第27話 桐生家~2~
玄関の戸を開け、一同は中へ入る。
「ただいま~」
「帰ったぞ」
『お邪魔します』
タクト、セイヤの二人は気軽に声を上げ、その他は皆頭を下げる。玄関を見渡し、コルダが呟く。
「へぇ~、ここって玄関? なんか味のある造りだね」
「まぁ、中々無いよな、こんな様式の玄関は」
その呟きに、マモルは頷きつつ答える。靴を脱ぎ、一同はたたきに上がると、遠くの方から、こちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。やがて、足音を立てていた人物が、通路の曲がり角から顔を見せた。
見た目は三十代だが、立派な四十であるーー言ったら色々とひどい目に遭うがーー女性は、つかの間キョトンとした表情を浮かべていたが、セイヤの顔を見るなりダッと涙を見せる。ぎょっとしたのは、セイヤの方だった。
「お、お袋っ!? なんで泣いているんだよ!?」
お袋、セイヤにそう呼ばれた女性は、少しずつセイヤに向かって歩いて行き、やがてそれが早足になり、ついには走り出した。彼女はそのまま、セイヤに抱きついた。
「セイヤ~!! この馬鹿息子がっ!! たまには家に帰っておいでと言ったじゃない!! 元気だった? 怪我はしてない? その顔を見せてよ!」
「だぁぁ!! 俺は元気だし怪我してねぇよ! ってか離れよ、はずいわ!」
母親の涙ながらの抱擁に、セイヤは顔を真っ赤にして彼女を押しのける。彼から離れた母親は、何度も鼻をすすりながら、
「良いじゃない、久しぶりの親子なんだから!」
「あの~、伯母さん」
何か言いかけたセイヤを押しのけ、タクトが引きつった笑みを浮かべながら、そう口にする。そこでようやく彼の存在に気づき、さらに後ろにいる四人を見て、さっと顔を赤らめた。
「あら、嫌だ。ごめんなさいね、変なもの見せてしまって」
「俺はぜんっぜん構わないっすよ。慌てふためくセイヤさんを見れて、非常に良い気分です」
「そうなの? じゃあセイヤ、私に抱きついてよ!」
「抱きつかないよ。てかマモル、お前後で覚えとけよ」
余計なことを言ったマモルにギロリと怖い視線を送り、マモルを震え上がらせた。その様子を見て、レナが苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「相変わらずですね、未花おばさん」
「あら、レナちゃんじゃない。元気してた? それにしても、随分見ないうちに可愛くなったね~」
未花と呼ばれたその叔母は、何度も頷きながら心底感心したように微笑みかけた。それにレナは、はにかみながら笑顔を浮かべ、頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「うんうん。でも、可愛くなったと言えば、タクト君もそうみたいね。髪も随分伸びちゃって」
「……あの、伯母さん? 何度も言うけど、僕は男だからね?」
「ん~、流石ふうちゃんの子供ね。ホントそっくりだわ」
何度も言われているのだろうか、諦めたようにため息を吐きながら、タクトは訂正する。しかし、それを無視して未花はしげしげと彼を眺める。
ふうちゃんと言うのは、タクトの母親の愛称である。名前は風菜。ちなみに未花の愛称はみーちゃんである。
「っと、挨拶を忘れる所だったわね。えっと~、そちらの二人は……」
まだ何かを言いかけたのだが、彼らの後ろで身の置き場に困ったような表情をしている二人に気づき、彼らの微笑みかけた。タクトは一つ頷くと、
「僕たちの友達だよ。こっちがコルダで、こっちがアイギット」
「よろしくね~」
「おい……。えっと、アイギットです。よろしくお願いします」
未花に笑いかけながら手を振るコルダを、横にいるアイギットが諫める。彼は礼儀正しく、頭を下げながら答えた。
「はい、よろしくお願いします。それにしても、また随分と大勢来たわね。でもなんで? フェルアントが今何時だかわからないけど、夏休みまで日にちがあるのよ?」
未花も同じように頭を下げた後、訝しげな表情を浮かべて問いかける。どうやら、まだフェルアントからの連絡は来ていないようだった。それに、セイヤがああと頷いた。
「それはーー」
「ーー色々と、フェルアントの方であったから、その影響で少し予定を早めた見たいわよ」
答えようとしたセイヤだが、それより先に、未花の背後から突如聞こえた声が説明した。その声を聞き、タクトとセイヤの従兄弟、そしてマモルとレナの二人は表情をさらに明るくする。
未花がその顔に僅かばかりの笑みを浮かべると、その場から一歩横にずれる。すると、そこから車いすに乗った一人の女性が現れた。その女性を見た途端、一同は息を呑む。
流れるような黒の長髪。車いすに乗っているのに、悲観そうな表情が全く見えない、優しげな顔つき。今はフッと柔らかく微笑んでいるため、それが際だって見えた。年齢は二十代になったばかり、と言った物である。
事情を知らないアイギットとコルダはその人を見て、タクトの姉か、セイヤの妹かと思った。年齢だけ見れば、そう思うのも無理はない。しかし、タクトが言った一言を聞いて、二人は驚愕する。
「母さんっ!」
『……へっ!?』
母さんということはつまり、タクトの母親だろうか。二人は驚愕の表情のまま、ボケッとその人を見つめていた。その女性ーー風菜はにこっと微笑んだ。その笑顔に、不覚にもアイギットはドキッとした。
「はい。そこにいる桐生タクトの母親、桐生風菜です」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。
数分後、玄関での挨拶もほどほどに、一同は畳が引かれた大部屋に招かれた。と言っても、この家からしてみれば、小さめの部屋に見えるから不思議である。
「へぇ~。何度か言われてたけど、タクトってお母さん似なんだね」
「まあね。……僕としては、伯父さん似になりたかったな」
コルダのからかいの言葉に、ため息混じりでタクトは応えた。それだけ、気にしているのだろう。そんな彼に、風菜は笑顔を見せながら、
「ふふ、アキラ兄さん似になったら、セイヤ君とも似ちゃうけど良いの?」
「……セイヤさんが二人……。何か、嫌だな」
「おい、そこ。どう言う意味だ」
タクトがセイヤ似になったことを想像したのか、アイギットはぽつりと呟いた。それを聞き取ったセイヤは、頬を引きつらせて問いただす。
「私も嫌かな。セイヤさんみたいな顔で”僕”って言ってたら、何か似合わない」
「あ、それあたしも思ってた」
レナとコルダも、前半部分には賛成なのか、うんうんと何度も頷いている。それを見たタクトが、悔しそうに、
「やっぱり口調って、大事だよね」
「まぁまぁ良いじゃないか。口調にはそいつの性格が表れるんだし。むしろ、無理に変えた方がもっと似合わねぇって」
マモルがそんなことを言い出すとは思わなかったのか、周りは口を閉ざして彼を見つめる。その視線を受け、彼はたじろいだ。
「な、何だよ」
「マモル、お前熱でもあるのか?」
「ねぇよそんなもんっ!」
マモルの問いかけに、バンッとテーブルを叩いて否定する。そのやり取りを見て、一同は笑い声を上げた。皆のその笑顔を見た風菜は、納得したように、そして嬉しそうに何度も頷いて見せた。
「ふふ、仲良いんだね。良い”親友”が出来たんだ」
「うん」
彼女の言葉に、タクトは笑顔で頷く。我が子の笑顔を見て、風菜は車いすを動かした。
「それじゃ私、お昼の支度をするから。もちろん、君達の分も作るから、いっぱい食べてね」
にこやかに笑いながら彼女は言い、それに一同は頭を下げた。それを見届けると、風花は笑顔のまま台所へと行ってしまった。未花も、「手伝いますよ」と言いってその後をついていき、レナもその場からすくっと立ち上がる。
「私も手伝います」
「お、花嫁修業? だったら、あたしもやろうかな?」
「ちょ、コルダ! 茶化さないでよっ!」
二人の後を付いていこうとした彼女を見て、コルダも笑いながら立ち上がる。二人はそのまま仲良く笑い会いながら台所へ手伝いに行ってしまった。
二人が出て行ってしまった後、居間に残された男四人は、表情を見合わせる。最初に口を開いたのは、アイギットだった。
「なぁ、タクトの母親、足を悪くしているのか?」
「うん。下半身丸ごと麻痺している状態なんだって」
タクトは頷きつつ、少しだけ沈んだ顔をする。その顔を見て、アイギットは嫌な予感を覚えた。
「……もしかして、治らないのか?」
彼は何も答えず、ただ頷くだけだった。それを見て、アイギットも沈んだ顔をし、「悪い」と一言だけ呟いた。辛気くさい空気が漂ってきたのを感じたのか、マモルが笑みを浮かべて話し出す。
「風菜さん、あれでも凄腕の精霊使いなんだぜ。全く、人は見かけによらないよな」
うんうんと何度も頷く彼に苦笑しつつ、タクトは口を開く。
「そうだね。特に、魔術を使わせたらとてもすごいよ」
その賞賛を聞いて、アイギットはへぇーと感嘆の意を漏らす。そばで聞いていたセイヤが頷きつつ、
「あの人の魔術の腕前は超一流だ。足が動かない、っていうハンデをものともしないほどにな」
そう言い、思い出すのは数年前の事。一度だけ、風菜と魔術対決をしたことがあるのだが、僅か数秒ほどで負けた。足が動かないから、と言う事で侮っていた訳ではない。真剣勝負で負けたのだ。
フェルリットランク二位であるセイヤを打ち負かしたと言う事は、魔術だけで見るのならば、それ以上のランクに値する実力を持っているのだ、彼女は。流石は、英雄と呼ばれている男の妹である。
そのことを言うと、皆、特にアイギットは驚いた表情を浮かべる。頬を引きつらせ、恐る恐る口を開く。
「……ランク二位って言ったら、かなりのものですよ。と言うか、セイヤさんそれぐらいの強さなんですか」
「まぁな。これも、常日頃の鍛錬のたまものーー」
「ほう、お前は鍛錬を欠かさずやっていたのか。ならば、明日が楽しみだな」
肩をすくめて言うセイヤの言葉を遮り、突然居間の扉が開き、そこから一人の男が現れた。
もう壮年と言う年齢に達してきた頃だろうか、その男は顎髭を生やし、僅かに白いものが混じり始めた黒髪を、適度に伸ばしている。この家にいると言う事は、桐生家の血筋のものなのだろう。どうやら桐生家の黒髪は、遺伝のようであった。
引き締まった体つきと、全身からあふれ出る覇気は、かなりの数の修羅場をくぐり抜けてきた証拠なのだろう。その男は、ジッとセイヤだけを見つめていた。
対するセイヤは、その男を見て急激に顔色を変化させた。頬も引きつらせ、今にも叫びだしそうなほど口をあんぐりと開けている。その開いた口から、呟きが漏れだした。
「お……おや、じ……?」
「何だ? 馬鹿息子?」
……息子? 眉根を寄せるアイギットを見て、タクトが耳打ちする。
「あの人がセイヤの父親で、この地球支部の支部長を務めている、桐生アキラ(彰)だよ」
耳打ちのため、当然小声なのだが、アイギットは思わずもう一度聞きたくなった。そしてもう一度アキラを見やる。ーー威厳あふれるその姿は、彼の父親とは似て非なるものであるように感じられた。
未だに青白い顔をしているセイヤは、父親の機嫌が悪いことを悟ったのか、何とか取り繕うと愛想笑いを浮かべる。
「あ、あの、親父? 一体、何がそんなに気に入らないので?」
「……我が家の庭先を、赤い液体で染めなければならないのがな」
赤い液体って……。直接的な表現は避けたが、それがなんであるかを一同は悟った。同時、彼は腰のあたりに手をやりーー直後、現れた魔法陣から刀の柄が出現する。それを見て、セイヤは大きく首を振り始めた。
「い、いや待て待て待てっ!! これからお昼なんですけどっ!?」
「安心しろ。お前の骸には今日の余り物の牛乳をくれてやるさ。どうだ、父親の愛情を感じるだろう?」
「おそろしく捻くれた愛情しか感じねぇよっ!!」
問答無用。まさしくアキラはそんな状態だった。彼の冗談に聞こえない言葉を聞き、セイヤならずタクトやマモル、アイギットと言った三人までもが、がくがくと震え上がった。
まさか、本気でやるつもりかーーそう危惧しかけたとき、台所から食器洗い用のスポンジが飛んできて、彼の後頭部にポスッと当たった。
「ちょっとアキラ! 物騒なもの引っ込めてちょうだい!」
声からして未花だろうか。妻の停止の言葉を聞き、流石のアキラも動きを止めた。台所の方へ向き直ると、
「…………わかった」
若干納得していなさそうな声音で了承し、スポンジをそこへ放り投げた。刀の柄や陣も消し去ると、彼はそのまま今のテーブルに座り込む。
「無礼な行為をしてしまい、申し訳ない。確か、アイギット君、だったね?」
「あ、いえ、大丈夫です、頭を上げて下さい。それよりも、なんで私の名前を?」
頭を下げ、非礼を詫びるアキラの姿を見て、逆にアイギットの方が慌て始めた。目上の者と話すため、自然と口調が丁寧になっている。その口調を聞いてか、彼は、
「楽にしたまえ。家にいるときぐらい、普段通りの口調で話してよい。むしろ、その丁寧さを愚息にも見習って貰いたいくらいだよ」
「……おい」
隣にいる愚息は、あきれ果てた表情のままアキラを睨むが、それを軽くスルーする。
「それと、君の質問だがね、隣にいる甥が君の名前を言っているのを聞いていたのだ。だから、実際は名前しか知らない」
「はぁ……」
「教えて欲しい。君の下の名前は、一体なんて言うんだね?」
そう言って微笑む姿を見て、アイギットも笑顔を浮かべる。どうやらこの家の人達は、人の懐に入る事がうまいらしい。警戒を解いている自分が、なりよりの証拠である。
「アイギット・スチム・ファールドって言います。どうか、よろしくお願いします」
自己紹介を聞いて、アキラはにこやかな笑みを浮かべながら頷いた。
「うむ。私の方からも、甥のこと、よろしく頼む」
「あの、伯父さん?」
今まで聞く側に回っていたタクトは、流れ弾を喰らったような表情でそう呟いた。そのことには気がついているのだろうが、全く聞く耳など持っていないのだろう、アキラは笑顔を浮かべたままだった。