疑心暗鬼を生ず
玲空の空視点/婚約後の二人
「空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま空さま!」
借金の肩代わりとして、婚約者の家に居候を始めた俺のこと豊福空。
けれど御堂夫妻を筆頭に皆、俺に良くしてくれるため、さほどストレスもなくヒビを過ごしていた、ある金曜の夜。
明日は土日、自宅に帰れる上に大好きな両親と会話できる!
自他ともに認める両親主義の俺は胸を躍らせつつも、将来御両親になるであろう御堂夫妻と交流を深めるためにひと時の会話を楽しんでいた。
御堂先輩は演劇部に所属しており、部活で帰りが遅くなることが多い。
よって御堂夫妻の方が早く帰宅することも多く、その都度、俺がお相手をしている。向こうも俺を息子同然に可愛がってくれるから(特に源二さんは良くしてくれる。男同士気が合うところが多いからかな?)、会話することは苦じゃなかった。
今夜は部活の先輩方と夕飯を取ると連絡があったため、夫妻と一緒に夕飯を取っていた。
そんな時だ。
人の名前を大声大安売り、特売販売しながら新人女中のさと子ちゃんが飛び込んできた。急いできたのだろう。折角の着物が乱れに乱れている。
「し、し、失礼します」
ゼェハァゼェハァと息をつき、雇用主である御堂夫妻を脇目に振らず、彼女は俺の下へ。
両膝をつくや、飯中の俺の両肩を掴み、「いぃい今こそ色気を出して下さい!」突如俺の浴衣を脱がそうとする。
「ちょ、何するのさと子ちゃん?! 俺食事中なんだけど!」
まさか君まで攻め女に?
お、俺の平穏はさと子ちゃんだけだったのに、そ、そんな!
「空さまが脱げば、きっとお嬢様は大興奮して我に返ってくれます! さあさあさあ!」
「源二さんや一子さんの前で脱げるわけないでしょうが!」
「……キャアアアアアア! 私ったら、旦那様や奥様の前で、なんてことを!」
やっと平常心を取り戻してくれたと思いきや、さと子ちゃんは耳まで真っ赤に染めて俺の背中を叩き、夫妻の目に触れぬよう身を隠してしまう。
苦笑いを浮かべている一子さんが、どうして俺を脱がそうとしたのかを尋ねれば(なんだ。居た堪れないぞ!)、彼女がぼそぼそ声で返事した。
「お、お、お嬢様をあぅー」
「御堂先輩がどうしたしたの? もう帰宅してきたの?」
「は、はい。たった今お帰りになられまして。けれど、その、お嬢様……なんだか様子がおかしくて」
彼女曰く、帰宅してきた御堂先輩は片手に花束を持っていたそうだ。
それはどうしたのか、疲労している彼女に尋ねれば、「告白された際に貰ったんだ」とのこと。これを聞いたさと子ちゃんは血相を変え、風呂に向かう王子を見送った後、俺の下に走ってきたそうな。
相槌を打っていた俺達は、告白という単語に目を点にする。
待て待て待て。
御堂先輩が告白されたって、うーんと、彼女の通っている学校は女子高だろう? 彼女も王子と称しているけれど女。つまり、あのその……。
「大変、玲ったらまた女の子に告白されたのね! あの子ったら、嗚呼、眩暈が」
「奥様!」
ゆらっと上体を崩す一子さんの体を、急いでさと子ちゃんが支える。
隣では源二さんが真剣に唸り、不味いと吐露した。俺は口内に残っていた白飯を咀嚼する。
「空くんという男の婚約者がいながら、女に告白されるだなんて。玲は女の子にてんで弱い。大丈夫とは思うが、心変わりするとも限らない……空くん、ここは一つ、玲のためにその浴衣を脱いでくれないか?」
米粒を噴き出しそうになった。
まさか、源二さんにまで、義父になるお方にまで、そんなことを言われるだなんて。これは御両親公認の受け男と思って良いのだろうか? う、嬉しくねぇ!
遠目を作る俺は源二さんに落ち着くよう促すものの、一子さんにまで脱ぐべきだと熱弁され、早々と窮地に追いやられる。
脱いでどうするんだよ。今夜喰われろって? そんな殺生な!
「頼む、空くん。玲の将来性に関わることなんだ」
わざわざ隣に移動してくる源二さんに、心変わりしたかどうか、確かめてきて欲しいと、しっかり両手を握られる。
夫妻もさと子ちゃんも、そして後から大間に入ってきた蘭子さんにも、確かめるよう促され、俺はなんだかなぁっと溜息。
食後、半ば強制的な皆の後押しを受けながら、廊下に出る。
風呂から上がった御堂先輩は大抵、縁側で涼むことが多い。
やっぱり彼女は縁側で涼んでいた。タオルケットを頭からかぶっている彼女の脇には、噂の花束が無造作に放置されている。
名も分からない赤と白の花束、御堂先輩が好みそうな花たちだ。
なんとなく視線を感じつつも、俺は迷わず王子の下に向かい、背後に立ってタオルで頭をこすってやる。
「お帰りなさい。今日も一日、お疲れ様です」
わっしゃわしゃと髪を拭く。
見上げてくる王子の眼光が和らいだ。
「ただいま。帰ったよ」
覇気のない声。
ある程度、髪の水気を取ってやった俺は彼女の隣に腰掛け、共に夜風を浴びる。心地よい涼しさだ。
「さと子が騒いでいたみたいだね」
すべての事情を知っている、御堂先輩はそう察しているに違いない。
「ええ。もう大騒ぎですよ。おかげで、御両親の前で脱がされそうになりました。先輩、俺が脱いだら興奮します?」
「勿論さ。美味しくいただいてあげるよ。豊福は、事を聴いてどう思った?」
片目を瞑ってくる御堂先輩が俺の心を探ってくる。
間を置き、「他人事のように聴いていました」飄々と返事する。
期待外れの答えだったのだろう。王子から苦々しい笑声が漏れる。俺は言葉を続けた。
「御堂先輩が女の子を優先する性格は、前から知っています。そして男嫌いなところも。でも、不思議と不安は抱きませんでした。そら快くは思いませんけど、なんかその、あれです……その……まあ、常日頃が情熱的なので……」
恥ずかしくなってきたんだけど。
声を窄める俺に気付いた王子は、いつものように意地悪な笑みを浮かべ、「情熱的だから。なあに?」言葉の続きを促してくる。
「だから」視線から逃げるように顔を逸らす。
「いつも貴方の気持ちが十二分に伝わっているから、だから、疑う余地がな……なくて……」
「へえ、僕が告白を受けるとは思わなかったの?」
意地悪な人だな、ほんっとうに。
「軽々しく嫌いな男に手を出すほど、先輩は軽い人間じゃないです。俺の婚約者はそういう人ですから……あー、でも拗ねるかも。拗ねるかも。あんまり意地悪されると拗ねるかもです。いや、拗ねた。今ので俺は拗ねました!」
ニタニタ笑ってくる王子に小さな抵抗を見せる。
すると優しい表情の中に喜びが垣間見えた。
「僕のことで拗ねたの? 意地悪をしたから拗ねたの?」
問いかけに、無言で頷く俺の顔は真っ赤っかなのだろう。
もう顔面全体が火照っている。ああもう、どうして俺がこんな目に遭わないといけないんだ!
「その花束可愛いっすね。先輩に似合いそう」
必死に話題を逸らすものの、彼女はそれを許してくれない。
「今の豊福の方が可愛いけどね。そんなに赤らめて。ねえ、こっちを向いてよ」
「嫌ですよ。まーた意地の悪いことを言うつもりなんでしょう」
読めている。
御堂先輩が意地の悪い言葉で攻めてくることくらい。
骨張った指が伸びた。頬を触れるや、手の平で包んで無理やり己の方に顔を向ける。
「今日告白してきた女の子はね、僕に恋愛感情を抱いていると口走ったけど、告白の内容からして強い羨望のみ。異性として僕を見ているわけじゃない。彼女は夢中になり過ぎて気付いていなかったようだけど」
風呂に入ったはずの彼女の指は既にひんやりと冷たい。
「君は彼女と違って僕を異性として意識している。そして、僕も君を異性として意識している。少し、形は違うけどね」
右の親指がそっと唇をなぞってくる。
「全部見せてよ、僕を意識して喜怒哀楽するその顔を。そのまま墜ちる姿を曝け出してよ」
違う。
俺は墜ちるんじゃない、彼女に落とされ、る。
無機質な床板に背中を打ち付けるも、妖艶に見下ろしてくる王子から目が離せない。
ああ、この感触は、花束が俺の下敷きになったのだろう。哀れな姿になっているに違いない。
「御堂先輩。墜ちる、なら一緒に」
片手を伸ばし、タオルケットを払う。
「もう、僕は墜ちているよ。後は君だけ」
まだ湿っている髪を梳いて恍惚に彼女を見つめていると、ぷっくりと紅い唇が俺の耳元に寄ってきた。
「可愛い姿、僕の親に見せてみる?」
雰囲気に呑まれていた俺はハッと我に返ると、ぎこちなく引き攣り笑い。向こうの障子で皆がデガバメしていることを忘れていた。
「み、御堂先輩……皆の視線に気付いていたんっすね」
「当然だろう? あんな騒ぎを起こされたら、両親だってデガバメすると思ってね。んー、全部を見せるのは惜しいな。可愛い豊福は僕だけが知っておきたいと思っているし」
「そ、そう言いながら腹を擦らないで下さいよ!」
ああほら、向こうで源二さん達が娘に手を出され、いやいや息子を押し倒している光景に失望を「貴方様。玲は心変わりなどしていませんでしたよ」「ああ。御堂家は安泰だな」「玲さま、そのまま空さまを食べちゃってください」「蘭子はお嬢様のお子様を抱ければ本望です」
…………誰か、助けてくれないかな! 止めてくれないかな! いや、いっそ叱り飛ばしてくれないかな!
「先輩、退いて下さい! こ、此処じゃあれです。やばいっす! 花束も潰しちゃっているし」
「いいんだ豊福。僕はその子の気持ちに応えられないのだから。いつだって優先は君だよ」
また、そうやって人の心をかき乱して。
意地の悪い王子に文句をぶつけるために視線を交わすも、妖艶に、そして幸せそうに綻ぶ彼女を目の当たりにして何も言えなくなる。
優先は俺だとのたまう彼女だけど、俺だって御堂先輩が最優先だ。
借金があるから、それだけじゃない。
この人は俺を守ってくれた。支えてくれた。墜ちようとしていた社会の闇から救い出してくれた。
だから、俺は。
「意地悪で優しい王子さまっすね。貴方が命じれば、俺はなんだってするのに」
「それじゃあ、つまらないじゃないか。人形のように従う君を見ても楽しくないよ」
戦利品であろう王子に贈られた花束は未だ、俺の下で潰れたまま。
Fin.




