だねえ。この人達はちゃんと残業手当貰ってるのかな?』
『敵の心配をする余裕があるのですか?』
『ちょっと気になっただけだよ』
しかしヒカリの居場所がわからない。あまり時間をかけてあちこち捜索しているとヒカリの身に危険が及ぶ可能性や、発見されるリスクが増えてくる。
『さて、どこを探せば良いと思う?』
『それならこの工場のメインサーバにアクセスしてください。そこから私が防犯カメラの映像などを参照してヒカリ様の居所を割り出します』
『りょーかい』
海斗は近くにあったコンピュータ・ターミナルからメインサーバに接続した。プリスは『少々お待ちください』と言ってしばらく無言になっていたが、やがて確信を得たような声が聞こえてきた。
『確認しました。どうやらヒカリ様は地下四階にいるようです』
『四階? 確かここの地図には三階までしか載ってないけど……』
工場には至る所にアクリル板の案内図が設置されている。しかしそこにはどう見ても地下三階までの地図しか記載されていない。
『いわゆる隠し部屋というやつではないでしょうか?』
『まるでゲームみたいだね。もしかするとそこでヤバい人体実験が行われてたりして……』
『可能性はあると思います』
想像するとそこへ向かうことに若干の抵抗を覚えたが、ヒカリを救出する為だから仕方ない。海斗はエレベーターのある場所まで移動した。
エレベーターには生体認証が必要だったので、工場の職員に便乗して乗り込んだ。職員が途中で降りたのを見計らって、こっそり地下四階のボタンを押す。
地下四階には倉庫のような部屋が並んでいた。通路を真っ直ぐ進んでいると、何者かの話し声が聞こえて来る。海斗は咄嗟に近くにあった部屋に身を隠して耳を澄ます。
「おい、女はどうなったんだ?」
「実験室に移されたよ。これから厳しーい質問タイムの始まりってワケだ」
「可哀想になぁ。まだ十代だってのに」
「ならお前が代わってやるか?」
「いや、何でそうなるんだよ……」
「同情したって良いことなんか一つもないってことさ。仕事なんだから割り切らねえとよ」
偶然にもヒカリの正確な居場所がわかった。どうやら急いだ方が良いらしい。
外に出ようとした時、ふと山積みされている箱の中に、一つだけ蓋が僅かに開いているのが目に入った。
その箱の中には大量の銃器や爆薬が収められていた。
『うわ何これ。こんなにいっぱい、ネットオークションにでも出品するつもりなのかな?』
『恐らくサイバーマトリックス社が製造した武器だと思われます。会社から横流しした武器をここに集めて密売しているのでしょう』
『へえ、サイバーマトリックスは転売ヤーに厳しい会社だと思ってたのに、裏ではこんなことをやってたんだね』
こんな後ろ暗い手法で売るくらいだ。買い手はどこかの非合法組織かテロリストといったところか。
この銃器の使用用途を考えると、この場で破壊した方が良いのかもしれないが、そんなことをしたら確実に敵に発見されるので無視するしかない。
そう考えて立ち去ろうとしたその直後――
「おい動くな」
背中に硬いものを押しつけられた。それが銃であることは確認するまでもなくわかった。
迂闊にも部屋に入った時、節約の為に光学迷彩を解除したのが仇となった。
「おかしな真似はするな。ゆっくりとこっちを向け」
海斗は両手を挙げながら言われた通りにした。
今気づいたが、先ほど会話していた警備員の内の一人と同じ声だ。
「ふざけた格好した野郎だな。どこから入り込んだ?」
『あー本当に聞きたい? 人間、少しくらいミステリアスなところがあった方が面白いと思うけど』
海斗がそう言うと、警備員が額に銃を突きつけて威圧した。
「死にたくなかったらふざけてないで素直に答えろ」
『わかった……じゃあ言うけど――』
海斗は大人しく従った――ように見せかけて、目にも止まらぬ速さで警備員の鼻面に拳を打ち込んだ。
「ぐおっ!」
『夢の国だよ』
仰向けに倒れた警備員を放置しておくと面倒なので、他の警備員に見つからないよう箱の陰に身体を隠すことにした。ついでにこの部屋の銃器類を撮影しておく。万が一の時に何かの証拠になるかもしれない。
そう思ってニューラル・インターフェースのカメラ機能をONにした直後、気絶した警備員が耳に装着しているヘッドセットから雑音混じりの声が聞こえてきた。
『おい、そっちは異常ないか?』
――ま、まずい!
このままだと異変を察知した警備員が大挙して押し寄せて来る。
『おい、どうしたんだ。何故応答しない?』




