78.未来への一手
「ゆう……き……」
手紙には、レッドへ向けた、超人・御門悠乃へのボディーガードの依頼が綴られていた。
“せめて成人まで姉を危険から守ってほしい”。
弱冠十二歳の少年の願いが、拙いながらも一枚の紙に込められている。如何にしてこのような運びになったのか、手紙の書かれた当時まで、時を遡ろう。
モデルとしての道を歩き始めた御門悠乃。
同時に、弟である御門悠気へのいじめが水面下で行われていた。この惨状は実に一年もの間続く。
後に発覚した際、悠乃は真っ先にいじめっ子どもへの報復を決行する。互いに立てなくなるまで殴り合わせる。
それから数日のことだった。
つい先日まで自分をいじめていた同級生が、姉の怒りを買い、痛めつけられた。もちろん、一人の人間である為、爽快感が無かったと言えば嘘になる。しかし、この“復讐”の連鎖は止まるのだろうか?
いじめっ子達は決して“死んだわけではない”。殺してほしいという訳では毛頭無いが、姉にまた仕返しをしないという保証も無い。“自分だって”。
姉に味方は居ない。
芸能界にデビューした今も、両親や周りの大人や取り巻きは、利益に擦り寄っているだけだ。問題を再び起こしてしまったなら、また“敵”に戻るかもしれない。悠気はそのことが気がかりで仕方がなかった。
考えを巡らせると、眠れなくなる。気晴らしに、この日は両親や悠乃の目を盗み、公園へ散歩に出た。
当然、人の気配などない無人の空間。ブランコへと腰掛け、飲み込まれそうになるほど雄大な夜空で視界を埋める。
「はあ……」
時間が分かるようなものは持ってきていない。公園に備え付けの時計が照らされているが、夜空に意識を向ければ、それも視界から消え去る。
星を眺めると、時の流れが緩やかに感じた。そのせいか、普段はそんなに気にならない“体の痛み”が疼いた。
気を緩めれば、“最中”の恐怖が甦る。手も、足も、何人もの悪意や敵意をその身に受けただろうか。特に、痛みに耐えかね蹲ったときの背中を集中的に蹴られたときの感触が強く、夜風の寒さがそれを引き立てる。
「〜っっ……!」
姉と自分のこと、ひいては家族に危険が及ぶことを考えると、恐怖で動けなくなってしまう。悠気は、そんな現状を自力で変えれぬ自分にさえ、嫌気が差していた。
公園の砂を踏む音。
これだけの静けさの中、感覚も研ぎ澄まされるというもの。音のする方向へ目を向けると、一人の男が立っている。モッズコートを着た棟髪刈りの大人だ。怪訝な顔でこちらへと近づいてくる。悠気は不審がると同時に、自分の姿を客観視した。
(……僕も似たようなものか)
男は悠気の目の前で立ち止まる。二人の間にあるブランコの柵が唯一の隔たりとなった。
「ガキがこんな夜中に何してんだ?」
至極真っ当な質問だろう。だが悠気にも本人の言い分がある。
「……ガキじゃない。中学生だ」
「ガキだろ」
大人からすればそうかもしれない。悠気は自分では中学校以降、もっと言えばある程度の物事を自分で判断出来るようになれば、それは“大人”だった。
「って、そうじゃない。ガキだってそりゃ夜更かしや夜遊びくらいすんだろ。けど、“一人じゃない”」
男は失礼にも思えることをずけずけと話す。
「中坊で一人夜中の公園に? それはマセてるとは言わねえぜ?」
何か理由があるんじゃないか、そう訴えかけるような表情をしている。
「……別に」
「沢尻かよ」
男は長い脚でひょいと柵を越え、悠気の隣のブランコへ腰を下ろす。
「悩みか? ……恋か? 友達か? 親か? 部活か? 勉強か?」
「は……?」
ありがちな母親像でもこんなに一度に聞いてきたりはしないだろう。
思春期真っ只中。そのイメージが先行しているのか分からないが、“悩んでいるから一人になりにきている”。その点に関しては、男は的を射ていた。
男に悪びれている様子は無い。かといって、他人行儀でもない。真剣に、親身になるつもりだ。
家族や教師はもちろん、友達にも言えないこと。“関係の深い人間に言えないことだからこそ、関係の浅い人間に言えること、言えてしまうことがある”。
悠気は暫く沈黙した後、頭を整理し、言葉を紡ぎ始める。
「……おじさんの名前は?」
「おじっ!? おじさんじゃないぞっ!」
「だから名前聞いてる」
一先ず最低限の情報だけ欲しかったのか、悠気は特段気になりはしていない筈の質問を投げかけた。
「そう……だな……」
少し思考を巡らせている様子が窺えた。
名前を忘れた? 名前を答えるのを躊躇っているのだろうか。
「レッド! そう……読んでくれっ」
本名を答える気は無いらしい。人にパーソナルなことを聞いてきた男のする事ではない。素直に悠気はそう思った。
「偽名にしてもなんでレッド?」
「あ……いや……ほら! 俺さっ、小さい頃から戦隊もののヒーローが好きでさ! それで赤色も好きになって……それでレッド!」
しどろもどろな答えだがとりあえずのところは納得することにする。
「そっちは?」
レッドは自分のことより悠気の事に興味津々なようだった。そう見えた。
「苗字は御門、名前は悠気」
僕は隠さない。そんなニュアンスを込めた。
「武士みてえな言い方だな」
前置きも充分。レッドは本題へと入る。
「じゃ、ま……話してみ?」
こんな男だが、悠気の中から、すらすらと“思い”は溢れ出た。
「なる、ほどな……」
彼、レッドスプレーと呼ばれる伝説の殺し屋は、少年から聞いた話の全貌に、若干の戸惑いを見せていた。
彼ほどの男が、力をひけらかしていた御門悠乃を知らぬわけがない。その能力故に、“裏”でもそこそこの有名人にはなっていた。
しかし同時に、力を出し惜しみしない彼女の環境は、裏の世界の人間が動くにはあまりに目立ち過ぎた。いついかなる時も、多くの一般人が周囲にいるのだ。
レッドとて、この力に関心を持たなかったわけではない。だからこうして仕事の合間、頻繁にではないが、“能力を有した一般人”が裏の被害に遭わないか、住居の周りをうろついていたのだった。
たまたま、その血縁者に遭遇したのは驚愕のことだった。そして、現に少年から話を聞いた今、彼女の実状も決して安全なものではなかったと察する。
“殺し”という直接的で身近な事柄ではなくとも、“いじめ”という問題が相当に大きいことは、教育を受けてこなかったレッドですら理解できる。問題は、ここまで大きく血縁者を巻き込むまでになっているのだから。
目にしなくとも分かる。話の通り、目の前の少年の体には無数の打撲の痕がある。
「……」
話したから気持ちが楽になる。そんな問題では無い。明確な“解決策”が必要だ。
「お姉さんは“特別”だ。だからこそ色んな不幸に見舞われたり苦労もしてるんだと思う。でも、もちろん本人が望んだ道じゃない。悠気に被害が及んでるのも、かなり辛い筈だ」
「レッドさん」
「そんでもって、それを一心に受けて、お姉さんやご両親のことまで考えてるお前も苦しいだろう。次なる仕返しに怯えるのも無理ない。……だからさ、“俺が護ってやろうか”?」
突然何を言い出すのか。レッドの意図が汲めない悠気。
「?」
「俺はさ、ボディーガードみたいな仕事もしてるんだよ。だから、悠気の家族を警護する。どうだ?」
突拍子もない提案だ。それに、さっき会ったばかりで身辺警護など。
「そんな……」
「大丈夫だ。別に金は取らねえよ。早い話、同情だと思ってくれても構わねえ。……悠気、お前の言葉に動かされたんだ」
逡巡としている様子の悠気。
他の案があるわけではない。今までだって良心を見せてくれた人間はいた。見返りを求めて。
でもそれが長く続きはしないことも知っている。過去の経験からそういった考えが覆ることはないが、レッドが今までの大人とは“違う”ことも直感が教えてくれている。
深く頭を悩ませる。
「……家族じゃなくていい。姉ちゃんを、“御門悠乃だけを護ってほしい”……!」
自分を顧みぬ発言。その裏に相応の覚悟を宿す悠気の声。
「お前は? 親は?」
首を横に振る悠気。
「……他はいい。ずっとなんて言わない、せめて姉ちゃんが大人になるまで護り抜いて! ……ください!」
(なんて真っ直ぐな眼しやがる……)
僅かに口角を上げ、悠気の頭へ手を乗せるレッド。
「水臭え! 俺らもう友達だ! 友達の頼みは断れねえよ」
「!」
レッドからは只ならぬ気配を感じる。“強い”、人なのだろうと。
「明日、また同じ時間にここに依頼書を持ってくるよ!」
「え? いや別にいいよ、口約束で」
「駄目だよ! 仕事なんだから! 仕事としてしっかり依頼して、お金は出世払いってことで!」
「はっ! じゃ、楽しみにしてるわっ」
ひょんなことから、御門悠気との契約は交わされ、レッドスプレーが御門悠乃の身辺警護を務めることとなった。安心した悠気は再び、自身の生活へと戻ることを決意する。
この時、悠乃の警護に尽力したが故に、その後の悠気の同級生のさらなる仕返しに気づけなかったのは、レッドスプレー最大の失態と言えるだろう。
“独り”になった御門悠乃に対し、長期間に渡る面倒を見たのは、彼なりの贖罪だったのかもしれない。
「そん、な……」
まさか、自分を護る依頼をレッドに頼んでいたのが、今は亡き自らの弟だったとは。
受け入れ難い事実に、声を震わせる悠乃。手紙から伝わる内容に憶測を加えて悠乃に伝えた彈。それが的外れではないことは悠乃が一番理解していた。あまりに合点がいくからだ。
おそらく、ここにいる誰よりも、“対面で”レッドと長い時間を共にしたことのある人間。だからこそ彼が時たま見せる悲しげな表情を知っていた。
「あなたには真実を知ってほしかった。……アイギャレット・シェルシャルルが野放しになればもっと多くの被害が出ます。あなたの家族のような一般人はもちろん、あなたのような“悪意のない超人”も」
「……」
悠乃は手紙を握る手に力が入るのを感じる。
自分という存在が弟に生かされていた。その真意も推し量れず、自暴自棄になった喪失感をレッドで埋めようとしていた。
挙句の果てには、復讐に乗り出す始末。再び訪れた喪失感を、震条彈という男への八つ当たりで発散しようとし、彼の友人を手にかけさせるという惨劇を招いた。それはもう彼女にとって、自分を恥じるというレベルではなかった。
「力を貸して下さい、御門悠乃さん……!」
彈は最後の一押しと、悠乃に言葉をかける。
「…………はあ」
深く息を吐く悠乃。垂れた頭をゆっくりと上げる。
「……?」
顔を上げると同時に、“右目を青く光らせた”。
「!?」
驚いた様子の彈と亜莉紗を見て、斉藤はすぐに警戒の態勢をとる。
「……すごい」
彈の自我は奪われていないようだった。
「特定の場所を“消す”ってのは初めてだったが、なんてことはねえな」
斉藤は彈に訊ねる。
「お、おい。上手くいったのか?」
「ええ……綺麗に、あの日アイギャレットに能力をかけられたであろう数分の記憶が消えてる」
悠乃の力を目の当たりにして、彈はアイギャレットへの勝機が見え始めたのを感じた。
「一応あたしもお願いできる?」
「……おらよ」
悠乃は亜莉紗に対して、もう一度右目を光らせた。
彈に任せきりになってしまったが、御門悠乃から“危うさ”のようなものが消えたことに感謝する斉藤。
「助かった、ラプトル」
悠乃はわざわざ部外者であろう人間をここに入れた刑事であるにも関わらず、“その呼び方”をしていることに違和感を覚えた。
「ラプトル? 震条彈だろ? 知らねえ筈はない。あたしの見たファイルだって押収してるって言ってたじゃねえか」
たしかに、といった風に同じ目で斉藤を見る彈。
「“知らねえな”。……第一、“一般人”をこんなことに巻き込むわけにはいかねえだろ。俺らが手を貸してるのは、利害の一致してる“自警団”だ」
斉藤と流の二人は、あくまでもその姿勢を変える気は無いらしい。
悠乃のおかげで、アイギャレットとの戦いにおける最大の懸念点は解消された。これで心置きなく打倒に臨める。
万事上手く事が運んだ筈の彈は、浮かない顔で一つ訊ねた。
「念の為、聞いておきたいんですが、あなたの右目の力は、記憶を“操る”力……ではないんですか? 例えば、“失った記憶を取り戻させたり呼び起こしたり”……なんかは?」
妙な質問をする彈を訝しむ悠乃。
「魂胆は知らねえが、そりゃ無理だ。あたしの右目は“消すだけ”。能力の詳細ってのは隅々まで調べ、把握してる」
「そう……ですか……」
哀しげな顔。誰か、記憶を戻したい人でもいるのだろうか。預かり知らぬ事に、深くは聞くまいとそれ以上の詮索はしない悠乃であった。
彈と同じく物憂げな表情に見えた亜莉紗は、瞬時にその感情を切り替える。
「……さて! 次は私の出番ね」
そう言って彈と位置を交代し、悠乃の前に座り、パソコンを開く。
「あんたも何かあんのか?」
「ええ。色々と準備やら検証やら、ね」