それでは……死んでください!
「ちょ、ちょっとヒカリさん。自分が何を言っているのかわかってる?」
呆気にとられながら、海斗はヒカリの真意を質す。
「だってこうなったのは全部私のせいだもん。私が何とかしないと」
「そんなの全然気にしてないって言ったでしょ……まあそりゃ、全く気にしてないって言えば嘘になるけど……いやいやいや、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘! 今の全部嘘!」
もはや動揺し過ぎて自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
「海斗君は二度も私のこと助けてくれたでしょ。きっと今回も大丈夫だって信じてるから」
「そんな勝手に信用されてもねえ…」
二回救出したからと言って三度目も同じように上手くいくとは限らない。海斗はそう忠告しようとしたが、彼女の力強い眼差しに気圧されて言葉を詰まらせた。
返答に窮していると、ヒカリが何やら思い詰めた表情で訥々と語り始めた。
「私ね、生まれつき身体が弱くて子供の頃はずっと病院のベッドで過ごしてたの。一時期は自分で歩くことすら出来なくて家族に迷惑かけてばかりだった。逆にお姉ちゃんは何をやっても完璧で、いつも両親の自慢で、それに比べて私って何なんだろうってしょっちゅう自問自答してた。だからいっぱい勉強してアメリカに留学したんだけど、留学先でも中々馴染めなくて……。だからもう誰かに迷惑をかけるだけの自分は嫌なの。少しでも海斗君の役に立てるなら何とかしたい」
ヒカリの言葉には断固とした決意が感じられた。いくら説得してもその決意が揺らぐことはなさそうだ。
彼女にそんな過去があるとは知らなかった。海斗の中では、デビューしてから短期間でトップインフルエンサーに上り詰めた誰もが羨む成功者というイメージしかなかった。
容姿端麗、音楽と動画編集の才能に恵まれ、学校を飛び級で卒業し、その上サイバーセキュリティにも詳しい。そんな彼女がこれほど大きな悩みを抱えているとは、誰が想像出来ただろう。
新しい衣装を作った時は何を呑気な、と思っていたが、それは不安を押し隠す為にわざと明るく振る舞っていたのかもしれない。それが今ならわかる。
と、それまで気丈に語っていたヒカリだったが、急に弱々しい声音でこんな呟きを漏らした。
「でもこんなことになっちゃったからもう動画配信も駄目かな……駄目な自分を変えたくて始めたんだけど今回のことでファンもいなくなっちゃっただろうし。ようやく私も誰かに必要とされる人間になれたと思ったのに、やっぱり私は何の価値もない人間だったのかな……」
「そんなことないよ」
気落ちした様子のヒカリに、海斗は切実な口調で訴えかけた。
「少なくともいなくならないファンがここに一人いる。俺はヒカリさんの動画が好きだし、同じ人がきっと他にも大勢いるはずだよ」
「……海斗君」
気がつくと海斗は無意識の内にヒカリの手を握り締めていた。
海斗も、自分なんて生きていても死んでいても大して影響はないと思い続けていたからわかる。彼女の悩みの辛さが。そして人に必要とされた時の喜びが。
グリッドランナーとなって誰かを助けた時、ネットで称賛を受けた時は、自分が価値のある人間になれた気がした。
きっとヒカリも同じ気持ちだっただろう。だからこそ、海斗はヒカリの決断に異を唱えることは出来なかった。
「わかった。そこまで言うなら俺はどんなことがあっても君を守る。君が信じてくれるなら俺は全力でそれに応える。二人でこの危機を乗り越えよう。んでもって今日、行き損ねたカフェに今度また改めて行こうよ」
「……うん!」
『あー盛り上がっているところ済まないが、私は何をすれば良いかな?』
二人だけの世界に入っていると、憮然とした調子で上月が訊ねる。
「んーどうせ足手纏いになるだけだから何もしなくて良いですよ……って言いたいところだけど、そこからクルーガーの動きを探れます?」
『……やってみよう』
足手纏いと言われて傷ついたのか、上月は若干投げやりな口調でそう言って通話を切った。実際その通りなのだから仕方ない。
「そういえば子供の頃から身体が弱いって言ってたけど、サイバネ手術とかは考えなかったの?」
上月との通話の後、海斗はふと気になったことを口に出してみた。
「それも一度は考えたんだけど、適合率が低いとかで無理だったの」
「ふうん……」
サイバーウェアは生身の身体と神経を接続する機械義肢である。
しかしその適合率には個人差があり、数値が低いと手脚を思うように動かせず、時には重大な事故に繋がる場合もある。
この問題は現代の格差社会を生む深刻な要因となっているが、未だに解決には至っていない。
ヒカリは自分がナチュラリアンであることは、すでに動画で本人が公言していた。サイバネ手術を受けたことがないのを示す証書も見せていた。
サイボーグが当然となった現代でも、金で買った美貌には忌避感が根強くあり、だからこそ整形していない天然の美しさは非常に希少価値が高い。ヒカリが爆発的な人気を得た主な理由もそこにある。
だが身体が弱い上にサイバネ化出来ないというのは相当なハンデだ。幼い頃はそれで苦労したのだろう。海斗はヒカリの境遇に同情を覚えつつ、作戦の準備を始めた。
まずはヒカリの位置を把握出来るように、GPS追跡アプリをインストールした。
次にブレスレット型デッキのカメラ機能を調整して、相手に気取られずに撮影出来るようにする。
「でも本当に上手くいくのかな? 相手は俺の身体を造った張本人なんでしょ。なら俺の弱点も知り尽くしてるんじゃないの?」
『それは少し違います。確かに提案したのはクルーガー氏ですが、海斗様の身体の修復を直接担当したのは私です。クルーガー氏は海斗様の能力について、全てを把握している訳ではありません』
「そう、なら良いんだけど……」
そういえばサイバーマトリックス社に所属するプリスが何故自分に味方してくれるのか、今頃になって気になってきた。本来ならばクルーガーの側についてもおかしくない立場のはずなのに。
もしやヒカリがわざと捕まるよう提案したのは罠なのか。
いや、どうだろう。これまでの彼女の貢献を考慮すれば違うようにも思える。大した根拠はないがプリスは信用出来るような気がした。
「ねえ海斗君」
と、あれこれ思案していると、ヒカリに肩を叩かれた。
「うん?」
「私の動画見てるって言ってたけど、コメント書き込んだりもしたの?」
「え、あーその……まあ何回かね」
「ねえそのコメント見せてくれない?」
「えっ、いや駄目だよ。恥ずかしいじゃん」
「えー良いじゃーん。見せてよー」
海斗がいくら断っても、ヒカリは遠慮なしに「見たーい」と言って肩を揺さぶってきた。傍から見れば、イチャつくカップルに見えなくもない。だが決して悪い気持ちはしない。
そんなことをしていると、玄関のインターフォンが鳴った。居留守を使うかどうか迷ったが、インターフォンのモニターを見ると、某有名ピザチェーン店の制服を着た若い女性配達員が映っていた。
「はい?」
『こ、こんばんは。ブルックリンピザです。ご注文の商品をお届けに参りました』
女性配達員は口籠りながらそう告げる。
そういえば昼食時から何も食べてなくて、三十分ほど前にピザのデリバリーを頼んだのを思い出した。
冷蔵庫には何もなく、せめて少しくらい用意してくれれば良いのに、と心の中で嘆いたのを覚えている。
噓発見器で女性の表情を確かめるが、嘘を言っている様子はない。
モニター越しでもクルーガーの嘘は見抜けたので故障という可能性はないはず。
海斗は警戒を緩めて玄関に向かうことにした。
女性配達員は新人なのか緊張した面持ちで、終始オドオドしていた。
「ご、ご注文の品はこちらでよろしかったでしょうか……?」
「あ、はい大丈夫です」
海斗は通り差し出されたピザの箱を受け取って言う。
役目を終えた配達員は安心し切った様子でにっこりと笑顔を浮かべ、こう言った。
「ありがとうございます。それでは……死んでください!」
「――ッ!?」
直後、耳をつんざく銃声。次の瞬間には配達員が箱の下に隠し持っていたショットガンが火を噴いた。直ちに自動回避機能が作動し、海斗は勢い良く後ろに仰け反る。おかげで銃弾を間一髪回避することが出来たが、背後の扉は跡形もなく破壊された。
何が起こったのかわからず呆然としていると、配達員の目がこちらを向いた。
その目は先ほどまでのオドオドしている新人ではなかった。それは相手に対して何の感情も抱いていない虚ろな目。ただ獲物を狩る狩人のように冷徹な眼差しだった。
銃口が海斗を捉え、配達員の指が引き金に触れる。
海斗はすかさず態勢を整え、バック転で後ろに退きながら、矢継ぎ早に射出される散弾を回避した。フローリングの床が捲れ上がり、木片が弾け飛ぶ。
リビングの入り口まで後退したところで弾を打ち尽くしたようで、配達員は再装填に入った。
「ヒカリさん生きてる!?」
銃撃が止んだことで、ヒカリの安否を確認する余裕が生まれた。
すると洗面所の方向から「生きてるー!」という小さな声が返ってきた。どうやら銃声を聞いて咄嗟に身を隠したようだ。声が心持ち怯えているようにも感じられる。
「何があってもそこから出ちゃ駄目だよ! 俺が良いって言うまで動かないで!」
ヒカリにそう警告すると、海斗は配達員に向かって悪態をついた。
「クソッ……!」
やはりクルーガーの差し金か。しかし噓発見器が反応しなかったのはどういう訳だ?
「ターゲットの生存を確認。任務を継続します」
抑揚に欠けた声でそう言うと、配達員は銃を構え直した。
あの銃は対サイボーグ用の銃だ。命中すればいくら海斗と言えどダメージは免れない。なるべく当たらないようにしなければ。
自動回避機能のおかげで、銃弾を避けることはさほど難しくない。ただここで銃を乱射されるのはまずい。流れ弾がヒカリに当たる恐れがある。
海斗はヒカリがいる場所とは逆方向に動いた。配達員もそれに追随して駆け出す。
リビングに侵入すると同時に、ショットガンを構える。が、しかしそこに海斗の姿はなかった。
するといつの間にか二階に上っていた海斗が、真上から覆い被さるようにして配達員に飛びかかった。そして警官が犯人を制圧するのを見よう見真似で、ショットガンを奪おうとする。
――と、その途端、身体が宙に浮いた。
「うわっ!」
正確には巴投げの要領で、配達員に投げ飛ばされたのだ。並大抵の力ではない。相手はサイボーグか。
海斗は空中で軽やかに身体を回転させてローテーブルの上に着地した。それとほぼ同時に配達員が再びショットガンを連射する。海斗は手近な掩蔽物に身を隠して銃撃から逃れた。ハイブランドのカウチやテーブルが無残に粉砕され、アクアウォールの壁が砕け散った。
飛び散った水飛沫によって、一瞬視界が遮られたのを利用し、海斗は瞬時に距離を詰めた。
目と鼻の先まで接近した途端、相手の脇腹に右の拳を打ち込もうとする。配達員はショットガンを盾にして拳を受け止めた。ショットガンは破壊したが、直後に下から不意を突くようにして蹴りが飛んできた。海斗は咄嗟に身体を捻って蹴りを回避し、その勢いを利用して逆に相手の右のこめかみに旋風脚を叩き込んだ。
配達員は床に固定されていた戸棚に激突して真っ二つに叩き割っった。
今の蹴りは生身の人間であれば一撃で相手を昏倒させるほどの威力があった。仮にサイボーグであっても、この威力の蹴りを無傷で耐え切った者はいない。
しかしながら目の前の配達員は、何事もなかったかのように涼しい顔で起き上がった。
いや、良く見ると右の眼球にひびが入っている。それを見た海斗はある結論に思い至った。
「バイオロイド!?」
海斗の叫びに応じるようにして、耳元でプリスが囁いた。
『戦闘用バイオロイドです。型番はRX300。世界各地の紛争で使用されているサイバーマトリックス社のベストセラー“兵器”です』
それを聞いて合点がいった。
バイオロイドなら感情を読み取れるはずがない。当然、噓発見器にも反応しない。迂闊だった。この機能を過信し過ぎた自分のミスだ。
人間ではなくバイオロイドを送り込んだのは、噓発見器で散々馬鹿にされたクルーガーの腹いせに違いない。
恐らく本物の配達員から服と荷物を奪って成り済ましたのだと思われる。本物の配達員の安否が気になるところだが、今は他人の身を案じている暇はない。
「なるほど……人を暗殺する時も自社製品を使うなんて、クルーガーは愛社精神に溢れた男だね」
RX300と呼称されるバイオロイドは、ひび割れた眼球をギロリと動かして海斗を睨みつけた。そして一瞬の内に海斗の傍まで接近し、懐から取り出した軍用ナイフで斬りつける。
海斗は冷静にナイフを躱し、無防備になった鳩尾を思い切り蹴り上げた。吹き飛ばされたRX300は掃き出し窓を突き破ってバルコニーに放り出され、いくつかの観葉植物を破壊した後、プールに落ちる寸前で止まった。
『相手が人間じゃないなら手加減する必要もないよね』
後を追うようにバルコニーに足を踏み入れるのと同時に、海斗は服の立体映像を切り替えてグリッドランナーの姿となった。
『わざわざ変装する必要はあるのでしょうか?』
『誰かに見られたら困るでしょ』
ここはマンションの最上階だが、上空にはスピナーや監視ドローンがチラホラ飛び交っている。目撃される可能性はゼロではない。
それに戦い慣れている格好の方が、遺憾なく実力を発揮出来そうな気がしたのだ。
『一応訊くけどRX300を壊しちゃっても賠償請求されることはないよね?』
『それは持ち主に訊いてみないと何とも……』
そんなやり取りをしている内にRX300が起き上がった。あまりダメージを負っているように見えないのはさすがベストセラー兵器といったところか。
その後は人間の身体能力を遥かに超越した激しい攻防が繰り広げられた。戦闘用バイオロイドなだけあって、戦闘、耐久、敏捷性、どれを取っても申し分なく、これまで戦ってきた誰よりも強かった。
だが今までと違うのはこちらも同じこと。それ以前は相手が人間だったこともあり、殺人犯になることを恐れてある程度力を抑制していたが、命を持たないアンドロイドなら手加減する必要もない。
最初は拮抗していたが、徐々に形勢がこちらに傾き始め、最後には相手の後頭部に見事な上段蹴りが決まった。手加減なしの渾身の蹴りは、RX300の首の付け根から上を完全に引き千切った。
頭部が派手に転がって屋内に入り込む。制御を失った身体はその場に力なく倒れ込んだ。少々悲惨な光景だが、相手はロボットなのだ。気にする必要はない。
『はあ……終わったぁ……』
周りを見ると酷い破壊の跡が目に入った。一目で数十万はするだろうとわかる高級家具が原型を留めずに破壊されている。
『……派手に壊しちゃったけど、上月さんはちゃんと保健入ってるよね?』
『私は存じ上げません』
こんな時だが、海斗の頭には弁償する羽目になったらどうしよう、という思いがちらついていた。
と、その直後――
「きゃあっ!?」
屋内からヒカリの悲鳴が聞こえてきた。
何事かと思い、悲鳴のした方向に視線を転じると、窓からヒカリともう一つの人影が出て来るところだった。
「動かないでください。動くと引き金を引きます」
ヒカリのこめかみに拳銃を突きつけながら現れたのは、先ほど倒したはずのRX300。同じ顔だが眼のひびがない。別個体だった。
もう一体が海斗と格闘している隙に、ヒカリを見つけ出したのか。
RX300はヒカリを盾にするようにして、バルコニーの片隅に移動する。
『どうするつもりだ?』
「あなたには関係のないことです」
このままヒカリを攫うつもりか。しかしどうやって?
欄干まで辿り着いたRX300は、腰に取り付けてあった金具を引くと、頭上にパラシュートのようなものが飛び出した。それは見る見る内に球体に膨らんで、アドバルーンサイズの小型気球になった。
その直後、一機の固定翼型ドローンが上空を通過した。かと思うと、機体に取りつけられた特殊な器具のようなものが気球に繋がれたワイヤーを引っ張り上げて、RX300とヒカリを一瞬の内に連れ去った。
気づいた時には、二人はすでに夜の闇に紛れ込んで見えなくなっていた。
“フルトン回収システム”という名称で知られるそれは、スカイフックという別称でも呼ばれることがある。
Ⅴ字型のフックを備えた航空機が、ワイヤーで繋がれた気球を引っ掛けることで、地上にいる対象者を回収する。
突然の出来事に、海斗は呆然と立ち尽くすしかなかった。
『ええと……これって予定通りの展開で良いのかな?』
『すぐに追いかければそうなります』
『追いかけなかったら?』
『作戦は失敗します』
『だよねえ!』
海斗は慌てて駆け出した。
欄干から飛び降りて追跡を開始しようとしたその時、室内からゆっくりと姿を現す人影があった。
そこには破壊したはずのRX300が、首を失った状態で仁王立ちしていた。まだ稼働していることにも驚愕だが、それ以上に目を引いたのは、両手に持った二門の三連ガトリング砲だった。どこから持ち出したのかわからないが、背中にはアモドラムも装備している。
ガトリング砲の中でも比較的小型のそれは、しかし個人が携行出来るような重量ではない。ましてや両手に一門ずつ持つというのは、サイボーグやアンドロイドだからこそ可能な芸当だ。
『え、ちょ……噓でしょ?』
RX300が照準を合わせた瞬間、十二ミリ弾の一斉掃射が炸裂した。




