私が囮になる!
「なるほど……クルーガーが血眼になって取り返そうとする訳だ」
上月が嫌悪感を露わにしながら頷く。
人間をまるでモルモットのように扱っている。とても正気の沙汰とは思えない。
「本当にこんな実験が実際にあったと思いますか?」
まだ心のどこかでは、これが現実だと受け入れることが出来ない自分がいる。
「そうでなければここまで躍起になる理由がない。こんなことが明るみに出れば奴は失脚どころか一生、刑務所暮らし。最悪死刑もあり得るだろう」
「酷い……何でこんなこと……」
ヒカリは片手で口元を押さえながら呟く。
「木を隠すなら森の中ってヤツだな。仮に不正会計の証拠が見つかっても、まさかその中により大きな悪事が隠されているとは誰も思わないだろう」
海斗はクルーガーの本質を見抜いたつもりでいた。鼻持ちならないエリートで、自分の利益しか考えない利己主義者。しかしその観測は甘かった。彼の正体は、さらにおぞましい人格破綻者だったのだ。
元々サイバーマトリックス社自体、以前から黒い噂が絶えない企業だったが、幹部がこれではさもありなんといったところか。
「上月さんは本当にこのことを知らなかったんですか?」
「知っていたらとっくの昔に告発してたさ」
「一緒に仕事してるのに知らないなんてことがあり得るんですか」
「サイバーマトリックスがどれだけ大きな企業か、君も知っているだろう。それに私はつい最近まで別のプロジェクトに携わっていたんだ」
上月の言い分には説得力があった。噓発見器にも噓の判定は出ていない。
しかしこれほどの規模の実験なら恐らく複数の社員が関与しているだろう。今回のことで海斗はクルーガーのみならず、サイバーマトリックス社そのものに対する不信感を強めた。
「そうは言っても被験者の中には交通事故の患者も含まれていますよね。それってつまり俺を生き返らせたのも実験ってことになるんじゃないですかね」
「それは……」
上月は言い淀んだ。反論材料がないのだろう。
「ねえ海斗君、生き返らせたってどういうこと?」
「あ、いや……」
海斗がヒカリにサイバーマトリックス社とのことを話すかどうか悩んでいると、横からしれっと上月が――
「彼がサイボーグなのはもうわかっているだろう。その身体を造ったのがサイバーマトリックスなんだ」
「え」
目を丸くするヒカリ。案外あっさり話した。サイバーマトリックス社の幹部を敵に回した以上、企業と交わした守秘義務契約はあまり意味を成さなくなった為か、あるいはヒカリもすでに第三者ではないと判断したのか。
「浅宮君、慰めになるかわからないが、君の身体の修復を直接担当したのはプリスだ。いくらクルーガーでもバイオロイドに非人道的な実験を強制することは出来ない。全てのアンドロイドは戦闘用を除いて人間に危害を加えられないようプログラムされているからね。つまりこの人体実験は全て人間の手で行われている、ということになる」
噓発見器は彼女の言葉が真実であることを示していた。
それにしても人間よりアンドロイドの方が人道的配慮が徹底しているとは、まさに世も末である。
「とはいえこれで事態は複雑になったな。私達がこの実験のことを知ったとわかれば、クルーガーは口封じに来るに違いない」
にわかに張り詰めた空気が漂い始めた。
出来るだけ考えないようにしていたが、やはりそれは避けられないらしい。クルーガーが人命を軽視していることは疑う余地もない。実際あのサイボーグ男はヒカリを殺そうとした。
また再び襲撃して来ないと考える道理はない。
「早く行動した方が良い。これから本社に戻ってクルーガーの罪を暴く。諸星君、そのファイルをコピーして私の端末に送ってくれるか?」
「コピーは出来ません。ファイル自体が複雑に暗号化されていてコピー出来ない仕組みになっているんです」
「そうか、ならそれを直接持っていくしかないな」
「……本当に大丈夫ですか?」
海斗が疑わしげな視線を上月に向ける。
「私を信用出来ないか?」
「そうじゃないけど、わざわざ敵の本拠地に乗り込むのは危険じゃないんですか?」
「サイバーマトリックスにもクルーガーと対立する持つ者はいる。そういった人達に協力を仰ぐんだ。センチネルがクルーガーの言いなりになっている以上、このまま証拠を公表しても揉み消される可能性が高い」
「…………」
現状、このフラッシュメモリは海斗とヒカリの命綱と言って良い。果たしてそれを彼女に渡して良いものか。
恐らく上月は海斗達を本気で助けたいと考えている訳ではないだろう。ただクルーガーを蹴落として彼の後釜に座ろうとしているだけに過ぎない。
大企業の人間なら大なり小なり野心を持っているものだ。海斗は過去に似たような連中を幾度となく目にしてきた。上月だけが例外とは考えられない。
しかしながら、クルーガーを打倒するという目的は一致している。
社内の権力闘争に利用されるのは不本意だが、ここは彼女を信じるしかないか。
「わかりました。頼みますよ」
「ああ」
フラッシュメモリを受け取った上月は、テラスに出ると、駐機してあるスピナーに乗り込んで早々に飛び立って行った。
その間、特にすることもないのでのんびりと待つことになる。
スピナーが螺旋を描いて本社ビルの発着場に着陸する。
赤みを帯びた案内灯に照らされてスピナーを降りると、バイオロイドの警備員が入り口を封鎖していた。
「この先は入れません」
「どうかしたのか?」
「つい先ほど爆破予告があって警戒レベルが引き上げられました。申し訳ありませんが避難してください」
「何だって?」
上月は耳を疑った。
これまでにも無政府主義者や反グローバリズムの活動家から脅迫を受けたことはあった。しかし社員の立ち入りを制限するような措置がとられたことは一度もない。
社内の規定によれば、実際にビルが封鎖されるのは、テロ攻撃のリスクが極限まで高まった場合のみ。
これは明らかにおかしい。何か妙だ。
「まさか。誰がそんな命令を下したんだ?」
「私だよ」
その声は背後から発せられた。
それは今最も聞きたくない声。その声の主は、予想通りサイモン・クルーガーだった。両脇にはバイオロイドのボディガードを二人も侍らせている。
どうなっている。こちらの動きを読まれていたのか。
「どういうことなんだ」
「信憑性の高いテロ情報を入手したので私の独断でビルを封鎖させたのだよ」
「……勝手なことを」
十中八九、テロはクルーガーの作り話だろう。海斗達が内部の協力者を使って自分の罪を暴こうとするのを防ぐ為に、ありもしない事件をでっち上げたのだ。
「幹部の了承もなしにこんなことをして、どうなるかわかっているのか?」
「我が社の安全の為だ。重役の方々もきっとご理解してくださるだろう」
何という白々しさ。立派なことを言ってはいるが、実際には自己保身の為ではないか。
だがここまでして重役達が黙っているはずがない。もはやなりふり構っていられないということか。
この様子だと自分が海斗達の協力者だとはバレていないらしい。ここは一旦引き返して作戦を練り直さなければ。
「そうか、なら私は失礼する」
そう言って立ち去ろうとする上月の前に、クルーガーのボディガードが行く手を阻んだ。
「悪いが君を帰すわけにはいかない」
「何故?」
「私が得た情報ではテロリストには内部の協力者がいるらしいんでね。悪いが拘束させて貰うよ」
ボディガードが前方に足を踏み出した。
上月の帰還を待つ間、海斗はネットで今回のニュースの反応を見ていた。本当はあまり見たくなかったのだが、世間の人々がどんな印象を持っているか気になったのである。
コメントの多くはヒカリの身を案じる内容だった。中には気持ち悪いオタクに媚を売ってきたのだから自業自得、という誹謗中傷に近い意見もあったが、不謹慎だという批判に押し潰されていた。
すでにネットでは犯人は浅宮海斗で確定という流れになっていて、動機についてあれこれと憶測が飛び交っている。まだ犯人を決めるのは早計ではないか、という真っ当なコメントをする者もいたが、情報の流出は止まらなかった。
これがインターネットの恐ろしさだ。一度出回った情報は、それが間違いであっても止めることは難しい。
海斗はグリッドランナーと呼ばれたことで嫌というほどわかっていた。謎のヒーローが今度は誘拐犯。両者が同一人物であることは大衆は知らないが、何とも皮肉なことだ。
こんな非常時だというのに、海斗は明日、学校に行けなくなることを心配している。出席日数が足りなれば、留年もあり得る。先に解決しなければならない大きな問題があるのは承知しているが、学生にとっては留年も死活問題なのだ。
いや、もしかするとすでにクルーガーが手を回して退学処分になっているかもしれない。そうなると何もかも終わりだ。
「ねえ海斗くーん、見て見てー!」
などと悲観していると、ヒカリが弾んだ声でやって来た。
「今度の新曲で着る衣装を作ってみたんだけど、ちょっと感想を聞かせて欲しいの」
「あーそうねえ、街中で指名手配されて死ぬほど大変な時にやることって言えばやっぱソレダヨネー」
海斗は渾身の皮肉を込めて言った。
自分がこれだけ悩んでいるのに、どこまでも能天気なヒカリに、軽い苛立ちを覚えた。
「じゃーん! どうかな?」
そう言うと、ヒカリは服の立体映像を切り替えてアイドル風の衣装を表示した。
学生のセーラー服を基調としているが、大胆にフリルをあしらったスカートやガーターベルトなど、全体的にかなり際どいデザインになっている。
正直、目のやり場に困る。が、海斗はHIKARIの新しい衣装を一番最初に拝めるという栄誉に浴して、感動のあまり目が釘付けになってしまった。
「ねえ、黙ってないで何か言ってよ?」
「ああ……ま、まあ悪くないんじゃないかな」
――生きてて良かった!
外見上は至って平静に振る舞いつつも、内心は歓喜に打ち震えていた。もしかすると一生分の幸運を使い果たしたかもしれない。
先ほどまでの怒りはすっかり忘れていた。
そういえば良く考えたら今この家にはヒカリと自分の二人しかいないのだ。何だか急に緊張してきた。
もし上月の作戦が上手くいかなかったらこのままこの家でずっと一緒に暮らすことになるのだろうか。そう考えると嬉しいような憂鬱なような複雑な気分になった。
それからほどなくして上月から連絡が入った。
『すまない。奴に先を越された』
「何があったんです?」
何故か上月は申し訳なさそうな声で話を続けた。
『クルーガーに拘束された。どうやら奴はテロをでっち上げてビル全体を封鎖したようだ。私だけでなく協力してくれる予定だった人達もほとんど捕まってしまった。奴は君達がフラッシュメモリを社内に持ち込むのを恐れて先手を打ったようだ』
「冗談でしょう? フラッシュメモリはどうなったんですか?」
『何とかは奪われずに済んだが、これでは持っていても何の意味もない』
「何やってるんですか……」
海斗は上月を信じて送り出した。しかしこんなことになるなら自分も変装して同行すべきだった。多少リスクはあるだろうが、少なくとも今よりはマシな結果になったに違いない。
今更言っても後の祭りだが。
「こんなこと言いたくないですけど、あなた本当はクルーガーとグルなんじゃないでしょうね?」
『そう疑われても仕方ないかもしれないが、違うとしか言いようがない』
無論、海斗も本気で疑っているわけではなかった。だからこそ上月を送り出したのだ。ただ嫌味の一つでも言わないと気が収まらないのが現在の心境だった。
「私も、まさか奴がここまで強硬策に出るとは思わなかった」
それは海斗も同意見だった。もし予測していたら確実に同行していただろう。そういう意味では、上月に全て任せきりにした海斗にも落ち度がないとは言い切れない。
だから上月をこれ以上責め立てることはやめにした。
「でもどうします。フラッシュメモリが使えない以上万策尽きたってことになりませんかね」
『もちろん策がない訳じゃない。時間をかければかけるほど不利になるのはクルーガーの方だ。だからここまで死に物狂いになっているんだろう。二、三日もすればチャンスはあるはず』
「それまでに俺達がここに隠れていることがバレる可能性は?」
『……ないとは言い切れない。五分々々だと思う』
クルーガーも必死だ。正直、発見される可能性の方が高いと思う。しかし他に妙案があるだろうか。
『お話しの途中、失礼しますがちょっとよろしいでしょうか』
突然プリスが会話に割り込んできた。
「何?」
『この問題を手っ取り早く解決する方策が一つだけあります』
「どんな方法?」
『しかしこれは非常にリスクを伴うものです』
「とりあえず言うだけ言ってみて。実行に移すかどうかはそれから考えるから」
意外な人物からの申し出に、海斗は驚きつつも耳を傾けた。
『では最初に申し上げておきますが、この会話は上月博士とヒカリ様にも聞こえるようになっています』
「わかった、それで?」
二人を良く見ると、確かに電話をする素振りをしている。
そしてプリスの口から語られたのは、あまりにも危険極まりない提案だった。
『この問題を手っ取り早く解決する方法――それはヒカリ様がわざと捕まることです』
「何だって!?」
海斗は思わず叫んでいた。
『恐らくクルーガー氏はフラッシュメモリの在処を聞き出す為にヒカリ様をどこかに拉致監禁して尋問するでしょう。その様子を録画した動画をインターネットに公表するのです。そうすれば彼の悪事が白日の下に晒され、海斗様の汚名も晴らせます』
「ちょっと待って、そんなの危険過ぎるって」
『確かにそうです。ですが彼らもフラッシュメモリを手に入れる為、直ちにヒカリ様に危害を加える可能性は低いと思われます。その間にクルーガー氏から自白に繋がる言葉を引き出すのです。ただし、時間が長引けばヒカリ様に拷問を行ったり、最悪その場で殺害する恐れがあります』
「だったらやる意味はないよね」
『ですが海斗様の能力を考慮すれば、成功する確率は極めて高いと判断します』
「そんなこと言われても……フラッシュメモリの中身を公表するだけじゃ駄目なの?」
『それだけ公表しても捏造だと言われたらそれまでです。そうこうしている間に証拠を隠滅されたらクルーガー氏の悪事は永遠に闇に葬られることになるでしょう』
確かに。
それならプリスの言う通り、敵の本拠地に直接乗り込んで動かぬ証拠を手に入れた方が、シンプルで手っ取り早いように思える。
だが果たしてそんなスパイ映画みたいな作戦が成功するだろうか。海斗には自信がない。つい最近までただの学生だったのだ。いきなりジェームズ・ボンドになれと言われても無茶振りでしかない。
どうしようか考えあぐねていると、ヒカリが恐る恐る口を開いた。
「……それをすれば海斗君の無実を証明出来るんですか?」
『はい。まず間違いなく』
ヒカリは少し躊躇う様子を見せていたが、やがて決然とした表情でこう言い放った。
「だったらやる! それで何もかも解決するなら私が囮になる!」




