71.教祖ヘオイヤの旅路(後編-2)
太湖の都市にある、軍の営舎。将軍室の窓からは、朝日が差し込んでいた。トーマンとタチアナ、そして参謀の兵たちは、夜を徹して動員計画の細部を詰める作業を行っていた。さすがのトーマンも色濃い疲労を感じていたが、タチアナは平気な様子で書類を処理していく。
「参謀の兵たちは、そろそろ限界のようだな。トーマン、お前も仮眠をとるか?」
すました顔で、タチアナが言う。こと後方業務となると、やはりこの女はバケモノだ、とトーマンは思った。
「いや、もう少し、区切りの良いところまで――ん?」
窓の外から群衆の気配を感じ、トーマンは立ち上がった。見ると、数千人の群衆が、営舎へ向かってきている。一見すると流浪の難民のような集団だが、謎の一体感のようなものをトーマンは感じた。
「……なんだ、あの集団は?」
群衆は、制止しようとする見張りの兵を押しのけながら、ゆっくりと営舎へ進んでいる。
ーーー
営舎の外では、制止しようとする兵士と押し進もうとする群衆の間で、喧騒が起きていた。
「おい、止まれ! これ以上進むと制圧するぞ!」
兵士たちの制止を無視して、群衆の先頭でヘオイヤが騒いでいた。
「ええい、黙りなさい! 我々は、栄えある”勇者と聖女教”の信徒たちです! 早く、代表者に会わせなさい!」
ヘオイヤの叫びに呼応し、群衆がさらに騒ぎ立てる。暴動寸前のような、異様な雰囲気になってきた。
そこへ、騎馬隊が整然と駆け込んできた。トーマン率いる近衛騎馬隊が、事態を鎮めるためにやってきたのだ。ヘオイヤは、騎馬隊の先頭にトーマンの姿を発見し、大きく手を振った。
「トーマンくん、私です、ヘオイヤです! トーマンくんと共に戦った、ヘオイヤです!」
「……お前、ヘオイヤか? ……生きていたのか。どこで、何をしてたんだ? いや、この群衆は何なんだ?」
トーマンとヘオイヤは、国王軍時代の同期であり、かつて親交があった。10年前、”最前線”での決戦で魔王に人類が敗れたあと、ヘオイヤは軍を辞め、それ以来の再開だった。
なぜ、10年間音信不通だったヘオイヤがここにいるのか。なぜ、群衆を率いているのか。トーマンに、様々な疑問が浮かんだ。
「トーマンくん、いま私は”勇者と聖女教”の教祖をしています。女神の神託を届けに、勇者を追っているのです。そして、食料がなくなったので、分けてください」
まるで当たり前の常識を語るかのように、ヘオイヤが言った。トーマンはますます混乱した。
「……”勇者と聖女教”? ……女神の神託? お前、もしかして頭をやられたんじゃ――」
トーマンの言葉を遮るかのように、ガラガラと音を立て馬車がやってきて、タチアナが顔を出した。タチアナは、ヘオイヤの姿を見て、少し感心したように言う。
「やはり、商人の都市で会った司祭か。ここまでたどり着いて来れたのだな」
「ヘオイヤのことを知っているのか、タチアナ?」
「ああ、トーマン。ヘオイヤに、少しばかり食料を投資したのさ」
「……こんな難民集団に投資? お前らしくない」
「ヘオイヤくん、我々は難民ではなく勇者と聖女を信仰する敬虔な信徒です」
ヘオイヤが、また訳の分からないことを言って口を挟んだ。トーマンは、まるでレンやハナと話しているような気分に襲われてきた。その様子を見たタチアナが、可笑しいのかわずかに微笑んだ。
「――奇貨居くべし。誰も扱わないような商品が、ある日莫大な利益を出すこともある。一見は、食料に困窮した流浪の難民集団。自称は、勇者と聖女に命を捧げる宗教の信徒たち。さあ、彼らはどっちだろうな? それが知りたくて、腐らすだけの余った魔物の肉を渡しただけだ」
言ったタチアナが、黒き魔術師との激戦があった戦場の方へ視線を移した。
「あそこの戦場には、魔物の死骸が残っているのだろう? 500体弱の魔物を討ち取ったんだ、その肉の処理や加工が間に合うわけがない。腐らせるしかない肉くらい、渡してやってもいいのではないか?」
タチアナが、すました顔で言う。トーマンは舌打ちした。また、この女に言いくるめられようとしている。
「……おい、タチアナ。こんな難民集団に魔物の肉をくれてやって、何のためになるんだ。魔王討伐計画のために、少しでも資源を温存するのがいつものお前だろう」
「――トーマンくん!」
ヘオイヤが突然大声を出し、思わずトーマンは振り向いた。ヘオイヤの、目の色がおかしい。いや、ヘオイヤの全身から、何か熱のようなものが漂っている。
「我々は、勇者と聖女へ女神の神託を届け、彼らを正しい方向へ導きます……! そして、その先にあるのは人類の勝利です」
ヘオイヤが、身振り手振りを大げさに交えながら語る。その所作ひとつひとつに呼応するかのように、群衆が声をあげる。まるで、一流の劇団の演技のようだった。
「投資でも、気まぐれでも、哀れみでも、なんでも良いのです。我々に、勇者と聖女のもとへたどり着くための物資をください。あなたはただ言えば良いのです、そこに落ちている魔物の肉をくれてやる、と。――子供の戯れのように」
トーマンは数秒考え、そして深いため息をついた。
「……わかった、好きにすればいい。ただ、一両日中に都市から出ていけ。難民を養う余裕はない」
ヘオイヤの顔が、ぱぁと明るくなった。
「さすが、トーマンくんです! もちろん、迷惑はかけません。魔物の肉を回収したら、すぐに立ち去りましょう!」
こうして、ヘオイヤ率いる自称”勇者と聖女教”の信徒たちは、魔物の肉を回収するため、黒き魔術師との戦場跡地へ向かって言った。
ーーー
「……くそ、押し切られちまった。腹が立つな。こんな大量の難民集団、食料がいくらあってもレンの向かう王都へはたどり着けないだろうに」
肉を回収しに戦場へ向かう群衆の列を眺めながら、トーマンは言った。隣には、タチアナが立っている。
「そうならないかも知れないぞ、トーマン。見ろ、この群衆、思った以上に統制が取れている」
トーマンがよくよく見てみると、群衆は隊列を組んでおり、確かに統制が取れていた。ヘオイヤは手堅い指揮が評判の将校だったが、こんな短期間でここまで難民を統制できるものなのか、とトーマンは思った。
「……それに、足手まといを置き去りにするつもりだな。ヘオイヤは、本当にレンに追いつくつもりらしい」
ラーラが指差した先に、群衆から離脱した集団がいた。見ると、子供や老人、傷病者が数百人固まっている。ヘオイヤは、彼らを置き去りにして勇者を追うつもりのようだ。
「――おい、タチアナ、あいつらを誰がどう養うんだ」
「……さあな。トーマンの旧友の置き土産だ。お前が処遇を考えればいい。ただ、動員計画における太湖の都市の食料拠出量を変えるつもりはないから、その前提で考えてくれ」
そしてタチアナは、動員計画遂行の作業のために営舎へ戻っていった。
ひとり残されたトーマンは、また盛大に舌打ちした。置き去りにされた難民集団を養う計画を立てるために、もう1日2日追加で徹夜しなければならない。
「……クソ。ヘオイヤ、これは貸しだぞ」
トーマンが呟く。トーマンは一見怒っているようだったが、旧友に会えたからか、少し嬉しそうにも見えた。